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2025年3月29日土曜日

奇跡の天気で桜満開の光が丘公園だった

28日は退職者会の花見だった。だいぶ前から当日の天気は雨が降るよと言っており、前日の天気予想でも、雨は避けられないという感じだった。朝は雨が少しぱらついていて、今日はしっかり身支度をしたほうがいいと、レインウェアーの上衣を着ることにして、折り畳みの傘をカメラと一緒にリュックサックに詰め込んだ。濡れることもあるかと、タオルももっていくことにしてしまいこんだ。雨の中の撮影でカメラをぬらさないように、釣りに使う折り畳みの「三度笠」も持っていくことにした。

外に出た時はすでに雨はやんでいた。待ち合わせの案内役を仰せつかっているので、駅でしばらく待ってから地上に出ると、もう雨が降る雰囲気ではない。一昨年の花見の時には雨の後で多きな水たまりがあったが、今回は水たまりも全くないので、天気予想とは全く違って、さして雨は降らなかったのだろう。そのうえ温度がぐんぐん上がって晴れ間が出るし、レインウェアーを着ていられない。畳んでリュックにしまい込んだ。天気の予想は難しくなっているのかもしれないが、テレビで報道される予想はどうしてこんなにあたらないのか?スーパーコンピューターでも役に立っていない。当たらなかったのはよかったけれども。














2024年12月15日日曜日

急寒むちょっとまてといっても意味なし

 噂どおり急な寒さがやっていた。寒いと言って文句をぶつけるところがない。相手は自然だから農耕民族の一員としては、とりあえず受け入れるしか手はない。文句をぶっつけられたら自然の方が困るだろうし、そりゃあなたがたの責任だよと言われるのが関の山。農耕民族のDNAをもつものとしては、先輩たちがどれだけ苦労をしてきたことか。慮れば、厳しい自然を相手に「食」を手に入れるために言われぬ苦労をしてきた先人たちの辛苦が浮かぶ。

 今に経ってもおなじように、現世を生きる酷暑極寒の試練を背負うのは、いままで人間界は何をやってきたのかを振り返らざるを得ない。だから自然を大事にしろよということなのに、「温暖化なんかないの」という言説を振りまくアメリカの石油企業。その代弁をする大統領。気候変動の影響は世界の食糧生産事情にかかわり、富の偏重が戦争の動機になっている。

 日本近海の漁業は、全てと言っていい程の栽培漁業となって、それはやむを得ないことかもしれないが、実はそれほど自然界の再生能力を劣化させてしまったことに、感性を高めるべきことではないかと思う。

 今年は訃報がとても多くて、有名人だけでな身近な知った方が音を立てるように亡くなっている。己の高齢化によるものとはいえ、「生き抜くこと」の様々な大変さの裏返しなのではないかと思ったりする。



2024年8月27日火曜日

これから天気予想は下駄にしようかな

 10号台風がずうっと西寄りになっていった。そして時間がたつごとにどんどんと移動していく。26日には旅に出かける予定だったのに、前々日には見事に旅コースをたどっていくというので、やむなく中止にした。最近の新幹線は「計画運休」で、気軽に(ではないだろうけど)止めてしまうので、危険は回避されるようになる。ても妙なところで足止めになっても困るので、転ばぬ先の杖を選択することにした。

 ところが、10号台風のコースは高気圧に押されてどんどん西方へ流されて、なんのことはない予定していた旅コースの危険はなくなってしまった。天気予報は天気予想という場合もあるらしくて、予想といえば競馬のイメージからハズレがありかという悪口も浮かんでくる。スーパーコンピューターを駆使しても、当たらない天気ってなんだろうと思うと高い買い物だなと思ってしまう。

 いろいろな「天気予報機関」があっても、予想がつかめないのはどうしてなのだろうか。天気の状況は「気象レーダー」を使っているとテレビで説明しているから、やっぱり「デジタル頼み」ではだめだということなのだろうか?原因はわからないけれども、これまでの気象具合で経験できないほどの変容が起きているということだろうか。

 最近台所の流しに汚れ(カビ?)がこびりつくことが多くなった。ステンレスだから水で流せばという考えではだめらしい。水分をふき取る雑巾の汚れもこれまでより早くなっていると感じている。着衣の匂いをとる洗剤が宣伝されて我が家でも利用しているが、O157、アニサキス、鳥インフル、ダニ…気温の上昇が身体への影響も与えている可能性は大きくなっていると思える。


 

2022年6月12日日曜日

明日天気になーれ

 予報によると日曜だけは雨が降らないらしい。晴れマークではなく太陽がちょっとのぞく…。朝のところは予報があたっている。窓から入ってくる風がカーテンを揺らしているから、天気が変わるのかな。天気予報はスーパーコンピュータに物理法則に従って予測数値を出させ、予報士が修正するのが主流だというから、あくまでも人間が判断をする。

 下駄を放り上げてとはならないにしても、ある程度は自分が判断することになるのかな。これから出かける時間帯に雨が降るのかどうか、空模様を雲の動きくらいは見ているし、気温予測があっても窓を開けて、体感の結果で何を着て出かけるかを決める。少なくとも自己判断が最後にきめるとなると、これも「自己責任」となるのだろうか。予報に当たりはずれがあるのは、スーパーコンピュータに蓄積されているデータに不足があるのか、予報士の経験値を超えるなんらかの異常があるのか、気候変動、温暖化の影響が組み込まれているのか?などと、余計な心配事をしている朝。

気温低下で一度は枯れ、復活したものの今度はきれいに刈り取られた。それでも復活したフキ。

2022.04.06


2022.06.11


2020年7月14日火曜日

「避難の掛け声」だけの対策ではこれから先どうなることか

 命を守る行動を呼びかけ、数十年に一度の降雨だから避難してとしきりに気象庁が警告する一方、また大きな災害が続いて拡大している。亡くなる人も80人を超えるかの様相。「経験」もなく想像を絶する降雨量はすさまじい。毎日のニュースで知らされ、コロナ禍に加えてのダメージで大変な思いをしているだろうと思うと、心が痛むばかりだ。早く行動を起こせ、避難しろと、外からは「現実的」解決法が繰り返されるのを、何かむなしさを感じる。 

 スーパーコンピューターが導入され、予報の正確性が向上しても、災害を直接止めることは不可能。せいぜい「早くしろ」と掛け声をかけることが、その成果なのだろうか。昨年から天気の種類15分類が8分類になったとか。「快晴」「地吹雪」などが死語になるという。もって「効率化」と説明されている。横文字ばかりが余剰に使われて、日本語が死語となっていくのは、文化の衰退にもなっていく。この折本論を控えず、温暖化への対策も議論してくべきだとは思うが、なかなか立ちこまない。4年も5年も同様の被害にあっている現状に「ハザードマップ見て逃げろ」の対応だけじゃしょうがない。

 

「快晴」「地吹雪」がなくなる!?東 北5気象台、来年(2020年)2月から自動観測に仙台は目視継続  @20191217 11:15 河北新報ダイジェスト

仙台管区気象台は16日、仙台を除く東北5カ 所の気象台で目視による気象観測から気象レーダーなどによる自動観測に切り替えると発表した。運用は来年(2020年)23日から。観測技術の向上に伴い可能になったものの、機械で判別できない「快晴」「地吹雪」などが観測できなくなる。

対象は青森、盛岡、秋田、山形、福島の各地方 気象台。青森、盛岡、秋田は17回、山形、福島は同4回、職員が決まった時間に目視で観測している。天気は「晴れ」や「曇り」など15に分類されているが、今後は8種類に減る。

 自動観測は1時間ごとと頻度が大幅に増え、 観測を効率化し、データの客観性や均質性が高まる効果が期待できる。一方、天気の観測が減るほか、雲の種類や量、「黄砂」や「虹」といった現象も記録されない。見通しの利く距離(視程)の観測も自動化される。

 仙台管区気象台は目視観測を続け、比較して自動観測の精度向上に生かす。各地方気象台は、警報の発令などのため目視で監視する体制は維持し、「防災への支障はない」としている。 

 自動化は今年(2019年)2月、関東甲信地方8カ所で先行して実施。来年(2020年)2月、東北地方を含めた39所で始まる。~



2019年7月30日火曜日

高清水自然公園「ひめさゆりの里」、花も人も元気

 見事に晴れ上がった空のもとで、高清水公園のひめさゆりが盛期を向かえていた。園を巡る通路に敷かれている板の道を、見事な咲き映え見ながら、言葉が行き交っていました。

 高齢者が多くグループで楽しんでいる。カメラを持った人は三脚を抱えて、歩く人の邪魔にならない撮りどころで、元気のよい花を探している様子。景観を楽しみつつ、シャッターチャンスを拾いながら、集合時間まで撮り歩いた。

 最近の撮影旅の行程では、どういうわけか雨か、雨に近い空模様にさいなまれていましたが、この日はこれでもかと言うような、素晴らしい天気に恵まれた。

 天気が悪いときは、写真のバリエーションにはなるが、カメラが雨に濡れないようにと、雨用のスタイルを準備する面倒さがついてくる。やっぱり天気が良いのはいい。気分が良いし、カラーの写りも「らしさ」がある。









2014年10月10日金曜日

風速25メートル以上なら休めのススメ

 台風に限らず、最近の天候の荒れ方はすさまじい。このとき家にいることができない働き手は、仕事先に向かって危険なとに出会わないようにとの気持ででかける。テレビ報道で見る、特に若者のスタイルはビニール傘にいつもと変わらぬ服装で歩いている。報道がことさらそいう場面を取り上げるというのもあるだろう。

 子供のころは、長靴はいてカッパをかぶって傘を深く持ってさすのだよと教えられて、一生懸命学校に行った。懐古趣味といえばそうなるが、少なくてももうちょっと雨風の対策もあるだろうにと報道を見ながら思う。

 しかし、危険を承知でいくのは自分の意志というより、勤務先の「命令・要求」による。遊びに行くという意図もないことはない。大概は仕事先に向かう人が多い。会社なり店なり事業を営んでいれば、そこを働き場にしているしている人がいなければなりたたない。台風がが来るからと言って、先だって休業にすることは少ないのは考えられることだ。大企業はなおさら、社員の確保が要求される。余分な従業者を雇うという状況はまずない。非正規事業者であれば、なおさら「休暇で休む」ことさえかなわぬことだ。

 昔は、といっても昭和の450年代に、台風がきて危険な状況が想定されるときには、職場の組合の要求で「婦人は早く帰る」という措置をとっていた。婦人の後はより遠い通勤の人だった。安全への配慮として機能していたと思うが、これが「当たり前」とうマイナスをもったこともあるにはあった。このころは、春闘のストライキもまがりなりにあって、「労働者」としての処遇の改善がいくばくかあったときだった。

 国際競争力だのグローバル化だか何だか知らないが、働く人たちの自己努力が啓発されて、美徳として通用させてきたことも、し烈な「競争原理」のもとでなおさら強調される。こんなことがいつまで続くことなのだろうか。それでいて、ろくに賃金をはじめとした処遇が向上することはない。
 悪天候の状況に抗して働くのは、仕事評価の側面があるうちはなかなか難しい。「特別警報」は、大島の土砂災害以降は警報が早めに出されることになっているようだ。実体的には疑問もあるが、都心部で働く場合でも即応した警戒態勢が取られてもいいのではないかと思う。

 「25メートル以上の強風」の場合は危険が伴うとされているから、こういう状況下では事業者には「休む」というなんらかの協力を行政が呼びかけるということはどうなのだろう。そういう危ないときにはみんなで「休業」という風潮をつくりあげれば…。なにせ居住地区には「避難勧告、避難指示」があるのだから。

 ところで釣りの会が、天候によってつり大会を中止すことがある。当然危険を斟酌してのことだが、ちょっとくらいの雨風では中止することはない。つり行動に傾注すればそれは当然のこととも思える。そういったときにする釣りは技量をあげて、その後の釣りにも良い影響がある。体験でもそのことはわかるが、「危険が及ぶ場合」を判断することは容易でない。中止にしてもコロリと予報が違ってしまうこともある。「遊び」であっても身に危険が及ぶ場合は避けるのは当然のことだ。


 判断の過程で、現地の漁業者の話が伝わった。こういう天候では漁はしないよというものだった。漁を営む人たちのギリギリの判断も、つり志向者の活動には大事な参考になることだ。大昔の命がけの漁を模した釣り活動だというと大げさかもしれないが。




2013年10月18日金曜日

大島の災害・点描


大島の台風災害で、町長「不在」責任が挙げられている。町長が出張先から戻ってきていれば、災害が起きなかったのかどうか。そういう問題ではなくて…なのだろうが。避難勧告を出さなかったことが問題と取あげて報道されている。
特別警報は市町村単位の3時間、48時間雨量や土壌水分量のほか、「府県程度の広がり」が発表基準で、羽鳥長官は記者会見で「局地的大雨を対象にすると、実際の災害に結び付かない『空振り』例が増える。基準を見直すのは技術的に難しい」と話した。いわば、注意喚起すべき気象庁がこの有様なのだから、自治体行政のトップに全面的な責任を持たせるだけでは事足りていない。

防災体制そのものが十分であるとは考えられない。ハザードマップ作成している市町村は全国で半数だとのことだ。土砂災害の危険のある地区を調査して警戒区域に指定するという東京都の調査が進んでおらず、今回の沢も調査地点に含まれていたが、「多摩地方」の調査が先行しているとのこと。被害が出た沢には火山対策で土石流被害のための調整池が2カ所あったが、早期避難につながるハザードマップは造られていないということだ。

とんでもない「ゲリラ的寒暖」があり得る。予想を超える豪雨、強風があるとして、対策をとることが必要に思える。公共事業もそういうところから進めるべきだろう。温暖化の仕業という見地を早く明確に打ち出すべきなのではないかと、シロウトながら思う。先日の竜巻にしても、予報不可能ということになっている。「ゲリラ的寒暖の攻撃」のような、これまでと異なった温暖化による気象なのだという考え方を明確にしていけば、警戒感が高まるように思うのだが、どうだろうか。

交流サイトに「自民党の現職公安長官の投稿で、事実を追求していく・・・とあり、共産党町長なんて・・・ていう、フレンドの投稿が結構あり・・反吐がでそうなので、読めませんでした・・・・」という書き込みがあった。NHKのニュースも、町長の責任追及のスタンスのように見えた。

1986年三原山の噴火に見舞われたが、その時の人口は約10,000人で現在は8,000人台であり、東京にして過疎の町だ。広報を見てその倹しさを垣間見た。











2013年9月16日月曜日

高齢者も気象情報発信

 風が強く吹いて家が時々揺れている。ゲリラ豪雨に竜巻が発生するという荒れた天気が続く。そして台風だから、被害にあったところは困っていることだろう。竜巻はレーダーに映らないから予報できないという説明をしていた。しかしさすがに「注意報」の言葉が気象庁の予報で出てくる。状況を聞いて判断しろという。言って見れば自己責任のようなものだ。

 トマホーク(巡航ミサイル)は湾岸戦争、イラク、アフガンなどの時に使われた。低い弾道を飛ばすので、レーダーに映りにくくて、音速よりやや遅いので追撃されやすい欠点があるとか。レーダーから察知しにくいからと言って比較の対象としていいのかどうかわからないが、片方は人道にも悖る兵器で存在自体を容認できないが、その速度よりは遅い竜巻を把握できないというのはどんなものかと思ってしまう。

 気象庁の測候所は「機械化」によって減らされた。現在は二つだけらしいが、測候所の役割は大きかったと聞いている。地上の気象データを蓄積するわけだから、気象の把握には役割が重かったのだろうと思う。スーパーコンピュータの導入できめ細かい予報が可能だと言われていたが、現在の「異常気象」状態をみると、データが多い方が予報には精度があがるのではないか。どうなのだろうか。

 民間の気象予報(気象振興協議会23団体)では、各地の気象の状態を登録者から通報してもらって、情報を発表しているところもある。民間の方が「測候所」機能をもっているようなものだ。気象庁も情報が集まるような方法を考えたらどうだろうか。館山でシロギスつりにいったとき、船宿の人が慌ててボートを迎えに来たことがあった。山の方に雲がかかると風が出るということだった。まさかとういう感じだったが、間もなく荒れた風が噴いてきた。

 各地の情報が集まるように、高齢者から連絡者を募って情報収集するシステムを造ったらどうだろう。高齢者が4分の1になったというから、自宅にいて「観測」可能な人もたくさんいるのではないか。端末を用意してもらって、1件連絡したらなにがしかのポイントでも付与して。






2013年9月4日水曜日

異常気象と認めて

 気象庁が、異常気象検討会を開いて、会長が記者会見で「異常気象だったと言わざるを得ない」と述べた。記録上で残すことに後々いろいろ支障が出ないようにという判断があるのだろうか、起きてからの判断という手法が目立つ。梅雨入り、明けの判断も、後の気象の変化を斟酌して発表することがある。

 気象の変化は定型的には収まらない微妙さもあるだろうし、長い時間のスパンによって変化をしていくことは当然あるだろう。一般的にはわかるが、シロウト的には異常気象の状態はこのところどんどん進化していると思えるし、なんでオズオズと発表することになるのか不思議に思う。

 イギリスでは2008年に、エネルギー・気候変動省が設置されて、税も含めた対策が採られているという。日本はアメリカとともに、温室効果ガス削減、CO2削減には積極的ではない。京都議定書にも後ろ向きだ。「産業界」に対する配慮がある。
 気象庁の予報を頼りにしているのは、洗濯物を干す主婦から学校に通う子供、勤め人はもちろん、仕入れ、製造に関わる商店もある。およそすべたてだ。「異常気象」という定式化、規定から発生する様々なことはあるにしても、みんなの暮らしの方から考えてもらわないと、安全にかかわる。すくなくとも「特別警報」の運用を始めるくらいの異常が発生しているのだから、素直に対策を進めるべきことではないかと思う。

 奇しくも「異常気象」を認定、発表した当日2日に突風が発生した。翌日「竜巻」との発表だった。これも後日になるということになっている。竜巻が起きそうだからという予報を、するようにならなければ事足りない。その竜巻はすさまじいものだった。「特別警報」は一歩前進なのかもしれないが、それさえ「行く先を決めて勝手に逃げろ」というものだから、防災対策のほんの一つにしかなっていない。





2012年6月1日金曜日

春がなかなか来なかった



 このところの気候は特におかしい。竜巻がアメリカ並みにしょっちゅう発生したりして。でもなんだか、竜巻も東西線の葛西あたりでよく起きていた。ひどく発生するようになってきたから、「予報」を出すことになったらしい。

 もっと早く対応できないのかと思う。アメリカは研究が進んできて、15分前には予報(警報?)が出せるらしい。恰好だけ真似してだしても研究がおろそからしいからちょっと無理?そんな風にも見える。

 岩手山麓の春も、雪が降っては溶け降っては溶けした。風で電線に木が倒れ掛かったり、農場の屋根が飛んだり、大変だったようだ。八重桜が、いつ咲いていいんだかと迷っていたようだった。

 この冬の写真がようやくまとまった。冬から春は、生まれ出るものが沢山あるから、写真を撮るのも楽しいが、あとの整理に時間がかる。もう、夏間近だから急がないと。


 12月10日の雪から始まった

虚鯊写真集
北国、岩手山麓この冬

2012年3月28日水曜日

久しぶりのウォーキングで爽快

 早朝かなり雪が降ったらしく、木々の枝に雪がくっついて重そうだった。全くびっくりの雪だ。この界隈から500メートルくらいで国道にぶつかるが、国道は交通量が多いから降っても道路に溜まることはない。


 ここ三日で二回目の除雪車がやってきた。国道が直角に曲がるその角から林になるから、ここが山間部の始まりみたいに雪がたまる。強い風も吹くので岩手山の麓で通り道になっているようだ。


 東京とは温度が倍違っているという予報だが、さすがに午後のなると気温が上昇して、明るくなってきた。郵便物を出しに10キロ近く麓へ車で下って、郵便局まででかけた。


 ついでに、ほんとうに久しぶりになってしまったウォーキングをした。国道を離れてのコースなので、雪が残っていて轍の跡を歩く。歩き出すとどんどん先にいきたくなって、丘陵をぐるっと回って6000歩ほどになった。気分爽快だ。最近ブログの字がよく間違っているが、これも運動不足のせいかもしれないと思った。


夕方には枝の雪はすっかりなくなった。



2011年12月6日火曜日

ものの哀れとはこういうことか


 ブナの葉を除いて、みんな落ちた木の葉のなかで、残っている桜の葉がたった1枚で頑張って残っている。

 気になって、ここ朝食時の話しのタネになっている。朝方は雪が舞って止む。強風が吹いて、山麓の天気の移ろいは下界の天気予報と様相を異にしている。

 気温は3度差がある。雪囲いが飛ばされた。「やっぱり飛ばされた」と、仙人は土台の甘さを言う。まあ、2度くらいは飛ばされても、直せば良いんじゃないのと、言い返す。