2013年10月11日金曜日

強盗、殺人をなくすにはと考えるべきところ

起きてはならないことと思うのが、ふつう考えることだけど、どうしてこうも犯罪が増えていくのか。負と否とともかくマイナーなことで、パソコンなら削除と抹消の対象だ。
 人間は「狂気」を持っていると考えるのも外れではないだろう。獣を追いかけて獲って食うということは相当長い間やってきているし、人間同士が「財産」増やすための闘いを仕掛けることも相当やってきた。自然の脅威から身を守り、暴力をふるうものの危険から身を守るため、武器を使うこともやってきた。だから、そういう繰り返しのなかでは、殺意というDNAというか要素のようなものが脳の中に存在しているのではないか。

 兄弟は他人の始まりと言って、仲が悪いことを合理化することがよくあるが、同じ親から生まれながら違った性格なり体質なりが現れるというのは、生まれ出るときの「構成要素」がなんらかの要因で、プラスだったりマイナスだったりという違いが出てしまったということではないかと思う。あるいは親から生まれるときのなんらかの異なった要因があるのかもしれない。そうだとしても、殺気立って周りの人間がたやすく敵同士になってしまう環境が造られ、犯罪の引き金になっていることは間違いない。


 人の命を大事にしない政治が大手をふるっているのもおおきな誘因だ。TPPの交渉は「5項目」を守るという公約を、内容によって外す検討をするという白と黒というより、天地をひっくり返すようなことを平気でやる。マスコミも批判できずにこれで済むかのごとき流れになっている。生き残るものにしか焦点を当てない政治でこれからどれだけの「犠牲」を生んでいくことになるのか。仕事先の企業はまるで、中世の奴隷制度並みの扱いで企業の都合に合わせて人を切り捨てる。それももっとゆるめて合法的にと。これから先の、子供たちの時代は年金だけでは暮らせない。いくつになっても、低賃金で働かされる。動けなくなったらそれこそ自殺か強盗かの選択しかない。犯罪が減るわけはない。