ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年7月12日金曜日

サクランボ狩り、たくさんある種類ほど味分からず

 東根市のサクランボ園で「食べ放題」とはいえ、朝食のバイキングをしっかり味わった後の間もない時で、食欲はあんまりない。策略ではないとは思うが、牛舎から引っ張りだされた牛のごとく、指定の場所につれていかれて、採れたてのサクランボを口に頬ばった。

 従妹が東根のサクランボ農園で手伝いをしていたが、そのころ教えてもらった「サクランボの種類はたくさんあるんだよ」の言葉を思い出した。食べたサクランボはたぶん佐藤錦だろう。













2019年6月11日火曜日

魚が獲れなくなっている今をつくたのは


 漁獲量が減っているのは、そういう扱いを我々の側がしてしまったというのが正確な表現だろう。神奈川水産技術センターの古いメルマガを見つけた。「魚離れ」になってきた昨今の「もとをただせば」こうしたことの積み重ねがあった。現場の公的なところ(役所)から問題を指摘すること、なにかほっとする。

神奈川県水産技術センターメルマガ VOL.318 2009-10-23
○海から見た二宮の浜
最近、相模湾に台風が接近する度に、海岸の砂が削られて、地域住民の皆さんが困ることが多くなっています。昭和35年頃は、相模湾では、ブリが沢山獲れましたし、浜では、地引網も多数行われていました。この頃は、広い砂浜が波を消す働きをしていましたので、台風の大きな波が来ても地域の人たちは安心して暮らしていました。しかし、西湘バイパスの設置や河川にダム、取水堰、砂防堰堤等が整備され、浜まで砂が流れてこなくなった現在では、本来、砂浜が持っている波を消す力も無くなり、とうとう西湘バイパス道路そのものが波で壊れる時代になりました。コンクリートの波消しブロック、鉄板での護岸等いろいろな工事をしますが、白砂青松の浜に秘められた天与の機能には、とても太刀打ちできないのではないでしょうか。




2015年10月24日土曜日

食べるのか食べないのかが悩ましい

 岩手の親父のところへ行って逗留する。その間従妹が山形へ行って免許証の書き換えをすることになっていた。おやじは最近おかずをあまり食べなくなっていて、なんでも箸をちょっとつけるだけだ。もともと好き嫌いがあるのかもしれないが、漬物と肉類とご飯だけは食べる。釣りが好きだったのに魚をあまり食べない。今はシャケの切り身くらいだ。

 二人きりで食事をすると、従妹が用意していってくれたものは、なんとなく自分が多めに食べてしまう。食べ物は残してはならないという教育とアルコールによる食欲増進が、そうさせる。半端になったものは捨てるわけにもいかない。自分とて自宅ならば、食べたいだけ食べると言う我儘が多少は可能だし、口に入る量は多くは必要なくなってきていることもたしか。

 連れ合いが懸命に作ったものを、年寄りはほんの少しの食欲しかないものだから、口になかなか運べない。だから穏やかでなくなるのもわかる。我が身も、塩分だの、いやその前にアルコールだのカロリーだのを、控えめにというダイエットの圧力が立ちはだかっているのだから、なるべくは口に入れないようにと、闘いを避けることはできない。

 食だけで軋轢が起きてくるなど馬鹿なことだが、毎日のことゆえなにか折り合いをつける方法を捜さなくてはならない。従妹が山形から戻ってきて、土産に親父の好きな「納豆餅」を購入してきてくれた。ところが、歯が抜けていて食べたいが食べられないという。歯の詰め物が取れてしまったり、抜けたりするのもしょっちゅうだ。こういう状態も食べることの障害になっているというわけだ。おかげで、自分も好きな納豆餅を余分に食べることになった。うれしさ半分というところだ。餅は旨かったけれども。従妹が少々太目になった事情がこれでわかった。










2014年8月14日木曜日

アジの開き、上出来の自己満足

昨夕、Sさんが釣ったばかりのアジを持ってきてくれた。18センチほどのものだったが、30尾ほどもあるのでどうしようかと考えてしまった。どうしようかではなくて、実は気の利いた調理はやったことがないので、どうしたものかと考えあぐねたというのが正確なところ。干物なら塩水に浸して干せばいいのだから、なんとかやれるかととりかかった。小物を切る出刃包丁がちょうどよいので、ハラワタを出して、5枚だけ塩焼きにするもののほかは全部開いてみた。包丁の入れ具合もままならないから、何枚かに一枚は偶然きれい開けた。ギザギザに身が切れてしまったりしたもの多かったが、なんとか「開き」らしきものができあがった。海水は相当辛いものだから、真水に相当塩を溶かし込んで、一時間ちょっと漬け込んだ。風もなくて乾燥できるのだろうかと心配はしたが、翌日の午前中までともかく干すことにした。干し籠に入れてベランダにつるしたら、奇しくも3段の棚がちょうど一杯になった。

21時ころにウォーキングに出かけようと外に出たら、雨が落ちてきた。あわててベランダの干し籠を取り込んだはいいが、干し場所はもとよりない。ドアの洋服掛けフックに括り付けてぶら下げた。多少臭うだろうとは想像したが、その匂いたるや想定外のものだった。生ものの匂いには慣れているつもりだが、その凄さに驚いた。幸いにも23時ころには雨が上がったので、また外に出すことができた。部屋の匂いがすごいので、このまま寝ることもできないから、しばらく窓を開放して空気を入れ替え、竹酢液を小皿にとって匂い消しのために置いた。


翌日は曇りで、予報では午後から雨とのことで、いつ降り出すかという空模様。でもなるべく外に置きたい干し籠。空を眺めては様子を見ていたが、黒雲が厚く見えたのを機会に、干し籠から取り出して新聞紙に3つに分けて包んだ。まだ生乾きみたいな気もするが、空模様を変えるわけにもいかない。昼食時に3枚焼いて試食してみた。魚の新しさからか、思ったより旨い。上手くできたのかどうかはわからないが、食べられるものになっているだけで上出来ということにしておこう。ただ、塩味がちょっときつかったから、この次の時は塩漬けの時間を短くした方がよさそうだ。






2014年4月9日水曜日

久々のカレー作り

 主婦から料理の「権利無償貸し付け」を受けてから二週間はたって、カレーづくりに挑戦した。カレーは作ったことがあると言っても相当前だったから、S…カレーを溶いて最後に入れるというやり方だった。「トロリ溶けてるリンゴと…」なんて固形のルーができちゃってからは、余計作り方は簡単だという観念があって、いわばバカにしていた。

 鶏肉は味付けがしてあるもので、解凍してから時間がたったもので、フライパンで火を通してあったものを使うことにした。ジャガイモ、ニンジンに玉ねぎがあればいいわけだから気楽なものだった。油をほんの少し、ニンジンと玉ねぎに鶏肉を混ぜて炒め、ジャガイモと水を加えたのだが、この水の量が上手く調整できなかった。具材の量に合わせなければならなかったのと、煮た後で入れたルーの量も合わなかったようで、水を加えて調節したりしたので、味が薄くなってしまった。

 見た目は確かにカレーではあるが、締まりのない味付けに仕上がってしまった。食べられないわけではないが、さすがに息子からも好意的な声がでてこなかった。息子は朝しか家では食べないので、そのために朝の一品を必要とする。年寄りだけならそんなに気を遣わなくても間に合うのだろうが、そうはいかない。ソースをかけた方がいいよと言ったが、息子はそのまま食べていた。朝方冷え込んでいたせいか、寝冷えして腹具合がよくないと言って、ベーコンとカキナを混ぜた炒め物も少し食べただけだった。


 カレーがるよと娘に声をかけて夕方には来ることになっているので、カレーにS…カレー粉を溶かし込んでみたら、味がしっかりしてカレーのようになった。カレーは鍋ごと冷蔵庫に舞い込んで、夕方温めた。娘は「食えるよ」と言って評価してくれたから、つくり甲斐が二日目にして報われた。アスパラを茹でて、かける直前にカレーに混ぜたのが今回の工夫のつもりだったが、色は悪くないものの、ちょっと味わいが違うかなという気もした。





2012年10月3日水曜日

世辞の一つもあればもっと頑張るのに

 昨日少し多めに歩いた疲れが残っているのか、午前中は眠くて参った。本を読もうと張りこんだけど結局うつらうつらしてしまった。

 今朝はご飯を炊いたから、それを食べてたまの炊きたての味を楽しむ。昨日のピラフが残っていたので自分はそれを食べる。二人の食事は、食べる量が少なめだからどうしても、「次回繰越」になる。

 今は畑のインゲンとトマト、ナスが食卓に出せるので一応「野菜類」は口に入る。仙人の食欲は一人前では多すぎで、生協中心の惣菜も残りかげんになってしまう。その分もったいないから、こちらが引き受けることになると、メタボの道をゆくようになってしまう。

 夕食には珍しくジャガイモやニンジン、白菜、玉ねぎに肉を入れてスープをこしらえた。いやスープを作ろうと意識したわけではなくて、煮て白だしで味をつけたら出来上がったのがスープになっただけのこと。これは自分では味が良くできたと思ったが、今はなんでも「出汁」がうまくできているから、そんなに工夫することもないのかもしれない。

 ナスの浅漬けの元を使って、昨夜漬け込んだ自家製ナスは、溶かした水の量が多かったために失敗した。塩を加えて昼食にはなんとかなった。

2012年4月26日木曜日

復刻版商品が人気だって


 復刻版商品が売れているそう。はちみつレモン、天そば、ビタホタテドリローストしょうゆ味、スパイシーカレー、グリコ…カレー、ブリッツ、ビスコ、アサヒビール、リポビタンD、ビックリマンシール最終章、三ツ矢サイダー、カルピス、キンケシ、AKB48は「おにゃんこコクラブ」の復刻版?

 この現象、情報過多になっているので、売り手のよりどころ、買い手のよりどころがなく、高度成長、バブル期へのノスタルジーが生んでいるとの分析がある。購入の中心は30歳~40歳のおとな達で、よかったころに戻りたいという意識が、復刻版を手にしているときだけ、タイムスリップしているという。勤め先の雇用、処遇、に不安を感じている人が90%近く存在するという現実も、人気を支えているという経済コンサルタントの話だ。なるほどと思う面もある。

 ところで例えば「カップラーメン・焼きそば・うどん」では、日清食品は1808種類、東洋水産1142種類、エースコック556種類の商品をもっている。ある商品が売れていても、別の商品を作り出して競合させて売り上げを伸ばすという戦略を聞いたことがある。

 それなりに消費する側の懐具合が豊なら、あれやこれと買い求めることがあるだろう。実質賃金が下がっている今はそうはいかない。だから復刻版だとなると腑に落ちる。

 ただ、政治の方の復刻版はだめだろう。とっくに賞味期限がきれたものの疑似商品や、味の分からないまゆつば新商品がでても売れるわけはない。毒の入った商品もありそうだから、買わないように気をつけねば。

2012年3月4日日曜日

魚殖やす植林運動

 北海道漁協婦人部が「お魚殖やす植林運動」を始めたのは1986年だった。自然が守られ、漁場環境を保全しようと「合成洗剤追放運動」「海岸清掃活動」を始めた。


 森と川と海はその保全が漁業者にとって、大きな課題だ。一昨年まで行っていた石巻の船頭さんが話していたのもそのことだった。都市化がすすみ、森が荒れてきたとき魚が少なくなってきた。昔は松島に点在する小さな島でキノコがとれたと。


 今日のテレビ番組で、小田原の蒲鉾協同組合が相模湾の山間部の森の保全を始めたとの番組報道をしていた。間伐をして荒れた山間部を手入れして、海へ養分を流れこむようにすることをねらう。


 漁獲量が少なくなってしまった魚種を利用した新しい蒲鉾の開発と合わせて、「森と海」の結合を展望した取り組みを目指すという。小田原市も関与して積極的にすすめているという。


 1987年に制定されたリゾート開発法で山、海、川はさらに荒らされた。経済成長のためという名目で自然を変造破壊したツケは今も残って悩ましている。


 江戸時代は幕府の殿様の食事とはいえ、魚を生かすための森を保全するとした施策があった。真鶴半島の森がそれを引き継がれている。

2012年2月18日土曜日

エコポイントを使って米沢牛を食す

 昨年、地デジのテレビに買い替えたときの、エコポイントを利用するのを忘れていた。


 この注文をパソコンを使ってやるのが、ちょっと面倒なうえに商品が少なくなっているらしくて、検索が面倒なので、登録だけしておいてそのままにしてあった。


 期限が近づいてきたので、全国型か地方型か、ポイントはいくら使うのか、どういう商品を選ぶにかなど、類型を絞り込みながら検索をした。


 すでに、商品が品薄になってきているのも手伝ってなかなか絞り込めない。往生しながら漸くの事で申し込みをしたら、「ありません」とあとからメールが届いたりして。


 でも、やっと探し当てた米沢牛を注文することができて、スキヤキにして食べた。これはなかなか美味かった。苦労の甲斐ありか。

2011年9月28日水曜日

ハゼへの影響を調べて欲しい

 きのうの釣りの会の会議で、放射性物質がハゼに影響していなだろうかと話題になった。


 S会員が、T水産課に連絡して何度も話をしたところ、一度はやるという返事があったものの、後日撤回するということになった。理由は「流通していないものは調査しない」とのことだ。


 ハゼはつりの対象魚として、多くのつりの会が行事の種目にしている。私たちの会は、今はおもに木更津のアクアラインの周辺で実施している。


 ハゼ釣りは、釣りの中でもだれでも楽しめる魚種として人気がある。東京でも江戸川放水路、浦安、城南島、お台場など夏から秋口まで、手軽で身近なレクレーションになっているから、このハゼへの影響をぜひ調べるべきだと思う。
 

 「江戸前のハゼ」の歴史をすたれさせるようなことになってはならない。

2011年8月31日水曜日

美食のくらし

 食欲は普通にある。普通よりも上かもしれない。家の食事では年寄りの食事が少なくて済むから、惣菜は残り加減になる。

 少なくて良いよと、製作担当者に言うが、造るときには一定の量がないと難しい。買ってくるにしても、皆のばらばらの好みに合わせるのは難しいし、ましてや量を少しにする註文は、する方が無理というものだろう。

 同じ物に何回も出会うのはいやだから、少し残った状態の物は食べちゃおうと頑張る。なるべく捨てたくはないし。

 さて、体重は減らしたいし、血圧も下げたい、尿酸値も気になるとあって、食べるだけの何の心配もない生活なのに、「闘い」が存在する。

 今日は、ブログの編集でページをもう一枚追加した。右上の「ページ欄」の「写真は自分を映す」をクリックすると展開。

2011年8月10日水曜日

コメを投機の対象にして

 日本人の主食が、先物取引の材料にされた。マネーゲームをそこまでやってどうするのか。

 どうして今やるのかについて鹿野農林水産大臣は、「やらない理由がない」と答えた。それじゃやる理由はなにか。財界でしょうね。

 今だって生産者価格を割って、買われているのに、なお下がることに歯止めもない。放射性物質の影響で心配しているときに、なんということだろう。


 アメリカ国債の格付けが下がったとか、円高で輸出企業の打撃だとか、「自由主義経済」が動揺して、コントロールできない。「社会主義が崩壊」して勝者となったはずなのに。


 社会構造が「大地震」か。正しいかどうかはさておくとして、今日の日刊現代のタイトルは「資本主義崩壊」と書いてある。