ツアーの食事はおしゃれな「洋食」。夕食のフレンチ、マスの唐揚げは美味かった。釣り人からみると「マスかよ~」といった感じだけれども、さっぱりした魚だから調理によって、こんなに上手くできるのだと感心した。まあ一流のコックさんだろうけど。朝食後の散歩で、庭出てみた。ちょうど陽が上がっていくところで、うっすらと池から湯気が立って、爽やかな自然が切り取られていた。膝が少し痛むのでそろそろ歩きで、少し高低がついた池のそばまで行ってみた。前日の夕陽の時期も良かったろうな…。
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虚鯊は「ウロハゼ」。関西で好んで食べられている。すしネタでもいけるとか。「あーそーべー」は山形の方言で、一緒に遊ぼうとの意味。ウロハゼは関東の海でも増えてきているもよう。温暖化の影響かもしれない。夏のハゼ釣りのとき、マハゼに混じってつれるが、「つりの競技会」となると、邪魔者にされることがある。
ツアーの最初の行き先は軽井沢。もうあなた任せの旅だから、お任せのままで集合場所と時間を気にさえすればいい。とはいえ2回くらいまでなら時間も頭に記憶しておけるけど、回数が重なると怪しくなってくる。軽井沢は町並みもそんなに複雑でなくて、気軽に歩けたのは良かった。前回退職者会の旅で訪れた時に、履いていた靴の裏がはがれてしまって、雨の中靴屋を回って歩いたのを思いだした。そのときはわざわざバスを近くに停車してもらって世話になってしまった。そのときの記憶が、恥ずかしさも手伝って残っていた。
わりと空き加減な店観て歩きに余念がない、お二人と付かず離れず歩いた。昼時なのですぐにラーメンを食べるべく店に入り、もちろんアルコールも旅の一番の友として親しませていただいた。軽井沢からのバスの窓越しで、秋景色がもうしばらく先という感じだったので、そこは差し引くとして、やはりおしゃれさが感じられて、それなりに面白い空気を味わった。久しぶりの散歩がなんだか、新鮮な気分だった。
下に恐ろしき世の中やな。感染者がなぜかどんどん減って、元の生活に戻すというスタイルに動き始めた。感染者が減った原因が報道でもさっぱりわからないで、「秘密」になっていると言いたいほどだ。いや当たらずと雖も遠からずかもしれない。11月か12月には第6次…などということが言われているのに、病床の体制も検査の有料化もなにかこれまで同様の自己責任に括られているみたいだ。
ちょうどこの隙間に当たったツアーが、身の程よりも少し贅沢な内容だったにしても、ストレス解消にはなった。
旅の記録は、日記ともらったパンフレットと、撮影した写真に残る。パンフレットはスキャンしてパソコンに取り込んでおくし、写真は「撮影日、時間」情報が残っているので、行動を振り返ることができる。その上に、Googleマップの「タイムライン」で通過した「足跡」が記録されている。
このタイムラインは本人しか見られないとのことだが、システム上はそうであっても、漏れないことなどはない。推理小説並みの創造をすれば、あるとき殺人事件があり容疑者にされたとすると、パソコンの記録を押収されて調べられ、「あのときお前はそこにいた」と自白を強要される。…てなことがないとは言えない。まあ逆に、そこにはいなかったという反証にもなるかな。
蓼科から飛騨高山へ
第6次の感染拡大を気にしてそろりそろりと、飲みに行こうかと言った方がいいかも。今のコロナ感染者数が減っているのがなにが原因で、どうしてなのかはさっぱりわからない。コロナの感染拡大を気にしているようでも、要望に応えた対策をほぼ取らず、ワクチンを買ってきたよ、手入れたよと手柄にもならないことを、「やっています」風に描くことは忘れない。医療体制や検査拡大の対応をつまびらかにしては、批判を受けるばかりで、なんとかして「やりたい放題」を貫こうという浅ましさ。憲法53条に違反してまで開かずに逃げるのはそのためだろう。
―2020年194日
―2019年222日
―2018年230日
最近はスーパーでも、頼みのコンビニも支払いを「ナントカpay」、Payペイ、スイカ、PASMOなどとか、それもスマホを使ったか方法に加えて、現金支払いが乗車券購入方式で、自分で清算するということになってきた。最後の城壁が崩されている気がしてきた。こちとら古い人間だから、商品を購入してその支払いを、受け取って釣りを出すというのは、そちら様に仕事だろ?と言いたくなる。
クレジットカードなどはなるべく使わぬようにして「金の管理」ができる自己規律を、させまいとしているようでもある。クレジットが実行するまでの間の「スキマ」が儲けになる。「ポイント還元」がその一部なのだろう。
国鉄の民営化前、切符の購入を「自動化」したときにも、そんな機械装置を使うことが強要され、日常のことに慣らされた。その人件費は見事に国鉄職員人員の削減効果に現れた。とはいえ、生活の中で「金科玉条の」スマホを利用した生活はこれから先ハラスメントがいやでも仕掛けられる。
スマホのあれこれのアプリは、「個人消費」拡大のための道具として、もてはやされ活躍する。まずもって「購入の誘い」はウルセーと言いたいほど入ってくる。そこからスマホの利便性だけを拾い上げる作業は面倒であり、どうしらよいか判別つかない場合も多い。Au(に限らず)にまつわる購買意欲のお誘いはまったくすごい。
仕方なく「スマホ支払い」を利用しようとしたら、そのクレジットカードは年間会費11000円で、通信料金や買い物で付いてくるポイントで損はないという説明だ。いままで放っておいた「ポイント」なるものも、当てにできるほどのものでないが、あちこちで散らかりっぱなしなので、もったいない気になってきた。かくして現金を財布に入れた買い物もガラパゴスと言われるようになってしまうのか。
=格差とは、同類のものの間における、程度(水準・資格・等級・価格・格付け、レベル)などの差や違いである。 また、社会問題の一つとしての意味合いを込めても用いられる語であり、貧富の差(経済格差)などを意味しても用いられる。
↑ウィキペディアから
格差は主に違いを図式的に表現しているようであり、なんらかの「差別」を含んだものと受け取れる。差別は、特別扱いをして除外、拒否をするという行為で、格差と似ていながら、社会の規範としてあってはならないこと、なくさなければならないことと言える。格差も最近は差別的処遇として批判的みる場合が増えているように思う。平等や人権を重んじるという観点もまた身につけることは易しくない。こんな状況はまだ続くようように思うが、今だからこそ問い直すチャンスだという気もする。
ところで、「ワクチン接種」で副反応の状況がニュースで使えられているが、ワクチン接種へのある意味「のめりこみ」のような状況で、政府も3回目以降のワクチン確保との報道がされている。モデルナの副反応の状況を見てスウェーデンは若者への接種を一時止めたとのこと。国内でワクチンの副反応での死亡者はいないことになっているが、接種後死亡者について「因果関係が評価できない」となっている。「ワクチン接種の影響ではない」とする評価はされていない。今の関係機関(政府)の様々なことへの対応を見て、率直に大丈夫なんだろうかと思ってしまう。それは杞憂なんだよという言葉はちっとも聞こえてこない。
そんなときに、地方の実証実験ということで「ワクチン接種証明」「陰性証明」
を「通行手形」にするという動きが出てきた。おいおい、ワクチンの接種は強制されないという議論はどうしたのだ。通行手形がないとダメという括りで簡単に運ぶのはまずいのではないか。方法も十分に検討してしかるべきで、それを踏まえてのことにしなければ、「差別」のレッテルをはることになり、社会的な「除外」「拒否」で差別になってしまはないか。
また、このときとばかり、これまで抗原キットの販売にブレーキをかけていた厚生省が、一転しての販売を公認した。3月には「医療販売業者に十分留意」の監視通知をしていたのに…。社会的感染検査をやるべきとの声にほとんど応えることなく、「有料で買え」とまさに惨事商法の慮りがまた進められる。
娘が乗っている車がパンクした。タイヤにネジ釘が刺さっていて、それをペンチで抜いたら「シューーーー」と恐れていた音がしてタイヤはぺちゃんこに。膝痛の治療に出かける直前だったので、予定は止めかと思ったら近くのカーシェアリングから車を調達してきて、これで行こうと言う。我が人生経験からは思いつかない行動にびっくり。「デジタル」の恩恵を言わざるを得なくなった。
家の前は幸いなことに私道なので、その場にパンク車は止めたままで出かけることになった。治療先の往復で3時間弱ほどかかり、家に戻ってETCカード会社のロードサービスに連絡した。一時間ほどで来てくれてパンクの状況などを調べ、他のタイヤの摩耗状態をみてだいぶ痛んできているので、タイヤ全部交換がいいのかもと言う。いよいよ運ぶ段になって、近所の車修理の工場に電話すると、営業は終わっているが門を開けて待っているよという親切な話。
ところが運ぶ側の車が牽引車だったので、そこまで行く道路は狭くて運べない。サービスの運転手さんが、親切にも歩いてみ廻ってくれたのに、やっぱり駄目だとのことでデッドロック。翌日に持ち越すことにした。
夜のうちに自動車保険のロードサービスに連絡してあったので、運び先は再考していつも使っているというオートバックスにした。そこなら短時間で修理ができるとことになった。近所の車修理屋さんには、二トン以下の積載車両で積み込めば、来られますよ」と丁寧に教えてもらっていたのに、申し訳なく断りの電話を入れた。
一週間ほど前に墓参りに行ったときに、タイヤから異音がしたので、のぞいてみるとネジ釘が溝の間にはまっているのが見えた。そのときには「ネジ」という認識はなかったので、後日スタンドで調べたほうがいいと話していた。忙しくて行っていられなかったとのことだったが、高速道路でバースする可能性もあったので、危ないところだった。8年使っていたタイヤで、使用頻度は低かったらしいものの、劣化が進んでいるということで、全部取り換えという散財結果になった。
「それはホロコーストのリハーサルだった:T4作戦 障害者虐殺70年目の真実」(2015年にNHK『ハートネットTV』と『ETV特集』)という番組が、先日再放送された。「ユダヤ人の大量殺戮の前に、20万人を超える障害者が殺されていた」との史実をたどったものだった。ナチスによるユダヤ人の大量虐殺については、戦争犯罪としていまでも見聞きにすることがあったけれども、こんな歴史があり今になってその見返しと反省があることを知った。
ユダヤの手先となった医師が、精神を病んだ子供たちを選別し、「立ち直らない」認定をして収容施設に送り込み、安楽死をさせたという、ショッキングな内容だった。ヒトラーが安楽死計画に賛同し、命令書に署名をしただけで、障害者の大量殺害を計画したのはドイツの精神科医たちで、現場で殺害を遂行したのも医師や看護師たちだったという事実にはほんとうに驚く。同時に今は…との疑問符で考える。
ナチスの安楽死計画を研究する専門家たちは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて欧米社会で隆盛だった「社会進化論」や「優生学」などの影響で、障害者の隔離や断種にとどまらず、後の大量殺害にまで発展して、さらに「安楽死」という考え方を必要としていたという。
「2010年11月26日、ドイツ精神医学精神療法神経学会のフランク・シュナイダー会長(アーヘン工科大学医学部精神科教授)は、ベルリンにおける年次総会で、ナチス時代に精神医学の名のもと、強制移住、強制断種、人体実験の被害を強いられ、また患者として殺害された犠牲者をしのぶ追悼式典を開催しました。追悼式典には、3000人の医師たちが参加しました。」と振り返りの活動がされているのは救われる思いがする。
「安楽死施設」へ送り込まれた子供は、注射を打たれるが、一様に「肺炎で死亡」との結果が記録されていると映像で紹介していたが、新型コロナも肺を襲う。「コロナ感染で精神科病院から転院できずに235人死亡」との記事をみて、「優性思想」がいまだに生きているシステムが今存在していると、不快な気持ち悪さが湧いてきた。
共産党の山添議員が「撮り鉄」書類送検された。最近よく報道される「勝手踏切」を渡ったというのが、軽犯罪法違反として書類送検になった。18日に当議員がツイッターで軽率な行為だったことを反省…と投稿したあと、読売新聞が記事を配信している。「関係者取材」した読売新聞だったのも特記事項かもしれない。その記事を使ったYohooニュースでも、読売同様コメントが数多く投稿されている。「撮り鉄」の反社会的行動が報道されて、警察が取り締まりを強化していることでのこととのコメントもある。昨年の11月に線路横断をしたことを、選挙が近づく今ごろになって書類送検という、意図的とも言われても反論できない時期になった。コメントは大体がその筋のグループによるものが投稿している。共産党だから…というものが多く、読んでみると「矢代発言」と同様の意図的背景を感じさせる。
「撮り鉄」が、「ルールを守らないで」という報道も最近よく見る。でも、「最後の走行」を宣伝して集めているという側面もある。このコメントの中にも取り締まりを厳しくやれというものがあったのが、たしかに撮影するために様々な、条件づくりをやってしまうという悪幣がある。邪魔な木を切断するなどとすることは、絶対あってはならないことだ。渓流釣りでも、釣っている人の直前に立ちこむなど、反エチケットがあるし、他人や社会に影響することは、議論と調整が必要なことがある。気持ちよく趣味に親しもうとすれば、一定の了解事項が大事なことも確か。「勝手踏切」使用禁止、廃止が付近の利用者の利便を奪うことも宿題だし、もともと付近の住民が都合よく作った歴史を無視していることも考えなくてはならないことだろうと個人的には思う。
10月(木)9時に開始される「ドクターX」を楽しみにしている。
中間管理職の「御意」の言葉が風情に合って、目下の政治に重ねると痛快に見える。「御意」の映像が、「忖度」態様への風刺としての味わいを披露しているようで面白い。うまい言葉を拾い出したものだ。テレビドラマにも、「水戸黄門」のように「気持ち」に寄りそうところがあると、見ている甲斐がある。この言葉を非公開の閣議で使ってはいないだろうなどと、思いをはせると余計ドラマが楽しくなる。
江戸時代のドラマでよく使われているが、当時はまったく「真摯」に使われていたことだろう。今は忖度を強引に迫る人事制度…やらの陰湿さがまかり通って、すべてイエス返事の仕立てで、ドラマにもしにくいだろう。「ドクターX」にすべて期待を載せることもできないが、コロナのご時世を中に取り入れるとの事なので、どんな描き方になるか興味深々。ドラマ中の赤字経営の病院も、公立病院の「民営化路線」で、コロナ対応で医療崩壊にいたる現在の背景が描かれて、アンカーになっている。「社会派路線」なっていると見心地がいいので期待したいと思う。
最近競争事業(競馬競輪オートレース)のテレビ放映が増えている。「ギャル」を登場させて、若者を取り込もうという算段。IRを日本に呼び込もうという背景が広告料をたっぷり使っている。博打はいけないものという「常識」を覆して堂々と皆の目に触れるようにするとはなんたることだろう。賭け事で勝者になるのは「ツキ」としか説明できない代物で、アルコールや薬物乱用のように心身から取り込まれるのだから、決していいことはない。
オリパラが終わって、政権持ち上げの構図が見込み違いになり、手筈通りの解散を先にもっていくしかなくなった。モリカケからコロナ対応まで混迷極まってきた政権は、9年もの間あらゆる手を使って続けてきた。コロナ感染者へは「自宅療養(放置)」を公言し、大きな批判が起きても取り消さない態度には、ここまでやるかと驚く。総裁選でメディアを引き込んで、連日顔見世をさせていることもまことに妙な事。
「コロナ禍での騒ぎ」に批判があることに、頭においてやっていくのだと言う詭弁を使う。そういえば「頭に置いて」オリンピックやったことで感染爆発が起きた。医療は崩壊、必要で急がれる対策の正式な議論も国会を閉じたまま。国会を開かずに総裁選レースにのめりこんでいるのが日本の政治。いい加減にしてくれと思う。歳費をもらって総裁選レースかよ!メディアがこれをはやしたてているというより、支持率浮揚のための応援団を合い務めている。わかってやっているのだろうと思うと腹が立つ。
それなら、カケでもやったらどうだ。
(^^♪ ~走れ総裁馬~
これから始まる大レース
ひしめき合っていななくは
同じムジナの総裁馬
コロナ下ダービーめでたいな
走れ走れ総裁馬
本命穴馬かきわけて
走れ走れ総裁馬
追いつけ追い越せひっこぬけ♬
メディアが例のごとく一政党の争いごとをネタにして、はやし立てている。なにゆえ「候補者」をテレビ画面に引っ張り出して、権力争いの「盆踊り」を照らすのか。ほんの申し訳程度に「今その騒ぎではなくて、国会開いてコロナ対策」という主張もあるにはある。
「健康危機管理庁」(仮称)を設置、国主導で「野戦病院」のような臨時の医療施設開設を進め、「医療難民ゼロ」を実現などと対抗者が言い出すが、それなら同じムジナのなかで、これまでどうして主張してこなかったのか疑問がわく。総裁選挙のネタとして打ち上げ花火で使うことはわかるとして、本当にやる気なら国会開いて、ご本人も加えて議論したらいい。コロナ対策にブレーキをかけて、衆院選挙後までただ時間を食いつぶすことにならないか。
現政権発足の前後、メディアがはやし立てて高支持率を出させたのはついこの間だった。今の支持率が妥当だったとが、ここまできてようやく表にでてきた。一政党の「踊り」を客観的に報道することを軽視して、「災害並みの危機」にまで招いてしまうことになったメディアの責任は重い。「盆踊り」は、舞台に上がる人の周りにいくつかの輪はできる。でもその外側で見ている人も圧倒的に多くいることわかっているかな。
ここまで書いたところで、「不出馬」速報。中身は変わらないのでこのままにした。すべて「世論」を無視して、やりもしない「ていねいな…」「先手先手の…」の言葉でしのぐなんてあり得ない。ようやく、あり得ないことが実現した。この続きがまた同じ穴のムジナではしょうがない。
テレビでしょっちゅうやっているゴミ住宅が、他人事でない「親近感」を思わせることがある。部屋の中のモノ、特に本は散らかっている。月刊誌もあるし、時折気が向いて買った本も行き先のコーナーが決まらないまま、デスクや棚など平らなところの上に重なっていく。決まらないのは読み切っていないせいもある。おまけに順不同になって、後からどこにあるかと探すのが難しい。衣類の方は退職人種ゆえ増える要素はそうない。捨てる決意をするチャンスを待つのみだけど、「一年間使用せず」の基準は忍びない…。ほかに手紙やら宣伝物やら整理すればよいものを、ゆったりと目を通すものだから、身の回りに見る間に溜まっていく。
寝られなくなるのは体力が無くなったといわれるが、片付けも体力がいる。新聞の切り抜きをスキャンして保存するなどは、やるべきことでもやらなくてはいけないことでもないが、自己目的化して一日の励みにはなる。そうでもなければ、余計惚けるだけのことなのだと思い、あれこれの目的をみつくろって実行する。
だけどそれにも体力がいるようで、だんだんと、とっかかりが遅くなったり、すぐ疲れてしまったりで終えるまでに時間がかかる。自分が役に立たない廃棄物に近づいていくようでもある。まあ末はいらないものになるのは必定だからあきらめもする。コロナ下で二年も追いかけられ、この先もどうなることか。頭の中も、後ろ向きになっていくようで困ったことだ。
これは「捨てないでくれ」使えるのだから
パソコンがいいのは、どこを動かせば結論(成果)が得られるかを常に考えなければならないところかな。脳が刺激受けて活性化をさせている。自粛生活を迫られることでパソコンラックの前で過ごすことが余計に増えた。成果を上げて金を稼ぐわけでないから、まったく気楽に自主的に取り組めば、よい時間つぶしにはなる。
夜は9時前にはパソコンの椅子から立ち上がるようにはしている。頭が稼働して興奮状態では寝つきが悪くなる。パソコンを立ち上げる前にコーヒーを入れるのがセットになっている。コーヒーの飲みすぎにも気を遣わなければならない。寝足りない状態に陥って、昼間寝てしまえば生活が狂ってしまうので避けたい。日頃本は読みをしたいと思ってはいるが、なぜかとっつくまでに時間がかかる。不幸にして読み始めると、それでまた頭の興奮状態を覚ますのに大変になる。
パソコンのファイル整理をここずっと続けていたので、すっかりきれいに出来上がった。(はずだ)。少なくともどこに何のファイルがあるかは、たどれるようになったし、ノートパソコンとスマホでも同期が出来あがり、backupもシステム全体の整備できた。今回発見したのは、パソコンはある程度の誤りは自力で修正するものだと分かったことだ。おかげで、ファイル構成の全体像が見えてきた。もう20年もいじっているのだから当たり前と言えばそれまでだけど。
パソコン整理ですっきりした気分になりカメラをもってでかけた
~BBCニュースからの引用~
個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない…ことを事実上無視して、NHKは活躍の証拠だとして発表することを公言しているし、メディアの扱いも大方同様になっている。「メダル争い」が国家間の競争とされ、集約されては平和に貢献することになるのだろうか。日本でも「国威の高揚」に使われていることが当然視されるべく扱われ、開会式での「自衛隊の活躍」を見れば軍事の色彩まで感じてしまう。政権の浮揚まで利用されては、上前を撥ねるという点でも冒涜ともいえることだろう。日本では「人のフンドシで…」「虎に威を借る…」という格言がまだまだ生きている。
~この点でBBCのニュースの記事が面白かった
東京オリンピックのメダル獲得レースは今回も、アメリカや中国といった大国が上位を占め、1位はアメリカだった。しかし、各国の人口や経済力を変数として考慮した場合、順位はどうなるのだろうかーというもの
~つまり国ごとのメダル数を単に比較しただけでは「実力」ではないこと
「大事なのは人口と収入レベルと政治体制だというのは、今でも明々白々だ」と、五輪予想を研究する英リヴァプール大学のエコノミスト、デイヴィッド・フォレスト教授は言う。
~人口が大切なのは当然
国の人口が大事なのは、競技人口が多いほど優れた選手が出る率が高くなるからだと、フォレスト教授が言う。「世界的なアスリートになる資質を持って生まれる人はとても少ない。たとえば、人口63万3622人のルクセンブルクを見てみる。7種目に選手12人を送り込み、メダルは取れなかった。
一方で世界3位の人口規模(約3億2800万人)のアメリカは、35種目に選手613人を送り込み、メダル獲得数はトップだった。
~人口100万人あたり獲得数では
国の人口100万人あたりのメダル獲得数を比べた、従来とは違うメダル・ランキングを作ってみた。この数え方でいくと、人口わずか3万3000人超の欧州の小国サンマリノが、獲得したメダルわずか3個でも、ランキング1位になる。一方のアメリカは、この尺度では20位以内にも入らず、60位になる。
「とても貧しい国の場合、人口という潜在能力を、国際舞台での実際の競争力に転換することができない」と、フォレスト教授。「そもそも国民がスポーツに参加できなければならない。たとえば、競泳の素晴らしい才能を生まれつき持つ人がいて、あとはその能力を引き出すだけだったとしても、国が貧しければプールがない」
貧しい国が勝つのは、たとえばレスリングなど低コストの競技になりがちだと、教授は言う。(~日本は貧しい国だ)一方で、裕福な国は人口規模にかかわらず、馬術やセーリングなどで活躍する。
~国民の平均所得では
国民の平均所得を検討要素に加えると、(メダルレースで2位と3位だった)中国とロシアは、実はアメリカの成績を上回ったことになる。この別バージョンの順位では、1位は中国、2位はロシア、3位はケニアだ。そして、いつもならメダル順位1位のアメリカは、この指標を使うと15位になる。
~政治的文化的要因
フォレスト教授によると、旧ソ連圏の諸国は、かつての共産党政権が構築した強固なスポーツインフラが残っているため、有利な傾向にある。英連邦の国々も、国の規模や経済力に対して比較的、好成績を残しがちだ。これはおそらく、イギリスが現代スポーツ発展の先駆者だったからだろう。イギリスは現代のスポーツ競技を開発すると共に、スポーツ競技への熱意を世界中にもたらした。ほとんど常にメダル数でトップテンに入るオーストラリアが、その典型例だ。
~国がどの競技に選手を送り込むかも関係
インドではクリケットが国民的スポーツだが、クリケットはオリンピック競技ではない。インドではオリンピック競技でもあるホッケーもさかんだが、それだけでは男子チームに1つ、女子チームに1つと、最大2個のメダルしかとれない。一方、体操や競泳や陸上など個人種目が多い競技なら、選手1人につき複数のメダル獲得が可能だ。「一般論として、チーム競技に熱心でもメダル数という意味ではあまり役に立たない」
~メダル獲得数予想は様々な要因がある
データ分析会社ニールセン・グレースノートのスポーツ分析責任者、サイモン・グリーヴ氏は、オリンピックのメダル個数予測が厄介なのは、こうした様々な要因がからみあうからだと話す。人口や人口当たりの国内総生産(GDP)などといった変数だけを使うと、その国のトップアスリートの活躍を過小評価してしまいがちだ。
オリンピック実況放送で「前畑頑張れ!」という、アナウンサーの言葉が語り継がれている。1929年オリンピック女子200メートル平泳ぎ種目の決勝戦の放送ー
「前畑! 前畑がんばれ! がんばれ! がんばれ! ゲネルゲンも出てきました。ゲネルゲンも出ております。がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! 前畑、前畑リード!~~前畑リードしております。前畑がんばれ! 前畑がんばれ! リード、リード、あと5メーター、あと5メーター、あと4メーター、3メーター、2メーター。あッ、前畑リード、勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 前畑勝った! ~~前畑の優勝です」
河西氏の実況アナウンスは、「あらゆる日本人の息をとめるかと思われるほどの殺人的放送」と激賞された一方、「あれでは“応援放送”で、客観的な実況放送とは言えない」「第三位以下の選手の順位が不明で、スポーツ中継としては“欠陥商品”だ」といった批判も少なくはなかった…と評されている。
今回のオリンピックでも、実況アナウンスや解説者の「のめりこみ」が気にかかる報道がいくつもあった。「金メダルが…」と煽りたてるばかりの声…。オリンピックの実況放映で「メダル獲得」を至上のこととして、強調されて見苦しく感じた。ニッポン中心に拘泥せずに、少し離れて競争相手の情報や人となりを紹介するなどして、内容を豊かにしてくれれば、もっと楽しめるのにと思う。政権がうしろでメダル獲得を煽り立てて、「何個以上」とかという言葉が飛び交うようでは、オリンピックにおける日本中心の狭さを海外に知らしめるだけだ。
ちなみにオリンピックには206カ国が参加しているが、メダルを一つでも獲得した国は85か国(7日現在)41%となっており、6割がメダルに関わらずに参加している。
「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること」のオリンピック精神が、少数の国の「メダル獲得国威高揚」騒動になってしまっては、いかがなものかと思う。
招致わいろ、建設やりなおし設計、エンブレム騒動、費用問題、開会式騒動など盛りだくさんの汚点、コロナ感染拡大下での強行開催など、本来なら再起不能倒産状態というほうが当たっているかも。
初めて3000人を超えた28日、小池知事は記者会見で相変わらずの「不要不急の外出を控えて。皆さんの力を得ておさえこんでいきたい」「質問は1問だけ」と30秒で切り上げた。27日2800人越えの時は取材には応じなかった。27日夜には福祉保険局長が「いたずらに不安をあおらないようにしてほしい」と発言。これにはさすがにNHKの報道でも批判的な都庁記者コメントをしていた。「ダイジョウブ」と言える根拠はどこにあるのか。一方官邸は28日「本日はお答えする内容がない」と言わず語らずで、コロナ対応に説得力のあるコメントはなし。
伊藤美誠選手の中国遠征での体験をNHKスペシャルで見た。コロナ厳戒態勢の中、上海空港では防護服の男たちに囲まれ通訳は近づくことはできない。2週間の隔離期間を経て二つの国際大会に出場する。上海のホテルでは親子とも別々の部屋に隔離、常に監視員が見張る。上海から威海にむかうバスには5人のみ乗車、親子の会話もトランシーバーを使う。1000キロ先の試合会場まで救急車とパトカーが伴走。連日のPCR検査。という具合に感染対策が非常に厳重だったらしい。東京の五輪「バブル状態」は言わずもがなで、こんなふうに厳重にしたら「やれない」ということに尽きるのだろう。