2015年5月12日火曜日

豚をロディオで使うな!は私は一理ありと思う。

豚をロディオで使うのは「残酷」だから止めさせようとのメール署名があった。豚を「殺して」食べているその同じ人間が「残酷」というには矛盾がある気もする。人間は、人間以外の生命体の生涯を断ち切って、口に入れて持続するエネルギーを得ている。その生命体の「殺し」ぬきには自分たちが生存できないという十字架を負っている。将来、生き物をなるべく殺さないで、代替えできるものを編み出すことも考えられるが、しかしそれは一局面での利用であって、人間という生命体が持続していくうえで、とってかわれるものを編み出すとは考えにくい。人類の長い歴史で経験、蓄積されて引き継がれた身体が、他の生命体の「注入」ぬきには成り立たないのではないか。飼料やら生活環境やらの改善で、おいしい豚に飼育されて食に利用されるのが至上の道とする、ある意味人間のエゴイズムという実態はたしかにある。

 しかしそれなら、ロディオで利用して遊ぶのは「虐待」にはあたらないという結論でいいのかどうかは、少し悩ましい。もともと、その日の食べ物を手に入れるために、槍を持って必死で獲物を求めたという頃と現在とは違う。食用として飼育、繁殖させたということでは、種の存在を危うくしたということでもない。命を失くしてしまった「罪」を軽減されるということでもないが、近い将来人間に殺されて、食材にされてしまうとしても、生きている間の命をあえて痛めつけることはないほうがいい。そう整理をして、署名に応じることにした。