2015年2月24日火曜日

輪島の朝市、出店が少なくて

 二日目の輪島は、水曜日で朝市は休みの日だった。毎月第二、四水曜が休みだったのを思い出した。前日に雨の合間をひと回りして、港の周りを一巡りして様子を撮っておいた。夕方5時ごろだったか、有線放送で「明日の巻き網漁は…で…」といった声が流れた。繰り返しの放送を確かめても、なんといっているのかはよくわからない。ちょうど行き交ったおばあちゃんに尋ねると、これもダイレクトには理解できない。聞き返して、ようやく天候が悪いから巻き網漁はやらないということが分かった。輪島まで来るまで眺めた海の海の様子はで、そうなんだろうなと思った。

輪島には二泊の日程だったので、翌朝これも雨の降る中カメラを濡れないように庇いながら市場に向かった。市場は撮りにくいものだ。店で働いている人、主にお婆ちゃん達を撮るのだが、ただ撮るのには気が引ける。撮影仲間同士で、誰かが話しかけてやり取りしている間に、他の仲間が撮るようにするという方法が、なんとなく身に着いた撮影方法になっている。しかしそれにしても、買って行けとあちこちから声をかけられると、知らん顔ばかりはできない。ちょうど当日コースの昼食時には食べられる店はないので、なにかを買って用意しておこうということで、おこわのお握りを買うことになった。


市場はこれまでになく出店しているテントが少ない。今の時期は野菜が採れなくて品物も少なし、高齢者がおおいから休む人が多いということだった。そういえば割り方若い人が目についた。ご多分にもれず高齢化の波は観光にも影響をしているのだ。北陸新幹線が開通になって、観光客が増えることになるのだろうか。















2015年2月21日土曜日

能登、白米千枚田の珍景もカメラに

能登の旅一日目の夕方近くに、世界農業遺産になっている白米千枚田に着いた。先日A新聞にL・E・Dを使ったライトアップの写真が紹介されていたので、ここを撮ろうとは言わずもがなの予定に入っていた。到着時は雨だったもののほどなく止んで、寒ささえ堪えれば絶好の撮影になった。

ホテルの食事は遅くしてもらって、6時半まで千枚田を撮って、ライトアップも撮ろうということに、もちろんだれの反対もなくて頑張ることになった。手がかじかんでくるが、何回もあるチャンスでないので、懸命に撮り続けた。確かにライトアップの効果が上がっているようで、いまどきにしては観光客が結構集まってきていた。雨が止んだうえに、遠目だが西方には太陽の明かりさえ見えて、今回の旅の満足度を高めてくれた。

 以前にもブログに書いたが、この田んぼはオーナー制度になっていて、四季折々の訪問者で賑わいがあるらしい。農家が立ち行かなくなって、観光農園としてにぎやかなのを否定するわけではないが、世界農業遺産として「遺産」になったことを農耕民族としては釈然としないものを感じる。TPP交渉も内容が秘密のままにすすめられているが、日本の農業全体が「遺産」になってしまっていいものだろうか。だからというわけではないだろうが、高名な政治家がオーナーになって、農業を「支えている」という珍景も記録として撮っておいた。















2015年2月17日火曜日

爺を鬼にして、いぬ間に写真撮影に。

 連れ合いが腰の手術をしてから3か月有余が過ぎて、その間に老健施設に入所していた爺が14日に家に戻った。いつ家に帰れるのかと、家族が行くたびに楽しみにしていた。家にいれば多少の軋轢はあっても、やってもらえることが多くなるし、我儘も聞いてもらえる。施設にいるのは気の毒なことと思いはするが、家に帰ってくれば率直なところ、世話をする方は楽でない。心と腹の虫の蠢きが並大抵でないこともある。

 義父が家に戻ってくる前に、さしかけの事柄…といってもアソビに属することではあるけれど、写真を撮りに4人で輪島に出かけた。これまでも輪島に出かけては何枚も写真を撮ってきたものの、撮影方法の未熟さもありかつセンスもいかがか、という自己嫌悪も抱えて、こと満ち足りない気持ちをなんとか挽回したいというのが今回の目的だった。

 昔写真の講習会を受けた仲間の展示会を6月にやろう、ということになっているので、やや日程が追い込まれてきてしまった。先輩にお願いしてこの時期にという設定に4人が行くことになったのだが、いずれもベテランの諸氏で車の運転も皆が可能だし、何回も通って知っているコースなので心強い旅だった。

 天気予報は雨か雪だということだった。金沢駅に到着したときには既に雪模様で、できるなら雨にはならなければという思いだった。レンタカーで走り始めて、最初の「のと里山街道」の途中にある千里海岸での初撮影は、車から降りたった時は雨だった。カメラが濡れないようにと庇いながら少しだけ撮った。車に戻りかけたところなんと、雨が止んで薄明りではあるものの、太陽の光さえ見え始めた。


 この天気の幕開けは、不思議なことに四日間を通しての展開になった。地元の人の話では場所が変わると天気がころころと違うものだということだった。山道に入ると雪がちらつき、かとおもうと次の道にはまったく雪なぞ見られないという話のとおりのものだった。














2015年2月7日土曜日

故郷だから足が向くかな

 先がどのくらいかなどと、具体的にといっても測れもせずに、穏やかにかつ楽しくやれればいいと思う。これに少しだけ恰好を付けて、何かが残れば一番いい。この旅は撮影に徹する旅でもなく釣りの旅でもない、なんとなく案内役になった旅だった。しかしカメラだけは離すわけにはいかなかったから、新しい切り取りを持って帰るつもりだった。銀山温泉から送迎バスで大石田駅に出て、新庄駅まで列車で行ってから、次の肘折温泉に行く送迎バスの時間までは、2時間ばかり空きがある。昼食は山形名物の日本蕎麦だから、以前来たところを見定めておいた。

 最上公園の城跡に行ってみるが、案の定雪ばかりの趣で、滑らぬように歩いて通り過ぎただけ。もっとも雪がなくても桜の時期以外は、これはというほどでもない。蕎麦屋はなかなかで、天ぷらに板そばを頼んで少々のアルコールで盛り上がった。特にゲソ天がうまかった。アオリイカではなかったろうか。
新庄駅から送迎バスに乗って、一時間もかからずに雪の壁を通り抜けて、肘折温泉に着いた。ここはカルデラ館という共同浴場がある。ぜひとも連れて行きたいと、歩くつもりが10分出はとても無理だという。16時までしか空いていないので、難しい話になってきた。結局往きだけは旅館の車で送ってくれるということで助かった。

 この温泉は炭酸泉を飲むことができる。なにせ胃が疲れ気味なのだからうってつけだ。朝方ならお湯がきれいなのだが、午後のせいか少し濁っていた。帰りは温まった身体で、傘に積もる雪の重さを時々払いのけながら、緩やかな下りの坂を温泉街まで戻った。20分以上はかかったろうか。

 旅の折々、温泉の部屋で飲む酒を仕入れたが、「花羽陽」(はなうよう)という酒が旨かった。帰りの新幹線まで楽しませてもらったが、この酒は肘折温泉がある大蔵村にある、山形県では一番古い蔵元で造られたものだった。以前に写真展をした金山町の特産品に「金山田楽」という酒がある。この酒が旨いので、昨年も注文したことがあったのだが、この酒造元が同じ小屋酒造だった。








旅館の窓から撮影














2015年2月3日火曜日

湯の花を 乱して雪の 一番湯

齢を重ねても元気なのは悪いことでない。いくらかでも社会の負担を避ける意味でも、懐から年金を割いて日本経済に貢献するとなれば、まことに意義あることといってもいい。旅の道連れは8人。雪見しながら酒を飲み、温泉を楽しむという趣向は、天が我らに味方したかどうか、東京駅から出発するときには、はや雪模様。新幹線で大石田駅に着くまで絶え間なく雪景色が展開するありさま。それしきのことは人生の中で嘆きの部類には入らない。ツウともなればフグの毒さえ食べたくなるのと同様だ。

銀山温泉へは送迎バスで一時間もかからない。車中で胃袋に詰めたアルコールの解毒を、一眠りで進めている間に温泉街の入り口の高台に到着する。温泉は小ぢんまりとしていて、とっとと歩けばものの10分もあるかどうか。足元の明るいうちに、一回りする。もちろん部屋で飲むお酒を手に入れるのを忘れるわけはない。翌日は出発までの朝の余裕がそうなさそうだから、お土産も手に入れておく。

旅館は建物も充分古くて、内部は木造の黒光りする建具で造られている。その壁には鏝絵が飾られて、格調を感じさせた味わいがある。宴会が終わってまた、夜の温泉をまた回ってみる。明るい時とは違って若いアベックと中国語が飛び交わしている家族連れが、スマホを片手に街を眺め撮りながら歩いている。我が道連れの8人も、旅館が貸してくれたコートと傘と長靴を履いて、つかず離れず歩き回る。

その味わいはそれぞれに任せるとして、銀山温泉で印象に残っているのは、田舎の法事で泊まったときだった。隣の部屋から聞こえてくる歌。お婆ちゃんの声で「花の山形、紅葉の天童…」という歌が聞こえてきた。このひなびた温泉にピッタリあっていた。それからは何年も経過して温泉の様子も少しずつ変わってきたようだ。数えること7回になるが、今回は宴会場のお手伝いさんも、ポンポンと料理を運び込んで、なにか都会的なものごしで、方言交じりで話をするということで、年季の入った建物の雰囲気とは少し異なった感じがした。

 扱いがぞんざい過ぎるということはないが、せっかくの雰囲気をゆるりと過ごせるというゆとりがあってもいいかな、という印象はあった。旅館街の中でも朽ち果てていきそうな旅館もあり、経営の大変さもしのばれる。温泉は良い。十分に楽しんでめずらしく3回も温まりに行って、旅の目的を満喫した。


















2015年1月24日土曜日

にぎやかでわびしい宴会

 昔の仲間と上野で新年会をやった。現職で働く人が二人と退職後を謳歌するもの二人。ときどき合っては、近況を語り合う。待ち合わせ時間には20分ほど早かったので、アメ横あたりをひと回りり廻ることにした。17時半過ぎだから一般的に宴会開始には早いのだろうか。酒場は空いているところもある。横丁に入ると透明のビニールに囲まれて、厚着したままの若手グループがすでににぎやかに集っていた。多少寒くとも、安い費用でアルコールが飲めるのだろう。

 この寒空だから店の外にオープンスペースを作っているところは人気がない。時間を見て、宴会場へ行くと一番の到着だった。すぐに宴会の仕掛け人が表れて、皆がそろうまで、飲み放題のコースのほかにビールを注文することになった。ほどなくそろって、アルコールの廻りを楽しみながら話に花が咲く。それはいいのだが、料理がさっぱり来ない。どうしたものかと、思わ出ていないものがあるのではないかと、担当者に聞いてしまった。

 「刺身はでないの?」と言うと「湯葉の刺身です」と反ってきた。確かに可愛い湯葉がわさび付きで出ていた。天ぷらも小さなエビが一本綺麗に皿に載せられてきていた。一様に、口の寂しさに文句を言いながら、こんなものかねーとあきらめて、飲み物だけをどんどん注文した。以前はそれなりの料理だった気がするのだが、実質値上げということになったのだろう。アベノミクスの負の「恩恵」をまた考えずにはいられなかった。










2015年1月23日金曜日

クマ対ヒトのせめぎ合いはクマに軍配か

 昨秋、長野でツキノワグマが里に出て、人への被害が増えて過去最高になったという報道があった。エサのドングリが不作だったということが原因の一つとされていた。エサが無ければ里に下りてきて、農作物でも柿でも食べるという。荒れた里山が徘徊しやすい環境を与えているという指摘もある。農家の継続ができなくなって、里山の保守管理もできず、暮らす人も減るということで人の「生息環境」が不活性化してきてしまった。

 そこにクマが出没するということになった。したがって、クマの繁殖数が増えて、その分だけまた食糧不足に陥っているという見方もある。昨年春に、岩手県だったが数少ない渓流釣りでも、出会ったのだから推して知るべしという感がする。増えているクマを狩猟で減少させることも、高齢化によってできなくなっている事情もあると言われている。

 「地方創生」の呼び声で、自治体の動きも伝えられるが、こうした現状に適合した地方の活性化ができるのだろうか?コストパフォーマンスなる物差しで、金にならないところは切り捨ててしまう発想では、クマの生息テリトリーがもっと増えてしまうことにもなりかねない。

 「甘み」や「苦み」などの味覚が認識できない子供たちが30%にも上るということが、東京医科歯科大学の調査でわかった。濃い味の飲食によるものと言われている。美味しいものを探し回る力は、人の生活よりもクマの方が幅を利かしているようだ。










2015年1月22日木曜日

生きものは自然界で生きるのが一番

 葛西水族館で死亡してしまったクロマグロなどからウィルスが発見された。原因不明の死亡が続いて、専門家による薬剤を投与していたが、さまざまなストレスを想定したのの、しばらく原因がわからなかった。死亡発生が止まらず、病理診断検査の結果によってウィルスと判明した。どんな種類のモノかはこれからだという。 

 上野動物園でもこのところ大型動物の死が相次いでいるとか。こちらも原因を特定して明らかにはしていないが、「同園教育普及課では、死因はそれぞれで異なり、関連はない。寒さなど季節的な要因でもないだろう」と発表している。繁殖をさせようとしたものが、果たせず高齢化によったものという図式らしい。 

 生きもの鑑賞するという行為で、楽しかったり面白かったりするし、地球上に人間以外の動物が存在するということを知るという意味で役には立つとは思う。不幸にして人に捕獲されて、食に回されずに水槽か、檻の中に入れられてしまった。人間の「ために」従属させられるのはどちらにしても気の毒なことだ。「人間みな平等」は人の規律では役立つが、ほかの生物のためには通用させていない。人間の支配下に置くという思想だけが定着してしまったことも、今は返り見なければならない時期だろう。

 他人の存在を認めて尊重することでさえ、日常とても難しいことだ。その上にその理念は、人間以外の生き物との関係にもあってしかるべきとしないと、人との共生は望めない。「死亡」という言葉は大概は人をさすが、人以外でも使われるということで誤りではないらしい。それよりは同じ言葉で言い表せることができる、生き物としての「平等」を慮った方がいいのかもしれない。

 人間が、あるいは人類がでもいいが、自然にたいして、再生・循環能力を確保して管理できるのだろうか。よしんばできるとしても、それよりも先に自然界を「死亡」させてしまっては元も子もない。異常気象を含めて人の世界が自然に与えているストレスは尋常でない。日頃の世界と日本の天候はそれのあらわれだろう。日本の周囲での漁業活動は、資源管理の名で養殖、栽培漁業が当たり前になっている。もはや自然の再生能力を前提にしないところまできている。

 
 つりの会の磯の小物のつり大会が、127日に三浦半島で催されたが、海タナゴや小メジナの釣れ具合が非常に悪くなっている。それも年々下降しているという状況だ。この正月4日の初づりも、従来に増して釣果が落ちている。海も川も、魚を釣る環境が悪くなっていることは、間違いない。自然と自然環境に対する干渉や改変に、リアクションがいよいよ迫ってきているという気がしてならない。








2015年1月17日土曜日

久しぶりの仙人の家と岩手山


  東京の都合にかまけて、しばらくぶりの仙人宅訪問。11月からの雪の便りでよほどの家を取り囲んでいるのかと思ったが、それほどの状態ではなかった。年寄りの生活からは何よりではあるが、まだ1月半ばだから、これから先があるだろう降雪に安心はできない。向かい側の家のツララが長く伸びでいて、今は背丈よりも長い。一時は二階建ての屋根から地上まで着いたというから、やっぱりすさまじい寒さなのだ。

少な目の雪の上を、やけにウサギが歩き回って(チョン、パッの足跡だから「飛び回って」か)いるようで、どこにも足跡がついている。見まわしたところ、餌となるようなものはないようなのだが、アトランダムに気まぐれで歩いているような感じで面白い。人間の生活に割と近いところで生きているのだろう。生活で不要になった残り物にありつけるということなのだろうか。狸にしろ鳥にしろ、クマにしろ、人間の生活を意識していると思うとおかしい。

クマやカモシカ、狸、キツネなど、どちらかといえば、‘友達’とは思われないような評価(文化か)が定着しているが、ほんらいそんなに悪さをするものとも思われないのだが、里に出てくると追い払われる。追い払われた場所はだいたい「昔」は人がいなかったところじゃなかったかのかな。エサの多寡も人の生産活動の影響なのだし。

親父は一層背中が曲がって小さくなった。歩くのはすり足で、転倒を避けているのだという。話は合わないことが多いが、見ていると可愛い感じになってきた。でも態度は好ましくないと従妹が言う。思い当たる節は確かにある。天命を全うするのは大変なことだ。自分の立ち振る舞いがスムーズにいかないことが多くなって、重ね合わせるとため息が出てくるようだ。











2015年1月10日土曜日

天にさまよう亡霊か片づけられないゴミ箱か

 ホームページの引っ越しをこれまで何回か経験した。新しい住まいとなると居心地良くしようと念を入れて作り上げる。そのきっかけは、回線とプロバイダの変更に伴うものなのだが、料金が値下げになるよという誘いにのってのこと。「安さ」を強調して説得をされるが、問い合わせ電話サービス、電話そのものの、やれ留守番電話だの番号表示だのと料金上乗せを迫られる。その攻撃を「無料サービス期間2カ月」のうちに解約するのがひとつのコツになる。

 しかいその変更によって、これまでの自分の設定に手を付けなければならないものは相当ある。このたびはメールアドレスの変更で、年末からえらい時間がかかってしまった。もっとも、メールのアドレス帳も整理せずなおざりだった。届かいない宛先でも残っていたり二重だったり、先方のアドレス変更による入れ替えをしていなかったり、グループ送信のメンバーが変更されていなかったりしていた。これを是正することから始まったから、やっかいなことになった。逆にだから整備ができたのも成果には違いなかった。

 ホームページサービスも無料という扱いが廃止されるのが、事業者の通例になってきた。いままでのものが2月で終了するということを通告されていたから、引っ越しは既定のことになっていた。それで結局有料ホームページを使用する羽目になった。それに伴って、これまでのホームページが、残ってしまうのではないのかという疑問が生じた。

 以前に使っていた釣の会のホームページで写真を主にしたものがあった。今回と同じようにアドレス変更をしたのだが、当然旧ホームページは「抹消」してくれるものと思っていた。プロバイダが使わなくしてしまうのだから、「消える」という判断を頭に置いた。ところが今回何気なくその「消えた」はずのホームページが生きていることに気が付いた。その時のプロバイダに連絡をしようと思ったが、その前に参考のために、更新のためのアクセスをしてみることにした。記録に残っているサーバー名、パスワードなど必要な項目を使ってアクセスしてみたら、なんと繋がるではないか。これには驚いた。このHPアドレスが生きたまま、亡霊かダストのように宙にさまよっていたわけだ。繋がるのだから更新(書き換えが)可能で、真っ新にする白紙のページをすぐに更新アップした。

そんなことがあったから、今回の引っ越しにあたって元のプロバイダに「ホームページはこちらで何もしなくても消えるのか」と念を押したら、そのとおりですと言う。しかし前例があるので当然疑った。年末には旧プロバイダ契約が解約となるから、1月に入ってからその旧ホームページを参照してみたら、やっぱり残っているではないか。これも同じく、「引っ越し先アドレス」を書き込んだページを更新して置いた。数日後にやっと旧ページが消えた。すぐに消えるということではなかったのかもしれないが、解約は12月26日までのものが月末に解約となるという説明だった。解約申し込みを受けてからは、人力作業だからタイムラグが出るということなのだろうか。

 ところで新しい方のホームページがまた素直にいかない。1223日に「お試し」登録して、これまでのホームページをアップした。アドレスがかわっただけで、どういうことはない。16日に本登録をした。お試し登録をしてから「二週間のうちに本登録しないとダメ」ということだから、これは有効だったはず。しかし、7日になったらホームページが真っ新になってしまった。お試しの時にキチンと更新してアップでき。参照もできたのだから、本登録によってそのまま引き継がれ、移行するものとならなければならない。もう一度更新アップが必要かとやってみたが、どうにも受け付けない。

 仕方がないから業者にメールを入れて、状況を伝えた。「6日に一度終了した」ことで切れてしまったから、直しておいたという返信が戻ってきた。なんのことやらさっぱりわからない。それも、電話連絡もできないということになっているので、解明するのも面倒で、ホームページが見られるようになったことでよしとした。いくらかは、作業に慣れたとはいえ、こうした目に見えない状況は、お化けみたいなものだ。自分の生活体験からは図れないことが多い。情報化社会もなんだか危なっかしいことがあるのではないかと思えてきた。



2015年1月7日水曜日

監視カメラでねえ

ゴミの不法投棄を防止するために、監視カメラを設置するという中野区。とりあえず何か所かでやってみるということだ。我が家のゴミ・資源ゴミも前の通りの電柱脇に置いているが、ゴミに被せるネットの管理(収集後にたたんでおくだけだが)をなんとなくやっている。30年も住んでいるが、そのころからの知り合いはたった一軒で、あとは引っ越してしまった。あとは「新住人」が入っているので、自然淘汰でそうなってしまった。

建売の6軒が同時に住み始めたころは、ゴミ置き場の清掃も交替でやるスタイルができあがっていた。周りの建売住宅ももう痛んで、立て替えで住人が入れ替わり、昨年も目のまえの道路の向こう側に、3軒の住宅が建ちあがった。
本来なら、ゴミ置き場の管理の相談をして…というところだが、なかなかそこまでいかない。

ゴミの収集日に「何曜日は何のゴミ」ということが、新しい住人には慣れなかったらしい。収集日の目的物に合致しないものが、かなり置いてあった。困ったものだと思いながら、それでも収集日まで置いておくのは、だらしがなくてなんとかしたほうがいいかと思った。でも、やっぱりそのまま置いておいて自覚を促すという方法が、穏やかでいいらしい。最近は確かに減ってきた。長年住んでいるせいで、責任者のようにみたいに、あれこれの目配りをしたりするのもおかしいが、もうちょっと酷かったら何らかの手を打とうと思っている。 

ちょうど隣に中学校があって、学校の周りに捨てられるゴミを、止めさせようとのキャンペーンをしている。学校のフェンスに防止のポスターがいくつも貼ってあるから、それをカメラで撮影して、ゴミ置き場に表示しようかというアイディアだ。

ゴミの収集が終わったら、被せてあったネットをキチンとたたんで、そばのフェンスにかける。それだけで綺麗にしておく気持ちが伝わればと思うが、ちょうど「新住民さん」が外で車を掃除しているときに、収集した後の網を片付けたら目があって、挨拶を交わすことになった。これでまた清潔さが保てる条件がひろがったかもしれない。

どこでも「不法投棄」は頭の痛いことだろう。しかし、監視カメラで写したからどうだというのか。殺人罪があっても殺人は減らないのだから、匂いのもとを立つことにはならない気がするのだが。
資源再生ゴミが、住民の無料奉仕で成り立っているというのも、釈然としないと思うのは私だけだろうか。資本主義社会タダのものがあるのか?ものの購入や消費にはこれでもかというほどの「ゴミ」が発生する。これが全部消費者側の責任に帰されることなのか?などとブウタレながら、今日のプラスチック類の資源ゴミごみを、また置き場に運んだ。







2015年1月4日日曜日

サザンが紅白歌合戦で、ちょび髭をつけていたワケ

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12.31産経新聞
 紅白も終盤、サザンオールスターズが特別ゲストとして、31年ぶりに出演することが明らかにされた。中継がつながった先は、サザンが年越しライブを行っていた横浜アリーナ。なぜか、つけひげ姿で登場した桑田佳祐さんは、NHKホールの中居正広さんから会場の雰囲気を尋ねられ、「もうどっちらけなんです」と、冗談めかして語った。
 出演が当日まで明らかにされなかったサプライズ。桑田さんは出演を決めた理由について、「メンバーで還暦超えたやつもいるので、もう一回、チームワークを高めてやってみようか、と。来年は元気に外に出ていこうかな」と語り、会場をわかせていた。
 つけひげを外した桑田さんは、その後、「ピースとハイライト」と「東京VICTORY」の2曲を熱唱。横浜の熱気がNHKホールにも伝わり、年末最後の大舞台をさらに盛り上げた。
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 このニュースのタイトルは「サザン31年ぶり出演 桑田はなぜか、つけひげ姿」だ。
 紅白歌合戦などは見ないのが大みそかの過ごし方。でもこれは多数派だとも言える。視聴率は35%から40%だから、先日の投票率よりもまだ低い。比較するのもどうかということはあるが、見ているだけで、時間がしすぎて行ってしまうのが癪に障る。ところがこのとき、たまたまサザンのでるところを見てしまった。あれなんで付け髭か?おどけでやっているのかとその時思った。いやそのあとの歌を聞いたら、なかなかの歌詞だった。このときのちょび髭と歌詞をめぐって、NET界がにぎやかになっている。NHKが一日二日でサプライズを演出した…とか、前から周到に準備しておくのがNHKスタイルとか、日頃のサザンの歌の「反骨精神」がNHKの軍門に下ったとか。歌詞に政治色が強いなどと。

歌詞(http://www.uta-net.com/movie/150317/)のうち、アドリブで挿入した部分もあったという。
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 「都合のいい大義名分」という歌詞では、「大義名分」を「かいしゃく」と歌った。まるで2014年に起きた「ある出来事」とも符号する。「癒合のいい解釈」で憲法が事実上変更された、とされた出来事だ。
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 ちょび髭は、ヒットラーを演出したものだった。謎が解けた。歌はおろそかにできない。政府やNHKを相手に、「やってくれた」という気がして、年明けを挟んでうれしい話題の飛び交いだった。









2015年1月3日土曜日

ホームページをどうするかが、年越しの問題

大問題とするのは我が身を振り返ってのこと。ホームページの移転(HPアドレス〈URL〉)の変更)は、‘’通常想定すべからざること”だ。〈あそこにいけばそれがある〉は、喧伝する側にとっては必要な要素だろう。一定期間広報につとめたHPアドレスは変えたくはない。このHPアドレスを無料で提供されていたものに、突如として「家賃を払わないものは出ていけ!」とされたのだからたまらない。2月一杯で使えなくなってしまうとの宣告で、やむなく心覚えの提供業者にアクセスしてみた。

有料と無料とがあるのはわかっていた。新しい接続業者はHPスペースそのものを提供していないから、もう金で解決するしか無料のモノを使うかの選択しなければならない。無料で提供するものは、広告スペースがホームページ上にセットされて煩わしいし、有料のモノよりもあれこれのセキュリティなどで「欠陥」もあるだろう。ただ安いわけはない。「簡単な」ホームページしかできないので、見栄えに各段の差が出る。

たかが釣りの会という貧乏世帯なのだから、割り切り方もあるかと無料のスペース使用申し込みをしたら、こちらの連絡の受信メールアドレスがWEBメールでは届かない。たしかに断り書きには、連絡が届かないし電話連絡はできないと書いてある。どうしてそうなっているのかは不明。まったく馬鹿げたことになってしまった。ここでメールソフトをわざわざ買うという選択を採る気はない。

かくして、有料のホームページを使う羽目になってしまった。
そもそも、ホームページの効用が釣りの会に、どれほどあるのかということは、この際は考えないでおく。「交流の用に供する」「人並みの社会での歩き方」程度のことで、ますますの必要性は将来に託する。ないよりはあった方がいいと言い聞かせるのも少々情けない気がするが、取り合えずそこは棚上げにしておく。将来の期間はとりあえず3年として、有料のホームページへ移転することにした。

 ホームページの更新について何かのリアクションがあればそのときは、間違い指摘であってもうれしいものだ。そんなことに追い込まれた年末だったが、日本労釣協HPの移転作業をしながらもうちょっと更新する記事が欲しいよなと、また思った。




2015年1月2日金曜日

たかがメールされどメール

齢をとったら、指一本でも外界と交流ができるのはパソコンが便利ではないかと思ったのが、これに突っ込んだ動機だった。たしかにさまざまな情報を捉えることができるし、キーボードを押すだけで外界とのやりとりが可能だとなると、生きていくには欠かせないグッズかもしれない。(グッズなんて言うか?これも横文字に毒された所以)。しかし、自分の身勝手さもあって、さしたる見通しも持たずに、生半可な使い方でいやはや往生の極み。

メールは、釣りの会の通信を主とするものだから、そこに属さないものは、別のWEBメール(Gメール,Yahooメール、Outlook.com)を使って振り分けている。釣の会の例会に行くときのレンタカーの予約はYahooを連絡先にしておき、HPの連絡先にも使う。Gメールは、農水省のメーリングリスの配信先、配信を依頼したブログの更新通知、パソコンソフト関係の受信先、Outlook.comは水産技術センター、カメラ関係の受信などと振り分けていた。これで何年かやってきていた。

今回は、プロバイダの変更に伴って起きてくるメールアドレスをどうするかの選択が焦点だった。今回だけでなくプロバイダを変えることによって、いままで使っていたメールアドレスの変更を迫られる。どうだろう、メールアドレスは、パソコン通信の主要な「名前」なので、変えたくないと思うのが自然だろう。前回変更の憂き目にあったときはそう思って、使い続けるという選択をした。むろんそれは有料だった。だいたい、通信技術の発展と言うか向上によって、各種のサービス料金が低減するのが当たり前なのに、つまり今までのままでも料金が安くなるという方向が出てくるはずなのに、新たな付加価値を「創造」することで、儲け口を担保するという手法だから、その尻拭いはこちらがすることになる。

それならばと、長年使ってきたメールアドレスを手放して、ほかものに統合することにした。前回のブログで書いた、釣りの会のホームページが有料でないと使えないという憂き目にも腹の虫がおさまらない。たとえわずかなアドレス使用料ももう払わないと、「大きな決断」をするに至った。

 ところがその先にヤマがあった。2000件弱ある引っ越し元のメールを引っ越し先に統合しなければならない。これはこれまでの経験でなんとかできた。しかし、「送信済みメール」が引き継げない。(これはコメントが必要かもしれないが、日常のメールのやり取りを記憶に頼ると、事実の違いがでてくることがある。自分としてはそのことも考慮にいれて残しておきたいという動機に基づく。このことは、企業経営だけにとどまらず、さまざまな組織や団体で有益なことだろう)旧メールの「連絡先」やら「送信、受信」メールを引き出すエクスポートで引き出して、別に保存しておいた。

 受信したメールは新しいアドレスになんとかインポートで引き継ぐことができた。別途エクスポートして保存して置いたファイルは、単純にこのファイル形式が圧縮ファイルということで、解凍ソフトを手に入れないと開かないらしい。それはそれとして、過去のメール内容を確認する必要が生じてから、その時に圧縮ファイル解凍のソフトを手に入ればいいかということにした。





2014年12月30日火曜日

パソコンよりは釣り竿

 28日付でこの題でブログを書こうかとメモっておいたのに、ここにきてプロバイダの変更作業を迫られて、大忙しの年末になってしまった。それは、一本の電話から始まった。「光回線がどうのこうの」という話になると、連れ合いは日常の鼻っ柱のわりには「ダメよダメダメ」とはいかない。「電話よ」と受話器を渡されて、相手の話を聞くパースにはまってしまった。この手の勧誘が、「割引するよ」という手口で、プロバイダを変えさせる常套手段であるのだが、何回かあたってみて、基本料金自体はいくらか下がるようでも新しい付加価値(サービス)をつけられ、それにのると高くつくような実態にある。

実は、つりの会のホームページは、プロバイダが提供する無料のものを利用していたのだが、来年2月に使えなくなってしまうという通知がきていた。後は有料のものを使えと言うわけだ。そのためには、案内もいたしますとの「アフターサービス」もある。しかし料金はありますということだ。
ほかにも無料のものもいくつもあるが、ホームページに広告が割り込んできて、見栄えが悪くなる。無料で使うのだから割り切ってというのも考え方だが、「見栄え」も大事なことではある。(これは、釣りをするならいい竿でということに似る)いままで無料だったものが有料になるということは、関連企業のIT企業の業務を広げてやるということなのだろうか。こんなことがあってのときだったので、つい電話の話が伸びてはいりこんでしまった。「いいことばかりでなく、デメリットも話せ」と要求したら、キチンと説明したのに好感をもてた。

もうひとつ、プロバイダを変えることで問題が出てくるのは、メールアドレスだ。これがプロバイダに帰属しているから、乗り換えの時はメールアドレスだけ使えるサービスが、元のプロバイダにある。当然これも有料で、金額はさしたることはないが、考えてみると「安い料金」として乗り換えを動機づけられたものに、プラスされたものだから、マイナス部分ということになる。これは経験済みだった。月額料金が下がることに加えて、セキュリティソフトが無料であることと、回線の情報スピードが2ギガバイトになるというのが売りだった。それならまあいいかと、のっかることにした。

回線工事とは配線が終わって、パソコンに接続してみると、回線のスピードは「1Gbps」だ。2ギガはないねと電話したら、回線の端末まではきているのだが、その先のパソコンには至っていないという回答。屋外の回線工事もしていたことなので、まあそうかな、自分が持っているパソコンや周辺機器の「バージョンアップ」があったときの話かと、腹立たしくもあったものの、これまでの速度で十分よいと思っていたので、「振り込め詐欺」まがいのことかと相手の女子には寛容に対応した。

メールアドレスは、今回残さずに廃止にすることにした。ほかにアドレスはWEBメールで使っているので、これに乗り換えるようにして作業に入った。これが大変だった。




2014年12月16日火曜日

発光ダイオードの毒性

東北大学が、青色LEDに毒性があると発表した。近所のクリスマス飾りでも使われている。日常浴び続けるということは少ないにしても、安いし電力を使わないということで、万々歳というわけにはいかない。一説によれば、電磁波の影響が、携帯電話と同様に20年くらいなど、長期にわたった場合の危険ということらしい。

「様々な波長のLED光をショウジョウバエのさなぎに当てて、殺虫効果を調査した。その結果、青色光を当てたさなぎは羽化できずに死亡したという。特に440nmと467nmの波長が高い効果を示し、467nmの光は卵、幼虫、成虫に対しても殺虫効果を発揮したという。

また、蚊のさなぎに対しては417nmの青色光に効果が認められたほか、小麦粉の害虫であるヒラタコクヌストモドキのさなぎに対しては非常に高い殺虫効果が確認された。

同研究グループは光が昆虫の内部組織に吸収され、活性酸素が生じ、細胞や組織が傷害を受けるため死亡すると推測しており、種によって異なる波長が効果を発揮することから、さまざまな害虫に適用できるクリーンな殺虫技術の開発につながる可能性」

青色LEDの光に殺虫効果 - 東北大が発表



 「殺虫剤技術の開発」までのこととなれば、その先化学兵器にも転用しようという「輩」も出てこないだろうか。ちょっと危険。これも公害の種にならなければいいと思うが、こういうことが分かっているならキチンと対応をしておくべきこと。


 クリスマスがやってくる時期に、発光ダイオードを使ったデコレーションが目立つ。技術開発の成果ばかりを見て、マイナーなところを無視するわけにはいかないだろう。加えてLEDだからエネルギーの削減効果が高いとしても、信号機のように既存のものには経済効果があるが、新しい需要をつぎつぎと増やしたのではつじつまが合わない。





2014年12月12日金曜日

JTBが、公~党の支援要請をした。企業経営にも批判が…。

JTBは今回の選挙にあたって、社員に特定政党の協力依頼をした。
〈国内研修会をはじめとした各種需要を頂戴している創価学会様より、支援政党である公明党への支援要請がJTBグループにあり、営業政策上の観点から各事業会社においても可能な範囲での協力を求められております〉〈公明党の政治活動を支援します〉とした用紙への署名集めを、太田昭宏国交相と前職の上田勇氏がそれぞれ出馬した東京12区と神奈川6区の居住者には各候補の支援者名簿を作るための署名集めを社員に要請したとのことだ。
 創価学会が大口顧客だからということもあるらしいが、JTBと言えば誰も知っている公共性の高い企業。企業組織を通じて投票行為を誘導するのは許されない。当然内部からも批判が起きている。

JTBがグループ社員に送った「創価学会様に選挙協力」メール



JTBは旅の時によく利用しているので、抗議の意味で書いたが、「Facebookのページ」は企業宣伝のためにつくってあり、その評判にかかわるコメントを書き込めることになっている。星印がいくつかで評価したうえで書き込みができる。星を一つつけて書き込み「権利」を得たうえで、「今回の選挙で、特定の政党に『協力』の指示をされたとか。一企業が選挙で特定の政党に誘導をすることは、あってはならにことだと思います。たびたび利用させてもらっていますが、今後は再考させてもらいます。」と。

ところが、そこに書かれている他のコメントを読んでみるとちょっと驚きの書き込みがあった。

JTBさん、営業マン最悪です。
ノルマが利益ベースだからか知りませんが、利益追いすぎ。
二度と一緒に仕事したくありません。
責任感無さすぎです。
星つけないと、投稿できないみたいなので、1つにしましたけど、ハッキリ言って、マイナスです。

□11月16日、午前10時頃、私は、太魯閣渓谷・燕子口で信じられない光景に出くわした。
太魯閣渓谷の燕子口はヘルメット着用が義務付けられている。写真の右側の団体客は日本のJTBのお客様。皆さんご高齢の方だ。見て頂いても判るように、誰一人としてヘルメットを着用していない。
 
 手前の休憩所であるお客様が添乗員に、「ヘルメット着けなくてもいいのですか?」と聞くと、日本人女性添乗員は、「着けたい人だけ着ければいいんです」と答えているのを私ははっきりと聞いたぞ。燕子口は頻繁に小さい落石が発生している。昨年は死亡事故も発生している。驚くのはこれだけではない。このお客様をバスから降ろした場所が、昨年の死亡事故発生の現場。そこでバスから下車させ、(バスの写真がそれです)その場でのんきに写真撮影をさせている。信じられない光景だ。日本人添乗員も、台湾側ガイドも、お客様の命を何と考えているのか。

 日本人添乗員の意識の低さと、台湾ガイドの無責任さだ。
彼らの行程は午前中に太魯閣渓谷を巡り、昼前には、大理石工場へ行き、同じ場所で、昼ごはん、阿美族のダンス鑑賞、そして、同じ場所でのお土産屋というコース。故に、時間節約のために、ヘルメットを借りる事をしなかったのだろう。日本を代表する大手旅行会社がこのような事をしていいのか!!!
この日、ヘルメットを着用していなかったのは、この団体だけだった。
すぐに、JTB台湾へ本件を報告したところ、以下のメールが返ってきた。

「……様
お世話になっております。JTB台湾でございます。
ご意見を真摯に受け止めまして、改善に努めて参ります。
ご指摘を頂きまして、誠にありがとうございました。
JTB
台湾」

うーん、これが精いっぱいなんですかねえ。日本の企業ってどうしてこうなんでしょうね。正直、私はこの返事を見て、ガッカリでした。マニュエル対応もここまでくると誠意も反省もみえませんね。




2014年12月10日水曜日

写真編集ソフトでの出来栄え

 たまった写真ファイルの整理と、編集が進んできた。デジタル写真ファイルを編集ソフトで調整して仕立て上げる。つまり見栄え良く整える。自分で撮ったときの明るさなりコントラストなりを表現するのに、ソフトをつかってより「現実」と「感動」に磨きをかけるということになる。しかし、テレビドラマのように原作を大きく脚色してしまって、内容を「激変」させてしまうというようなことまでしてしまうと、最初の「持ち味」がなくなってしまうことにもつながりかねない。
 
 そこは、撮った写真のトリミングはしないというのが一つのあり方として教えられたこともあるし、邪魔な電信柱が入っているのを、編集ソフトで消してしまうとなれば、それは撮ったものの事実とはちがったものになる。そんなことはしないのが流儀となっている。そういう使い方をする分野もあるわけだが、写真のあり方として自分としては、なるべく変えない最小限の脚色をするという、教えられたやり方を好む。せっかくこれはと思って感動して撮ったものなのだから、その範囲を逸脱してしまっては腕前をあげることにもつながらないだろうと思う。

 
 だから、元写真に少々の明るさやちょっぴりのコントラストと明瞭度をくわえることで、現実に近いものに調整する。習い進むに連れてその編集の出来栄えがだんだん良くなってくる。苦労した甲斐ありと自己満足を感じながら、出来上がったものの「完成度」をどんなものか考える。だけれども自分の評価だけでは決まらない。そこが悩ましいところ。