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2025年8月18日月曜日

あんぱんの主題歌「賜物」の歌詞を調べてみた

 NHK朝ドラ「あんぱん」をずっと見ていますが、主題歌「賜物」は正直なところ早口言葉のようで、何を言っているのか聞いていても追いつきません。昭和の年寄りにラップは殆どなじみはないので、NETで見てみると感心するばかりの感性で驚きました。言葉のあやつりが見事です。歌は若者に「立ち向かう」ことを呼びかているようです。アンパンマンの「弱さを抱えながらも立ち向かう」ことを読み込んでのことでしょうか。

作詞、作曲をした野田洋次郎さんは8月6日に広島に行き、被爆者から直接原爆禍の話を聞いたとNHKが報道していました。野田洋次郎さんは「本当に小さな役割かもしれないけはれど何か果たしたという気落ちになります」と語っていました。東日本震災後の現地とも関わっているそうで、表現者として現実に触れていることに評価の声もありました。「賜物」の歌詞を次に載せますが、長いので端折りました。


あんぱん主題歌「賜物」の歌詞

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涙に用なんてないっていうのにやたらと縁がある人生

かさばっていく過去と視界ゼロの未来

狭間で揺られ立ち眩んでいるけど


「産まれた意味」書き記された手紙を僕ら破いて

この世界の扉 開けてきたんだ

生まれながらに反逆の旅人


人生訓と経験談と占星術または統計学による

教則その他、参考文献 溢れ返るこの人間社会で

道理も通る隙間もないような日々だが今日も超絶G難度人生を

生きていこう いざ‥

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「賜物」の曲と歌詞


2025年1月1日水曜日

2025年さんにご挨拶「ことしもお手柔らかに」

新しい年の良さは何かといえば、刺激的なところがいいのだと思う。新たな気分で、あれこれやると意気込むような「歳」ではない。できうれば、なるべく安穏で気楽に、のんべんだらりと暮らすのを夢にしたい。とは思えど旧年にはパソコンの不具合にあって、三日くらい復旧作業に取り込まれた。大晦日になんとか目鼻がついたので、〈BSテレ東〉で年越しカウントダウンコンサートを楽しむことができた。アイーダ凱旋行進曲の演奏が終わったその瞬間に2025年の幕開け、カウントダウンの仕掛けお見事でした。

めでためでたの若松様よ


この民謡は、もとになっているのが「伊勢音頭」なのなそうで、江戸時代に何回もあった伊勢参りブームによって全国に広がったらしい。「伊勢音頭」は「荷物にならない伊勢土産」ともいわれているのは、うなずけること。能登では、「『七尾まだら』の歌詞はね、『めでためでたの若松様よ、枝も 栄える葉も茂る」たったこれだけの歌詞なんですよ。まだら始めてから終わるまで
410秒の間に手拍子77回 叩く。』」と紹介されている。ものに歴史ありというか、全く知らずに、故郷山形の民謡だと思い込んでいた。恥ずかしながら、新年に開眼!めでたい。

「目出度目出度の 若松様よ 枝も栄えて 葉も茂る」

2020年7月5日日曜日

カルメンと言えば「バラ」、バラのころは6月中の頃

 良い育ちだったわけでもなく、金持ちの暮らしだったわけでもないが、いつだったか不鮮明な子供のころ、歌劇を見ることになった。親に連れられて行ったのだと思うが、多分その頃は「歌劇」なるものは日本ではまだ珍しかったころだと思う。演劇でさえ見たこともなかったし、歌いながらしゃべるなどということが、なんとも奇妙な感覚だったのだろう。バラを加えて歌い踊るという鮮烈な場面を、びっくりしたまま記憶に残している。

 だからといって歌劇=オペラが好きで通ったということでもなくて、その後も何回かは舞台を見、テレビも交えて眺めただけのことだった。合唱団の先生がときおりやる演奏会では、カルメンの曲が織り込んであり、いつもそんなことを思い出しながら楽しませていただいている。

 しばらく前に成り行きで、合唱団の「オペレッタ」で演じることになった。多数のなかの一人でやったもので、にぎやかにやり結構楽しいものだった。合唱団でさえも今ごろ(10年前)になっての奥手入学で、もっと早くからやっていれば、様々な楽しい体験ができたのかもしれないと思う。

(写真は昨年の6月22日)







 カルメンが加えたバラは、原作では野アカシアなんだそう。薔薇のようにすぐ萎れることはないし、「枯れてなお芳香をはなつ」強さがあるとか。



2020年1月22日水曜日

アメヤ横丁その2

 「ああ上野駅」(井沢八郎)という歌謡曲を思い出した。若いとき親とけんかして家を飛び出し、田舎の叔父のところへ行った。そのときから上野駅は懐かしさが記憶にとどまっている。旅客列車の最後尾に貨物車両が付いてあり、駅に到着すると車掌(?)が積んできた荷物を放り出す光景をみた。ずいぶん乱暴なんだなと…。
 
「ああ上野駅」の歌詞に「♬上野は心の駅だ~♬」とある。新婚旅行で十和田湖に行った折、青森で公演しているのにぶつかった。上野はそんな古くて懐かし記憶を持たせてくれたところだ。

 駅の配置は昔と変わらない形が残っているし、その周辺も基本的に街並みが残されている。上野公園周辺は再開発の声もでているが、むやみに変えていってほしくないと思う。










2019年11月10日日曜日

歌い踊るのは人間の本性?

 ゼイム職場の合唱発表会が終わった。同一職場グループの18団体が集った。この合唱祭が56回も続いているのは特異と言っていいかもしれない。歴史を重ねているところはたくさんあるが、散らばっている職場がそのとき集中して継続してやっているのは、おそらくはそうはないだろう。

 難しいことは専門家に任せるとして、「歌ったり踊ったりする」のは人間が身に着けた本性なのではないかと思う。自分も「やってみたい」と思うのは、その表現への共感にある。自己表現への共感とは実は相当高い価値を含んでいるものと感じる。「商業主義」にはない、なにか珠玉な文化価値がある気がする。

 言葉では伝えられなかった時代に意志と思いを伝えたる手法として編み出された。現代に適応するなら、言葉で伝えられることが、できるはずが内実は相手には十分に伝えられないことはままある。言葉や動作で伝えられたとしても、そのうえに機微を盛り込む、昇華作用となっているのかとも思う。

 どちらにしても人間の文化的素養に文化としての期待が込められる。「歌い踊る」ことの誘惑的磁石はこうしたものを引っ張り込む力がある。歌いたいという気の発揚と動機はこんなことにあるのではないだろうか。少々鷹揚な解釈だけれども、56年も一つの職場の別部から集まって組み立てられる「合唱祭」は、「歌い踊る」というDNAとでもいうか、人間が持っているものだと考えるのが、これまで続けられた理由として順当と考えられる。続いた合唱祭の歴史は、元にそんな事情があったのだろうと推測する。当たり前だのことだが、「やろう」という声掛けが丹念に重ねられてきたことは疑いない。

2014年1月4日土曜日

三宅由佳莉(ソプラノ;3等海曹)の活躍

 「祈り~未来への歌声~」がレコード大賞企画賞になって、あれあれと思った。自衛隊が震災の時に活躍して被災地で感謝されているのを、ウリで押し出すのはいまどきの商法のようだ。しかし、軍隊ですからねエ。
日本大学芸術学部音楽学科声楽コースを卒業、目標はミュージカル女優だった。就職活動し大手百貨店に内定したが、恩師の勧めもあり諸外国の軍楽隊の交流を通じ歌い手を必要とした海自に応募、2009年に自衛隊初となる1人の声楽採用枠に合格して、入隊。自衛官としての5ヶ月の基礎教育訓練の後、ソプラノ歌手として海上自衛隊東京音楽隊に配属。

家族を失った被災者に寄り添う思いから生まれた「祈り〜 a prayer」は、幼少時に交通事故で母親を亡くした東京音楽隊隊長の河邊一彦2等海佐(59歳)が作詞・作曲したとある。

 1115.16日に日本武道館で催された自衛隊最大のイベントは毎年開かれてるらしい。暮れの週刊文春にあった囲み記事に「自衛隊は日本に絶対に必要だと洗脳されるイベント」とあった。


あのくらい歌える人間はカラオケが好きな人にもいくらでもいる。飛び抜けて旨いわけでもない。下手だというわけでもないが、自衛隊でなければ、もっと開花するチャンスもあるだろうにと思う。

 「ひみつのあっこちゃん」を歌っている人がいる。この方も歌が上手い。















2013年8月31日土曜日

「夢は夜ひらく」のヒットを夢見た人たち

 現在の歌い手さんは、誰の唄でも歌っている。著作権の処理ができれば可能なのだろう。贔屓の歌手が持ち歌以外に歌えば、ファンの楽しみも広がる。昨日のブログで資料をググった(Googleで検索することを俗語で「ググる」というんだそうで)ら、「夢は夜ひらく」をうたった人は多かった。こんなに他の歌手に広がったのは、最初の唄の衝撃だったのだったからか。

 「夢は夜ひらく」を最初に歌った園まりは1966年に発表したが、この年美空ひばりが、「悲しい酒」を出し、前年には都はるみが「涙の連絡船」を歌い始めた。これらの曲はマイナー(AmDmE7)で構成されている。演歌はこのコードとバリーションでだいたい間に合う。いわゆる短調の曲だから、「暗さ、冷たさ。寂しさ」が表現できる。ギターを持つのが若者のファッションだった時代には、簡単に伴奏できた。これもヒットした事情かもしれない。

園まり(1966年、作詞:中村泰士、富田清吾)
緑川アコ(1966年、作詞:水島哲)
藤田功、愛まち子(1966年、藤田功は作曲者の曾根幸明)(作詞:大高ひさを)
バーブ佐竹(1966年、作詞:藤間哲郎)
藤圭子(1970年、曲名は『圭子の夢は夜ひらく』、作詞:石坂まさを)
三上寛(1971年、作詞:三上寛。三上は園まりが歌った歌詞でも歌っている。三上版はかつて放送禁止歌だった)
根津甚八(1976年、曲名は『甚八の夢は夜ひらく』、作詞:かぜ耕士)
ソウル・フラワー・ユニオン(1996年発表。曲名は『(ソウルフラワーの)夢は夜ひらく』。作詞:石坂まさを、中川敬。アルバム『満月の夕〜90's シングルズ』に収録)
あさみちゆき(2004年、曲名は『ちゆきの夢は夜ひらく』、作詞:吉田旺)
三波伸介とてんぷくトリオ(曲名は『わしらの夢は夜ひらく』、作詞は長谷邦夫)
梶芽衣子(曲名は『芽衣子の夢は夜ひらく』、作詞:吉田旺)
香西かおり(曲名は『かおりの夢は夜ひらく』、作詞:市川睦月)
八代亜紀(曲名は『亜紀の夢は夜ひらく』、作詞:高月ことば)
門倉有希
梅宮辰夫
水原弘(曲名は『おミズの夢は夜ひらく』、作詞:浅井英雄)
クロード・チアリ
翔(作詞:翔)
ちあきなおみ(曲名は『ちあきの夢は夜ひらく』、作詞:西沢爽)
田端義夫(曲名は『バタヤンの夢は夜ひらく』、作詞:山野あきら)
五木ひろし(曲名は『ひろしの夢は夜ひらく』、作詞:岡田冨美子)
牧村三枝子(曲名は『ミーコの夢は夜ひらく』、作詞:山崎ハコ) 
真木ひでと(曲名は『ひでとの夢は夜ひらく』、作詞:山口洋子)
浜村美智子(曲名は『美智子の夢は夜ひらく』、作詞:野村耕三)
JOJO広重(曲名は『生きてる価値などあるじゃなし~JOJO広重の夢は夜ひらく~』、作詞:三上寛、JOJO広重)
加賀城みゆき(曲名は『みゆきの夢は夜ひらく』、作詞:杉たくみ)
青江三奈(曲名は『三奈の夢は夜ひらく』)
前川清(作詞:山口あかり)
藤竜也(作詞:小谷夏(久世光彦))
犬神サーカス団(2001年、曲名は『凶子の夢は夜ひらく』)
美空ひばり(園まりが歌った歌詞でカバー)





2012年7月4日水曜日

東電社員の年収、また3割削減で電力料金値上げ?


 一般家庭の電気料金値上げで、賃金を3割圧縮して値上げ幅を削減することで決着させようという政府の対応。一般社員はすでに2割の削減をされている。そのうえでのカットとなるが、ほんとうにそれでいいのだろうか。
 
 マスコミは「批判が強い」といっているけれども、マスコミが書くからそういう意見がでてくるということもある。これまでは、学校を卒業したら、就業はなるべく条件の良いところ、ということが「至上命題」だった。今後もそれはかわらないだろう。企業間の競争による格差は、これが競争状態にあることで人材を確保してきたはずだ。

 それがいいこととかどうかはさておくとしても、東電で働く一般の社員は、原発稼働を率先して進めてきたわけではない。「業務」として進めてきたわけだ。企業目的や社会的な責任は、そこで働く者が負わなくてはいけないことか。唯一責任があるとすれば、「原発の稼働は危険だ」という意見をどこかの場で表明することくらいだろうか。

 しかしそれは社員として表明する自由はない。日本ではそんなことは非常に難しい。賃金を5割削減された社員の生活は成り立つのだろうか。結婚前の若者は?子供が小さい家庭を持つ社員は?住宅ローンを払っている社員は?

 東電社員の賃金が大きく削減され、東電料金の値上げがそれによって成り立ち、原発が再稼働?そんな馬鹿な!

スペイン旅の写真のまとめがこの間出来上がった。「スペインの旅8 どこでも音楽が聞こえる」が最終のページになったが、今日YouTubeで面白いものを見つけた。どこでも音楽が聞こえるという趣旨に合った映像だった。



2012年1月20日金曜日

雪の日、歌もおつなもの

 昼食の時間テレビで、寺井尚子と八代亜紀のセッションをしていた。ジャズと演歌だから月とすっぽんみたいなものかと思ったが、なかなか素晴らしいものだった。


 歌ったのは「雨の慕情」。寺井尚子さんはジャズセッションを情熱的に演奏、一昨年の赤旗祭りで初めて演奏を聴いた。


 八代亜紀さんの演歌は「沁みる」歌が好みで、娘が小さいころ振付を覚えさせたことがあった。専門的にはわからないけれども、演歌の乗りやすい端的な曲筋に、ジャズの奔放にふるまいでかつ外して戻るような流れが、見事にマッチしていた。


 単独で聞いていても本当に卓越した演奏と感じさせる御両人がコラボレーションするなんてなんという贅沢か。できればもっと聞いてみたい。


雨の慕情


リベルタンゴ

2010.11.07日 赤旗祭りで