2014年10月12日日曜日

健康でいるのは大変

 血圧の薬が切れたので、いつもの診療所へ行って一応診察を受けて、またいつもの薬を一か月分もらった。今年の健康診断では、尿酸値と肝臓の指数などが昨年よりはよくなっているから、健康体から少しだけ外れているだけだったことに満足していた。さしたる目に見えた努力などはしていないわけだから、どうしてよくなったのか要因は分かからない。飲酒を発泡酒に変えたから?などと思っていたら、飲んでる「氷結レモン」もご飯一杯に近いほどのカロリーがあるのだとか。痛風で10年間にこれまで数回は典型的な炎症がおきた。が、連続しているわけでなくて忘れたころにやってくる。このところはご無沙汰していて、その気もないのがおかしく思えるほどで、そのうえに、健診結果の尿酸値が心配には及ばないとい数値なら、まあいいかとアルコールも控えずに口に入れることになる。

 健康になるために必死になるというほどの執念はそう湧かないし、人生が長くなるほど楽しいことが広がっている日常というわけでもない。むろん自分だけではないことだろうけど。趣味の世界ももう入魂するまでのゆとりはもう少ない。そんなことだから、医者とは「変わったことはありませんか?」「はい同じ状況です」との一発会話でずっと続いている。言われるところの健康を保つにも自分と戦わなくてはならないだろうに、病気になってしまう危険もあっても、そこまで突き詰めていくことがなにか面倒な気もする。概ね健康の領域にいるのだからまあいいかと、毎日にストレスがかからないように突き詰めない。

 だいたいメタボの基準だって、どんなものだろうか。人によっては「骨太」だってあるだろうし、生まれた瞬間からメタボ気味のこどももいる。背丈の差は当然あるし体重にしてしかり。太目であってもと細めの体であっても、生きている間にそれでも健康状態にいるというのはあるだろう。全く同じという基準でごうりてきなのだろうか。いっしょくたにして、総平均でだすというのは乱暴すぎないか。統計的に説明できるならば聞いてみたい。


 ただ、総じてカロリー摂取過ぎの食だから、カロリー摂取が多い生活になっていることには違いない。食べることアルコールを摂取することは、やっぱり楽しみの中心にあるから、長くかつうまく付き合わなくてはいけない。さすがに今はやらないが、「大食い競争」なるもので、食を遊びに仕立てた文化の貧困も、食を大切にしているとは思えない。さまざまな番組に入ってくる食は、おいしいものを先に立ててやりまくる。「ふだんよっぽどまずいものを食べている視聴者にサービスしている」つもりだろうか。「美味しいものが食べたいね」ということも、世の中に起きているストレスが、輪をかけていることもあるだろう。いまは粗食を進めるときだ。「粗食をおいしくつくるには」だったら、うけるのではないか。