2019年4月7日日曜日

善福寺公園探索のつづき


 善福寺公園に来たのは二回目だが、前回きたのは相当前だった。その時は「宴」が目的だったので、どういう景色であったのかはあまり覚えていない。杉並区に小学校のころは住んでいたことがあるから、もしかしたら来ていたかもしれない。今時のカラフルで整備された公園でないのがいい。原風景がイメージされて、自然の懐にいる気になれる。手を加えないでずっとこの空間が残ることを祈りたい。












2019年4月6日土曜日

武蔵野の面影残る善福寺緑地公園


 ワイルドなつまり自然味が残るというところは、東京では探さなければならない。善福寺川を遡って環状七号線を超えると、自然が残っている風情が少しだけ見えてくる。

 鴨なら西新宿に近いところ(それより下流の神田川にもいるかもしれないが)でも、餌を探して頭を水中に突っ込み、尻を空に向けている面白い恰好が見えるが、コサギが餌を追いかけているのはこのあたりから上流のようだ。

 荻窪駅からのアクセスでずいぶん歩いた気分だったが、川沿いには桜の木が少なかった。歩き続けて漸く善福寺公園にたどり着いてみると、急ににぎやか花見の風景が飛び込んできた。池の周りにいくつものグループが陣取って楽しんでいた。どちらかと言うと高齢者が目立たなくて、子供連れの若いお母さんたちが目についた。池は手を加えられていないほど、古さと自然を感じて、井の頭公園などとは一味違った趣だった。













2019年4月3日水曜日

やっぱり陽が差した方がいい善福寺川のサクラ

 ブログのアップは前後してしまったが、31日に善福寺川を遡って善福寺公園まで行こうかと、午後からでかけ荻窪駅から歩き始めた。善福寺川は前回のときはまだ荻窪までにも届かないところで終えてしまったので、今回は公園を終点にするつもりででかけた。

 残念なことに途中は桜の木が川沿いにはあまりなかった。そのぶんだけ歩くことに専念できた。遊歩道がずっと続いていて、公園の直前で一部途切れるものの、少しワイルド加減の川を眺めながら歩いた











2019年4月2日火曜日

NETのおすすめで行ってみた桜見物

 交流サイトの広告で「中野区のサクラどころ」が現れた。気持ちが悪いとしか言いようがないが、NETや交流サイトで接触している「情報」を拾って、オススメをしているのだろう。「釈迦の手のひら」と思う方がもっと人畜無害だといいたいところだが、オススメの指示にのっかって出かけることにした。

 Googleの地図検索で、妙正寺川の「ここいらアタリはいいかも」と見当をつけていたので、朝方の空もようを気にしながら「オススメ」の場所に出かけた。

 霧がかかったような状態で、晴れていたら良い感じだろうなと思ったが、少し気温が低くて、その分だけ桜も締った感じだったのかもしれない。あとで確認したら、この「妙正寺川」はまだ神田川で、もっと下流部で神田川と合流していることがわかった。












2019年4月1日月曜日

平成最後だから行くわけでない桜狩り


 とくに元号にこだわりはないし、大騒ぎする気が何だろうという以外には、興味はわかない。つまるところは官僚の若手たちが、もういい加減に西暦に統一してくれと言っているとのことなので賛同だけしておきたい。

 サクラの咲く時期だって、そんなことは斟酌することはない。去年は桜を撮影に上野か桂離宮などに行ってみた。それ以外にもあちこち回ったものだったが、これがいいと残すようなものはあまりなかった。

 今年のサクラはちょうど今時が良さそうなので、どこに行こうかと考えていたが、善福寺川や妙正寺川の川沿いを行ってみようかと考えていた。

 善福寺川は桜がところどころにあるのはわかっていたので、上流まで上り詰めようと思っていた。ちょうど晴れマークの天気で、朝から出かけてみようという気になった。環七通りを交差して西に向かうところからは、川に近自然風な様子が現れる。いわゆる「コの字型」に彫り込んだだけでない、川の面影が垣間見える場所になる。数は多くないものの、川沿いに歩きながら桜を楽しむ人と行きかいながら、撮り歩いた。











2019年3月31日日曜日

「上から目線」ではなく「下から目線」の優位性


 「上から目線」とよく言う。偉そうに上位者であるがごとき言辞を批判して使われる。もちろん「上位者」である場合もある。世の中は競争社会で人より上に立つべきだという思想が、教育を通じても植え付けられるのだから、その観念は身に沁みついていく。

 社会に出てからも出世しなければ「負け組」と、分断を揶揄する言葉さえ飛び交う。「人を差別してはいかん!」の言葉が今は死語か絶滅危惧種になってしまったのだろうか?と言うに応えて「優位者」が言う。古くは「努力したもの」だと…。しかしその結果、相当多数の「非優位者」が手に入れたものが、差別する側の貶めに合うことを享受することだったのか?

 思うのは、平等とか人権とか民主主義と言う理念を身につけるべきということを、認識するに足りていないということ。家族や近隣の人たちは「敵」であるはずはない。「助け合いのコミュニティ」を、あれこれの事情で後景にしてしまった社会が、安心、安全で快活な環境とは隔たりをもってしまったように思う。少なくとも江戸から昭和にかけての庶民の暮らしは、今よりは「仲間意識」に育まれた社会だった。

 ネットで中国や韓国などに対して排外的な言動をする人がいる。これも「上から目線」と同質の分断行為ではないか。日本がかつてアジアで起こした侵略戦争までさかのぼって照らせば、過去のアジア支配の歴史恋しというところだろう。まるで現為政者と同様の位置にいる。

 「上から目線」では昔の苦い時代に無反省のままになる。悪気がない場合もあるとは思うが、なるべく「下から目線」で社会を眺める方が、世の中を正確に見られることが多い。


~ネット右翼とは一般的に、保守的・愛国的な政治志向を持ち、中国や韓国などの近隣アジア諸国に対して排外的な言動を行う人を指すことが多かった。
回答を分析した結果、排外主義的な傾向がある層は全体の21・5%ネットで政治的議論をする層は20・2%「憲法9条改正に賛成」など政治的保守志向がある層は12・8%――だった。
三つの要素を全て満たす人は全体の1・7%。の要素は満たすものの、政治的な保守志向のない層は3・0%だった。永吉さんは前者をネット右翼、後者を「オンライン排外主義者」と分類した。~


2019年3月27日水曜日

下級管理職までちょっと変になってきた

 年金事務所長がツイッターで差別的な書き込みをしていたとのニュースに驚いた。国会議員を名指しで「国賊」「鬼畜」「非日本人」と書き込み、外国人に対しても差別的な投稿を繰り返した。年金機構が言うまでもなく「差別的な発言があってはならない」ということは公務員として当然なことで、憲法順守しなければならないなのに、まさに下級管理職(まで)「劣化」が起こっている。

 韓国の空港で職員に暴行した厚生省のキャリア官僚もまた、泥酔して帰国便搭乗前に空港職員に乱暴して拘束された。市の際「韓国が嫌いだ」と叫んだという。発覚した二日前にも泥酔して空港で止められてトラブルを起こしていた。
 この労働基準局賃金課長は
「内閣官房一億総活躍推進室・働き方改革実現推進室の内閣参事官として、安倍総理、加藤大臣を直接支えながら…」という立場にある。拘束後に「なぜか警察に拘束されています」「変な国です」とSNSに書き込んだというが、こんな事件はこれまで聞いたことがない。動画で出て明らかにならなければ、事件は葬られていたかもしれない。
2日前にも韓国で“トラブル” 厚労省キャリア課長