2016年2月4日木曜日

向島の面影は、ほぼなくなってしまったのかもしれない

ウィキペディアによると、向島は明治期の最盛期には料理屋や待合が100件から200件あったらしい。非公認遊郭としても有名で、関東大震災や第二次世界大戦の危機も乗り越えたものの、昭和期にはいって料亭、芸妓は減少し、2009年には料亭18件芸妓120名となったと記している。それから16年もたっているのだからその雰囲気はほぼなくなってしまったのだろう。


向島にと思って撮影に行ったのは初めてだったので、昔の花街の雰囲気があるものだろうかと路地に入ったが、古い家が散見できただけだった。写真を撮っていつも思うのだが、もっと早く目的意識をもっていたら、日本のかつての姿や雰囲気にもうちょっと触れられたのかもしれないと悔やむことが多い。









2016年2月3日水曜日

天気が良い中、隅田川とスカイツリーを撮る

 曳舟で集まりがあるので、早めに家を出て写真を撮ろうかと、浅草から隅田川沿いに歩き、墨田公園をとおって向島から現地に向かって歩いた。天気が良かったので、青空のもとで気持ちがいい風景を眺めつつ写真に収めた。浅草は相変わらず人気が多くて、さすがの人気スポットと感じた。隅田川はうまくすれば墨田公園で梅があるかと期待したが、見ることはできなかった。暖かな日差しがやさしくて、人もハトもまどろむ姿があった 










2016年2月1日月曜日

人の恋路を邪魔する奴は馬にけられて死ねばよい

「ベッキー叩き」というよりは、ネタの面白さからテレビでもてあそばれている。14日からの国会が、注目に値する「話題」にもかかわらず、正月明けたら国民は忘れるという向きの話に乗っかるがごときふるまいは、なにやっているのという思いを持つ。だからこの話の曝露については、NETのなかでも批判する向きも多い。視聴者参加型の番組を意識するのは昨今の常識でもあるのだろうが、どうせ話題にするならその視点ももっと役立つものにしたらどうなのだろう。

LENのメールが外に漏れだすというのも、仕掛けはパスワードを他人が手に入れる(探せる)という弱点があり、現行法律で規制がないと言われている。でもシロウト考えながら、「通信の秘密」はそれこそかつての戦争への反省から、憲法に謳ったことだから、それが侵されているとしたら大問題ではないのだろうか。そうしたことへの業界の対応は放っておいていいのだろうか。犯罪捜査で警察が通信記録を調べられるということも、その点が問題になっているはずだ。

社会常識からして問題であっても「犯罪」ということはできないから、熱心に取り上げるということには、それこそ「なにか意図的にはめられている」と見えないこともない。そのての「不倫」はかの国会議員のなかにさえいるわけだし、議員になるのが婚活かよと言いたくなるような所作もある。「下着泥棒」だって己がしゃべって憚らないなどという「社会常識」はいったいどうなのだろうか。

ベッキーを擁護するつもりはないが、番組の出演にはあらかじめスタッフなどと打ち合わせを丁寧にやり、周りの評判は良いと言うことを何かで見たことがある。イメージを崩したという点では、コマーシャルなどには障害とみることもあるのだろう。番組に登場すると、視聴者から抗議のメールがたくさん届くと、今朝もワイドショーでやっていたが、その問題にこだわるメディアも易さ加減を、視聴率のためかと嘆きたくなる。

ベッキーのYoutube動画は数えきれないほどある。




2016年1月28日木曜日

グローバリズムという病(平川克美)の読書会

 予め本を読んでおいて、読書感と意見をだすという集まりで、毎回本を読んで行かなくてはならない。だいたい本が嫌いな自分にとってはやっかいなことではあるものの、新しい本を読むたびに、若い時にもっと読んでおくべきだったと思わされる。最近、「いらないもの」の整理を心がけているにもかかわらず、もう一つの学習会も含めて、本が増えていくということに陥ってしまった。しかし、体験から判ってきていることが、「学習」で裏打ちされると、なんかステップアップしていくようで、これも一つの快感になる。

 今回は、グローバリズムとはということで、アメリカが世界に広めたイデオロギーという定義で、その内容とそこから起こってくることについて述べられている。そのなかで、言語は文化で、多国籍企業が共通用語で英語を使用するということについて、企業同士がコミュニケーションとして使用するのは合理的であっても、自分の母国語以上に重要なものはないと言うくだりがある。英語を使う欧米人も母国語であるが、英語文化の影響から逃れられず、使う言葉はものの考え方や価値観におおきな影響を与えるということで、そこに覇権的なバイアスがかると書かれている。

 日頃なぜ英語なの?ということに疑念をもっていたこともあり、先ごろ読んだ本の内容の一部を思い出した。
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「日本亭主図鑑」(井上ひさし) 
男と女の差について述べたものでそれぞれどんな言葉があるか書き出したもの (国立国語研究所 分類語彙表からとの断り書きあり)

~男子 夫子 漢字 男郎 漢郎 男児 男丁 男人 百夫 万夫 忠実男 勇士 健児 白面郎 玉人 壁人 美男子 愚夫 哲布 小丈夫 鈍漢 木強漢 男聖 年男 他230

~女子 婦人 女人 内人 女流 女性 髪長 鬼女 洋婆 魚婆 好女 玉女 美姫 麗姝 清姫 傾国 仇物 力婦 不別嬪 弁女 700種 

男の3倍もあるとして、「亭主の可憐純情さ」を述べたもの。もうひとつ  取る」の使い方についての多様さを取り上げたもの。読めないものもある。

「折々のギャ句辞典」(夏井いつき)  「取る」が続く言葉として 

本 胸ぐら 手 足 蝉 蛇 山菜 事務 指揮棒 指揮権 金メダル 舵 免許 弟子 月謝 税金 コピー 財布 評判 客 相撲 写真 栄養 お肌のシミ 揚げ足 アブハチ 鬼の首 面一本 年
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「グローバリズムという病」では、英語でビジネスや学問研究をするグローバル人材の育成を、多国籍企業がするならともかく、国の産業、教育政策としてやるのは、国の産業育成や競争力強化のために必要な人材育成ということにならないと断じている。

多様で豊富な言葉が存在し、その意味と風合いを文化として語り継いできたのに、「グローバル化」とその人材育成のため突っ走るのはどんなものだろうかということにつきあたる。桐生で写真を撮っているときに目に入った「方言の暖簾」も、「絶滅危惧種」としてしか残れなくなっているようで気になっていた。


2016年1月21日木曜日

ベッキーとSMAPの大騒ぎ報道

 憲法の規定を破って、議会開催をサボタージュし、安保法の「丁寧な説明」を放り出して海外に行っていた首相の責任が大いに問われるべき国会が始まっている。そのときに、ベッキーが不倫しただのSMAPが解散するだのという大騒ぎしているのは何なのだろうと思っている人がNET上でも増えてきた。

 「不倫」だの離婚しただの、しそうだのという、これまでいくらもあるネタを、茶の間に大仰に持ち込んで、本人に「記者会見」で頭を下げさせる。SMAPに「お詫び記者会見」を仕立てるドキュメントを延々とやるなど、だからいったい何が大問題なの?と聞いてみたい事柄がテレビを占拠している。

 スポーツ新聞が先立ってこれを書き立てるということだが、これに乗じてワイドショーが追っかけ番組にするという図式はこれまでどおり。だがこれがご丁寧に連日とりあげるとなると、なにかおかしな感じを持たざるを得ない。予算員会でSMAP「解散」が撤回されたことを受けて、首相が「SMAPが解散しないでよかった」と答弁したのだが、どうみても立場の悪いときに、ニヤニヤしながら答える顔を見ながら、ハハアと考えてしまう。

 SMAPの後ろ盾はフジであり、読売新聞がリードしているようだから余計にそう見える。それに、官邸のメディア対策での「食事会」も薬になっているのだろうと勘繰る。12月の「懇親会」には首相とのツーショットを喜々として撮ったという話もあるし、マスコミが権力から独立して監視するということを遠ざけてしまっては、目を曇らせるだけの無益な役割だ。

産経ニュースが面白い記事を取り上げた。

 「…本来私たちが有益な情報として心に刻む作業に使うべき時間が、どうでもよいことに使わせられてしまっていることにこそ問題がある…。」との渡辺武雄(同志社大教授)のコメントはなるほどと思った。「産経」が取り上げたところに面白さがある。


2016年1月14日木曜日

釣りの元会長さんが逝かれた

 つりの会の会長を長らく務めたFさんが他界された。もう20年以上にわたって、毎月の常会と釣りの例会で、お付き合いをさせていただいた。月に一回開く常会では、打ち合わせの話の合間に、過去に釣った魚の釣れ具合と、たくさん釣れた時の話を持ち出すのが通例だった。しかし、いつも相談の最後には、会員さんへの連絡はどうするのか、餌はどうするのかと念押しも忘れなかった。

 正月の丹沢湖のヤマベ釣りに、手製の煮込みうどんをいつも準備してくれて、ふうふうと湯気を飛ばして食べたときは、反応が悪いヤマベのことは忘れて、釣りの会の楽しみを味わえた。城南島のハゼ釣りの時は鍋と油を用意して、つれた魚を即唐揚げしてくれたことも忘れられない。上げ方は上手なものだった。マス釣り場の例会では、特性のカステラのネリ餌をつくって、皆に配ってくれたこともあった。このエサはよくマスが釣れた。
 
 最近は高齢のために、こうしたことはかなわないことになってしまったが、それでも時折ハゼつりには行っては、粘りながら結果を出して感心させられた。会の世代交代が思うに任せず、高齢にもかかわらず会長席に長くついていただいてしまったことを、申し訳なく思っている。

 Fさんは子供のころから江古田で育った。「自伝-江古田に生きて こころの引き出し」で釣りにふれて書かれている。

~妙正寺川で釣りをした。妙正寺川は両岸が藪だらけで、メダカから鯉やスッポンまでなんでも沢山いた。釣り道具が今日のようにそろっている時代でなかったから、まず釣針つくりからはじめる。縫い針の錆びたやつをもらい、ローソクの火で先の方を曲げる。糸は木綿糸で、竿は藪の竹を切りだして使う。えさはご飯粒、みみずといったところ。こんなおそまつな道具である。六さんが小学校の一年生になった夏、妙正寺川に連れて行って藪をかき分けて釣竿を出したが、なかなか釣れなくて飽きてきた頃、竿を何となく引き上げたら大きなタナゴが針に引っかかっていた。『わあ、兄ちゃん魚が釣れた』と大声を上げてよろこんだ~


 100歳の年齢を重ねられたのだから、90年以上も前のことで「釣り道」もなまじのことでない。政治の不条理にも怒り、釣りに親しんでこられたFさんに心から哀悼の意を申し上げたい。




2016年1月10日日曜日

削られた伊吹山、琵琶湖の風景にマイナーと映る

 去年、琵琶湖の針江の川端(カバタ)を見て歩いた時、米原の近くから車の窓越しに見えた景色が記憶に残っている。山の一部が「大胆」に削られた伊吹山だ。40年以上にわたって石灰石を採掘しているという事業者のHPを覗いてみた。

~事業者(大阪セメント出資会社)のHP滋賀鉱産()HP
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緑化の道程=
 とはいっても鉱山の緑化は簡単なものではありませんでした。草木を根付かせるためには、石灰石が露出した残壁に 客土を貼り付け、法面を整形するところから始めなければなりません。そのための粘土を斜面まで運び上げるだけでも 大変な作業でしたし、せっかく草木が根付いたかに見えても、雪崩や風雨によって客土ごと流出してしまうこともありま した。このような自然現象への対策や、高地におけるさまざまな厳しい環境と共生させるため、植生方法について専門 家のご指導も仰ぎながら試行錯誤を繰り返して進めてきました。

真の植生復元とは=
緑化の開始から、すでに40年近くが経っています。当時植生した箇所には、草木が自生を始めて、樹木と呼べるまで に成長している所もあります。初期に緑化事業に携わられた方はすでに引退されていますが、試行錯誤して確立した緑 化方法も含めて、現在のこのような鉱山の姿は、先輩方が残してくれた貴重な財産であると思います。鉱山の緑化は 一朝一夕でできるものではなく、植樹した草木が枯れて肥料となり、新たな草木が芽生えるというサイクルを何度も繰り返し真の植生復元となるものです。今後も長いスパンで取り組んでいかなければならないと考えています。

採掘者の担う役割=
前述の通り、伊吹山は、地域にとって自然豊かな心のよりどころであり、貴重な観光資源である一方で、そこで産出される良質な石灰石は、建築材料や工業用原料として国内で唯一自給ができる貴重な天然資源です。石灰石の採掘を担う我々としましては、事業活動を通じて社会に貢献していくと同時に、計画的に緑化を進めることで地域環境との共生 を進めていきたいと思います。
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という具合に、日本の社会におおいに貢献していることを自賛している。事業者なら当然のそんなことは言うだろう。揚げ足を取るつもりではないが、その貢献と同時に「計画的に緑化をすすめ」て、地域環境との共生をすすめるというくだりに、ちょっと違和感を覚えた。
 
 日本石灰協会・日本石灰工業組合のHPには
  「石灰の用途としては上・下水道用、食品添加物用、肥料用、鉄鋼用、化学用、土木・建築用、公害防止用など幅広く使われていて、社会に貢献しています。 石灰は暮らしの中で欠かせない基礎素材です。」と石灰の用途を示している。確かに日常の生活に使われている素材であることは違いないことだ。だがそれだけの簡単なことがらではない。

セメント」のキーワードでNETを探ると、「セメントの主原料は石灰石、粘土、珪石、鉄原料であるが、一般にセメント1トンを生産するためには石灰石を約 1200Kg、粘土を 240Kg、珪石を 40Kg、鉄原料を 30Kg、石膏を 30Kg 必要とされている」とある。さらに、「セメントはそのほとんどがコンクリートとして使用されていて、社団法人セメント協会資料によると、生コンクリートの組成はセメント(13.1)、粗骨材:砂利(40.5)、細骨材:砂(38.5)、水(7.8)、混和剤(0.1)である」と記述されている。なんのことはない、コンクリートの組成は90%以上「山と川」から運ばれているものだ。

 コンクリートはその使途は言うまでもないことだが、不必要な道路であり止めどもない再開発のビルであり、いらないダムであり豪華な港湾施設であり、あの東北の400キロの防潮堤だ。リニア新幹線のトンネルにはどれだけ使うことになるのだろうか。一度壊された自然の環境はそうそう元に戻るものではない。40年もかかって緑化してきたことは無とは言えないにしても、それだけかかっても前の環境には戻らないし戻せない。

 「経済成長」を唯一の目標にしてきて、なおかつまだ続けることはもういい加減に止めるべきだ。日本百名山・霊峰伊吹山が泣いている。




2016年1月3日日曜日

新年のぐーたらテレビ視聴 「鳥越俊太郎の新春激論」をみた

 2016年になった。新年だからと言って、特に気色ばむほどのことはもうない。と思いつつも、昨年の彷徨を思い出しながら、どうなるかわからない今年の足の向きを占うのも面白い。それでちょっとは正月気分になれるのなら易いことだ。とは言え、洗いざらい持ち出して天日にさらすはずかしいので控えるとして、あんまり己を追い詰めないようにして、ときどきグータラしながらやっていくことにしよう。

 岩手山麓から戻ってきて、風邪気味になった。一日ゆったりいこうと、テレビ視聴と決め込んで電源を入れた。
 2日BS朝日の「鳥越俊太郎の新春激論」は面白かった。安保法制、安保条約、憲法、テロ、消費税などを多面的に取り上げた討論で、戦争放棄の憲法をいかに邪魔な存在にしているかということがみえた。
 
 「中国の脅威」をことさら取り上げて、そのために軍事増強が必要というあたりは、かつての戦争への道に道を開いていくという点で、危険だと言う点は、説得力があった。沖縄の問題も、安倍政権が辺野古基地建設を強行することで、「流血事態」も生じることになるとの心配も出されていた。報道もこのところ取り上げるようにはなったが、一地方の問題として放っておける問題でなく、安保条約、基地問題、安保条約をどうするのか、という議論まで必要になってきている状況が浮かび上がった。

 選挙で選ばれ構成された政府がやることなので、国民の批判を受けることなら、やれば選挙で負けるのだからやらないという話は噴飯もので、これで民主主義が成立しているというバカな主張にはあきれた。現行の選挙制度は、有権者の意向を多くの死票として扱う不公正なもので、自民党の中からさえよくない制度という声が上がっている。反対の立場なら口角泡と飛ばすところだろうに、為にする議論とはこういうものだろう。

 消費税問題は、参議院選挙での論議にもテーマに成なることだとの提起もだされた。これで軽減税率導入が論点かのように取り上げる報道の浅薄さが浮かび上がった。10%導入も実は政府にとっても、簡単だと思っていない状況らしい。景気回復もなく、勤労者の賃金も上がらない状態だから、批判が大きくなっていくのは当然のことだろう。

 韓国、北朝鮮の問題にもテーマが振られ、拉致問題の解決が進めるには、韓国や中国との共同が大事だということも出された。拉致問題は、自民党のための「政治利用」だという批判も出される中、解決する方策もみえない状況は、もう騙しきれないと言われてもしかたがない。TPPでいえば見事に「絶対反対」を全面賛成に振り替えたのだから、「別に恐れることはない」とでも思っているのだろうか。選挙が「同時選挙」かどうかという話題にも及んだ。やるかやらないかはともかくとして、自民党が有利だからやるという設定なら、それも含めた批判が集中されることだ。



2015年12月29日火曜日

岩手山麓の豆腐づくり・大豆の会

 急な話で、豆腐を造る講習会があるから行ってみないかと誘われた。「造る」よりは、写真を撮るのにいいんじゃないかという言葉にはまった。岩手山麓の仙人の家から車ですぐのところだというので、豆腐を分けてもらいに行くついでに、便乗させてもらった。近所のR子さんが「大豆の会」に加わっているということで、写真を撮らせてもらうという話は直につながった。ものの数分も走らないで現場についた。入り口を開けると、10人ほどの人たちが、豆腐を造りあげるまでの工程に動き回っていた。

 会釈で挨拶は済まさせてもらって、すぐに撮影に入った。豆腐の香りと湯気が部屋いっぱいに漂っている。予備知識はないのだが、火おこしやら窯から上げるところ、絞る・固める・詰めこむなどの所作を見ながらたくさんのポイントを撮った。

 外は氷点にちかい気温で、大きくはない部屋は白い蒸気が始終湧き上がって、窓から見える雪に溶け込んでいくかのようだった。岩手山麓に吹き降ろす乾いた粉雪と、豆腐づくりの熱気で温まった部屋の趣は、寒さに抗する人の心のようだ。暖かな心持を分けてもらい、そのうえ出来立てのお土産までもらってしまった。テーブルでちょっと醤油をかけて口に運びながら、残っている豆腐のぬくもりを楽しませてもらった。


 先日のデジタルカメラ研究会で、パソコンによる写真集が簡単にできることが分かったので、東京に帰ってから造ることにした。初春の課題も手に入れることになった。












2015年12月28日月曜日

岩手山のビューポイント発見

 昨日から岩手山麓に来ている。もう雪が降っているとあらかじめ教えてもらったので、東京の不可解な天候を基準にすることなく、冬の支度をがっちりすて出かけてきた。山麓は確かに粉雪が風に押されて舞い上げられている。重たい雪だと汚れも目立つが、氷点下0度前後で乾燥した風だから、雪が解けるのは車がしょっちゅう通る道路だけだ。そのうえからりと晴れた空なので、青空が気持ちよく見える。

 従妹を山形に送り出したついでに、ちょっと駅から足を延ばして、シャッターチャンスを探しに車を走らせた。北上川の橋を渡ってすぐに北上し、しばらく走ると銀世界が広がってきた。開拓農地らしいちょうど北上川の脇の大地のようになっているようだった。岩手山がくっきりと見えるので、車を止めて三脚を取り出した。

 天気は申し分ないが何しろ寒い。風で帽子が2回も飛ばされた。三脚をセットしているときには、もうフードが固くなって外れなくなっていた。フードが逆さのままでも撮れないことはないので、無視して手が凍える前に何とか数枚シャッターをおすことができた。岩手山はあちこち写真を撮るポイントがあるけれども、ここもポイントに記録しておけそうだ。





2015年12月24日木曜日

三日目、寂光院と三千院は秋の押し詰まった風情

 美浜原発と針江を巡って、二泊目は大原だった。針江で「川端」の案内をしてもらいながら、水と生きる暮らしを聞き、普段の生活からは遠く離れてしまった「便利さ」が忘れてしまった大事なことを思い出させてくれた気がした。豊富な説明を聞いて、自然の価値を見直したのは心の満足感を得たようだった。そこの、できたばかりらしい小さなレストランで食事をした。案内の方とはそこでお別れだった。

大原までは、地図で見ても針江からはさしたる距離はない。ところがアクシデントがあり、車のJPSが迷ってしまった。道案内をするところがあらぬ方角を指して、行ってみるとくるりと一周して元に戻る。初めてこんな経験をした。原因ははっきりしないが、ポケットに入っているGPS記録器と干渉したものかということにしておいた、スマホもGPSを使ったアプリが動いているので、そちらも要因かもしれない。カーナビは、指図していても知っている道なら従わないほうがいいようだ。

 宿は寂光院と三千院の近くの宿だったので、チェックアウトしてから両方を巡った。紅葉の時期は過ぎてしまったので人は多くはないが、さすがに人気を感じさせるだけのところだった。











2015年12月18日金曜日

敦賀半島、美浜原発所をついでに〈訪問〉

琵琶湖は、日本一広い湖だと、覚えている以外は家族旅行と撮影旅行で行っただけだった。かのNHKの放映(写真家今森光彦の指揮の下、NHKによって製作されたドキュメンタリー番組『〈NHKスペシャル〉映像詩 里山〜命めぐる水辺〜』)を見ながらにして、今回の旅になったのは心に残るものだった。写真を撮ってきたものの、「作品」とするにはちょっと不足だけれども、とりあえずは撮ってきたという自己満足で納めておくことにはなった。

行く直前に針江生水の郷委員会に連絡をして、案内をお願いしたのだが、到着の日には琵琶湖の葦刈りをするので、応対不可能とのことだった。やむなく翌日で予約をしたのだが、琵琶湖周辺の地図を見ながら当日の行く先を捜して、美浜原発ならいける距離であることがわかった。ここも改めていくには覚悟がいるから、この折にと行ってみることにした。

美浜原発は鍵型になった半島の先端を占拠している。高台からか近いところから撮ろうと「航空地図」をみて予習したものの、現地では、敷地に入っていく橋は、陸側にはゲートがあり、門番がいて入っていかれないし(グーグルの航空地図ではゲートは映っていない)、回り込んだ陸地側からの小道は封鎖されていた。陸側の北側に漁村と見える小さな新しい港があって、この辺から撮ろうかと車を降りた。釣りをしている人がいて、話しかけたらクロダイをねらっているのだとか。魚港の様子を写していたら、伊根の舟屋のような小屋が目に入った。原発に背を向けて写真を撮っていると、ちょうどお婆ちゃんがでてきた。87歳でこれから山へ行って畑をみにいくのだと言う。この小屋は舟小屋で、家の前の道路(港の護岸)ができてからは、使わなくなったと話していた。

 直ぐ近くには水晶浜海水浴場があり、浜と海水はこれまで見たことがないようなとても綺麗で驚いた。投げ釣りをしている人に声をかけたら、シロギスねらいとのことだった。波が荒くてあたりが出ないと。北陸新幹線開業で、ここも観光のエリアとして力を入れているらしいことが後から判った。風光明媚なところに釣りやサーフィンで興じる人を見て、どうにもその存在を認められない原発の危うさと、「原子力PRセンター」の美浜原発3号炉事故の言い訳めく安全宣伝が甦った。









2015年12月13日日曜日

「共生」で、なぜか旅めくこのごろ。針江 生水の郷へ。

「共生」のキーワードが気になって、自然と共存している気がかりなところに行くことになった。琵琶湖の「川端(カバタ)」だ。11年前にNHKで放映されて、それからずっと気になっていて、いつかは行きたいものと思っていた。「写真屋」としては、自然との共存といういま時は貴重な存在を、ちょっと覗いてみたいと。
先日娘に話したら「行ってみる」という、うれしい返事で、旅行業者に駆け込んで新幹線と宿泊にレンタカーを予約した。NETを検索しまくって情報を探り出したら、地元で案内のボランティアがあるというのが分かった。電話をかけて予約を入れてみると、上手い具合に予約できた。

「川端」と書く各戸にある炊事場が、琵琶湖の周囲にめぐる湧き水を利用している。それが母屋だったり別棟、屋外だったりするが、琵琶湖から掘り出された弥生時代の遺跡からもその形ができているということで、歴史的な時間を経て繋がれていることなのだということだった。24メートルも掘ると水脈にあたるのだと言う。他の池や水路などでも湧き出しているところが見られたので、多くの水が豊かに流れているという印象だった。

NHKの放映のときはその水瓶にはヨシノボリなどの小魚が入り込んでいるようすもあったが、現在はどこでも鯉が幅を利かせている様子だった。NETの地図でわかるのだが、確かに琵琶湖には小さな川がいくつも流れ込んでいるから、豊富な水がわき出ているということだろう。湧水は「川端」に引かれ、壺池に溜まる。壺池からでた水は端池に流れていくが、端池では食器などを漬けておくと、食べ物の屑を淡水魚が全て食べてしまう。水はまた出て小川にでる。小川にはバイカモやほかの水草が一面に生えていて、汚れないように配慮しており、洗剤も無害なものを特注して使っているという話だった。

水路や針江大川には、コイ、オイカワ、タナゴ、ヨシノボリ、サワガニ、カワエビなどが生息しているし、アユも上ってくるということで、人間が棲んでいる環境に、ごく近しい関係の生態系が出来上がっている。日常の「常識」からは信じられないようなことだ。
「針江、生水(しょうず)の郷」という呼び名は、壺池に入る水を生水と呼んでいるのが元らしい。2004年にNHKが放映するまでは(正確には写真家今森光彦氏の指揮でNHKが製作した)、川端も現在ほどの保全は図られずに、上水道も使用していたらしい。家の周りも汚れがあったのだが、放映効果で人が大量に押し掛けたり、家に立ち入られたりということがあった。しかしそこから、案内ボランティアを発想したり、上水道を止めて川端の貴重さを見直していったり、小川の清掃を年に何回もやったりして、針江が「進化」をとげてきたとのことだった。