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2018年8月15日水曜日

阿波踊り「総踊り」を見て思い出した映画「祇園祭り」

 1968年に制作された映画「祇園祭り」の圧巻は、中村錦之助が山車の前に立って、見えをきり祭りを成功させるというシーンだった。「応仁の乱後、京都の町衆たちが室町幕府権力に抗して自治体制を築き、その象徴としての“祇園祭”を復興する」という筋立ての映画だった。そのときの堂々とした「反骨精神」のような場面に感激してよく覚えている。

 1964年オリンピックに際して、テレビの普及が大々的に進められた。映画産業に対する影響はすさまじいもので、「エログロ、暴力」路線へと傾斜していく時期だった。中村錦之助(萬屋金之助)の主演作ということだったが、映画化するまで紆余曲折があった。制作会社が予算化せず中止になったこともあった。錦之助が資本金を出し、「日本映画復興協会」を設立して、蜷川京都府へのバックアップもとりつけてようやくクランクインした。

 その後も、脚本完成の遅れ、伊藤大輔から山内鉄也への監督の交代、出演者の日程調整、製作費の増大(約3億円)、さらには政治的介入、ロケ現場での暴力団による妨害もあり、まさに艱難辛苦の末に完成した映画であった。最初の企画から完成まで実に7年を経た労作でもあるとウィキペディアに紹介されている。俳優のメンバーがものすごかった。
…中村錦之助:瀧花久子:佐藤オリエ:永井智雄:田中邦衛:志村喬:田村高廣:斉藤美和:藤原釜足:小川吉信:大里健太郎:大木晤郎:橋本仙三:沢淑子文:山口俊和:小沢栄太郎:浮田左武郎:有馬宏治:御木本伸介:三船敏郎:尾形伸之介:下元勉:渥美清:北大路欣也:関根永三郎:下條正巳:堀正夫:加藤浩:田中浩:中村時之介:玉生司郎:松山英太郎:片岡半蔵:鈴木悦子:遠山金四郎:伊藤雄之助:伊藤寿章:高倉健:美空ひばり、中村米吉、中村光輝:中村賀津雄:大辻伺郎:木暮実千代…映画衰退の時期を乗り越えようする意気込みだったのだろうか。

 「祇園祭り」は洋画系映画館にてロードショー公開され、大ヒットを記録した。東京では新宿ミラノ座、渋谷パンテオン、松竹セントラルの3館で翌年110日までの7週間上映され、観客動員数309,800 人、興行収入11,441万円を上げ、それまでの邦画ロードショーの新記録を樹立したとのこと。この完成の経緯も当時の時代背景を映してすごいものだと思う。

 ことしの阿波踊りが「政治」の方向から干渉を受ける(不正の事実もあると報道されている)とは、信じがたい。為政者の言う通りに従わないものは許さないという態度こそ、文化を軽んじるもので許されない。金儲けにつながらなければやらないなどとは、「公」のすることではない。総踊りの映像を見ながら「気概」を重ねてみた。民衆の「一揆」を感じさせることだった。

阿波おどりのルーツは、このような人々の自発的な踊りだったのだろう。江戸時代にも、為政者が何度も「一揆を招きかねない」として「阿波おどり禁止令」を出した理由がよくわかる。

2018年5月16日水曜日

宴会場所の店を間違えた

 上野でやる宴会は、店がほぼ特定されてきた。昼食ランチを採りながら一杯やるのが定番だ。早めに現地に着いたので、店のあるビルのエレベーターに乗ったが、昼食時に間があるので、まだエレベーターが動かない。こういう扱いのある上野って親しみがあって良いと個人的には思う。

 しかたなく一回りするかと付近を見渡すと、なんと下谷のお祭りの日で、立派な風体の人たちが、これから動き出すだろう神輿のわきでくつろいでいる。わが近所でやる祭りの神輿とはちょっと格が違うようで、なんという髪型か知らないが、すっきり編み込んだ女性が、鏡を出して口紅を直している。クソッ!シャッターチャンスなのにと思いながら、スマホを取り出して構えるものの後の「祭り」。だいたい祭りがあることなど事前に知らなくちゃ「写真家」にはなれないよなと独り言。

 で、待ち合わせ時間になったので店に入った。なぜか、待ち合わせの店を確かめようとスマホを取り出し、メールの記録をみた。あらら、店が違っていた。あわてて「前回とおんなじところと思っていたら違っていた」と言うと、ニコニコしながら「そうですか、また来てください」と、看板を持ちながら「一緒に下へ行きましょう」とエレベーターに乗り込んだ。

 約束の店は遠くないので、5分ほど遅れてしまった。その話で盛り上がって、宴会はスムーズに運んだ。いつものように二次会を済ませて表に出ると、予報通りの雨が降っていた。神輿が動き出して、大勢の人が周りを囲んで気勢を上げていた。これもシャッターチャンスだったけど…。






2015年8月30日日曜日

雨の中武者行列と山車が行きかう

 15日、金町の朝9時半から本祭りが動き始める。車で30分ほどの新庄のホテルから向かう途中、つい田んぼの景色に囚われて時間を食ってしまった。

 出発時間内に間に合ったつもりが、雨が本降りになってしまったので、駐車場で濡れないように支度している間に武者行列が動き始めていた。早足で追いかけるものの、どう撮るかもさだまらないままシャッターだけは押した。行列の皆さんも雨の中大変な思いをしているようだった。

 山車の方がどう動くのかも確かめる暇はなかったから、道端の人に確かめるとその場を通ることになっているとのことでひとまず安心。金山川にかかる「きごころ橋」で戻ってきた武者行列と山車が行き違いするが、その様子を見ながらまた右往左往してしまった。運よく山車の行進が休憩になって止まり、担い手の子供たちや若者が穏やかな動きになっていたのを見計らって、中に入って撮らせてもらうことにした。

 また動き出した山車を追って先に歩いてみたが、そのころから青空が見えてきた。しかし出だしから焦ってしまったのが後を引いているようで、なにかもう一つ物足りない感じが残った。








2015年8月29日土曜日

新庄で落ち合って、金山町の宵祭りへ。

814日に先輩と新庄で落ち合うのだが、こちらは盛岡から新幹線に乗り、大曲で奥羽本線上り列車に乗り込むことになる。ホームから見える情景を眺めながら、知らない街を素通りするのはもったいない気がするが、そんな時間の余裕はない。来た方角とは反対に向かって、本当に大曲りをしてディーゼルカーが発車する。車音は昔ほどうるさくないのだろうか気にならなかった。3両だかの編成でトイレ付、列車が駅に着くと自分でボタンを押してドアを開ける。乗り込んだ人は備え付けの機械から「切符」を受け取る。田んぼのイネに少し穂が出て、うっすらと黄色づいている景色をゆったりと眺めながら、新幹線では味わえない「車窓から」を楽しんだ。

 レンタカーを借りる続きを、相方がくる前に済ませ、宵祭りまでには十分な時間を、早めに金町に入って祭りの前の雰囲気をカメラに収めようと歩きまわった。それらしき担ぎ手でない地元の人々、若者が中心に担う祭りは、有名な祭りの担ぎ手の様子とちがって初々しくて頼もしい。ところが、あいにく夕方から雨模様の様子ということで、宵祭りの山車は中止になってしまった。せっかく造り上げた山車の飾りを、翌日の本祭りの前に台無しにしてしまうわけにはいかない。山車の前でくつろぐ若者は、宵祭りにでかける目標がなくなっても、屈託のない笑顔でくつろいでいた。












2015年8月20日木曜日

馬路村の「フェスティバル魚梁瀬」

2回目になった馬路村は、旅館の前に川があり、深いところがないので子供連れには人気のようだ。子供ばかりでなく親の方も水に浸かって楽しんでいる。ここなら、川の大きさが適当で目が行き届く。夏の旅は、かつては涼しい東北方面が多かった。家族そろって行った若いころは、西の方面は少なかった。だから、暑いけれども知らない地への旅は魅力的な感じがある。
前回とその前のブログは、現地からスマホでアップしたものだったが、作業がやりにくい。パソコンを使った編集とは違って、思ったように表示できないようだ。スマホも小さなパソコンと同じように使える点は利便ではあるが、パソコンと同じように使うのは難しいところもある。

スマホの「データの使用料」が料金に跳ね返るので、Wifiの通じないところでは安心して使うことができない。通常は家のパソコンの無線LANWifi)から電波を取っているので、使用料は多くはならないが、外で使用すると見る間に増えていく。これでは「歩きながらのスマホ」などどれだけの料金を払っているだろうか。まず10000円は下らないだろう。東京の(日本の)Wifi事情は、その使用可能箇所が少なくて、来日した観光客には評判が悪いという。オリンピックまでには増加させると言うが、日本のこの手の業者も利用者に還元することに力を入れてもらいたいものだ。


31日の魚梁瀬の祭りのとき、小ぢんまりとした村の雰囲気と、若者の姿をカメラに捉えたので旅館宛に送った。








2015年8月12日水曜日

"2015.8.1高知県馬路村魚梁瀬「フェスティバル魚梁瀬」の花火" を YouTube で見る

 爺さんが、ショートスティーにいって、体調が悪くてまた入院になった。入院したのは併設されている場所にある病院で、移動は大事にはならない。連れ合いが、お婆ちゃんを連れて、息抜きに出かけていたが、以前にもあったことなので、要領は承知していた。入れ替わりにこちらは馬路温泉にでかけた。二回目の訪問になった馬路村は柚子の里として知られ、人口が1000人ほどという。温泉周辺を廻ると、村をあげての取り組みを、身近に感じることができる。昨年につづいての利用で、従業員さんとも顔見知りになり、馬路村の奥から通ってくるその若者は、ちょうど祭の日であることを教えてくれた。話す言葉のの端々に郷土の思いを感じて、勧めに従ってでかけてみることにした。20分ほど走って着いた山あいの公園に、300人くらいの人が、広げられたシートに座って、舞台の出し物に喝采をおくっていた。出演した保育園の子供たちや、若者のバンドか盛り上げていたが、夕方の陽が落ちていくときのシチェーションは、昔何処かであったかなと、懐かしい想いをさせてくれた。奥まった地で、お年寄りが多いのかと思ったら、赤ちゃんをつれたママさんや若者が多くて、村の息吹きを感じさせてもらった。

2013年8月19日月曜日

「犬も歩けば」がシャシンヤの秘訣

 おもわぬ旅で、カメラとパソコンは持ったものの、常備薬の血圧降下剤は忘れてしまった。越語湯沢駅で、例によって「お土産類」を先に買ってしまおうと駅ナカふうの店に寄ることにした。翌日年寄りがまた出てくるのが大変だということで、混んでいる駅から離れて周辺の駐車場を探し当てた。義父も車椅子を使って、孫と一緒に店内を見て回った。
 写真を撮るのに、こころの準備が十分でなかったが、シャッターチャンスを探して歩いた。





 祭りの写真を撮るのは今季はあきらめていたが、思わぬ旅参加でチャンスに恵まれた。翌日にかけての町の祭りがあって、旅館の前まで来ると仲居さんが言う。夕げの途中に飛び出して、神輿を追いかけたら、ちょうど休憩中でしばらく待たされることになった。











2013年7月17日水曜日

NET解禁選挙、エジプト「革命」並みといかなくても。

 最近の選挙で、でるだろう結果に「占い」を立てていると、外れることが多い。自分が投票した結果はもちろん一番気になるが、晴天の霹靂とはいかないまでも、どうしてこうも違うのだろうかと思って、「歳のせい?」などとも考えてしまう。

 そんなことは政治のプロたちに考えてもらえばいいのだろうが、選挙は、「祭り」と同様の趣があるように思う。だからなんとなく参加していきたいという魅力を持っている。サッカーで日本が活躍して渋谷駅で騒ぐアレと同じように。スポーツ競技は同一のルールでされるから、イエローやレッドになるごく一部を除いては、公平かつ民主的に運営される。

 選挙となるとこれが、スポーツ競技にくらべてなんと不公平な仕組みになっていることか。大きく影響するのが、新聞・テレビの報道だが、その内容が酷い。この参議院選挙の焦点が「自民党が過半数をとれるのか」といったたぐいのものだ。原発の問題、消費税の問題、社会保障、TPP参加の問題、経済(われわれのふところ具合)など、いくつもある。いずれも掘り下げて皆で論議ができるような内容を報道すべきなのに、そういったものは東京新聞などほんの一部だ。

 だから、公約をこなしきれない有権者は惑いが生じる。それをいいことに、都合の悪いことは演説しない。つまるところ、投票率は下がることになる。しかもその上、選挙法によって「二大政党有利」に誘導されることになっているから、国民の側の様々な意向が反映されない。これも投票率に影響する。非民主的制度にも関わらずマスコミはこれに対しても論評は全くと言っていいほどしない。

 ルールと運営がかくのごときでは、そのお祭り度は下がるばかりだ。
 古事記伝に、「祭事(まつりごと)と政事(まつりごと)とは同語で、その語源は奉仕事(まつりごと)から来たのであろう。天皇に仕え奉ることを服従(まつろう)と言い、神に仕えることを祭りと言うも、本は同じである。」と本居宣長が言っていたとのことだが、「政(まつりごと)」と「祭りごと」は兄弟姉妹のようなもの。だったら、賑やかな「祭り」にしてやる必要がある。

 ネット選挙が解禁になったら、(それが原因だと思われるが)報道内容に変化が生じている。政党の報道がいくらか平等になってきている。「これはおかしい」だとか、ネット上でのニュースで世論が動くことを、マスコミが無視できずに、チェックをいれているためだ。この「祭り」を盛り上げていく役割の一端を持っていることは確かだ。「政(まつりごと)」に良い影響を与える選挙結果になるといいと思う。


放射能除染の実施は6割!…ふざけるんじゃありませんよ!




2012年1月13日金曜日

夜灯(よとぼし)漁の祭り実行委員会から返信


 メールの返信が「稲毛あかり祭夜灯実行委員会」から届きました。ハゼや子カレイを獲る遊びの漁を「よとぼし」といったそうですが、わかったのが7年前だったとのこと。

 千葉大と商店街の共同事業で「稲毛レトロマップ」を作成するときに古老から話を聞いてわかったのだという。戦争によってこの遊びの漁は中断し、戦後再開したものの、そのころには漁の名前を知る人も少なくなっていた。

 町のおばあちゃんたちに聞いて回って探し当てたのだそうです。学生5人と商店街メンバー5人が、「真っ暗な新月の晩にカンテラの灯りがポツリポツリとついていく…周りで見ていてもきれいな光景だったろうね。そのあかり一つ一つには家族や職場の幸せがあったんだろうね」と盛り上がってその光景の再現をしようということではじめられた祭りとのことです。

 懐かしい子供のころの体験が、形をかえてしまっても、今によみがえらせているということに、こころ暖まる思いがしました。今年7回目の祭りにはぜひ参加してみたいと、今からワクついている。

2011年10月22日土曜日

秋は、みんな実って楽しみ多い

 合唱祭があるのを忘れてた。気が付いたのは2時間前だったから大丈夫。昨日と一昨日に歩きすぎたせいでか、体が重くて動きが悪い。雨も降っているし、今日はゆっくりするかと思っていたら、いけねー!

 カメラで撮影するのをやることになっていたから、ずっこけるわけにはいかない。駆けつけると、知った面々がたくさん来ている。

 このところ練習に出席していなかったから、なんとなくばつが悪いが、会場から参加グループの写真を記録用に撮る。何回かやった経験を生かして、今回は設定を慎重にセットすることができた。





 休憩時間に窓から見えた木々はうっすらと秋模様。

 この時期、釣りの行事も多いが、写真展のどの文化行事もたくさんある。中野界隈でも、地域ごとの文化行事もあるようだ。今度行ってみるかな。

さわりを



2011年9月10日土曜日

写真三昧

 写真の講習会に品川まで行く。御嶽山信仰の神事を撮ったものを中心にして紹介した。今に伝わる文化は、通常の旅では味わえない。


 写真を撮る動機がまた広がる。40年もの間木曽の文化に入り込んで撮り続けた山口 勝廣氏のセミナーには、木曽から「獅子の踊り」の紹介もあって、なかなかのものだった。

 獅子の踊り

 帰り道で撮った品川界隈のビル模様。「もっと、光を!」と言いたくなった。

もっと光を












2011年8月28日日曜日

博多祇園山笠、電線おじゃま

 博多祇園山笠のテレビ放映を見た。勇壮で迫力がすごい。

http://yamakasa.cocoj.jp/kazariyama/yama_11/index.html

 伝統を感じさせる祭りだった。山車を引き回すときに電線が障害になるので、山車の高さを一度縮めてから、先に進むという方法をとっていた。

 山車を引く時に、電線を持ち上げる「担当者」が、先日の新庄市金山町の祭りのときも、若者が懸命に作業をしていた。まあそれも風物の一部と無理に言っておこうか。



 風景写真でも電線がなけりゃねとよく言う。無くては困ることになるが、見えないようにすることはできるはずだ。

電線撮っちゃえ



 電力会社は、原発の「安い経費」で相当蓄えがありそう。本来ならこれまでに「地下化」だってできたはず。岩手の爺のところでは電柱設置使用料が年間3000円だ。このやり方の方が安いということか。

ああ無粋

2011年8月22日月曜日

「がんばろう東北」

 24時間テレビは「感動場面」がたくさんあって、共感を覚えるところもある。でも、あの「マラソン」はどうもいただけない。今回は特にそう思った。

 「感動づくり」となるとそれこそ「やらせ」のパターンをみているようでいけない。

 夕食時に、「あれは、虐待みたいだ」と、それを言ったら息子が、「違う人でもいいんじゃないか」と寛容だった。番組全体は見ていない(いつもそうだが)けれども、東北の被災地にどれだけのアクセントを置いたのだろうか。

 先日行った、山形県新庄市金山町の祭りの山車には、「がんばろう東北」と大きく書いた山車を、若者が勢いよくひいていた。「おー」と思わずつぶやいてしまった。なにか嬉しかった。


2011年8月17日水曜日

ランクアップできるかな。

 肘折温泉の朝一。朝市に出かける。大蔵村在住に限って出店できるのだと、旅館の人が教えてくれた。旅館の従業員さんは写真を撮りにきたとわかって、なんやかや情報を提供してくれる。

 写真はただ撮るだけより、背景や歴史がわかると深まる。というより、知らないで、感性だけでは失礼にあたるときもあるかも知れない。

 肘折温泉の朝市、最高齢は88歳。それを知って、おいそれとはシャッターを押せなくなった。知らない軽さと、知った重さ。また、ひとつのステップを負った。

写真は肘折温泉の朝市

2011年8月16日火曜日

天と地の味わい

 遊佐の朝は雨。海は波だっていた。酒田の山居倉庫の撮影してから、土門拳記念館へ。

 ヒロシマの原爆をテーマにした写真と、<古寺巡礼>をじっくり鑑賞。ヒロシマの原爆被災・被爆二世の写真は凄い。恨みを写したものでない。が、写真が訴える力をもっている。

 泊まりは肘折温泉。夜は仮装盆踊り。デジカメはブレて、撮影は苦戦。


2011年8月8日月曜日

イベントとは違う祭り

 江戸時代に大飢饉で多くの餓死者がでて、疫病が流行した。8代将軍吉宗は翌年慰霊と悪病退治のため隅田川で水神祭りをした。

 そのとき両国周辺の料理屋が、許可を受けて花火を打ち上げた。というのが隅田川花火の由来とされている。

 陸前高田の「動く七夕」が昨日実施されたとNHKが報じた。12台中10台の山車が流された。協力者を増やし5台を復活させた。瓦礫の後を引いていくところが痛まくて思わず涙。

NHK


 

 南相馬では「野馬追い」の行列だけを敢行。鎮魂と復活の思いをこめた行動に、こちらが励まされる思いがした。人が生きていくためのエネルギーをわき出させるのが祭りなんだと、祭りの見方が変わった。