2018年7月12日木曜日

肉親がいなくなる寂しさとはこんなものか

 肉親がいなくなる環境などとは考えてもみなかった。正確に言うと、肉親がいなくなるだろうことは具体的でないにしろ予想した。予想はしても実際にその立場に入ってみるのと、その違いはずいぶんとある。自分の生きている位置を確かめるのに、時間がいるのだろうか。

 あれこれの思い出があって、良し悪しは別にしても自分の周りを形成していたのだから、いなくなって開いた穴を埋めることはできないことだろうが、これも身のうちとして、自分となじませなければならないのだろう。恨みつらみもないわけではないが、それを思い返しても今は意味をなさない。ひとこと言ってやりたかったことの思いは残っている。

 子供の頃の少ない思い出がある。金が欲しくてたしか千円だと思うが、財布から盗んで雑誌を買った。残った金を七輪の下に隠した。もちろん見つかって、がっちりお説教だったか、殴られたかは覚えていないが、金を隠した時の心臓のドキドキを覚えている。それからタケノコを盗んだ時。近所の竹林にでたタケノコを盗んだとき、なぜかこのとき罪悪感はあまりなかったが、怒られて家出をした。といっても近所で隠れていたのをすぐに見つけられて、首を抑えられて家に戻ったことが記憶にある。「窃盗」の思い出だが、それ以降人様のものに手を触れたことはない。念のため。