虚鯊は「ウロハゼ」。関西で好んで食べられている。すしネタでもいけるとか。「あーそーべー」は山形の方言で、一緒に遊ぼうとの意味。ウロハゼは関東の海でも増えてきているもよう。温暖化の影響かもしれない。夏のハゼ釣りのとき、マハゼに混じってつれるが、「つりの競技会」となると、邪魔者にされることがある。
2020年4月18日土曜日
2020年4月14日火曜日
仙台七夕も中止とか
仙台七夕は8月6日~8日の予定のところ、取りやめになるとのこと。現在の形になったのは1946年、つまり戦後すぐのことだった。戦時中は無論のことそんなことは許されなかったし、「自粛」よりも強烈な抑圧社会だったから、戦後新しいスタイルが始まったのだろう。
400年の歴史を数える七夕も、中止になったニュースを見て、ああそうだろうなとは思ったけれども、ちょっとひっかかったのは、戦後の始まりが、自分の出生した年と同じだったこと。誕生が偶然とはいえ、同じ時間を過ごしてきたのかのかと思うと、感傷を感じるのはウィルスのせいばかりだろうか?
日光東照宮など世界遺産の二社一寺は13日、14~22日まで拝観が停止で、いよいよ神との仲も分断された。大阪天満宮(大阪市北区)は13日、7月下旬の「天神祭」に伴う奉納花火などの行事を中止。本殿神事は神職だけでやるのだとか。新型コロナの収束は神にもお願いできなくなった。それとも空のかなたから高みの見物?だとしたらお人が悪い。いやお神が悪い。
2020年4月10日金曜日
こんなに「恐怖」を感じたことはなかった
我々人間が長年かかって手にした住居であり、職場であり、憩いの場である「快適で幸せな空間スペース」=われわれが「三密」と称する空間がターゲットにされた。社会活動と生産活動を止め、人を分断させ対立させ、死への恐怖を駆り立てる。地球の生命にかかわる気候変動の危機に向き合わず、緊張を煽る軍拡競争や地域紛争の前に、いとも簡単に立ちはだかった。
もう、国家間の紛争をしている場合ではない、軍拡競争を止めて、権益や私欲を前面にすることを止めて、人類の課題へ取り組み…協力していくのだよと、教えてくれているのかも。人が一致協力して、住まいと働く場、事業所、営業所の活動を守るために、いき生き続けるために必要な資金を投入することは、あまりにも当たり前なこと。
生半可な対策だけではすまない。命にかかわるこんな冷酷な政治を切り替えようという視点が、押し込まれてダメ出しを迫られているテレビにも、表れるようになったのはいくらかの救いだと思う。
2020年4月4日土曜日
2020年4月3日金曜日
2020年3月29日日曜日
3回目の偶然、神田川桜並木へ行く道の途中、釣の会会員さんの家が。
同じ21日、桜の写真をまだ満足に撮れていないので、出かけてみようと「神田川桜並木」に行ってみることにした。よいところだと昨年聞いていたが、地理的に知らないところなので、地図で見ると自宅からは交通機関が使いにくい。結局大江戸線で牛込柳町へでて、そこから歩いていくことにした。
スマホの地図を頼りに北へ向かって歩き始めると、スマホの連絡先として登録してある、Sさんの住居がスマホの画面に記されていた。Googleの地図に連絡先として登録してある名の所在が出てくることは知っていたが、こんな風に出てきたのは初めてだった。近くを通っているのに知らん顔するのか、せっかくだから顔出しするか二者択一を迫られることになった。
ともかくも写真を撮ってから帰りに判断しようということにして、神田川への道をたどった。サクラは残念ながらやっぱり少し早いようだったけれども、人出は賑やかだった。神田川の脇の道沿いに咲いているのを、眺めながら写真スポットをさぐったが、なかなかこれと思ったところは少なかった。
2020年3月28日土曜日
2020年3月25日水曜日
偶然でくわした釣りの会の先輩
しばらく前、テレビ映像で荒川線を通る道筋を歩くという番組を見た。桜の花が映っていて、いつか行ってみるかとメモ用紙に書いておいた。パソコン前に散らかしていた「ゴミ」を整理していたら出てきたので、すぐに捨てるのもどうかと思ってNETで調べてみたら、王子の駅のすぐそばに音無親水公園があるのがわかった。
思いついたが吉日と19日に出かけてみた。北区と言えば釣りの会の有名人がお住いのところなので、黙って行っていいものかと気にしつつ、時期尚早の桜を眺め探して公園を歩き回った。小さな公園だったから、すぐに回り終えた。
まだ帰るには早いかと、行きつ戻りつしていたら、なんとその有名人さんと、ばったり出くわした。びっくりして思わず、しばらくぶりの再開でご挨拶。公園から離れた先で、宴会をしていたとのこと。偶然とはいえ気にかかったことが、現実のものとなると、なにかあるのではないかと思ってしまった。
2020年3月21日土曜日
4月14日~19日の写真展、開催できますように。
4月14日から開催する写真展の準備。作品紹介のパンフレットを作る仕事をやることになって、ようよう何とかまとまってきた。パソコンの経験が長いわりには、通常のワードなりエクセルその他のソフトをまともに取り組んだことがなかった。
見ようみまねで自己流にやっていたものだから、Publisherというソフトの編集などは見たこともなかった。使用方法の指導を受けながら、動かしてみたら、今までホームページ作成で動かしてきた経験が役立つ部分もあって、多少の軽減になったかもしれない。
しかし、ソフトなるものなんでもよくできている。そりゃーこれまで何年も利用者に晒して、欠点を修正してきたわけだから当然と言えば当然だろうけど。例えばタイトル部分のサイズ設定は、これまで自己流では「感」で決めたいたものだったが、設定をきちんとやるとなると、1000分の一ミリの単位で決定できる。これではプロの仕事じゃあないか。文字を入れるスペースも同様の設定でやるから、精度は高いものになる。
そうやって編集していくと、誤りがないかどうかの心配の頻度が上がる。なにせこっちはいい年で、集中力が衰えていて、例の「途中から思いついて違うことをやりだす」性癖がでそうになる。ここは必死にコントロールして、段取りを冷静にたどりながらやっていく。いやーだから勉強にはなった。だけどもちろん金にはならない。新型コロナの蔓延で、よもや中止などと言うことがないようにと、今は祈るしかない。
見ようみまねで自己流にやっていたものだから、Publisherというソフトの編集などは見たこともなかった。使用方法の指導を受けながら、動かしてみたら、今までホームページ作成で動かしてきた経験が役立つ部分もあって、多少の軽減になったかもしれない。
しかし、ソフトなるものなんでもよくできている。そりゃーこれまで何年も利用者に晒して、欠点を修正してきたわけだから当然と言えば当然だろうけど。例えばタイトル部分のサイズ設定は、これまで自己流では「感」で決めたいたものだったが、設定をきちんとやるとなると、1000分の一ミリの単位で決定できる。これではプロの仕事じゃあないか。文字を入れるスペースも同様の設定でやるから、精度は高いものになる。
そうやって編集していくと、誤りがないかどうかの心配の頻度が上がる。なにせこっちはいい年で、集中力が衰えていて、例の「途中から思いついて違うことをやりだす」性癖がでそうになる。ここは必死にコントロールして、段取りを冷静にたどりながらやっていく。いやーだから勉強にはなった。だけどもちろん金にはならない。新型コロナの蔓延で、よもや中止などと言うことがないようにと、今は祈るしかない。
2020年3月15日日曜日
新型コロナウィルスに負けるな!
新型コロナウィルスの検査数をてこでも増やさないというのは、よほどの何か(=利権?)が裏にあるのかのかと考えたくなる。医療崩壊を起こさないためにという理由を並べて、事実上の診療拒否を誘導するのはおかしい。医師会が反対しているというSNSがあったが、ほんとうだろうか。
具合が悪くなって医者を頼るとき、必要に応じて治療のための対応をしてもらうのが、健康保険の目的だろう。国民健康保険の支払額はことしは相当増額して払っているのに、「医者にかかれない」とはふとどきなことだ。
「国難を乗り切ろう」との言葉が、聞こえてくれけれども、検査を抑制して実態もつかまないまま、非常事態宣言だと大声を上げて、憲法上の権利を抑え込むことを可能にするなど、とんでもないこと。生活の一挙手一投足に知事が「指示」ができるということは、ウィルの拡散を止めるという口実で、行動制限にかかわるすべての生活に関わるデメリットに「対策しない」を保障させるようなものではないか。
疑いのある人は全部検査ができるようにするのが本来の筋だろう。そんなに「医療崩壊」がおこるほど脆弱にしてしまった病院数や予算の減少は誰がやったのか。医療崩壊を言うのであれば、この際中国のようにこの際病院を建てたらどうだろう。(サクラを見る会はちょうど今年はやらないのだからニューオータニにも協力を求める手もあるよ)どういう手を打つかは知らないわけでも、わからないわけでもないだろう。
診断した医師の判断で必要と申し出たものは、すんなり検査するようにするのが当然だ。小病院の患者対応で必要なレイアウトやら必要な備品には、資金援助も必要だろう。私らはあなた方に税金を預けているのだから、この折生じているマイナスをきちんと補填するようにしてほしい(というより「しろ!」)
具合が悪くなって医者を頼るとき、必要に応じて治療のための対応をしてもらうのが、健康保険の目的だろう。国民健康保険の支払額はことしは相当増額して払っているのに、「医者にかかれない」とはふとどきなことだ。
「国難を乗り切ろう」との言葉が、聞こえてくれけれども、検査を抑制して実態もつかまないまま、非常事態宣言だと大声を上げて、憲法上の権利を抑え込むことを可能にするなど、とんでもないこと。生活の一挙手一投足に知事が「指示」ができるということは、ウィルの拡散を止めるという口実で、行動制限にかかわるすべての生活に関わるデメリットに「対策しない」を保障させるようなものではないか。
疑いのある人は全部検査ができるようにするのが本来の筋だろう。そんなに「医療崩壊」がおこるほど脆弱にしてしまった病院数や予算の減少は誰がやったのか。医療崩壊を言うのであれば、この際中国のようにこの際病院を建てたらどうだろう。(サクラを見る会はちょうど今年はやらないのだからニューオータニにも協力を求める手もあるよ)どういう手を打つかは知らないわけでも、わからないわけでもないだろう。
診断した医師の判断で必要と申し出たものは、すんなり検査するようにするのが当然だ。小病院の患者対応で必要なレイアウトやら必要な備品には、資金援助も必要だろう。私らはあなた方に税金を預けているのだから、この折生じているマイナスをきちんと補填するようにしてほしい(というより「しろ!」)
いらいら解消の散歩で見つけた
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