2021年11月7日日曜日

飛騨高山の小京都、お土産買いあさり風情はもうひとつ

 ツアーの目玉の一つでもあった飛騨高山は、街並みが新しくて昔ながらの風情はあまりなく、少し物足りなかった。中高生の就学旅行と若い人たちが歩き回る姿が目立って見えた。お土産屋は、いつもさておいてのことで、ここでも記念にすべきものに興味が届かず、もっぱら、昔らしさを探して歩いて行った。

 新しく建て替えした家も、昔風には気を使っているようでも、やっぱり物足りなさは否めないものだった。街中を横切る宮川には、立派な鯉がたくさん泳いでいて、古都らしさを残していたようでもある。

 改めて地図を見ると、少し離れたところに城址やら寺、神社などがあったが、そこまで行ってみる時間もなかっただろう。ツアーゆえのことで、あまり自由に行動するわけにはいかないが、ちょうど膝痛の状況もかかえているし、時間に遅れぬようにさえすれば、「連れて行ってもらえる」立場からは、これ以上のことを求めるのは無理か。


















2021年11月5日金曜日

諏訪大社本宮は初見参

 ツアー二日目。諏訪大社本宮は、上社前宮とは少し離れたところにある。上社・下社は以前にも行っているところだったので、これも下社と勘違いしていた。神仏は恐れ多くも「困ったとき」以外は、本心から信用することは避けている。その森閑とした空間に浸り、味わわせていただくのが、いつものこと。もしかしたら、それが神仏のおかげかもしれないと思いつつ。カメラを抱えての「参詣」で、できれば宮の雰囲気をカメラ越しに味わえるといいなという心持で歩く。ガイドさんに案内された他の人たちは、曰く説明を聞きながら、次へと歩いていく。目先でその方を見やりながら、好き勝手に立ち止まり「これ」と決めた対象をカメラに取り込む。と、やっぱりどんどん送れていくことになるけれども、見通しの良い境内で、行く先を選択する心配ほどではない。













 

2021年11月3日水曜日

蓼科のホテルの中庭がすばらしい天気で

 ツアーの食事はおしゃれな「洋食」。夕食のフレンチ、マスの唐揚げは美味かった。釣り人からみると「マスかよ~」といった感じだけれども、さっぱりした魚だから調理によって、こんなに上手くできるのだと感心した。まあ一流のコックさんだろうけど。朝食後の散歩で、庭出てみた。ちょうど陽が上がっていくところで、うっすらと池から湯気が立って、爽やかな自然が切り取られていた。膝が少し痛むのでそろそろ歩きで、少し高低がついた池のそばまで行ってみた。前日の夕陽の時期も良かったろうな…。

















 

2021年10月27日水曜日

病み上がりの気分で街歩き

 ツアーの最初の行き先は軽井沢。もうあなた任せの旅だから、お任せのままで集合場所と時間を気にさえすればいい。とはいえ2回くらいまでなら時間も頭に記憶しておけるけど、回数が重なると怪しくなってくる。軽井沢は町並みもそんなに複雑でなくて、気軽に歩けたのは良かった。前回退職者会の旅で訪れた時に、履いていた靴の裏がはがれてしまって、雨の中靴屋を回って歩いたのを思いだした。そのときはわざわざバスを近くに停車してもらって世話になってしまった。そのときの記憶が、恥ずかしさも手伝って残っていた。

 わりと空き加減な店観て歩きに余念がない、お二人と付かず離れず歩いた。昼時なのですぐにラーメンを食べるべく店に入り、もちろんアルコールも旅の一番の友として親しませていただいた。軽井沢からのバスの窓越しで、秋景色がもうしばらく先という感じだったので、そこは差し引くとして、やはりおしゃれさが感じられて、それなりに面白い空気を味わった。久しぶりの散歩がなんだか、新鮮な気分だった。










2021年10月23日土曜日

地図に足跡(あしあと)を残すGoogleマップ

 下に恐ろしき世の中やな。感染者がなぜかどんどん減って、元の生活に戻すというスタイルに動き始めた。感染者が減った原因が報道でもさっぱりわからないで、「秘密」になっていると言いたいほどだ。いや当たらずと雖も遠からずかもしれない。11月か12月には第6次…などということが言われているのに、病床の体制も検査の有料化もなにかこれまで同様の自己責任に括られているみたいだ。

 ちょうどこの隙間に当たったツアーが、身の程よりも少し贅沢な内容だったにしても、ストレス解消にはなった。

 旅の記録は、日記ともらったパンフレットと、撮影した写真に残る。パンフレットはスキャンしてパソコンに取り込んでおくし、写真は「撮影日、時間」情報が残っているので、行動を振り返ることができる。その上に、Googleマップの「タイムライン」で通過した「足跡」が記録されている。

 このタイムラインは本人しか見られないとのことだが、システム上はそうであっても、漏れないことなどはない。推理小説並みの創造をすれば、あるとき殺人事件があり容疑者にされたとすると、パソコンの記録を押収されて調べられ、「あのときお前はそこにいた」と自白を強要される。…てなことがないとは言えない。まあ逆に、そこにはいなかったという反証にもなるかな。

蓼科から飛騨高山へ


小京都飛騨高山