2013年11月15日金曜日

首里公園の次は「不屈館」で沖縄の心に触れ、「歌と踊りの交流会」に触れる

 「不屈」は凡人にとっては、辛い表現。多分、実世界にはそうそういるものでない。しかし瀬長亀次郎にはその言葉が100%似合う。
瀬長亀次郎は沖縄人民党で活躍した人。経歴はウィキペディアに端的なのでコピーした。
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1907年、沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)我那覇に生まれる。沖縄県立二中(現沖縄県立那覇高等学校)、東京・順天中学(現順天中学校・高等学校)を経て旧制第七高等学校(現鹿児島大学)に進んだが、社会主義運動に加わったことを理由に放校処分となる。2年間の兵役を務めた後、1932年に丹那トンネル労働争議を指導して治安維持法違反で検挙され、懲役3年の刑で横浜刑務所に投獄される。その後は蒔絵工などを経て、召集されて砲兵として中国へ出征する。
戦後、名護町助役、沖縄朝日新聞記者、毎日新聞沖縄支局記者を経て、1946年にうるま新報(現琉球新報)社長に就任。在任中、沖縄人民党の結成に参加したことにより、軍の圧力で同社長を辞任。雑貨店を経営する傍らで沖縄人民党書記長となり、1950年、沖縄群島知事選挙に出馬するが、準備不足もあり当選者の1割にも満たない得票数で落選。しかし、1952年の第1回立法院議員総選挙では最高得票数でトップ当選を果たす。この選挙後に開催された琉球政府創立式典で宣誓拒否したことで占領軍から睨まれることとなる。
195410月、米軍は瀬長を、沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑(出入国管理令違反)で逮捕。たった1人の証言を証拠として弁護士なしの裁判にかけ、懲役2年の刑の判決をして、再び投獄された(沖縄人民党事件)。19564月の出獄後、同年12月に行われた那覇市長選に出馬する。対立候補から選挙妨害を受けるが、まったく保護されない無法選挙を戦うことを余儀なくされたものの、大方の予想を覆し当選を果たす。だが占領軍出資の琉球銀行による那覇市への補助金と融資の打ち切り、預金凍結の措置に遭い市政運営の危機に見舞われるが、市民は自主的な納税によって瀬長を助けようとし、瀬長当選前の納税率が77%だったのに対し当選後は86%にものぼり、最高で97%にもなった。そのおかげで自主財源での市政運営できるようになり危機を脱する。これに対し占領軍と琉球民主党は7度にわたる不信任決議を提出するが、いずれも不発に終わる。しびれを切らした占領軍は1957年、高等弁務官ジェームス・E・ムーア陸軍中将が布令を改定し(米民政府高等弁務官布令143号、通称「瀬長布令」)1954年の投獄を理由に、瀬長を追放し被選挙権を剥奪した。市長在任期間は一年足らずであったが、那覇市政をめぐる米軍との攻防は、瀬長に対する沖縄県民の絶大な支持を呼んだ。

196712月に瀬長布令が廃止されたことで被選挙権を回復。翌68年の第8回立法院議員選挙で立法院における議席を回復した。1970年の沖縄初の国政参加選挙で衆議院議員に当選する。以降7期連続当選を果たした。日本共産党に所属し共産党副委員長などを歴任。1990年、政治活動を引退する。2001105日、肺炎で死去。享年94
ジュリオ=キュリー賞、那覇市政功労賞、県自治功労賞、沖縄タイムス賞(自治賞)を受賞。那覇名誉市民、豊見城名誉村民。
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 感心することは多々あるが、瀬長亀次郎が那覇市長になったときの市民の行動は驚くべきものだった。占領軍が補助金と融資を打ち切って、預金凍結までして妨害をした。市民は自主的な納税によって瀬長市長を助ける行動に出た。納税率が最高で97%になったという。自主財源での市政運営できるようになり危機を脱した。こんな出来事は将来もはたしてあるだろうか、まさに驚きの出来事だった。自治体財政を開発などの浪費に使う自治体の長には爪の垢を煎じてやりたい思いがする。


 「沖縄の歌と踊りの交流会」は琉球料理を味わいながらの催しだった。「沖縄参戦音楽研究の芸術学博士」の新城亘氏を中心にした沖縄の文化を披露していただいた。












2013年11月14日木曜日

二日目の行程は東村高江から首里城公園へ。

1429年、尚巴志、三山を統一、琉球王国成立
1609年、島津の琉球侵入
1660年、首里城焼失
1709年、首里城また焼失
1879年、首里城明渡し、琉球王国の崩壊、沖縄県として「誕生」する
1853年、ペリー提督来琉、首里城訪問
1925年、首里城正殿国宝に指定
1945年、沖縄戦により首里城焼失
2000年、北殿で「九州沖縄サミット」城址などが世界遺産に


 首里城は、争いに巻き込まれ焼失を繰り返している。戦後は復元工事が徐々に進められて、近年書院や庭園が一般公開されている。修学旅行の子供たちのにぎやかな声が、響いていた。ここも沖縄決戦の要塞として使われた。時の権力によって支配される歴史をたどった沖縄。いま「基地はいらない」の声が鳴り響く沖縄が、独立国家になるべきという意見も理解できる気がしてきた。














2013年11月13日水曜日

東村高江は子供たちが多い集落

 沖縄本島北部の豊かな森に囲まれた地域がヤンバル(山春)と呼ばれている。地球上でここにしかいないヤンバルクイナ、ノグチゲラなど1000種以上の高等植物や5000種以上の動物が暮らしている。ヤンバルの中にある東村高江は人口約150名で中学生以下が人口の2割を占める子供が多い集落。この隣に7800ヘクタール(東京ドーム1668個分)の米軍北部訓練場がある。ジャングルでの戦闘訓練を目的に1957年に使用開始して、ベトナム戦争でのゲリラ戦の訓練に使われた。ここにはヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)が22か所あり、常に爆音や危険にさらされている。

 そこに新たに6カ所のヘリパッドを、高江集落を取り囲むように建設しようというのが防衛施設庁の動向だ。「基地の整理縮小」の“偽装”工作となる、オスプレイの訓練用に。一番近い民家から400メートルの位置にも。座り込み、監視を続ける人たちは、沖縄県議会と全市町村の「オスプレイ配備反対決議」の意向も受けた活動となっている。「沖縄がベトナム戦争や中東戦争での加担者になっている」という言葉が耳に残る。



「違反者は日本の法律によって罰せられる」の文言で、特定秘密保護法案を連想させられた








2013年11月12日火曜日

辺野古の海は、海の臭いがした

 新基地、V字滑走路を造るなと座り込みが続いている。本土から行って気軽で浅薄な反対の意志などを言うのが恥ずかしく思える活動だ。基地は県外にという仲井真知事とは違って、県議会の決議は「県外・国外」へとの意見書を全会一致で決めている。名護市長は辺野古移転拒否の態度だから、結論ははっきりしているものの、安倍政権はますます「日米安保協力体制」へのめり込んでいる。どんなウラ技を使ってくるものか。秘密保護法案もその一つで、それこそ基地問題にかかわることは「それはヒミツです」ということにしたいのだろう。


 辺野古の海に接してすぐ感じたのは臭いだった。海の臭いがする。足元にはヤドカリがいる。しばらく見ていないからだろうが、感嘆の声があがる。東京湾で見たのは何十年も前だった。これが海なんだよなと、海藻の臭いを感じながら思った。ジュゴンのえさ場を守れとIUCN(国際自然保護連合)が声を上げている。米国連邦地裁に提訴しているが、このことによってV字形沿岸案の実像が日本政府の説明していたのとは全く違った「軍事要塞」であることがわかった。環境現況調査をなんしてもやりたい政府が、調査をいつ強行してい来るのか、そのたびに防衛施設局に抗議し断念させてきた人たちの闘いに敬意のみ。




支援の寄せ書きがいっぱい


基地境をコンクリート塀にしたことで、基地側の砂浜は堆積して高くなっていた。自然はこれだけ微妙に改変する。










2013年11月11日月曜日

オスプレイを見下ろす嘉数(カカジ)高地

 沖縄ツアーで最初に訪れた嘉数(カカジ)台。沖縄上陸の米軍を迎え撃つ最前線の基地とされた嘉数(カカジ)高地。高地と言っても高台。本土決戦の「引き伸ばし」のためにあえてこの場が選ばれた。戦車に体当たりする「肉弾戦」があった。米軍22台の戦車が破壊され、2週間の戦闘だったことが「語り草」となって、評価される向きもある。これ以後の沖縄戦も含めると戦没者は20万人以上。(沖縄戦での住民の犠牲者数は国の調査が行われておらず正確な数は不明だが、1950年の沖縄県援護課の発表では沖縄戦の日本側死亡者:188136人⇔2013.1.1の三鷹市の人口186,416人)
 二度とあってはならないとする以外に考えようはない。






 この高台から見るオスプレイはキチンと並んで翼をたたんでいた。不幸にして落ちた場合は、本体を傷めないようにバラバラに飛び散るようになっているということだ。宜野湾市の真ん中に堂々と占拠している米軍基地は、占領軍の居座りというのがピッタリしている。





2013年11月10日日曜日

沖縄普天間基地を見る

 沖縄でオスプレイを直に見てみたいと、中野革新懇ツアーに便乗させてもらった。三日間の交流で聞きしに勝る沖縄の歴史に触れた。15年戦争の悲惨な結末とベトナム、中東の戦争に「加担してきた沖縄基地」と、こもごも語られていた。平和の本当の重みは沖縄が一番知っているのかもしれない。本土との温度差もあることも話された。知らなければならないこと、知っておくべきことが沢山あった。

 嘉数高台からみた米軍・普天間基地は、オスプレイが整頓されて鎮座していた。基地の周りには住宅街が取り囲んでいる。これが沖縄の現状なのだと、驚きながら眺めた。

ちょうどオスプレイ駐機場所に日が差した。

ちょっと遠いので、トリミング

真ん中の白いところが普天間基地





2013年11月9日土曜日

誤表示・誤表記、嘘は罪

 「誤表示」というのもなかなか的を得ているとでも思っているのか。要するに偽装の言い換えで逃げちゃおーということだから、正しい日本語表記にはなっていない。身の回りにいくらでも存在しているということが、表に出て広がっているのが愉快だ。けっして愉快なことではないのに、あきれかえってそうとしか言葉が探せない。身の回りには言い逃れでも、軽い嘘でもいくらも転がっているけど、たわいのないことならいい。人を陥れることなんかないことなら、ときたま使わせていただいている。それに、だいたい3人くらいが頭を一斉に下げて「…お詫びします」って判で押したようにやるしぐさも、愉快だよな。あれ、昔の紙芝居を思い出す。「哀レ 会社ノエライ方々ハ 一斉ニ頭ヲ下ゲタノデアリマース」なんちゃって。

 先日亡くなった天野祐吉氏の本を読んでいたら、面白いものが紹介されていた。江戸の小話だ。

~ある男が土用の丑の日にウナギを料理しようと手でつかんだら、ウナギはぬるりと上へ逃げる。で、それをつかまえようと、上へ上へと手をやるうちに、足が地を離れ、あれよあれよといううちに男は空の上に消えてしまった。で、それから一年。帰ってこない男のために仲間たちがカタチばかりの一周忌の法要をしていると、空からヒラヒラ紙切れが落ちてくる。みるとそこには歌が一首、こう書かれていた。“去年(こぞ)のきょううなぎについてのぼりけれ/いまも絶えせず登りこそすれ(他筆御免)”~

 蛇足ながら「他筆御免」は手が離せないから他人に書いてもらったということ。おもわず吹き出してしまう、こういう嘘なら必要な嘘と言ってもいいのかもしれない。こんなに嘘と偽装とが安売りされているのでは、天に登り続けている男から、嘘はこういうものだよと声がかかりそうだ。



誤表示・誤表記いや偽装


  おまけ  「嘘は罪」







2013年11月8日金曜日

病院で暮らした一日

 義父の検査日に合わせて、義母を連れていく。義母の反応が最近おかしいというので、検査をすることで。
 立ち振る舞いで、一つのことに集中できないで、他のことをしてしまうという。それは己とて実感していることなので、そうかなという感じがないでもない。素人目にはわからないから、掛かりつけの医者に依頼して、病院に向かった。

 待っている間に、トイレに行くというので、ちょっと心配で「一人で大丈夫か」と念を押したら、返事をしてさっさと行ってしまった。まあ万一でも外に行くようなことはないだろうと、たかをくくりつつも帰ってくるまでは気がかりだった。MRIを撮って脳神経科に回された。  しばらく待たされてから、レントゲンとCTスキャンを追加で検査しろというので、最初の検査室に戻った。

 今度は自分がトイレに行きたくなって、用を足してから戻ると、義母の姿がない。検査室に入ったらしい。持って行った本もないので、どこかへ?と一瞬驚いた。ところが、レントゲン室から、検査番号の呼び出しがかかってしまった。いやこれは、と慌てかけたが、そのとき、義母はすでにCTスキャン検査室に入っていた。CTスキャンがあることを、レントゲン検査担当の人が承知していなかったらしくて、「ああ今CTスキャンをしているんですね」と言ったので、行く先がわかって安心した。

 検査がすぐ終わって、待合場所の椅子に腰かけてさて今度はレントゲン室だなと順番を待っていたら、義母が「レントゲンは撮ったよ」と言う。そこでまた「あれこれは」と“異変”を感じてしまった。レントゲン室はCTスキャン室と違うし、さっき呼び出されているからそんなことはないと、話をした。ところが、いつまでたっても呼ばれないから、レントゲン検査室の人に声をかけてどうなっているのかと話して、「検査書類」を見せるとレントゲン検査にはチェックが入っている。念のためにCTスキャン室に照会してくれたら、済んでいるとのこと。CTスキャン室でレントゲン検査もできるなんて…。しかし、義母を疑うことになってしまって…。


 だから、検査の結果を聞いときには驚いた。脳梗塞があると写真を見せられた。大きくはないが確かに素人目にもはっきり見える。ちょうど義父が検査待ちになっているあいだに、ツレアイも説明を聞いた。即入院で点滴をするということで、手続きを済ませた。義父の検査のほうは、検査中に血圧が下がってしまって、帰るまでに点滴を打って回復させた。検査用の薬が原因と言うが、朝から何も食べずにいるわけだから、なんでもなくても下がりそうだ。義母を置いて、病院から出たときには暗くなりかけていた。





2013年11月7日木曜日

釣り好きが逝く

 木更津港にイワシが寄っていると、聞いて出かけた浜ちゃん。釣れて釣れてどうしようもなかったという。アミコマセを買い足して、また釣った。組合の幹部をずっとしていて、釣りの会の行事にも可能な時には参加してくれた。組合運動でも釣りのうまさと調理のうまさを生かして、活躍していた。釣りの道具は安物でも「弘法筆を選ばす」、仲間を集めては熱心に釣りに行っていた。だいたいダントツの腕前だった。

 来年は組合の仕事を退いて、これから先楽しめると喜んでいた。まだ、65歳をすぎたところだった。釣りの会では若手に属する人だ。腎臓を傷めて人工透析をする合間に、先月13日には釣りの会の行事で青野川にハゼ釣り一泊旅行に行った。そのとき、魚籠を持ち上げて、「これだけ釣った」と重そうに見せてくれたのが最後だった。木更津のイワシを思う存分釣った翌日に逝ってしまった。あまりに突然に。合掌。

2013年11月6日水曜日

秋景色、前に行ったところの写真を見てまた楽しむ

 無機質と幾何学の風合ばかりの都市から抜け出して、まだら模様の紅葉を探しに行くのは、楽しいものだ。そういう受け止め方ができるようになったのは、カメラを構えるようになってからだ。目先の雑多な小仕事から離れて、一年の周期の最期の瞬間にさしかかる輝きを眺めるのは楽しい。人が創り上げるものでも素晴らしいものはあるのだろうけど、自然が織りなすものは謙虚でありながら、派手な主張を押し出す。輝きの瞬間は見てやらなくてはいけないだろう。いくら鑑賞してもまた見たいという気持ちが湧きてくる。先を考えれば、物足りない方が励みにはなるかもしれない。また、行こうと先輩の話が飛び込んでいる。

2007年11月25日奈良

















2013年11月5日火曜日

実りの秋から紅葉へ

 写真の整理をしていて、写真が沢山出てきた。写真講座でカレンダーを造ることになって、選び出したまではよかったが、講座出席時間がギリギリになってしまって、テーマにまとまりがなくて、講師から「なんだこれ、まあいいか」と言われてしまった。自分もそれを聞きながら、そうだなと見直して「ハハハ」と笑ってしまった。

 1月から12月までで、撮った時期の写真を並べただけのものだったから、そんなものだろう。なんとなく人臭さみたいなイメージだけは気にしたつもりだったが、一貫性のないものになってしまった。他のものでも数だけはたくさんあるから選び出しをやり直して、もう一度ガッチリ取り組んでやろうかと、取り掛かった。奈良の写真も出てきて、まだまとめていないのを思い出した。エッセイ風にと思ってから大分放っておいたから、もう記憶が薄れてダメかもしれない。
2007年11月24日













2013年11月4日月曜日

シーベルト(Sv)とベクレル(Bq)

先日の学習会で、シーベルトとベクレルについての資料がある。
放射線による人体への影響度合いを表す単位を「シーベルト(Sv)」といい、放射性物質が放射線を出す能力を表す単位が「ベクレル(Bq)」だということだ。

放射性物質には様々な種類があって、放射性物質によって、放出される放射線の種類やエネルギーの大きさが異なるために、人体が受ける影響は異なる。放射線が人体に与える影響は、放射性物質の放射能量(ベクレル)の大小を比較するのではなく、放射線の種類やエネルギーの大きさ、放射線を受ける身体の部位なども考慮した数値(シーベルト)で比較する必要があるということだと説明されている。


お金に例えてみると

もう一つスッキリしないが、核実験やチェルノブイリ、スリーマイル島の事故以降で、それまで自然界で検出されなかった放射能汚染が出始め、癌発病に至っていることははっきりしている。因果関係が立証されていないと一方で言いながら、どこまでならいいという基準はあっても、意味をなさない。100ベクレル以下が安全だという根拠はどこにもない。







2013年11月3日日曜日

「原発事故による海洋汚染と海産物」の学習会があった。

川崎健氏(東北大学名誉教授)の講演だった。海産物は、日ごろから身近に感じているものなので、どんな状況にあるのかと将来どうなっていくかが知りたいと思って参加してみた。かなり膨大な内容を一時間半ばかりで、飛ばした話だったので、つかみきれないが、資料でいただいたものがわかり易い説明だったので、書き抜きしてみた。

海水のモニタリング調査
(1)   第一原発のごく近くの測定ポイントでは、汚染水を放出した事故直後にはセシウム137の濃度は100000Bq/Lに達したが、その後は急速に低下して、20135月には1Bq/L前後である。
(2)   沖合の測定ポイントでは、20119月には0.01で原発周辺に比べればかなり低いが、その後低下している。
(3)   事故以前の福島県沖では、1976年当時は0.0060.008Bq/L程度であったが、1998年~2008年には、0.002程度に下がっている。1976年~1987年当時高かったのは、それまでの大気中核実験、1979年のスリーマイル島事故、1986年のチェルノブイリ事故などの影響だと思われる。沖合水域の現状は、福島事故以前に近い。これは拡散するからである。
海底土のモニタリング調査
(1)   原発にごく近い測定ポイントではセシウム137の濃度は、20124月には1000Bq/Kg程度であったが、20135月には週100Bq/Kgに低下している。原発からかなり南でも、数十Bq/Kgある。
(2)   沖合の測定ポイントでは場所によりばらつきがあるが、現在はセシウム137で数百Bq/Kg5Bq/Kgである。
(3)   福島県・茨城県沖合では、歴史的にみると1983年以後、セシウムで5Bq/Kg以下であったが、現状はそれよりはるかに高い。特にこの点が海水との違いで、放射性物質が海底土に吸着されているからである。
水産生物の種別の汚染経過
(1)   表層魚類の汚染度は低い。
(2)   底生魚は生息水深100m以深のものは、汚染度が低い。
(3)   ごく浅いところに生息する貝類は福島沿岸では事故以後強く汚染されたが、その後は急速に低下した。こらは、海水の汚染濃度が低下したためである。
(4)   海藻類も同様である。
(5)   メバル類(100m以浅)は汚染度が高いが、2013年に入って低下傾向である。
(6)   ウニ類は事故後高い汚染を示したが、その後急速に低下している。これは、食物が海藻だからである。
(7)   スズキ(中層魚)は、高い汚染が続いている。これは底生のイカナゴなどを食べているからであろう。
(8)   水深100m以浅に生息しているカレイ類は汚染度が高い。海底では浅いところの汚染が強い。また、これらは汚染された底生無脊椎動物(エビ、カニ、ゴカイ、ワレカラ)を食べている。しかし、今年になって汚染度が低下してきている。低下の理由は(1)放射能の減衰と(2)生理的排出である。
(9)   底層に生息するメバル類も、同様な傾向を示す。
(10)   淡水のイワナ・ヤマメは強く汚染されたが、今年に入って汚染度は低下している。
海水魚と淡水魚の汚染機構の違い
・  海水魚は汚染物質を排出するが、淡水魚は蓄積する。
~水産生物は、放射性セシウムをカリウムなど他の塩類と区別できずに環境水(海水・淡水)や餌から体内に取り込み、自然に体外へ排出。
~海水魚は、体の中の塩類を排出させる機能が働くことから、海水の放射性セシウム濃度が低下すれば、魚対中の放射性セシウム濃度も徐々に低下。
~淡水魚は、体内の塩類を保持しようとする機能が働くことから、海水魚よりも放射性セシウムを排出しづらい。
~無脊椎動物は、塩類が海水と体の中を自由に行き来しているような状態なので、海水中の放射性セシウム濃度が低下するとすぐに体内の放射性セシウム濃度が低下。

 講演は、福島沿岸の海水の放射能濃度が下がらないのは流れ出ているということが言えるということも説明された。(福島第一原発の周辺20135月に1ベクレルであるが、およそ一年前からこの濃度であり、事故前の2008年には0.002だったことで推定される)

まとめとして①日常生活では、正しい科学的知識と情報を持って、科学的に冷静に対処する②政府に対して正しい情報の開示と事故原発システムの環境からの完全な隔離を要求することを求めようということだった。








2013年11月2日土曜日

山本太郎の園遊会「直訴」に、天皇を元首として政治利用をしている方が政治利用という批判はおかしい

 大日本帝国憲法のときは元首だった天皇は、日本国憲法では、「元首」であることを明確にしていない。憲法上、象徴という言葉を使って天皇を保全したのは、戦後の歴史が生み出したというのは説得力がある。天皇ができることは国事行為で制限列挙されている。これさえ、内閣の助言と承認のもとでなされるということで、政治行為は想定されていない。それは当たり前で、天皇の名のもとに戦争を遂行されていったのだから、反省をして体制を切り替えることが求められていた。
 
 こうした憲法上の扱いに、政治行為を求めるのは国会に議席を持つものが、やることかといえば、「別のこと考えても」と言うこともできる。「気持ちはわかるけど…」という話もあるけれども、ちょっぴりこの面倒なことを除いて、「開かれた天皇」に対して、申し述べることが政治行為として断定されるのかというと、いまのところその手紙の内容が政治行為を求めている内容なのかどうかという点が、マスコミの報道の中では見当たらない(自分だけかもしれないが)。「辞職しろ」「ときがときなら刑罰ものだ」のと騒ぐことばかりが、議席多数占有者から出されている。

 天皇はいらないというとストレートに言うと、なにを言っているのかと、それにとどまらないご意見を賜ることにもなりかねない。が、今の政治制度の中では、なくても間に合う存在ではある。「心のよりどころ」のような親密さも醸造してきたから、気持ちが入り込むこともあるとは思う。当分象徴でもいいと思うが、だったら元首ではない開かれた天皇が、もっとどんどん開かれてもと思う。

靖国神社を参拝しないとか、外来魚のブルーギルを日本に持ってきたのはよくなかったと話したとか、先日誕生日を迎えた皇后の五日市憲法の話は、ちょっと認識が改まった。「開かれた皇室」いいんじゃないかと。

園遊会に手紙を持っていくのが違法ではないが、もらった天皇は侍従に預けた。開封しないわけはないだろうが、闇に葬られるのか。これだけ騒がれたら、一定の対応をすることになるのか。天皇がどこかの場で「あの手紙はいまの福島の状況を訴えたもので、大変大切なことを示唆していました。関係者がなんとかその対応に努力されることを望んでおります」なんて言ったとしたら、もう一歩開かれた天皇にならないか。続けて「天皇は政治行為が許されておりませんから、それにお応えすることはできませんが、願いは同じと考えております」って話したら…いいね!


 「憲法改論議」が持ち出されて、先には天皇を象徴から格上げする考が浮上している。憲法順守で「戦争の道は未来永劫なし」ということは言うまでもないこと。





2013年11月1日金曜日

秋は素敵だ

 秋は催しが多い。釣りの行事ももちろん、何でもと言っていいほど秋には集中している。夏の暑い時期を乗り越えて、台風にさいなまれながら、そのおかげもあって空気の冷たさを感じるようになる。 人が動きやすい最適の気候へと移るころは米の収穫が一大行事になる。日本の原風景で外せないものだ。外せないというと他人ごとになってしまうが、米作りには祖先からずっとかかわってきたのだろう。米を食べられなかった時代も含めて。

 収穫という言葉を想像するときは、「コメの収穫」をはずしてはいられない。生成してきたDNAが影響しているのかどうかは不明だが、感じるところは大きい。これに絡んだ景色は素晴らしいと思う。通常では通り過ぎてしまう目線も、写真で切り取るといつまでも楽しめる。米を見る安心感みたいな…やっぱり極貧を経験した血筋なのか?


 実りの秋は諸活動の「結実」という豊かな収穫を手に入れるときだ。ハゼなら、これまで9月初旬のころには、深い場所へと「落ちていく」と言われていたが、昨今の海水温の上昇のせいか、いまだに浅いところにも残っているようだ。実際は浅いところにも居ついているような気もするが…。この時期釣ったハゼも卵を持ち始めている。

 生き物の一年の展開は、ヒトの活動展開に相乗している。人の場合は、文化の発揚の場としての秋だ。早い話が、収穫の後の秋祭り。祭りは秋の限らずに、お盆の時もヤマがある。どっちにしても祭りごととして、豊かな実りを願う。コンサートも映画、写真…実りの発揚イベントはたくさんある。己の実りもなにがしかつかみたいものと、悩んだわけではないが11月は、いやにイベント参加が増えてしまった。元気でいるうちが華かと、言い訳しつつ。



 





2013年10月31日木曜日

トンネル完成お喜び申し上げにトルコまで。

 アジアとヨーロッパをつなぐ海底トンネルが完成して、安倍首相が国会を放り出してお祝いに駆け付けた。大成建設の事業にかかわることでしょうに、「日本の技術協力だ」ということで。
 しかし、政治との癒着はすごいものだ。大成建設のHPにも自慢げに載せているが、これまでの実績のページをみて驚いた。全部ではないが、書きぬいてみた。あるわあるわ、八ツ場ダムにまでからんでいる。大型公共工事にはなくてはならない存在だ。というより、政策誘導でなりたっている存在と言うべきか。

1963年、名神高速道路天王山トンネル
1964年、名神高速道路米原トンネル
1969年、日本坂トンネル
1987年、青函トンネル
1997年、本州四国連絡道路 神戸・鳴門ルート
1998年、東京国際空港鉄道トンネル
2003年、九州新幹線 田上トンネル
2008年、13号線新宿七丁目二工区土木工事
2009年、圏央道笠森トンネル
2009年、上信越自動車道薬師岳トンネル
2009年、八ツ場ダム仮排水トンネル工事
2009年、四国横断自動車道 焼坂第一トンネル工事
2010年、第二京阪道路 小路トンネル工事
2010年、北関東自動車道 塩坂峠トンネル工事
2011年、日本海沿岸東北自動車道 大茂内第二トンネル工事
2013年、紀勢自動車道 荷坂(にざか)トンネル工事

 大成建設が造ったトンネルの写真を見ながら、穿り出した土砂の行く先と、固めたコンクリートに使われた土砂は、どこから手に入れたものかを考えてしまった。出来上がって、その苦労には万歳のセリフが合うとは思うが、場合によっては水脈を壊し、コンクリート砂利を取り出すのに別の山を削っただろうことを考えると、「日本の技術力」万歳にはならないだろう。建造物を造るということはそこに合ったものを壊すという裏打ちが伴う。それが当たり前だとなる精神構造にも影響を与えることになっていないだろうか。






2013年10月30日水曜日

イノシシへの放射能汚染の実態はチェルノブイリでも確かめられていた。


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チェルノブイリ、イノシシ40万Bq/kgに生態濃縮
日本、444万Bq/kgの落葉⇒ミミズ⇒イノシシ

 チェルノブイリの事故から10年、野生動物に放射能が蓄積、濃縮されていると、ベラルーシの動物学研究所のグループが先週、ウィーンで開かれた国際会議で報告した。

 自然界の食物連鎖で動物性プランクトンに蓄積された放射能は1キロ当たり最高3400ベクレルだったが、魚類では同31000ベクレル。食物連鎖の上位にいるイノシシでは同40万ベクレル以上。

 自然界の食物連鎖で動物性プランクトンに蓄積された放射能は1キロ当たり最高3400ベクレルだったが、魚類では同31000ベクレル。食物連鎖の上位にいるイノシシでは同40万ベクレル以上

 福島県内の森林の落ち葉に含まれる放射性セシウムは、双葉町と浪江町で集めたもので、1キログラム当たり440万ベクレルに達するなど、福島第一原発から30キロ圏を中心に高い濃度になっていることが林野庁の調査で分かりました。

 林野庁は、福島第一原発の事故の影響を調べるため、去年9月から11月にかけて、福島県内各地の森林およそ400か所で落ち葉を集め、放射性セシウムの濃度を測定しました。その結果、原発から西におよそ10キロの双葉町石熊と、北西におよそ25キロの浪江町天王山で集めた落ち葉から、それぞれ1キログラム当たり444万ベクレルの放射性セシウムが検出。

 さらに、南相馬市と飯舘村を加えた合わせて9か所の森林で集めた落ち葉から、100万ベクレルを超える放射性セシウムが検出され、原発から30キロ圏を中心に高い濃度になっていることが分かりました。
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 林野庁の調査は福島に限っているが、イノシシへのセシウム汚染は、濃度はちがうけれども千葉からも出ている。生物濃縮は生態系の上位にいるものに多くなる。人間の場合は汚染濃度の心配をし、ある程度は口から入らないようにはできるが、イノシシはそうはいかない。ましてミミズにはできない。森のセシウム汚染は孵化さ10センチまでの土壌に蓄積されているという。これを除染するという意味は理解するけれども実際どうやれるのか。やる「遺志」は?金は?どうなるのか。イノシシや他の野生生物、ミミズもセシウムを摂取して「除染」?するという馬鹿げたことが続くことになるのか。







2013年10月29日火曜日

ミミズとイソメは血縁かも。

 ミミズが徘徊しているのはなぜなのかという疑問が解けなかったが、イノシシの好餌になっているということで、連想ゲームをすることになった。なにせミミズには日ごろ深くお世話になっているから、他人ごとにしておくわけにいかない。とはいえ、学術・学問的にやるなどはできっこないので、手ごろなパソコンを使っての情報収集の範囲でということで。
この問題に7年間も実証的に研究している方がいた。研究された内容については、綿密に記録がされていて、なるほどと受け取れる。抜き書きをすると、

□ある種類のミミズは夏のある特定の日、 それは新月から22.3日に当たる日に他の日に比較して多く出現する
□徘徊していたり干からびているミミズはフトミミズばかりでシマミミズなど のツリミミズはほとんど見ませんでした。
□水分がなくなると、とたんに温度は上昇し、一斉にミミズが逃げ出してくる。やはり、表層に棲むミミズにこの傾向が強い。根こそぎ出現するため多いと感じるし、その後その場所ではミミズの生息数が少なくなり、ミミズ をしばらく見かけなくなる。 
□低地に棲む浅・深層性のフトミミズは、夏の夜には 多くのミミズが巣穴から体の一部を出している。そのうちの何割かのミミズは巣穴から離れ移動している。
□表層が湿っていたり湿度の高い夜には、普段より多く のミミズが移動する。雨のときは巣穴に閉じこもっているが、雨上がりには湿っているのでより多く移動する。



などといったことが、まとめられている。
この中にある徘徊する「特定の日がある」ことが気になった。この点に関して詳細な観察記録がある。

「毎年、年に一度のある日、それは月齢22.3±0.7の日をピーク とした出現です。ある種のミミズは春から秋にかけて毎日のように路上を徘徊しますが、最も多く出る日は月齢が23日付近でした。フトスジミミズ、ヒツトモンミミズ、アオ キミミズ、ハタケ ミミズなど表層性のミミズで見られる行動です。今のところ鎌倉の一地域(二箇所)でしか確認していません。地形は山を切り通して できた道路でです。
 月の位置は位相角や月面の輝度で言え、下弦の日は位相角270度のときですが、月の軌道が真円でないことから月齢すなわち新月の位置から の日数は、ばらつきがあります。じつは、このミミズたちの出現は位相角=月の位置、では なく、月齢つま り新月からの正確な 日数を経て出現しています。22.3日、95%信頼区間0.7日の出現です。下弦付近ではありますが正確には月齢が問題となります。」

ということで、月齢に相関していることがわかったということです。ところで、「バチ抜け」と呼ばれる、ゴカイ、イソメなどの多毛類が産卵のため川底の泥地から這い出て水面を浮遊する状態が、2月の大潮前後があることに関連して、

「ある種のミミズも、この月明かりを引き金として15日周期で地表に出現していたのです。もちろん曇りや雨の日もありますが、晴れている日に月の光を浴びて、体内時計の補正をすればよいのです。
 夜中に、穴から半身だけ出て何をするでもなく昼寝ならぬ夜寝をしていたのは、実は月光浴をしていたようです。こうしてミミズの種類によって半月や満月のころがわかりそれぞれの時期に出歩くということが考えられます。」
と推定している。
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イトメやイソメの月の位相と関連した生命現象について今島実著 環形動物多毛類 生物研究社 1996に詳述されていました。以下がそれです。
多毛綱ゴカイ科の環形動物で、生殖のために遊泳する生殖型個体のうち日本にいるものをバチという。ウキコ、ヒル、エバともいう。イトメのバチを日本パロロ(英名 Japanese palolo)ともいう。イトメは、砂泥中で生活している個体が成熟してくると、1011月の大潮の夜に雌雄の体の前方1/3がちぎれ、生殖物(雄は精子を、雌は緑色の卵)を充満させて泳ぎだし、生殖群泳する。 
   その他のゴカイの生殖時期は種によって異なり、新月後と満月後の数日 間に大きな群泳が見られるが、月齢、潮位、天候などに大きく影響をうける。
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 「ミミズの属する環形動物門は他にゴカイ類とヒル類が属していることで、イソメ、ゴカイ、シリスなどのゴカイ類(多毛類)が主流でその一部は退化または分化が止まったりし、一部が陸上に上がって貧毛類(ミミズ)になりその一部が淡水に入りヒル類になった説がある」
というのも説得力がある。

 そういえば、ミミズやイソメを持って、潮回りを気にしながら一斉に徘徊する釣り人も、月齢に動かされているのかと考えると、なにかとても可笑しい。「自然との共生、共存」の一面を見る思いがする。







2013年10月28日月曜日

イノシシの食性とセシウムの関係はどうなのだろう

 イノシシの食性は人間と似ているとの説明がある。雑食性で大概のものはよく食べるから、採りこむ食物からセシウムが体内に蓄積されるのだろう。HPで探ってみると、食性が人間と似ているというより、もっと幅は広いようだ。セシウムは、畑よりも原野、原野よりも森が減りにくい。イノシシは森の中を歩き回って食餌する。

 チェルノブイリのビデオでは、キノコを主食にしているほど多く摂取している(ほかに食べ物が少ない)家族が、内部被曝の検査をしたとき、かなり高い体内被曝をしているということだった。このキノコは森の中に生えていて、住民はみな採りに行っている。(イノシシがキノコを食べるかどうかはわからないが、イノシシは生態の研究があまりされていないとか)

 HPを探ってみると、ミミズが好物の一つであるらしい。ミミズは落ちて朽ちた葉を常食としているから、セシウムを生体濃縮しているのではないだろうか。イノシシはその他、植物の根やら木の実やらからもセシウムを取り組んでいる可能性が高い。ミミズは重金属や農薬などの薬剤に汚染された土壌に生息すると、それらの汚染物質を生物濃縮すると説明されている。

 鼻を地面にこすり付けで移動し、ミミズを一挙に食べる。また、穴を掘ってそこに落ちた落ち葉に集まる「生き物」を餌とするということもあるらしい。こうなると、千葉県のイノシシからセシウムが出ているということは、説明がつく。

 人間の場合は危険を認知できるし、不十分ながら食物のセシウム量を計ることもできるが、イノシシはそうはいかない。
イノシシのセシウム放射能汚染濃度を計っているのは、「人間の食用」としているからだ。100ベクレルを越えなければOKという危ない基準で、料理に回されたら、美味しくいただいて喜んでいられるものか。生物濃縮は人間の場合でもあるわけだから。

イノシシの食性メモ
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植物の地下茎・果実・タケノコなどを食べる草食に非常に偏った雑食性(植物質:動物質≒91)である。動物質は季節の変化に応じて昆虫類・ミミズ・サワガニ、ヘビなどを食べる。食味が良く簡単に手に入れられる農作物を求めて人家近辺にも出没することがある。鳥類・アカシカ・小型哺乳類なども採餌するが、死骸が落ちていた時に食餌する。(群馬県立自然史博物)

野性のイノシシの場合、植物質のものですと草や木の葉、根、果実、菌類などを食べ、動物質のものは様々な昆虫をはじめ、ミミズ、カエル、ネズミ

島根のイノシシはドングリが栄養分として良い食べ物になっているとの調査

太田市八王子丘陵で捕獲されたメスのイノシシの胃・腸内容物の分析を行い,周辺植生との比較検討を行った.当該地域のイノシシは,丘陵縁辺や耕作放棄地,放棄桑園などに繁茂するクズ(Puetaria lobata)や草本類をベースに,季節に応じた農作物を広く利用しており,また,耕作地に残された農作物も食資源

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