2015年12月13日日曜日

「共生」で、なぜか旅めくこのごろ。針江 生水の郷へ。

「共生」のキーワードが気になって、自然と共存している気がかりなところに行くことになった。琵琶湖の「川端(カバタ)」だ。11年前にNHKで放映されて、それからずっと気になっていて、いつかは行きたいものと思っていた。「写真屋」としては、自然との共存といういま時は貴重な存在を、ちょっと覗いてみたいと。
先日娘に話したら「行ってみる」という、うれしい返事で、旅行業者に駆け込んで新幹線と宿泊にレンタカーを予約した。NETを検索しまくって情報を探り出したら、地元で案内のボランティアがあるというのが分かった。電話をかけて予約を入れてみると、上手い具合に予約できた。

「川端」と書く各戸にある炊事場が、琵琶湖の周囲にめぐる湧き水を利用している。それが母屋だったり別棟、屋外だったりするが、琵琶湖から掘り出された弥生時代の遺跡からもその形ができているということで、歴史的な時間を経て繋がれていることなのだということだった。24メートルも掘ると水脈にあたるのだと言う。他の池や水路などでも湧き出しているところが見られたので、多くの水が豊かに流れているという印象だった。

NHKの放映のときはその水瓶にはヨシノボリなどの小魚が入り込んでいるようすもあったが、現在はどこでも鯉が幅を利かせている様子だった。NETの地図でわかるのだが、確かに琵琶湖には小さな川がいくつも流れ込んでいるから、豊富な水がわき出ているということだろう。湧水は「川端」に引かれ、壺池に溜まる。壺池からでた水は端池に流れていくが、端池では食器などを漬けておくと、食べ物の屑を淡水魚が全て食べてしまう。水はまた出て小川にでる。小川にはバイカモやほかの水草が一面に生えていて、汚れないように配慮しており、洗剤も無害なものを特注して使っているという話だった。

水路や針江大川には、コイ、オイカワ、タナゴ、ヨシノボリ、サワガニ、カワエビなどが生息しているし、アユも上ってくるということで、人間が棲んでいる環境に、ごく近しい関係の生態系が出来上がっている。日常の「常識」からは信じられないようなことだ。
「針江、生水(しょうず)の郷」という呼び名は、壺池に入る水を生水と呼んでいるのが元らしい。2004年にNHKが放映するまでは(正確には写真家今森光彦氏の指揮でNHKが製作した)、川端も現在ほどの保全は図られずに、上水道も使用していたらしい。家の周りも汚れがあったのだが、放映効果で人が大量に押し掛けたり、家に立ち入られたりということがあった。しかしそこから、案内ボランティアを発想したり、上水道を止めて川端の貴重さを見直していったり、小川の清掃を年に何回もやったりして、針江が「進化」をとげてきたとのことだった。




















2015年12月6日日曜日

被害者は己のみの危ない話

先日墓参りに行くとき、新幹線の出発時間を間違えた。幸いにも時間前のほうに間違えたので、支障はなかったのだが危ない話だった。危ない話は、新幹線に限ってもいくつかある。ホームは間違えなかったが、同じホームから出る行く先の違う列車に乗ってしまった。そのときも早めにホームに着いたが、うっかり一本前に乗ってしまったのだ。山形へ行くのに東北新幹線に乗ったのだから、かなり方角が違った。仙台まで連れて行かれたのだから、結局福島まで戻った。

遅くなった方もある。午後出発の時間で、その日は写真メンバーと新宿で飲んでいた。ついつい話が弾んで、見込んでいた所要時間が足りなくて、新幹線ホームに昇るエレベーターが、あと数メートルのところで、間に合わず冷たく出発されてしまった。

これも頭の働きによるものなんだろうと、半ば折り合いをつけなくてはならない。「アクセルとブレーキの踏み間違いの事故」などのニュースで聞くと、人ごとでないことを実感する。行動の結論のために導くべき工程に時間がかかるし、その経路がぼやけるといった感じだ。しかし、元気なうちにやりたいことを、後悔しないようにやることも対策の一つには違いないから、頑張る以外はないと屁理屈をつけて出かける。


東京駅で一時間早かった分を、丸の内で写真を撮ることにした。街で撮るのは久しぶりだったから、新鮮な気分で気持ちが良かった。丸の内を歩く人も様々で、出逢う人がなにをしているのか、どこへ行くのかを想像しながら歩くのも面白かった。ライトアップを待つ木が、小さなライトをたくさん身にまとわされて、少々気の毒な様子だった。もう、12月なのだ。











2015年12月3日木曜日

「共に生きるのは」の範疇を考えて

 「共に生きる」ことは人間社会(あえて自然と区分する意味で)のこととして考えることが一般的なのかもしれません。そうなら人類の共生ということになるのでしょうか?共生は生き物全体の有様として、どこにもあることだと考えることができますから、「共に生きる」のは人の社会に限らないことのように思えます。

 ちょうど、地球温暖化の問題でCOP21が開催されます。このおり気候変動を巡って議論が高まっています。地球温暖化の状況はそれ自体から紛争を生み出すこと(シリアの干ばつ)や、エルニーニョ現象の時には内戦がおこる可能性は二倍になるとう説も出されています。(「気候変動が紛争を増大させる」世界11月号)アメリカのホワイトハウスのHPで「温暖化は、特に子供、老人、病人、低所得者、そしていくつかの有色人種のコミュニティに属するような脆弱な人々に大きな被害を与える」とハリケーン・カトリーナの被害者を分析(同12月号)して、警鐘を鳴らしています。気候変動こそ最大の安全保障であるとの主張も出されています(エマニュエル・パストリッチ「同12月号」)。

 これらは雑誌「世界」のテーマが温暖化を取り上げているので、ここからの引き合いですが、「戦争は偉大なる汚染です。温暖化で地球が滅びるというてるときに、もう戦争なんてする余裕はないんです。 米谷ふみ子」(同11月号)も含蓄ある言葉として感心しました。

戦争法をめぐって、目の前にある大きなテーマは流行語大賞にも選ばれる状況ですが、温暖化の問題は環境破壊への対策=自然との共生をクローズアップさせているように思います。

 環境破壊は、高度成長期にとりわけ大問題になって以後「公害反対運動」がきっかけで、企業責任が問われることになり、改善の方向はでてきました。いまや、中国の大気汚染を「笑う」までになりました。しかし問題は、経済成長政策によって日本中の環境破壊が引き続いてすすめられたことです。海と言わず川と言わず、山と言わず再開発に貢献させてきたのですから、環境改変は日常茶飯事ごとのように仕向けられてしまいました。佐渡のトキ繁殖のために、田んぼに「水田魚道」を設置して、ドジョウを育てる、川辺川の荒瀬ダムを壊してもとの川に戻すなど、ごくごく一部には自然回帰の手が打たれるのみで、400キロの防潮堤のように地元の意向には耳を傾けることのない基本的な構えで、それこそ「自然との共生」が損なわれることがすすめられています。

 経済の成長に気を取られて失っているものがとても大きいとことは言うまでことです。都市開発でさえそうですが、日本の「もの」の創造は破壊から始まっている、あるいは破壊を伴っています。で、その延長線上に「戦争」という最大の破壊行為が待っていると思うのです。かつて東京改造論がぶちあげられたとき、「地震待望論」まで考えているということが言われていました。阪神淡路大震災のときは、これ幸いと市民の意向を無視した都市建設がねらわれました。「破壊」は最大の市場になり、しかも開発参加者には取り壊し費用のない、低廉な土地取得ですから、願ったりの事態という頭になるのでしょう。どこかの国が破壊されることも、金儲けで行けばOKなわけですから、人類最後の最悪の選択へと落とし込められているわけです。

 共生は人と人との関係のみならず、人も含めた自然界全体を視野に入れることが合理的ではないのかと思います。自然は物を言わず、黙ってリバウンドを仕掛けてくれます。黙っている部分を人類の側が思いやり、変わって手を打つ必要に迫られている時だと感じます。埋め立てで失った自然を取り戻すために、千葉県検見川の人工海浜に入れていた砂は、何べんも潮流に流されてついに断念せざるを得なくなり、お台場海浜公園は大腸菌対策のためにカキ礁を使うなど、「海の神」がいればきっと笑われているに違いないことを、我が社会が繰り返しているわけです。冷静な知見も人間が持っている能力なのですから、これを活かしていきたいものと、恐れながら考えたりしています。



2015年11月27日金曜日

パソコン・スマホの効果&妖怪性

 スマホは悪くないと、絶対使うものかと気張っていたものの、遊
び心も手伝って利用していると、面白いことによくでくわす。

 使ってみるかとの誘いに乗って、料金がどのくらいかというのが第一の問題で、セールスの青年に聞くと「このくらいで使えるか」との金額にみごとに応えてくれた。この見事さには裏がありそうで、かの青年はITとは全く関係のない事業をしている従業者なのだが、会社の「裏稼業」としてセールスをしているようだった。それこそ客の都合に合わせて夜昼なく飛び回って、超過勤務手当も支給されていないような有様とのことだった。スマートフォンの器具からして、相当高額なものだし契約料金もあれやこれやの要望をつけようものなら大変な金額になっていく。しかし「2年割引」だのキャッシュバックだのと、パソコンのプロバイダ変更と同じようにいくつかのサービスをつけても、使用料金から取り戻せるということだ。

 販売を他会社に託しても儲かる仕掛けだし、IT関係そのものの技術の発展も相当なものだから、総体的には価格は相当下がっているとみていいのだろう。さすがにこの過当競争並みのやり方に、批判が起きてくるのは当然だ。少々の使い方ならパソコンソフトの動作から類推もできるから、使うに当たっての心配はそんなになかった。

 とはいえ、知らないアプリケーションはいくらでもあるし、遊びながら扱っていると「こんなものがあったんだ」と後から気が付くものが出てくる。どこかで設定したのだが、自分の歩き回った記録がされている。当然止めてもいいのだが、‘あの日はどこに行ったのか’の確認ができるのが面白い。頭への刺激として遊ばしてもらう道具でもある。前頭葉の活性化にもうってつけだ。ただ、こういう情報を「覗かれる」ご時世にもなってきたから、それを思うと気持ちが悪い。濡れ衣を着せられたときアリバイの証明にはなるかもしれないが。


「立ち回り先」が記録される。スマホで撮った写真も。







2015年11月18日水曜日

来年また写真展の計画が決まった

 夏にやった写真展のグループで、また来年の夏に展示会をやろうということになった。今年やった展示会に向けての準備過程で、自分にしてみれば写真をもっと良いものにしたいという反省を迫られ、自覚させられたものだから、もう一度やる目標を立てることは悪いことではない。打ち合わせの一回目で諸所の体制を相談した。分担も一人に集中してしまった前回の反省も踏まえて、分担できた。

 相談事が終わったあとは、例によって茶話会ならぬ酒話会が始まる。写真という共通の話題で、それはそれは盛り上がる。自分が撮った写真の「これがいい」と思ったものでも、合評会ではヒョイと簡単に取り下げられたり…といった話がツマミに加わって宴席が盛り上がっていく。自己流の見方だけでは写真の善し悪し絶対に決められないというあたりは、いつも次の過程へのステップになる。もっとも面白いのは、「この次の写真展では何を出そうかな」という話で、出したいという写真が当面は浮かんでないことだ。プロになれば、出すチャンスを捜してでも自分の撮った写真を押し出していくのではないか。そこは想像でしかないが、私など素人に毛が生えた程度のものは、たくさん撮った写真群のうち、展示会に出品するものを選び出す作業工程自体が面白いうということなのだ。

 思ったものが出来上がる、造り上げるという人間がもっている特性を謳歌するっていうことは文化なのかな。人を貶めたり、殺し合ったり奪ったりするというバカげた文化とは雲泥の差だ。どんな写真を撮るかどこを切り取るかは、また悩ましく面白いところで、「プロ」写真家の展示会や出版した写真集をみて参考にするが、人と違うところを捜して、あるいは新しい着想で撮ろうと頭を使う。この点も宴席での話は参考になってくる。うん、良いのが撮れたと満足感を手に入れ、これがまたあとから惨めな結果を生むことが往々にしてある。こんな繰り返しだ。ああでもないこうでもないと頭をめぐらすことは頭脳にとっていいことに違いない。ここのところ、雨が降っても撮るという実践に真面目に取り組んでみた。これも新しい分野になるのかという下心も当然あった。でも天気が曇りであれ嵐であれそんなときでも、写真を撮っている人はたくさんいることはすぐに分かった。







2015年11月14日土曜日

蜘蛛たちの働きと共存

ハエトリグモと同居している。どこからか部屋に入ってきてヒョイヒョイと歩き回っている。ハエトリグモは子供のころ学校の便所の窓でよく見た。蜘蛛のスタイルは決して可愛い恰好はしていないかが、ハエを採るから悪者でないとどこかで聞いていた。ピョンとハエにとびかかっていくシーンを何回か見て、悪いやつではないと思えば、少々親しみを感じる。動きはそう早くないが、外に出してやろうと紙を差し出すと、上手い具合に逃げ回る。間違いなく外へだしても、次のハエトリグモが部屋を歩いている、まさか部屋の中で繁殖しているわけでもないだろうが、わが部屋は暖かい時期には基本的に網戸をしめているから、外に自動的に出ていけないとう不自由さもあるのかもしれない。したがって、あえて追いかけまわすのはやめて、共生の道を歩むことになってしまった。でも、踏みつぶしたりしてはならないから、見つけてはホイホイと圧力をかけて、窓際にいくように誘う。このハエトリグモの行く末がちょっと気になって、ネット検索してみたら、なんとゴキブリの子供を好んで餌にしているらしい。そういえば最近ゴキブリを見ないのがこいつのせい?なんて考えてしまった。でも詳しくはわからないが、そのハエトリグモの生き方には共感と賞賛ができる。

 蜘蛛との仲は渓流釣りのときもある。夏、渓流に入っていくと女郎蜘蛛の巣に阻まれる。もちろん彼らは阻むつもりではないだろうが、網にかかる「虫とり」は「魚とり」よりも優先権がある。渓流の不安定な足元を気にしていると、虫と同様に顔が網にかかってしまうことがよくある。竿を伸ばして仕掛けをポイントに振り込もうとすると、妙に仕掛けが途中で止まることもある。あちらさんの営業妨害をやらかしてしまうわけだ。渓流釣りは先行者がいないことが100%に近いほどの条件であり、川筋の泥砂に足跡でもあれば、一変に身の不幸を嘆くことになる。蜘蛛の巣がそれを教えてくれる。人が入っていないことが一目でわかる。ウンしめたとそういう時はうれしくなる。ところが往々にして、それでも魚がかからないことが多いように感じる。なぜか?渓流魚は、木々から落ちる虫や時によっては、飛んでいる虫にも飛びついてエサ取りをする。もしかして、蜘蛛が巣を張る狙いと競合しているのかもしれない。だから魚が避けてそこにはいないーのかどうかはわからない。





2015年11月12日木曜日

花梨もらって忘れた帽子

 山梨県の早川に行った112日に、昼食で入ったそば屋さんは早川から下って南にある身延山の入り口にある、こぢんまりとしたお店で喫茶店を兼ねたようなところだった。娘がスマホで検索をして見つけたのだが、また早川に戻るつもりだったので、比較的近くだったし早川沿いでは食事をできるところが、ごく少なかったから、ついでに身延山の紅葉を眺めに山門まで行き、雨の中ゆえ車を降りることを止めて、くるりと回って坂を下った。下りきったところにそのそば屋さんがあった。

 入れ違いで二人が出て行った他には客もいなくて、二人で蕎麦と田楽を食べて外に出た。店の入り口に花梨が置いてあり、自由にお持ちくださいと断り書きがある。見た瞬間、たしか去年は山葡萄で果実酒を作ったことを思い出し、今年はこれでいこうと、遠慮なくいただいて帰ることにした。

 娘の案により一泊し早川沿いを走り、青空に映えてきた紅葉を眺めて紅葉を楽しみながら回った。昼過ぎには家に戻りたかったので、撮影も早めに切り上げることにした。

 帰路途中で帽子が見当たらないことにふと気が付いた。例のごとく道の駅で野菜を仕入れながら、車内を捜したが見つからない。あれこれ考えるうち、昨日のそば屋さんに忘れたのではないかということになって、まあ戻ると逆方向なので後で電話をかけて聞こうかということにした。

 後日、蕎麦屋さんの名前を娘が調べてくれて、電話をしてみると「あります。取ってありますよ」との返事だった。着払いで送ってもらうようにお願いして一件落着したが、戻ってきた帽子に「ご来店ありがとうございました」とメモ書きが付いていた。実は先日五日市の秋川に行ったときにも「帽子忘れ」をして、取りに行ったのだったが、店の人が「あったよ」「ないよ」とやり取りをしていて、結局は探してでてきたのだが、事を荒立てたような気分ですっきりしなかった。そんな経験をしていたので、今回はそれに比べてすっと解決してよかった。それにしても帽子忘れを2回続け、3回目もあるかと思うと…。今度帽子は二つ持っていくかなと娘に言ったら「二つとも忘れたりして…」と言う。貰ってきた花梨は、昨年の残りの角砂糖と35%のホワイトリカーで、無事焼酎漬けとなった。



2015年11月7日土曜日

紅葉と雨と温泉

 娘に付き合ってもらって、1016日に山梨県の早川に写真を撮りに行ったとき、コメの取り入れをしている小父さんが、早川の紅葉はいいよと誇らしげに話していた。娘と、それなら紅葉の時に行ってみようという話になって、112日の都合がいいということで出かけることになった。これも写真を撮るのが目的ではあるが、温泉に入るのももう一つの楽しみということで、娘とデートの運びとなった。

 しかしなんとこの折が、バッチリと雨という予報で、まあ少々の雨なら仕方がないと、雨予報が少しでもズレでくれることを祈りながらの出陣だった。写真撮りも少々の雨なら、そのくらいの備えはある。釣り用の「編み笠」をこの新調した。60センチ程度の直径がある大きさがあるので、カメラを構えてもちょっとくらいの雨ならいける。だがしかし、天はその備えを超える降り模様。考えたあげく、車の中から撮ろうという発想にたどり着いた。

 このアイディアにもかかわらず、天は驚きもせず一向に雨脚を止める気配がない。申し訳程度に小降りになった瞬間を見計らって、紅葉の早川をカメラに納められたのは幸いだった。カメラマンとしては、雨でもヤリでもと現場主義の構えでいくと心に収めているが、この紅葉を晴れの瞬間に見なくて何になると娘が煽った。

 そりゃそうだと思いつつも、いや翌日は写真のゼミがあったと迷った。昼過ぎには帰ることができそうというもくろみ成り立ちそうで、衆議一決で泊まることに決定した。温泉に入ろうと前回と待った温泉宿で、空きはないかと尋ねたところ、予約で一杯だと言われ、それではと風呂に入る前にスマホを駆使して早川周辺をあたったところが、いずこもダメ。ああ、紅葉シーズンだからとやっと思い知らされた次第。結局早川からはずっと離れたところにあるビジネスホテルということになった。

 翌日、朝方は雲が残っていたが、どんどん天気が良くなってゆき、黄色と赤の紅葉の切り取りができた。雨模様と晴れた合間の紅葉狩りは、普通ではできない贅沢なものになった。蕎麦屋さんに帽子を忘れた以外は、満足の日程延長だった。


















2015年10月30日金曜日

これが一週間の仕事です♬

 ブログの更新の時間が一週間程空くようになった。基本的には体力の問題だろう。毎日更新はなかなかできないし、ブログをちゃんとしたものにしたいという負荷がかかるのだから、知恵の吸収が悪かったものにとってはあたりまえのことと開き直る以外はない。物事がわかってくるに従って、認識が正確でなかったことを悔いることが多くなる。どうあろうと、日記代わりに書き込むことが、決して大仰ではない己のポイントくらいにはなるか、という程度のことではある。そして脳の活性化に役立つのかなという軽いノリで「書いたよ」との自己満足を手に入れようというわけだ。

人間どこにいてもグータラに過ごすことができれば、これ以上の贅沢はないと思うのだが、なにか最近は「贅沢」というワードも聞こえにくく、そのままではいさせてくれない。なにせ、消費が停滞しようとするばっかりの手しかうてないし、無理やり消費を伸ばそうとしての売り込みなのだから、手元現金のない者にとっては「詐欺の被害」に合わぬように防戦に努める以外にない。もっと端的に言えば、税金類は十二分に払っていながら好き勝手に使われているようだし、事業者の自主性にまかせて甘やかし、その「良心」に依存するシステムはもう見切りをつけるべきだと思うのだが、毎日のニュースはごめんなさいの洪水だ。閣僚の記者会見は、官僚の書いた原稿で格好をつけるだけで、キチンとした対応ができる仕掛けにはない。だから、ホンワカとした佇まいでは今の時勢には合わない。戦争法は?沖縄は?と、SNSを見ては、ため息と歯ぎしりがでてくる。

で、一週間前には岩手の仙人のところで数日過ごして、食事の少々のまかないをして過ごした。余った時間を網張温泉やら葛根田川の上流へと向い、カメラを携えて紅葉三昧に浸らせてもらった。写真の心得はあるものとの増長が、このところのゼミやら写真展を通じてはっきりしてきて、その修復をこの時に自習することになった。シャッタースピード、絞りの超原則を確かめながらフィルターを使うことまで組み入れて、三脚使用のセルフタイマーと、普通の写真家には当たり前のしぐさを、懸命にこなした。なにかあれもこれもじっとしていられないことに囲まれて、責め立てられているような気分だ。













2015年10月24日土曜日

食べるのか食べないのかが悩ましい

 岩手の親父のところへ行って逗留する。その間従妹が山形へ行って免許証の書き換えをすることになっていた。おやじは最近おかずをあまり食べなくなっていて、なんでも箸をちょっとつけるだけだ。もともと好き嫌いがあるのかもしれないが、漬物と肉類とご飯だけは食べる。釣りが好きだったのに魚をあまり食べない。今はシャケの切り身くらいだ。

 二人きりで食事をすると、従妹が用意していってくれたものは、なんとなく自分が多めに食べてしまう。食べ物は残してはならないという教育とアルコールによる食欲増進が、そうさせる。半端になったものは捨てるわけにもいかない。自分とて自宅ならば、食べたいだけ食べると言う我儘が多少は可能だし、口に入る量は多くは必要なくなってきていることもたしか。

 連れ合いが懸命に作ったものを、年寄りはほんの少しの食欲しかないものだから、口になかなか運べない。だから穏やかでなくなるのもわかる。我が身も、塩分だの、いやその前にアルコールだのカロリーだのを、控えめにというダイエットの圧力が立ちはだかっているのだから、なるべくは口に入れないようにと、闘いを避けることはできない。

 食だけで軋轢が起きてくるなど馬鹿なことだが、毎日のことゆえなにか折り合いをつける方法を捜さなくてはならない。従妹が山形から戻ってきて、土産に親父の好きな「納豆餅」を購入してきてくれた。ところが、歯が抜けていて食べたいが食べられないという。歯の詰め物が取れてしまったり、抜けたりするのもしょっちゅうだ。こういう状態も食べることの障害になっているというわけだ。おかげで、自分も好きな納豆餅を余分に食べることになった。うれしさ半分というところだ。餅は旨かったけれども。従妹が少々太目になった事情がこれでわかった。










2015年10月16日金曜日

早川を撮りに行く

 山梨県の早川は、20082月に家族で旅行に行ったところだ。そのときの川の様子が異様に思えて、カメラのシャッターを押しまくった。川をないがしろというか、自然の摂理を無視して都市開発の資源にしてしまう行為が、もう反省を迫られているときに、「川をいじって砂を採る」という現状を見たのが、そのときショックだった。しかし川から砂を採るという事業は法規制を受けているはずなのに、こうしたことがあるのは、なにかの「脱法行為」でできていたのかと思っていた。

 今回はその場所をもう一度徹底して撮ってみようと、娘に運転を頼んで出かけたのだった。ところが、最初に目当てにした橋が見つからない。忘れてしまったものかと、車から降りて橋を眺めるが形が全然違ったものになっているし、増水で削られたと思しきむき出しになっていた橋げたがない。記憶していた場所を間違えてしまったのかと思ったが、翌日になって橋は建て替えられたのだと解った。7年前のあの有様では、さもあらんと妙に納得した。

 川に沿ってずっと写真を撮りながら走ったが、ほとんど砂利河原になっているところで、砂と小砂利をショベルカーがいじっているのが、7年前とほぼ同じようだった。河岸の事業所も全く同じ風に、3か所とも稼働している様子だった。ネットで一つの事業者を検索してみたら、河川管理の構築物を造る会社だった。砂防ダムの工事もすると記してある。道路はひっきりなしにトラックが行き来していて、砂か砂利を移動させているのが、どこに運んでいるのかはわからない。何か所も、山が崩れて川に土砂が流れ込んでいる様子は見えた。したがって豪雨が増えている昨今では輪をかけた状態なのだろう。

 「土砂を運び出して…」という理解はちょっと実態は違うかもしれないと、今回の旅で思った。上流部の雨畑ダムは、ほぼダム湖に土砂が流れ込んで、貯水量は相当少ないものと思われた。ダムに依って下流部に供給されるべき土砂がせき止められているのだから、その影響は下流部の川底を削っているという関係はあることと考えられる。なんのために、川の砂利をいじっているのかはもうちょっと調べてみないとわからない。

2008年2月架け替え前の橋

 2008年2月

2015年10月
2015年10月



2015年10月10日土曜日

Windows10との付き合いはもう少し先

 Windows10を導入しろとタスクバーにサインが居座っていて、消すことができない。「入手、予約、アクセス、詳細確認」のいずれかを選択しろと勧誘している。Windows7を使用していから何年もたっていないし、使い慣れたソフトもたくさん導入しているから、新しいものへアップグレードすると使えなくなるソフトがいくつも出てくる。それを買い替えなくてはならないものもあるだろう。ソフトもいくつかを除いてはそんなに使用頻度は高くない。懐の経済には素直に反応するわけにはいかない。それを見越してか、タダで導入ということでちょっと気を引く。新しいものへのバージョンアップは特に、「欠陥」を前提に開発されるのが普通になっている。もっとも、良心的に思えば、不具合を指摘させて改良に結びつけるのだから、発展方向には違いない。

ボーイング787の充電池の欠陥や車の欠陥のように、事故が表面化してから修正に着手するのは普通のことになっている。解釈によっては実験させられて、その不具合を改良するということに利用される。ただのパソコンアソビなら、スマートフォンのように直接命の危険に結びつくことはまずないが、製作者側の足りない部分を埋め合わせる手先になるようで、どうもしっくりしない。原発事故であからさまになった「安全神話」のようなものが、そこにでも介在しているのではないか、ほんとうに努力をつくしたのかもハテナ印をつけたくなる。

もっともだからこその無料バージョンアップなのだろうけど、シロウト方面としては、修正バージョンが出てから導入した方がいいということらしい。不具合を修正した「サービスパック1とか2」とかというものが出てくるのだろう。現在でもバージョンアップの結果いろいろな問題がでてきているらしい。もう少し待つのがいいと言われている。万全に重きを置くなら、パソコンそのものの取り換えを展望した方がいいのかという気もする。パソコンは寿命があるし、他のもののように「使わなければ新しいもののまま」というものではない。古いものを後で使い始めると、浦島太郎のように現実にきょろきょろしてしまうようになるのだろう。やっぱり消費財なのだ。

Windows9がどうして抜けているのかというのは噂の限りで、メーカの発表がないのでわからない。結局のところただ製品名として使われたというところらしい。「Windows100」でも「1000」でもよかったのだろう。








2015年10月6日火曜日

いい写真撮り目指して、肘折温泉

 10日も寝転がっていたわけではないのに、時は容赦なく過ぎていく。写真の「夏コンテスト」に応募したところ、まあ、箸にも棒にもという感じでショックを受けた。まあ本筋から離れていたものだから、いっそう自己流の撮り方になってしまっていたのだろう。自己流から抜け出すのは、わかっていてもなかなか難しいもの。他人の評価があってこそ振り返ることができるので、なんのこれしきといきたいところだ。

 こき下ろされて、確かに自分には足りないところが歴然と見えてきてはいるが、そこには越えがたいハードルもある。それは長い間頭の中で反復していたことだ。いまさらながら、そこに立ち入っていかなければならないとなると、ややきつい趣もある。先もそう長くないことだが、頑張る以外はないだろう。

 山形に行って撮ったものは、まだ肘折温泉でのものがあるが、これも「評価替え」にあたって、特にこれといったものはないが、いくつか残っている。
















2015年9月24日木曜日

未体験の大きい、共感できたということかな

人生でも稀な経験だった。分かり合って共鳴するという、しかもその大きさは測れぬくらいのものだった。人々の力の結集ってすごいものだ。このエネルギーが日本を変えていくことになるだろうと思う。どう考えても戦争法が正当性のあるものという道理は存在しない。これから先、「自分の頭で考え行動する」というアグレッシブな行動の積み重ねがある限り、廃れることはないのだろうと思う。一票一票の積み重ねが政治を決めるという一見道理のあることが、民主主義としてはそれだけでは全く不十分で、政治に対しての意見表明をすることが必要不可欠ということを実証してくれた。

欧米ではそんなことは当たり前ということなのに、ようやくそこに追いついたということだ。正確に言えば政府の政策推進に対しての意見表明はこれまでもなかったわけではない。見事にとは言いたくないが、NHKをはじめとするマスコミが、政府の意向に沿って抑え込んできた。それがNETの活発な発信に沿って報道しなくてはならないことに追い込まれたといっていいだろう。この間の報道も腹に据えかねるほどの、報道ぶりだった。最終盤にはそれなりに旗幟鮮明にした新聞の報道も出てきた。そこまで大きな動きになってからか?と恨みつらみも言いたいところだ。

参議院特別委員会のNHK実況放送はどうみても、採決の事実が読み取れず速記録記載もない「戦争法可決」劇だった。採決シナリオを、決まったものとして扱かっていく。これじゃあ、お盆前のお化けじゃないか。足もみえない幽霊を、隠し通してか無視してか知らないが、随分と安っぽい議会にしてしまったものだ。その後の報道がまたひどい。ネトウヨの薄汚れた攻撃を大問題のごときに取り上げる。「自分の頭で考える」という見識をぜひとも差し上げたいところだ。諸外国からはお笑いの種になったのではないか。
しかし、もう駄目ですよ。「三日で忘れる」といわれた恨みは忘れられないでしょう。皆そう思っている。

「採決」の後、国会議事堂前で歌われていたのは「勝利をわれらに」だった。
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 勝利を我らに」(We shall overcome)は賛美歌第二編164番を編曲して新しい歌詞を付けたもので、一種の替え歌です。アメリカの赤狩りの時代にピート・シーガーが行ったワールド・ツアーで歌われ世界中に紹介されました。この歌を歌った最も有名なものはジョーン・バエズによるカバーで、1963828日のワシントン大行進で歌われたことで公民権運動を象徴する歌となりました。邦題の「勝利を我らに」は賛美歌第二編164番の「勝利を望み勇みて進まん」の歌詞や公民権運動を意識して付けられたのだと思います。確かに公民権法の成立はひとつの勝利であり、この法律によって公民権運動が完結したと思った人も多くいました。しかし法律の制定は人種差別を排除する法的な基盤ができただけで、その根底にあった人々や社会の偏見・差別意識を一掃するものではなく、本当の運動の出発点であったのです。ですから、この歌の題名は短絡的な運動の勝利ではなく、「We shall overcome」私たちは乗り越える(克服す)べきだ、というもっと深い意味での人々の意識・社会改革を成し遂げると強い意志を示したものでした。本来、あらゆる人間が平等であるべき真理を求める運動では、勝利も敗北もないのですから。
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まったくの個人的な希望では、「花はどこへ行った」のほうがなお良かったのかなと思った。第二次世界大戦が終了した後にアメリカに吹き荒れた反共の嵐の中、加わっていたフォークグループを解散した後、いろいろ攻撃を受けながらもピート・シーガーは一人でコンサートをしていた。そのときのヒット曲だとのこと。
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ウィキペディア=「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」というメッセージ、今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われることとなった。

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2015年9月18日金曜日

民主主義を壊すわけにはいかない

 17日参議院の安保法制特別委員会の強行劇をNHKの実況中継で見ていた。自民党が「強行」するまでの展開をみておかなくてはと、ずっと見ていたが、委員長の不信任決議案が出されてそれが否決された後の展開は「見事」なシナリオの展開だった。委員会の運営を他党と確認しながら進めていくのに、やはり自民党がそれを反故にしていく過程が炙り出る。理解されるための丁寧な説明などというのは嘘っぱちで、どんなに時間をかけたかによって、だから結論・終結を図るという議会制民主主義など気にもかけないやり方をする。法案の中身はもうボロボロだから、国民に説明などできっこないことが知られて、議論できないということだろう。

 議会で「対決法案」の採決がされそうになる時期に、NHKが報道し動き始めるという。日本を戦争の道に引きずりこもうという重大法案が、委員会で採決という日程がはっきりすると、政府広報と認められるNHKらしく委員会の実況放送が始まる。NHKの放映は、委員長不信任案否決のあと中継していながら何をしているのか説明できないほどの混乱で、テレビを見ている方もなにがなんだかわからないという以外はなかった。数分後に「法案が採決された」という情報を伝え、法案可決したという虚構が作り上げられた。当時の速記録には採決の記録が記述されていないということだから、このことからも虚構と言うしかない。

 いったい議会の公式な記録としてどういう記述がされているのかを見てみたいものだ。法律が成立するうえでの瑕疵とはならないのだろうか。これまで自民党はたびたび「強行採決」をやって、その都度速記録にものこらない法律を成立させてきた。しかし今回はこれまでのことも含めた追及がされてもいいんじゃないかと思う。

 テレビ報道では、民報も与党と野党の攻防と描いてどちらがどうのという議論を展開するが、中身に入り込んでいくということを欠落させている。これも意図的だと言っていいんではないか。コメンテイターもあきれるような人物が配置されている。客観的を装ってどっちもどっちというのでは、それこそ自分の頭で考えて自分で行動するというデモクラシーには程遠いことになる。スポンサーと政府の働きかけが、報道の底の浅さを目的としているとしたら、日本の将来を語ることにはならない。

 国会前の16日はよく17日には委員会「採決」というとき。歩道には抗議の人たちがあふれて、車道の方にも流れていくことは自明なことなのに、わざわざ車道側を遮断して鉄柵をロープで縛って固定し、装甲車を間断なく並べる。軋轢を呼び込もうということなのだろう。非暴力で態度表明するということを明らかにしているにもかかわらずの対応だ。







2015年9月16日水曜日

金山町→真室川→肘折温泉

 山形の撮影旅の16日。朝食を摂ってから肘折温泉に向かう。その間は「犬も歩けば棒にあたる」というおももちで、写真の題材になる景色を選別しながら、車を走らせる。天気がよくなって夏の日差しがよみがえってきた。途中、「米湿原」という看板をみつけて脇道に入り、鮭川を跨ぐ橋を通る。この橋からの眺めがまた広がりが素晴らしい。

 湿原は、「50年ほど前まで田や葦苅の場所として利用されてきました。その後、放置され、荒れていた湿地を、米の地区民と鮭川村自然保護委員会が協力して復元活動を実施し、古来あったであろう植物が見事に再生した貴重な場所」としているところ。本命の場所までは行き着かなかったが、知る人ぞ知るというところのようだ。

 肘折温泉までには時間がたっぷりあるので、最上峡の天然杉林に行ってみることにした。樹齢1000年以上の杉が群をなして、さまざまな異様な形をしているのが面白い。写真を撮るにはうってつけのところだ。











2015年9月14日月曜日

ことし始めてのハゼに逢う 

 今年に入ってから、ろくに釣りをしていない。これまでなら、この時期ハゼ釣りには何回か行っているはずが、行こうかという気力がもうひとつない。13日はハゼ釣りの大会だし審判長なる大役もあることなので、連れ合いの「いいよ」というお墨付きもらって、木更津にでかけることになった。友人を途中で拾って現地へ向かうアクアラインは、トンネルの中を車が渋滞気味に走っている。なにかの催しがあるのだろうか、帰りの混雑を心配しながら、アクアラインを渡ったところで専用道路を下りて金田海岸方面に向かう。

70人が集まり要項と検量役員などの確認をしてから、今期の釣り場の具合を紹介してもらった。今期はこれまでは他のつり会でも、かなりの釣果もあったのだが、大きな被害がでた茨城、栃木のあの豪雨が、ここにも影響がでているのではないかと思われた。前日に実際に釣ってみたとのことで、雨水の流れ込みや、釣り場などどの程度影響しているのかを、試してみたという話を紹介してもらった。釣果は下がるだろうという話だった。期待に胸を膨らませることができなかったが、ハゼがどこにいるのかはやってみる以外にないので、ともかく「呑掘り」の船溜まりに場所を決めて小さな海苔船の繋留場所で始めることにした。

浅場に回り込んでみるとポツポツあたりがある。たくさんいるという感じではないので、外海の方へ行ってみることにした。船溜まりに流れ込んでいる小さな用水路から、外海へでる水門(出口)からは勢いよく水が流れている。そのわきの方を狙うと、何匹か答えてくれた。しかしここも釣れ続けるということはない。海岸に向いて左方へ歩き、波打ち際の緩い瀬になっているところで、ポンポンと小気味よくあたった。アタリが遠くなったら動くことに徹して、徹底的に歩き回ることにした。

場所を大きく変えることがなくても、ぐるりと歩き回ってまた戻って釣れるというケースが何回もあった。昼近くに黒雲が覆ってきて、見る間に風と雨が襲ってきた。午後から雨という予報は確かにあったが、ちょっと早い。そういえば房総側は東京よりは早く天候が変わることが結構ある。雲を見かけた時にレインウェアーを着こんでおいたので、風雨にめげずに釣りを続けたものの、風で辺りはとれないし波立っているときに、魚は餌を追わないようだった。

13時過ぎにもハゼが活発に食いつくので、これは少しは量がいくかなとおもいつつ、小気味よいアタリを堪能した。エサがかりして竿をあげると、水中から飛び走るようにでてくるときもあった。ハゼも餌を食って逃げるときの速さは尋常でない。結果、釣果は1キロにちょっと欠ける程度だった。後一尾あがれば超えたかもしれない。

ハゼつり大会の釣り範囲に、木更津基地がある。オスプレイが常駐するとか、整備基地として海外のオスプレイも使用できるようにするという、「軍部」独裁の動きが伝えられている。非戦をもって貢献してきた日本が、戦争の道へすすむことになれば、釣りどころでない。それは敵対させてもらう以外ない。木更津を「敵国」の反撃対象とさせるわけにはいかないし、第一いつ落ちてもおかしくない軍用機は、危なくて仕方がない。「オスプレイは来るな」の声をあげ、釣り大会の最後に示威行動した。