虚鯊は「ウロハゼ」。関西で好んで食べられている。すしネタでもいけるとか。「あーそーべー」は山形の方言で、一緒に遊ぼうとの意味。ウロハゼは関東の海でも増えてきているもよう。温暖化の影響かもしれない。夏のハゼ釣りのとき、マハゼに混じってつれるが、「つりの競技会」となると、邪魔者にされることがある。
2019年12月3日火曜日
2019年11月28日木曜日
2019年11月24日日曜日
上に飛びぬける10階建て
環状7号線の内側は、住宅建築規制を緩和して、高いビルを建てることができるようになった。不動産業界の事業拡大のため、かつての住宅専用地域内でも、相当な緩和を与えられた。近所はここ何年かの間はせいぜい3階建ての住宅が建ちすすんだ。20年程度の間に新しい住宅がとってかわった。
その「低層」なかに突如10階建てのマンションが立ち上がった。ここばかりでない高層のマンションがどこの道筋でも建築中だ。近所のウォーキングではいたるところが工事中だ。人口が増え、住民税の収入も上がるのかもしれない。しかし、駅の混雑、上下水道や電気ガス供給に圧力になることだろう。
なにより地域のコミュニティが、今でさえ希薄になりがちなのに、どういうことになるのだろう。ゴミ集積時のトラブルが目に浮かぶようだ。不動産屋が家を売らないかとしきりにチラシを入れているが、土地を確保してこういった開発をしているわけだ。
東京一極集中への批判は、今は声が聞こえないくらいだ。年数が経つうち3階建ての住宅の「地上げ」などということになるのだろうか。奈良公園の木々を次々と伐採して、富裕層を対象にした高級リゾートホテル建設が2020年開業めざして、工事がすすめられているとのことだが、京都の下賀茂神社内に高級レジデンス…との宣伝もでてきた。もう日本中にこんなことが起きているのかと、うしろ寒くなってきた。
その「低層」なかに突如10階建てのマンションが立ち上がった。ここばかりでない高層のマンションがどこの道筋でも建築中だ。近所のウォーキングではいたるところが工事中だ。人口が増え、住民税の収入も上がるのかもしれない。しかし、駅の混雑、上下水道や電気ガス供給に圧力になることだろう。
なにより地域のコミュニティが、今でさえ希薄になりがちなのに、どういうことになるのだろう。ゴミ集積時のトラブルが目に浮かぶようだ。不動産屋が家を売らないかとしきりにチラシを入れているが、土地を確保してこういった開発をしているわけだ。
東京一極集中への批判は、今は声が聞こえないくらいだ。年数が経つうち3階建ての住宅の「地上げ」などということになるのだろうか。奈良公園の木々を次々と伐採して、富裕層を対象にした高級リゾートホテル建設が2020年開業めざして、工事がすすめられているとのことだが、京都の下賀茂神社内に高級レジデンス…との宣伝もでてきた。もう日本中にこんなことが起きているのかと、うしろ寒くなってきた。
2019年11月21日木曜日
インフルエンザにかかるかもしれません
「インフルエンザにはかかるかもしれません。」はだれでもありうることで、部外者でいられることは難しいことだ。でも、いままでかかったことがない。(かかって軽く済んだということもあるのかな?)最近喉の痛みはよくあるが、少なくともここ十年以上は、医者でそれとは診断はされていない。
それが予防接種をしていないでのこととなると、ワクチン接種すべき論をどう理解したらいいのかわからない。インフルエンザワクチンの予防接種効果はないのだ、という主張も納得する部分もあるし、そうなるとだいたいそんなものはアタリハズレみたいなものだというくくりにという気もしてくる。
ワクチンを接種してインフルエンザに見舞われなかった時を過ごせば、それは健康に過ごせて「効果があったうち」とみなさなければならないのか?同様にメタボの基準にしろ、血圧の基準にしろ「中途変更」の歴史を見ると、頭から信じるという気にはならない。茶の間のワイドショーだけでない「適切で丁寧な説明」が欲しい。
製薬会社の売り上げの対象にされるのはごめんだとはいえ、高齢の域に入ってきた折もしかしたらなどと、保険会社の脅しと同様に「精神的安心感」を手に入れることもありそうだ。
身と心清めて帰る高尾山
2019年11月20日水曜日
高尾山で癒し、風邪を追い出せるか
合唱発表会の少し前から喉と鼻の状態が悪くて、マスクを使い始めた。寒暖の揺れが大きくなって、身体がついていかないのだろうか。血圧が高いこともあるので、体重を下げなければと思いながらも、出かけた先でまた「飲む」ということの繰り返しで、ちっともよくならない。
涼しくなって汗かきにとっては、絶好の時期なったので、しばらくぶりに娘と高尾山に行くことになった。火曜日だったがこの時期は紅葉を期待してか、たくさんのお客がきていた。紅葉はあまり見られず少し残念だったが、主要なポイントではスマホで撮影する人で賑やかだった。
ゆっくりめの出発だったため、山頂で昼時になった。山を下りてからではちょっと遅くなるかと、初めてみそ田楽とソバを食べてみた。温かいみそ田楽はなかなか旨かった。山頂に押し寄せている人々はこれまでになく多かったが、店では席に余裕があった。帰りはケーブルカーにして15114歩。
2019年11月19日火曜日
2019年11月10日日曜日
歌い踊るのは人間の本性?
ゼイム職場の合唱発表会が終わった。同一職場グループの18団体が集った。この合唱祭が56回も続いているのは特異と言っていいかもしれない。歴史を重ねているところはたくさんあるが、散らばっている職場がそのとき集中して継続してやっているのは、おそらくはそうはないだろう。
難しいことは専門家に任せるとして、「歌ったり踊ったりする」のは人間が身に着けた本性なのではないかと思う。自分も「やってみたい」と思うのは、その表現への共感にある。自己表現への共感とは実は相当高い価値を含んでいるものと感じる。「商業主義」にはない、なにか珠玉な文化価値がある気がする。
言葉では伝えられなかった時代に意志と思いを伝えたる手法として編み出された。現代に適応するなら、言葉で伝えられることが、できるはずが内実は相手には十分に伝えられないことはままある。言葉や動作で伝えられたとしても、そのうえに機微を盛り込む、昇華作用となっているのかとも思う。
どちらにしても人間の文化的素養に文化としての期待が込められる。「歌い踊る」ことの誘惑的磁石はこうしたものを引っ張り込む力がある。歌いたいという気の発揚と動機はこんなことにあるのではないだろうか。少々鷹揚な解釈だけれども、56年も一つの職場の別部から集まって組み立てられる「合唱祭」は、「歌い踊る」というDNAとでもいうか、人間が持っているものだと考えるのが、これまで続けられた理由として順当と考えられる。続いた合唱祭の歴史は、元にそんな事情があったのだろうと推測する。当たり前だのことだが、「やろう」という声掛けが丹念に重ねられてきたことは疑いない。
2019年11月4日月曜日
「ハゼを釣って唐揚げで食おう」の顛末記
11月2日、江戸川でハゼを釣って食べようという催しがあった。今は夏場とは違ってハゼは釣れなくなっている時期なので、いっぱしの「釣り愛好者」としては、どうだろうかと少々の不安もあった。引き船に乗って下流へ運んでもらってボートに移ってやるのは、楽なつりでもあり数人でやるのは賑やかだろうと、勇んで出かけたところまではよかった。
待ち合わせの駅で降り、時間が早めだったので駅前のバス停の椅子に腰かけて、おにぎりを頬張った。なにか居心地が悪かったのは、虫の知らせだったか何気なく駅名を確かめると、なんと待ち合わせの「妙典」の一つ手前の駅だった。
最近「勘違い的誤り」が増えて、「ブレーキとアクセルの踏み違い」が目の先にもちらついてきているので、慎重にやっているつもりではあっても、起きてしまうのだ。治らなければ「年ですから」という医者のセリフもどこからか聞こえてくるようだ。一つ目の事件は、あわてて次の駅に向かい、ほぼ約束時間通りに間に合ったことで落着した。
5人集まるところ、車の渋滞で二人組が遅れてくるとのことで3人が先にボートに乗り込んだ。そこで二つ目の事件が起きた。ボートが浸水している!足元の水は最初に少したまっていたが、多分雨水が残っているものだろうと判断した。ところがじわじわと水かさが増えてくる。やむなく水をかい出し始めた。ペットボトル(小水用で口部分を切り取ってある)を使って懸命にやるが、止めるとジワジワと増えてくる。船宿に携帯で助けを呼んだ。
別のボートに移ってようやくハゼつりに取り掛かれた。釣りはハゼの反応が少なめで、やはり盛期を過ぎてのことだろうという感じだった。それでも時々上がるハゼを騒ぎながら楽しめた。周りでは穏やかな青空の元、たくさんのボートが同じようにボートで釣りを楽しんでいた。
二度あることは…に出会ってしまったのは、釣ったハゼの針を外すときに針が折れて、そのままバケツの釣られた仲間のところに飛び込んだときだ。なにせ、唐揚げにして丸ごと食べるご馳走として、口に入れるものだから、しばらく探したものの見つけられない。頭だけ残して食べることもできるが、唐揚げでそれはつまらない。
Sさん宅で唐揚げができあがって、食べる段になり頭からそっと噛んでみたり、頭の部分を開いてみたりしてやってみた。強力な磁石で頭の部分に近づけたのが、効果的だったのかどうかは不明だった。総計99尾の魚をきれいに平らげたが、奮闘努力の結果は、ついに報われなかった。バケツに入っているときにはずれたのか?…ともかく胃袋に入って出てくる可能性もあるよと、好き勝手な予想を言い合っただけだった。かくして読書会の課外授業は、愉快な一日を過ごして勉強疲れの頭を癒すことになったのだった。
2019年10月31日木曜日
利根川における八ッ場ダムの「洪水調節効果は小さい」
台風19号、利根川における八ッ場ダムの洪水調節効果
( 八ッ場(やんば)あしたの会)が「八ッ場ダムの治水効果は小さい」と発表している。(10月13日)
内容を読んでみた。
治水のための指標について担保されれば洪水被害はかなりの程度効果を上げると考えられる。現状は河床の掘削、堤防造成などの対策が進んでいないことが報道でも指摘されている。温暖化の影響は大きいものに違いないが、その前に対策がとられていないとなると、「想定外」との言い訳は通じないものと思える。
内容書きだし→
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〈注1〉計画高水位・・・河川の水位は、ダムなどの洪水調節施設をつくる計画により、一定程度下がることが想定されています。堤防を整備する際には、計画高水位まで川の水が流れても耐えうるよう設計することになっています。
〈注2〉計画堤防高・・・計画高水位に余裕高を加算した堤防の高さ。
〈注3〉河川整備計画・・・河川管理者(利根川の場合は国土交通大臣)が定める具体的な河川整備に関する計画。
今回の洪水で利根川の水位が計画高水位(注1)に近づきましたが、利根川本川は堤防の余裕高が2mあって、計画堤防高(注2)にはまだ十分な余裕がありました。
したがって今回の台風では、八ッ場ダムの洪水貯留がなく、水位が多少上がったとしても、利根川が氾濫することは考えられませんでした。
また、「国交省による八ッ場ダムの治水効果の計算結果(国交省の計算による八ッ場ダムの洪水ピーク流量削減率)」は以下の図とおりです。この図が示すように、八ッ場ダムの治水効果は下流に行くほど減衰していきますので、今回の八ッ場ダムの洪水貯留がなくても、利根川の中流下流の水位はそれほど上昇しなかったと考えられます。
今回の洪水の最高水位は9.67mで、計画高水位9.9mに近い値になっています。栗橋地点の最近8年間の水位流量データから水位流量関係式をつくり(下記の図「栗橋の水位と流量の関係(利根川・栗橋地点の年最高水位と年最大流量の関係)」参照)、これを使って今回の最高水位から今回の最大流量を推測すると、約11,700㎥/秒となります。
利根川河川整備計画では、計画高水位9.9mに対応する河道目標流量は14,000㎥/秒です。すなわち、今回の洪水は、水位は計画高水位に近いのですが、流量は河道目標流量より約2,300㎥/秒も小さいのです。このことは河床掘削作業が十分に行われず、そのために利根川中流部の河床が上昇して、流下能力が低下してきていることを意味します。
下記の栗橋地点における水位と流量の関係図を見ると、河川整備計画に沿って河道の維持がされていれば、今回の洪水ピーク水位は70㎝程度下がっていたと推測されます。
一方、八ッ場ダムの治水効果は「国交省による八ッ場ダムの治水効果の計算結果」を使うと、栗橋地点に近い江戸川上流端のピーク流量削減率は1/50~1/100洪水では3%前後です。
今回の最大流量の推測値、約11,700㎥/秒を97%で割ると、12,060㎥/秒です。八ッ場ダムの効果がなければ、この程度のピーク流量になっていたことになります。
12,060㎥/秒に対応する栗橋地点の水位を、上の図「栗橋の水位と流量の関係」から求めると9.84mになり、実績の9.67mより17㎝高くなりますが、大きな数字ではありません。
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10月29日の八ッ場ダム
2019年10月28日月曜日
「自然災害」「自己責任」の時代遅れなキーワード
台風の被害がすさまじい様子が連日伝えられている。被害に合ったらどうするだろうと、自分に重ねてみると言葉にならない。車で避難行動をとろうとして水流に巻き込まれたとのことをみて、自分で避難しろと言うだけが強調されているばかりに見えて仕方がない。非難するにしても、避難先の情報や高齢者世帯への声掛け、誘導避難や避難の方法など具体的な対策が事前に用意されるべきではないかと思う。
何かといえば「自己責任」ばかりが強調されて、情報はNET調べろ!という 言葉しか聞こえない。原発事故が発生した際の避難も自治体にまかせられて、事実上避難ができないということも伝えられる。こうしたありえない不条理が「自己責任」で捨てられるのは全く腹立たしい。果ては「自然災害」だからと、国や自治体の責任を軽んじる風潮さえ作り上げる。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が日本には存在しないということになる。
メロンやカニを配って議員になった者やそれを庇いたてる連中の顔をみると腹の虫がおさまらない。家の近所の神田川では、昔は水がよく上がっていたが、嵩上げ工事や一時貯留施設のおかげだろうか(使ったという情報は聞いていないが)あるいはという心配が杞憂になってよかった。防災地図によると、我が家は水没する場所になっていると受け取れる。不正確であれば判断を誤ることにつながるので、改めた方がいいと感じた。確かめなくてはならない。
避難地域や避難場所をNETで確認してといわれているが、なかなかつながらないのも改善してもらいたいところだ。第一高齢者のNET使用はどれだけ可能なのかもある。テレビで各地の被害状況、河川の状況が報道されたがこれが実に遅い。河川の監視カメラが少ないのだろうか。報道の調整があるのか?それにしても、盛んな人気スポーツ報道のような、丁寧な熱心さはみあたらない。
神田川であれば、昔は有線放送で水位が上がっていることをアナウンスしたが、最近は危険が少ないとみてかやらなくなった。この間の「想定外」の状況ではそれでは済まないだろう。今日は、がけ崩れの被害が「指定地域」になっていなかった傾斜20度程度のところで発生したことを伝えていた。政府の対応も実にのんびりしていたものだったが、想定外を放っておくことは人間の知性として放置しておいてはならないことだ。
何かといえば「自己責任」ばかりが強調されて、情報はNET調べろ!という 言葉しか聞こえない。原発事故が発生した際の避難も自治体にまかせられて、事実上避難ができないということも伝えられる。こうしたありえない不条理が「自己責任」で捨てられるのは全く腹立たしい。果ては「自然災害」だからと、国や自治体の責任を軽んじる風潮さえ作り上げる。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が日本には存在しないということになる。
メロンやカニを配って議員になった者やそれを庇いたてる連中の顔をみると腹の虫がおさまらない。家の近所の神田川では、昔は水がよく上がっていたが、嵩上げ工事や一時貯留施設のおかげだろうか(使ったという情報は聞いていないが)あるいはという心配が杞憂になってよかった。防災地図によると、我が家は水没する場所になっていると受け取れる。不正確であれば判断を誤ることにつながるので、改めた方がいいと感じた。確かめなくてはならない。
避難地域や避難場所をNETで確認してといわれているが、なかなかつながらないのも改善してもらいたいところだ。第一高齢者のNET使用はどれだけ可能なのかもある。テレビで各地の被害状況、河川の状況が報道されたがこれが実に遅い。河川の監視カメラが少ないのだろうか。報道の調整があるのか?それにしても、盛んな人気スポーツ報道のような、丁寧な熱心さはみあたらない。
神田川であれば、昔は有線放送で水位が上がっていることをアナウンスしたが、最近は危険が少ないとみてかやらなくなった。この間の「想定外」の状況ではそれでは済まないだろう。今日は、がけ崩れの被害が「指定地域」になっていなかった傾斜20度程度のところで発生したことを伝えていた。政府の対応も実にのんびりしていたものだったが、想定外を放っておくことは人間の知性として放置しておいてはならないことだ。
2019年10月21日月曜日
台風19号で各地のダムの放水は検証が必要
小河内ダムでは12日(土)18時以降に放水量を増加させた。「余水吐放流」についてプレスでの発表が14時にあり、当初の見込み、毎秒600立方メートルが750立方メートルとなるというものだった。午後10時過ぎに世田谷区玉川で浸水被害が発生しているので、小河内ダムの放水が影響をしていることは考えられる。放水が決定的だったのかどうかは即断はできないが、この検証が必要なのではないだろうか。
神奈川県の城山ダムは放水をいつするかで、いくたびか変更した。県の放流開始の判断が変更されたことで結果的に混乱を招くことになった。氾濫などの大きな被害にはつながらなかったとされるが、相模川支流の串川では同日午後10時半ごろ、家族4人が乗った車が転落し、全員が遺体となって発見される事故が起きた。放流開始と同時に市町への通知ということになったのは、行政の稚拙とでもいう大きな問題を残した。水位上昇の想定をつかむのは難しかったと神奈川県河川課がコメントした。
「緊急放流が始まったころ、ダムへの流入量が以上に跳ね上がった数値を示したままデータの更新が滞っていた」とまでなると、ダムがあれば安全という見解も神話としか言えない。城山ダムが「逡巡」している間に、複数のダムで緊急放流するとの発表があった。「赤信号…」みたいにというと軽薄と言われそうだが、放流したダムと堤防決壊した箇所との関連性を検証する必要がありそうだ。放流を実施した6ダムでは「事前放流」はしていなかったのニュースもあった。

2019年10月18日金曜日
近所にマンションが続々と建つ
そこは、広くて昭和の時代を通り超えてきた板塀の屋敷だった。取り壊されて平地になったと思ったら、マンション建設が始まった。公園が「美しく」改修され、グレードアップされた土地に、これ見よがしにポスターが掲示されている。大都市東京の活動をひけらかしているよう。
しかし、近所は店が多くあるわけでもなく家庭の食材を手に入れるのは楽ではない。買い物は新宿のデパ地下になるのだろうか。景色は公園の先にライトアップした都庁が素敵に見えて、修景だけは上等だ。狭い道路であるところに、どんどん背の高いビルが入り込んでくる。道路を走る車は「介護施設」の送り迎えのものが目立つ。高齢化社会に合わせた「老人ホーム」ならなと思わないでもないが。
いまはない屋敷
眺望は抜群でも
北海道と比べ物にならない
2019年10月14日月曜日
2019年10月4日金曜日
行政機関が魚釣り人の意見を聞くことの大切さ
こと「釣り」に関しては、人のそれぞれの好みで趣向するという範囲を緩く括っているのみだろうと、これまでの経験から思う。早い話が「金儲け」とはさほどの縁もない「つり好き連中」が、世に物申すことになにかの意義をみいだすことなどは、通常の目からは考えもつかないものとなっているだろう。
それは「行政」の位置づけがなせることでもあり、一部のつり趣向者の問題だと切り捨てられることに異議を言わざるを得ない。つり趣向者の要望は、例によって著名な「…つり団体」の意向ぐらいがせいぜいの扱いだろう。それでいて、「侃々諤々」の議論などは期待できそうもない。
そこで言いたいことは「釣れなくなった」ことだ。これはつまるところ、人類の存亡にかかわるというのが問題意識であり、他の様々な自然と社会の認識の過程を共有する。「釣る楽しみ」の本家の漁はいまや悲惨な状態で、痩せたサンマが皿にのり、細身のイカが半身で食卓を飾る。ウナギはどこへ行ってしまったのか。焼津のシラスは漁獲調整ということだ。
「つり」は一部の楽しみであることは違いではない。それでもゴルフを「趣味」を持つ人たちと、どっこいどっこいでの「経済効果」は統計として発表されている。趣向者数を考えるならば、隅に置いておくべき処遇にはならない。日本が「自然に取り囲まれた」環境に存在しているのだからその特性は生かされて間違いはない。その「愛好者を含む楽しみ群団」が結果として減少していくという状況であることは、いま風に言えば「削除、削減」されていくということ。そんな点からも放置されておくべきでない。
「削除、削減」は多くの要因によってつくられている。生態系のかく乱、混乱の現状からも言えるし、したがって「政治」の面からも言えることだろう。温暖化のもたらす影響は今や最上位の政治の課題だ。この影響は「常習魚釣り者」には焦眉のことと感じている。この影響はどこでも同様に起きているだろうと思う。
日本の自然環境と社会を作り上げてしまった我々の責任も免れることはない。「魚が釣れなくなった」ことを他人事にしたくないし、江戸時代から栄えた魚釣りの文化を絶やしてはならない。そんなことを想った「都議会共産党議員との懇談会」だった。
それは「行政」の位置づけがなせることでもあり、一部のつり趣向者の問題だと切り捨てられることに異議を言わざるを得ない。つり趣向者の要望は、例によって著名な「…つり団体」の意向ぐらいがせいぜいの扱いだろう。それでいて、「侃々諤々」の議論などは期待できそうもない。
そこで言いたいことは「釣れなくなった」ことだ。これはつまるところ、人類の存亡にかかわるというのが問題意識であり、他の様々な自然と社会の認識の過程を共有する。「釣る楽しみ」の本家の漁はいまや悲惨な状態で、痩せたサンマが皿にのり、細身のイカが半身で食卓を飾る。ウナギはどこへ行ってしまったのか。焼津のシラスは漁獲調整ということだ。
「つり」は一部の楽しみであることは違いではない。それでもゴルフを「趣味」を持つ人たちと、どっこいどっこいでの「経済効果」は統計として発表されている。趣向者数を考えるならば、隅に置いておくべき処遇にはならない。日本が「自然に取り囲まれた」環境に存在しているのだからその特性は生かされて間違いはない。その「愛好者を含む楽しみ群団」が結果として減少していくという状況であることは、いま風に言えば「削除、削減」されていくということ。そんな点からも放置されておくべきでない。
「削除、削減」は多くの要因によってつくられている。生態系のかく乱、混乱の現状からも言えるし、したがって「政治」の面からも言えることだろう。温暖化のもたらす影響は今や最上位の政治の課題だ。この影響は「常習魚釣り者」には焦眉のことと感じている。この影響はどこでも同様に起きているだろうと思う。
日本の自然環境と社会を作り上げてしまった我々の責任も免れることはない。「魚が釣れなくなった」ことを他人事にしたくないし、江戸時代から栄えた魚釣りの文化を絶やしてはならない。そんなことを想った「都議会共産党議員との懇談会」だった。
2019年9月28日土曜日
イカも獲れなくなっている状況が続いている
昨日は合唱団演奏会のリハーサルでみっちり練習をした。それでいつもよりは、「一応」の達成感によって、ビールの一杯も飲みたいという気になった。9時過ぎの街を探し回ったが、金曜日でもあり心宛の店は客が混んでいる。やむなく高級めいた飲み屋に流れ込んだ。
つまみの値段を気にしつつ、イカ焼きも注文した。小型で痩せ気味のイカが半身で、品よく皿の上に載ってきた。箸で三つぐらいは掴んで口に入れたいところ、それは我慢をして一つだけ口に運んだ。
最近はサンマも獲れない。酒の肴として好きな魚が「高級で」口に入らないなんていうことにならないかと心配になる。本来南の海に生息するサンゴが、北上して繁殖しているというニュースも最近伝えられた。
スウェーデンの16歳の活動家のグレタ・トゥーンベリさんが各国の代表を前に演説したのが話題になっている。
「人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね。」
手厳しいが思い当たることだ。暴風雨災害が日常茶飯事に起きて、死活にかかわるまでになっていることは、放置しておけない。それにしても、新環境大臣が国連で発言した内容は情けない。
2019年9月22日日曜日
スマホの機種変更、利便性よりはオジャマ虫的存在を実感
スマホの購入から3年がたって、そろそろ機種変更かと、ショップにでかけた。ハーウェイがいいかと目算を付けていたものの、結局「事故が多い」だのという説明に説き伏せられて、先方と「売り」品目にのせられることになった。
確かに悪くはないものだと思えたものだった。しかし、スマホ商品(も)IC技術と商品の開発で相当な変わりようだ。3年もたてばあれやこれやアプリで満タンになるべくしてなったスマホが、もっと容量がおおきくならないと、満足できないというしかけに落ちていると感じた。
「アナログ的」世界であれば、目に見えてということにもなろうが、このてのものは説明だけの話で分かりにくいし、わからないところはしかたなく「おすすすめ」に従うところやむない落としどころだ。
それでも、わかってはいた「セキュリティ」ソフトの導入について、おすすめで当初申し込みはしたものの、パソコンで現在使っているセキュリティソフトが、モバイルにも適用されることがわかって、キャンセルすることにした。
ところが、セキュリティ業者への連絡でキャンセルをと言うスマホショップと、セキュリティ会社へのやり取りで説明された方法では、連絡するたびに内容が変わって、いずれもうまくゆかない。
ショップに行ってもう一度話をしようと出かけたら、「予約」が必要で三日先だという。売ってしまえばそれまでかと悪口を押し殺して、そういえば購入の時も1時間後だと言われて待ったのだったのを思い出した。「デジタル社会」との付き合いとは大変に厄介なものだ。道すがら、アイホンの売り出しを他の店でも路上でもやっていた。なんだ、もう新しいスマホ機種の売り出し時期なのだと、オジャマ虫的悲哀を感じた。
確かに悪くはないものだと思えたものだった。しかし、スマホ商品(も)IC技術と商品の開発で相当な変わりようだ。3年もたてばあれやこれやアプリで満タンになるべくしてなったスマホが、もっと容量がおおきくならないと、満足できないというしかけに落ちていると感じた。
「アナログ的」世界であれば、目に見えてということにもなろうが、このてのものは説明だけの話で分かりにくいし、わからないところはしかたなく「おすすすめ」に従うところやむない落としどころだ。
それでも、わかってはいた「セキュリティ」ソフトの導入について、おすすめで当初申し込みはしたものの、パソコンで現在使っているセキュリティソフトが、モバイルにも適用されることがわかって、キャンセルすることにした。
ところが、セキュリティ業者への連絡でキャンセルをと言うスマホショップと、セキュリティ会社へのやり取りで説明された方法では、連絡するたびに内容が変わって、いずれもうまくゆかない。
ショップに行ってもう一度話をしようと出かけたら、「予約」が必要で三日先だという。売ってしまえばそれまでかと悪口を押し殺して、そういえば購入の時も1時間後だと言われて待ったのだったのを思い出した。「デジタル社会」との付き合いとは大変に厄介なものだ。道すがら、アイホンの売り出しを他の店でも路上でもやっていた。なんだ、もう新しいスマホ機種の売り出し時期なのだと、オジャマ虫的悲哀を感じた。
2019年9月20日金曜日
写真展開催顛末
17日からJRP立川昭島支部の写真展をやっている。今回も準備に悪戦苦闘をした。譲ってもらった額縁の数が足りずに買い足そうとした。でも同じものがなかった。額縁はそろった方がいいのでやむを得ず新規で4枚揃えた。あとの小さめの4枚の額縁は利用することにしたが、「四つ切」サイズであり、プリントした写真が合致しない。
プリンターはABサイズでしか対応しないので、用紙とマット紙がどうしても合わない。やむを得ず写真サイズを4:3に変え、両端はカットして合わせたが、上下も2ミリほど空きが出てしまった。搬送は娘がやってくれたので助かったが、会場の設営でまた一苦労した。初めての会場であることもあり、掲示するまで相当手間取った。二日目にいつものメンバーがそろって、「合評」をしながら宴会をしたが、こればかりは問題なく実行された。
プリンターはABサイズでしか対応しないので、用紙とマット紙がどうしても合わない。やむを得ず写真サイズを4:3に変え、両端はカットして合わせたが、上下も2ミリほど空きが出てしまった。搬送は娘がやってくれたので助かったが、会場の設営でまた一苦労した。初めての会場であることもあり、掲示するまで相当手間取った。二日目にいつものメンバーがそろって、「合評」をしながら宴会をしたが、こればかりは問題なく実行された。
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