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2023年4月27日木曜日

展示した写真の思い返し

 再開発のものすごさを写真に表したかったが、それなりに力を込めたつもりが、そうでもなくて表現するのに、もうちょっと力およばなかったと思うのが率直なところ。集中してもっと突っ込んだ撮影をしなくてはいけないなと、思い返している。

 ビルがどんどん建築されて、「昔の風景」が消滅していくことには、そのテーマをもった他の人の写真が実に印象的に記憶に残る。「再開発が…」という「…」の部分にかかわるテーマは何なのだろうとずっと考えている。一極集中批判が今ではほとんど表には出なくなって、いまや公園の木を伐り、高層ビルを建てるということにまで追い込まれている。

 地方の山々を削り、採った石灰石と砂利とコンクリートで都市を固める。どこもかしこもこれでうごめき回る。ここまでやるのかという気がしてならない。地上空間を手に入れて(地下の場合もある)財産とし、持っているものと持たざる者の格差をどんどん広げることになんの思案と問題も考慮なしでいいのか。そんなバカげた成長・経済は本当に願い下げにしたい。

 「貧困・困窮」から抜け出せない、その中にいる我々も、財政が足りないからと、年金も医療もなにもかも切り下げられて、生活程度は下がるばかり。どこに安寧な幸福と未来があるのか。









2022年2月13日日曜日

神宮外苑を都市改造、自然のテリトリーをまた減少させるのか

 「経済」活動の効果をあげるために、邪魔な自然エリアをなくしていくのは、許容されていのか?残念ながら「自然」の大切さについての、「政治側」の関与は余りにも勝手きままな振る舞いになっている。ほとんどなんのおかまいなしに、人間社会の「経済」優先的な活動が推進されて、究極「温暖化」まで呼び起こした。地球環境を保全のために行動を急がされる事態なのだから、ちっとは反省して…というのが常識的な考えというものではないのか。肝心な「お国」が推進側の旗振りなのだからなにをか言わんやだけど。

 明治神宮外苑の再開発で約1000本の樹木を伐採・移植するという計画がある。それは超高層ビル2棟、ホテル付の新神宮球場、国立競技場より高い新ラグビー場をつくるためとされる。またぞろ「自然破壊」をこりもせず続けるということになる。事業者が三井不動産、伊藤忠商事と聞くと。住民のための街という大義が、またまた住民をそっちのけにして希薄なまま、どこかのダム建設みたいな程遠い「問題」となって扱われていく。

 ソロバンをはじきながら進める方は、そこが付け目でもあるのだろう。都市が経済活動の貢ぎ場所として特別な扱いでいいとは言えない。一極集中のデメリットが本格的に検証されないままできていることもある。循環する生態系の一パーツとしての人間が考えやるべきことを、検証して考える必要性はより高くなっている。

 かつて、東京都知事鈴木俊一のおり、「緑の倍増計画」(「昭和60年~6年間」)がたてられた。緑豊かな東京目指してと題した巻頭言で「…緑は今住む人達のものだけではなく、将来に済む人々との共有財産であります。緑と水の豊かな、美しい東京を時代の子供たちに、そして、さらに将来の世代に引き継いでいくために、国や区市町村のご協力を得ながら、都民の皆様と手を携えて進んでまいりたいと思います…」と宣言していた。つぶさには様々な問題もあっただろうとしても、施策に「緑」を据えるのがかつての東京都でも存在していたことを、今になって言うのも虚しい話だ。


 

2020年11月25日水曜日

都市にも自然を取り戻したい

 気象庁が大手町から虎ノ門の新庁舎に引っ越しする。高い免震性能で、地上1階と地下1階の間に積層ゴムを挟み込み、横揺れを吸収する構造になっている。自然災害への対応力を高めようと組織改編を行い、気象の予測技術を開発する部署が集約された「情報基盤部」を新設した一方、地震の予知に取り組んできた「地震予知情報課」を廃止するとのこと。

 ニュースの範囲で具体的な組織の変更を、うかがい知ることができないが、先日報道された気象庁が「動植物の観測を縮小する」との記事がちょっと気になった。NHKのニュースだったが、動物の初鳴きや植物の開花など70年も続けてきた動植物の観測のおよそ9割をことしいっぱいで廃止するとの記事だった。気象台周辺の都市化などが進んで観測が難しくなったためで、「さくら」や「かえで」などは引き続き観測が続けられるとコメントをしている。

 同記事では、例えば「とのさまがえる」は、観測が開始された昭和28年には全国38か所で確認されていが、去年は5か所にとどまって…と見つけることの困難さを理由にあげている。そこで951種の観測を廃止するということにしたとのことだ。例の行政の効率化ということのかもしれないが、都市化によって失われてしまった環境・自然を「なくなってしまった」ということで始末してよいのだろうか疑問に思う。

 逆から考えれば、なにがしかの対策で、例えば公園を増やすとか緑地を広げるとかの政策が実施されたとしたら、動植物は回帰するのでは?

 SDGs=「持続的な発展目標」にもそんな視点はおよんでいないが、あまりにも急激な都市変容は日本が外国に比べてそれだけ異様なのかもしれない。SDGsの目標の一つとされる「急速な都市化がもたらす課題は、都市の繁栄と成長を継続しながら、資源利用を改善し、汚染と貧困を削減できる方法で克服できます。」よりはもっとダイナミックな対策が必要なのではないかと思う。

 高層ビルの電源が豪雨洪水で破壊されるとか、道路のために「大深度掘削合法化」で掘ったがための住宅地地盤沈下などをみるにつけ、やりすぎ感が否めない。環境や自然に意思はないから「報い」とはいえないが、人類がしかけていることに「従順」に存在できるわけではない。

 SDGs目標11:   住み続けられるまちづくりを

1110NHKニュース


2020年2月19日水曜日

真鶴半島の光と影


 タイトルはちょっと古めかしい感じがするけれどもうまい表現が思いつかない。衣食住の生活環境を保全していくことは、どんな時代でも一番大事にしてきたはず。今は農業も漁業も法人化が意図的に導入されて個人から大規模な事業へと、変容が迫られている。ものみな大都市へと集中され、地方の生業が置き去りにされていく。

 真鶴半島の道を歩き、陽ざしが照らす海を見ながら、空き家が目立っていることに、日本の縮図をみる思いがした。自然を保全して共生しその場で活きていくことがこんなに難しいことになっているのはおかしい。撮りながらそんな思い強くなってきた。















2019年7月2日火曜日

太陽が照らす近所の変遷


 近所を歩いて回るのと意外に新しい発見があったりする。大通りは人と車ばかりが目に入ってきて、あまりに慣れすぎて新鮮さは感じない。写真を撮れるものはないわけじゃないが、人を矢鱈に撮るわけにはいかないから気を遣う。なにか目に飛び込んできてああこれは面白いかなというものがあればいい。

 ずっと住んでいても、変わっていくものがある。特に建造物の変化はすごくて、ここにどのくらいの金が流れ込んでいるのだろうかと、貧乏人が余計な心配までする。でも「景気」なんだろうし経済活動の一面なんだと思っても、懐具合には何の足しにもならないと頭の反対側から声が出る。

 「昔は」と、50年くらい前を想像すると料亭がある華やかな街だったらしい。黒塗りの車が止まって、ナントカという料亭はどこかを尋ねられたことがある。今はその頃の面影がほんの少しだけ残っているだけだ。付近には新しい公園やら高級マンションやら、邸宅が壊された平地やらが、新しさを「誇示」するように都庁舎を遠望している。

 ついでに言えば、住宅地のど真ん中に9階建てのワンルームマンションが工事中で、近隣の「建設反対」のポスターで包囲されている。新しいものの魅力は、昔のものとの入れ替わりで手に入れることになるが、ある意味「破壊」との引き換えにもなっている。












2019年3月22日金曜日

西新宿「成子坂下」の開発、江戸時代と今

 近くにいながら、「成子」のいわれを知らないままできた。今になって気になってきて、NETをあたってみた。神田川に向けて下っていったあたりだろうか、江戸の西端にあって旅人を相手にした半農半商の家がたくさんあったらしい。「鳴子」を使って音で人を寄せるようにしていた。「鳴子」はもともと農家が鳥を追い払うのに使っていたものだが、商家がどんどん増えていったため使われなくなり、地名も「鳴子」から「成子」へと変わってしまったとか。

 「この地域には名物として明治期まで鳴子ウリなるものがあった。 マクワウリという小さいウリで、原産地は美濃の国の真桑村(大垣市の北にある本巣市の中心地)。 徳川幕府は美濃の国真桑村から農民を呼び寄せ、府中の是政とここ鳴子に住まわせて瓜の栽培をさせた。 この瓜は根が浅く、土の乾燥に弱いので、神田川の流域で土地の湿り気の多いここは適地だった。 徳川幕府の土木工事は凄いものだが、農業に対する見地も大したものがある。」

=とは「ぼのぼのぶろぐ」から引用させていただいたが、江戸時代の開発は庶民の生活環境改善への配慮が、よく取り組まれていたと言える。現在の大規模開発で得られるものとは何だろうか。庶民の目から見えるものが思いつかない。いくつもの商店が消えている。それだけは確かだ。

鳴子
 よさこい踊りで使っているのも鳴子だが、よさこい踊りは、戦後阿波踊りに対抗する形で始まったとのことで、使ったいきさつはわからない。












2019年3月21日木曜日

10階建てのビルも飲み込まれることになるのか

 近所の「マンション建設」については以前ブログに書いた。歩き回るどこにでも、ビル建設現場に遭遇する。幹線道路ばかりか、やっと車がすれ違う道路の住宅地域にもその動きがあるのは、今まで体験したことがない。

 西新宿の成子坂下、淀橋の一角にも再開発の工事現場があった。ここには10階建てのビルが何棟かあるが、すでに空き家になっているところもある。ビルを解体して…ということになるのだろう。