2016年12月29日木曜日

暮れの我が家の喧騒

 暮れにはいつものように、岩手山ろくの仙人のところへ行くはずだった。ところが手筈も土産も用意できて、常連のカメラの充電も終えてほぼ準備が整ったところで、連れ合いの具合が悪くなって入院ということになってしまった。やむなく訪問はやめることにした。

 病状は一度数年前に陥ったものと同様らしい。検査では本人の病歴を聞き、CTスキャン検査で、それを疑ったのだったが、それ以上の内視鏡検査はやらないという。以前のときはやったのだったが、今回は「いまやれば腸に傷をつける可能性」があると、退院後の来月に入ってから通院で内視鏡検査をとの説明だった。

 重湯を食べて安定していれば、いまやっている点滴は水分補給が主なので、ほかにやることはないという医師の話。心配ですかと医師が言うが、大丈夫なのかという点ではもう一つしっくりした説明がない。年末にかかるから病院の人手が少なくなることを想定しているのかなと思わせた。ここは医者の見通しと確信があってのことと解釈する以外にない。

 あとで何もなければよいがと、「退院させられたような」感じを持ちつつも家に戻ることになった。それはそれで半分は安心ではある。義父母がいなくなっての年末で、家の中の空間のバランスが変わって、人気のない冷やかさが増えている。その分残った者たちのそれぞれの重みが増したようでもある。

 病院通いの合間、年末の挨拶ハガキを昨日までかかって書き上げたのだが、一部差出人を書かぬまま発送してしまった。相手はわかっていたので慌てて電話して、笑い種にした。来年も先行き何があるのかわからないが、いまから待ったをかけるわけにもいかなし、考えても仕方がない。できることを後悔なくやっていくほかはないなどと、来年の構えを想いながら、気持ちの整理に努めた。