土門拳の広島の写真を見たとき思った。すごい写真だ。普通は直視できない原爆の放射線を浴びた人を、カメラ目線をそらさないでシャッターを切るなど、なかなかできるものでない。
どうしてそんなことができるのだろうか。
原子爆弾の被害の実相を真正面から撮るという迫力がそうさせるのだろう。こんなことがあっていいのかと、受け止める心が備わっていないといけないのだろうと、自分の体験にないことだけにとても考えさせられる。
写真を撮ろうとシャッターをやたら切っても、良い写真がとれるわけでない。撮れば撮るほど判らなくなっていく。腕の進化ならいいのだが、なかなか「やたら撮る」から一歩高まらない。
だからといって撮らないでいると前に進まない。綺麗な物を撮るのも、見せるためのものということから脱して、自分の感性に則ったものを撮るようになりたい。自分が気がつかいない、なにかが現れるかもしれない。
未熟な写真集 虚鯊(ウロハゼ)の数多フォト
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