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2024年5月12日日曜日

むかしの話が多くなってきた~イワナ釣りと山菜~

いまどきは、釣りに行こうと胸をドキドキしていた昔。支度は仕掛けを真っ先につくる。春先で木々が変化してくるときだから、新しい葉や小枝で仕掛けがよく絡まって消耗する。その支度から始まって、渓流の岸で仕掛けを竿につけてエサをかけて第一投をするときが、わたくし流春のセレモニーだった。ほかの釣りでも同様、支度が釣り活動の始まりになる。本当は「行こうか」と思った時からかもしれない。

渓流で釣りをはじめてからは、魚の反応有り無しでダメなときは徐々に気持ちがしぼんでいく。釣れないことはままあるが、結果(「釣果」という)がよくないときは、誰かが釣りをした後だとか、天候がどうだとか腕前はさておいて誰かの「せい」にする。どうしたらもっと釣れるかという反省をしないと、釣りでも上達はしないのに。

悔しいから「また行こう」という気分を醸造させる。初期の渓流釣りのおりは、山菜がよく顔を出しているので、釣りはあきらめて山菜取りに鞍替えすることも楽しみを広げる。この時期の元気の源はそこにあったのだろうと思う。先日の旅で只見線の車窓からみえた渓流の情景を見て、イワナの生の匂いを感じたのはそのせいだったか。





 

2022年4月17日日曜日

ここだけの話、内緒の場所でフキ採り

 例の場所でフキを摘んだ。ちょうど食べごろのフキの葉が、立派で辺り一面に生えて、元気な姿を見せている。生え伸びるのもとても速くて、元気さを分けてもらいたいものと思った。

 いまどき山に入れば、山菜がどんどん伸びているだろうな。特にフキノトウ、コゴミは雪解けの地面から飛び出しているだろう。渓流釣りを盛んにしていた頃は、解禁になった川沿いには必ずなにかを見つけたものだった。魚が釣れなくとも山菜で…という自然の恵みの時期だ。

 その時は、ワクワクしながら太陽の光を感じて、春先の実感を味わうことができた。いまは夢で山菜取りに行く以外は、新潟の業者から送ってもらうのみになった。

 茹でてアク出しして、調理して口に運ぶ作業はあっても、春先の自然に入って自分の手で触れて採るという、肝心でぜいたくな時間はまずなくてつまらなくなった。元気さを分けもらうことができるのは、自然が一番なのだろう。

 新潟の破間川支流に早朝つりにでかけ、山中で突然人に出くわしたことがあった。クマかとびっくりしたが、山菜取りに入ってきたのだった。山菜は朝早く採るのが常道なのだと、そのとき学ばされた。自分だけの秘密の場所があったりする。ある意味「競争」意識があるのかも。内緒の場所でフキを摘んでそんなことを思い出した。

アクがついた




2021年3月1日月曜日

フキノトウが顔出したとなりの庭

 フキノトウは、雪が解けた後につぼみを出すものだと、ずっと思い込んでいる。雪が春の日差しをうけて、溶けたあとの際にフキノトウが元気よく飛び出す。これをつまんでとるときに、春の実感がわく。

 ちょうどその頃に渓流釣りのシーズンが始まる。早いところでは2月から山に入って釣ることが許されるが、雑誌に出ているような山奥に分け入ってというところまではなかなかできなかった。体力があるころでも渓流のほんの入り口で、魚との出会いを楽しんでいた。それに加えて、釣りの会に加わって、行事計画をこなすことを優先したことで、好きな渓流釣りには集中するわけにはいかなくなってしまった。

 たまに行く渓流釣りは、やっぱり昔の方がよく釣れていた。多分、高速道路などの「整備」と「開発」が人の動きを変えたのだろう。沢に入るとどこでもたいがい「先行者の足跡」をみつける。それだけ釣り場の減少と自然破壊が影響しているのではないか思う。挙句の果てに気候変動による豪雨でどれだけの川が荒れ狂って破壊されていることか。それも我らがなしていることには違いない。

 「釣れなくとも山菜取りで…」と始めから半ばあきらめた釣行が常だった。写真はイワナとフキノトウ(2000年5月)。他の写真は隣の庭のフキノトウ(先週)。








2020年6月28日日曜日

腰の痛みがやっと和らいできた

 渓流釣りはもうやらなくなったけれど、誘われるとついその気になって出かける。「断捨離」で釣り道具もだいぶ始末した(つもり)のに、渓流つりにかかるものは残してあるから、行くことにもなるわけだ。大した距離を歩くわけではなかったが、日ごろのグータラウォーキング程度では、体力が落ちていく分を賄えないことはわかってもいた。案の定足腰膝が悲鳴を上げて、これはもう無理だなと反省を迫られることになった。

 それなのにまだ回復半ばでタケノコ狩りにと声がかかった。歩けないよと言いつつ、「自粛生活」に押し込められていることにストレス、というより癪に障る感があって、国がロクに対応しないで自粛をしろと、自己責任ばかりを強調することへのいらだたしさもあり、3人目のメンバーになることにした。竹藪に入ってタケノコを採ったのはもう20年以上も前だったろうか。それから2回目の「至難」だった。同行の二人は十分な経験があって、よくもそれだけ…というほどの収穫だった。それも太くて立派なものを、袋一杯にそろえてきて驚くばかりだった。足腰膝の病弱者としては、藪の中に入っても頑張りが利かなくて、入ってはすぐ道に戻り、入り易そうな場所でまた入るという半身のスタイルなのだから、採れないのは当然だ。

 早めに上がって待ち合わせの場所で写真を「とる」のが収穫の一部にはなった。そのヒメタケノコは味も香りも良くて、後日取り寄せたものよりも上だった。










2013年6月1日土曜日

つりと山菜とカメラ

 つり好きの人間らしく、明るさが早くなる分だけ目が覚めるのが早くなる。歳を取ると早く目が覚めるなどとは決して思わないようにしている。農耕民族のDNAを引き継いでいるから、陽が上がったら起きるという気概が生きているのだろう。つりは、朝夕が一番の「スポーツ」。

 そういえば、山菜取りも朝一番がいいらしい。大白河だったか、早朝に旅館から出て、近くの沢に入っていったとき、地元の山菜取りのおじさんに出くわして驚いたことがあった。急に近くでガサガサと音がしたと思ったら、目の前に現れた。あんまりびっくりしたので記憶に残っているが、魚が釣れたのかどうかは記憶にはない。そのとき朝が収穫のチャンスなんだと教えられた。

 確かにワラビ、タケノコなどは伸びが早いから、朝がいいのだろう。伸びが早いということは、柔らかいということでもある。朝の光の加減がちょうど、山菜を見分けるのに都合がいいという義父の話もなるほどとうなずける。

 朝の光ということになると、カメラの撮影も範疇に入ってくる。日の出が何と言ってもシャッターチャンスになる。日の出は皆撮ることを好むようだが、自分はそうでもない。自然界は朝方空気が澄んでいるから、光が陰影をつけてコントラストが鮮やかになる。夕方ももちろんチャンスになる。近頃はデジタルカメラだから、夜まで気軽に撮影が可能になるが、これだけは自然の道理には反する。しかし面白さはある。だから「やたらに」ポイントを撮りまくることになる。

 今回の五箇山から能登半島をめぐる撮影旅行では1500枚を記録した。あとどうするのだろうと、自己責任の重さをかみしめている。
今日も5時には目が覚めて、窓を開けると涼しい風が入ってくる。



2013年5月17日金曜日

ワラビ楽しみ

 切り抜きのスキャンがはかどって、一区切りついた。昨日は咳をしながら、やっていたが、今朝も同じ状態で改善しない。近くの診療所へ行くことにした。だいぶ前に行ったきりだったから、診察券を引っ張り出したら、ペンで書いた文字がかすれていた。受け付けて、だいぶ前で文字がかすれているよ告げて笑った。新しいものに切り替える課と思ったら、そういうわけでもなかった。

 カルテはちゃんと残っていて、ご近所ならではかなという感じだった。大病院ならこうはいかないだろう。症状を説明してから、聴診器を慎重に扱う先生は、やっぱり随分高齢になっていた。いつも、風邪かなという状態の時に行くので、カルテに記録してある処方をみながら、同じ薬でいいねという話に相槌をうって、一週間分出しましょうということで終わった。

 薬局で薬を受け取って、家へ戻ると介護入浴の最中だった。注文した山菜が届いて、ワラビを茹でることになった。すぐにお湯をガスにかけて、沸いたところで重曹を投入。すぐガスを止めてワラビを浸けた。いつも心配なのだが、茹でてはいかないということが解るのは最近分かった。もう一回繰り返して、少し冷めたところでプラスチックの大型容器に移し替えた。

 夕食には少し早いかなという感じだったが、食卓にならんだワラビをつまんでみたら、やっぱりいくらかアクがあるようだった。岩手県あたりのワラビからも所によっては100ベクレルを超えるセシウムが測定されているので、少し不安な気持ちもあるが、我が家は年寄りが新潟県の出身で、山菜を好んで食べる。だんだんおかずを食べなくなった年寄りも、パリパリ感に出来上がったワラビを楽しんで食べていた。