2020年4月30日木曜日

神田川の後景、昔は青空だったのだろうな


 神田川の近くに住んでからは40年以上になる。当時は「革新」という政治情勢が高まっていたときであり、保育園の心配も難しくなかった。社会運動が活発に進められて、生活の面ではよくなることがままあった。当時の歌謡曲などは明るくて穏やかなものが好まれたのはそのせいだろう。「心配事」がとりあえず手に入る時代だったのは、この時期のみだったともいえる。

 だからフォークソングなどは肌合いにうってつけになったのだろう。「風呂屋」に行くと謳う神田川。そんな文化はいまどこに重ねられているのだろか。雨水を流す側溝の親分のように作ったコの字型の「川」と添えられた遊歩道。遊歩道を走る若者、犬を連れた散歩、遊歩道のほんの隅っこに花を植え飾る人、ここから生まれて出てくるものもあるのだろう。残っていくものは、目に触れないものもたくさんあるのかもしれない。