2019年2月9日土曜日

緊張が途切れた時、気合だという程の事もなし、それなりに

 緊張して生きていないと、タガは外れる。生き物としてはおおいに自由で、反社会的でなければなにもしてもいいわけだが、そう大雑把なことでは済みそうもなく、なにかかにかの制約に縛られている。その意味での覚醒した意識を継続していることが要求される。

 ぐうたらな体力しか持ち合わせていないものにとってはつらいことだ。人任せにしてしまうこともままある。「もういいや」というセリフがいつ口に出そうで、そういうときは情けない。「気合いだー」っていうこともないし、なだらかにそれなりにいくしかない。

 写真展の準備で、作品を送る作業をしたら、8年前に撮った写真があって、所定の形式のファイルではなかった。当時、写真展のためなどということをあまり意識していなかったせいだろう。でも気にはなっていた写真なので、日の目を見られてよかった。今回は「木」を撮った写真6枚。組み合わせによって、イメージが構成される。そのやり方をもう少し身に着けたいなどと思いながら、神田川〔フォーク&ポップス大全集〕のCDをパソコンに入れて聞きながら作業。


8年前の写真