断捨離を心掛けつつも、なかなかできないものだ。できないのも年のせいにして、働きの鈍い頭と手足を動かして、「抵抗」を試みる。そんなこと考えずに気合を入れてという気持ちの切り替えも、なにか少しずつできなくなってきた。いままでやってきたことを、さっとちょん切ってしまうことも、いいのかなあと別の声も聞こえる。いい加減にしろと折り合いをつけることなく、「めんどくさい」とさようならをする手もあるんじゃないかと思うこのごろ。認知症の気は感じても手足は動くし、食欲もあるからその限りではまだ健常者には違いない。
今月は合唱団の「65周年記念の演奏会」を控えて、練習も大詰めになってきた。「自習」をしなけりゃ間に合わないから、気にだけはしているけどほかにやることもあるし、子供のころの「勉強前の鉛筆削り」みたいにぐずぐずとしている。今はスマホのレコードアプリで音声記録ができて、スイッチさえ入れれば聞くことができる。これが、いつでもできるとなるとまたサボリの虫が動くし、困ったことだ。
でも、練習しているときは、難しいとか理解できないと感じて、ともかく楽しくなかった。それが、練習を重ねて慣れてくると、歌う曲の良さを感じるようになり「楽しさ」がでてきた。合唱がぴたりとはまると、曲と歌詞のすばらしく心地よさが広がる。かつては、この楽しさや心地よさがよく感じられたものだったが、今はここまで来てやっとその境地にはいることができた。じつはもうだめなのかとあきらめかけていた。暗譜が要求されるので頑張ってみるが、やっぱり危ない感があって難しい。