2023年12月13日水曜日

琉球との交流の痕跡が

 呉市街から東に向かって→下蒲刈→豊島の島々を渡って大崎下島に。北前船の停泊地だった御手洗へ。港を含む周辺が豊町大長。御手洗には庄屋、お茶屋(遊郭)などの建物が保存されている。今回は満舟寺へ。寺は荒れて寂しい感があったものの、石垣がなんとも端正で美しく印象に残った。「琉球の使節が18回江戸上りをしたときに、度々立ち寄った」と記されています。「使者たちは職掌に優れた学問・詩歌・芸能など文化放免においても当代一流の実力者や教養の豊かな人物が選ばれたことが推測されます」とのことで、「この湊と、果てしなく続く群青の海、琉球とのより深からん絆をいつまでも語りたいものです。」と交流の深かった様子が看板に記されていた。













2023年12月7日木曜日

島を削って「持続可能な開発」?

 呉市の上蒲刈島は瀬戸内海を挟んだ四国の今治が海を挟んだ向こう側にある。島の南側に大きな砕石工場があり、二か所の砕石跡が生々しく見える。この砂利や砂が都市再開発や「公共事業」に使われていることを考えると穏やかな気分でなくなる。ここからという特定はできないが、あちこちの山を削り出して辺野古の海底軟弱地盤へ投入、焦眉の神宮外苑再開発など各地の再開発事業に利用する(している)ということだろう。一棟の高層ビル、マンションでどれだけ山をつぶすことになるのだろうか。コンクリート材の供給をする側も自然破壊の被害を被っていることも忘れてはならないと思う。こんな風景を見るとSDGs(持続可能な開発)は自然界にはナマぬるいことじゃあないかと思う。














2023年12月4日月曜日

塩を輸入とは知らなかった

 呉から倉橋島へ向かう第二音戸大橋を渡ってすぐにある塩の「島」。まさに島全体が塩の置き場になっている。メキシコの「世界最大級のゲレロネグロ塩田(面積:486平方キロメートル)で製塩する天日塩」だとのこと。三菱商事株式会社とメキシコ政府の合弁会社が保有するもので、製塩は加工して工業用(化学原料、融雪剤など)に利用されるが、溶解再結晶「姫ひじきの塩」を買ったけれど、して食用にも利用されるとのこと。塩も海外に頼っているとは。島のお土産に「姫ひじきの塩」を買ったけど。日本中海に囲まれていて、塩を輸入ですか?なにか違和感大。







2023年11月30日木曜日

カキの養殖の基地発見

 江田島で通りかかった沖美町高祖の港に寄った。カキ養殖の「貝殻」が置かれていて驚いた。人はいなかったが、港は全部カキ養殖のために利用されている様子だった。この度で牡蠣を食べたが、今は旬の時期で牡蠣は海にはない。島の高所ならどこでも牡蠣棚が視野に入ってくる。港で養殖のためホタテの殻を見て、また牡蠣三昧を楽しんで、広島を訪れたカイがあった。蛇足ながら有明海の海苔養殖は牡蠣殻を使うのだとか。その牡蠣養殖にはホタテの殻を使うとは。人間様の偉大さというか自然の営みの凄さに感動。牡蠣棚は干満を利用して、空気にさらして鍛えるとのこと。行きには水上に出ていた牡蠣棚は往路の時は水に浸かっていた。











 

2023年11月27日月曜日

江田島は旧海軍の歴史が残されている

 江田島湾(江田島)は広島市に向かって口を開けたようになっている。湾から出たところに厳島が左側に見える位置になっている。湾の中央部あたりに海上自衛隊の基地がある。グーグル地図で見ると海上自衛隊幹部候補性学校、技術学校などのほか、戦艦「陸奥」の主砲塔、旧巡洋艦「明石」マストなどが見える。長居はできなかったが、基地となりの町に入って回った。洋服店が自衛隊用の用品専門なのは場所がらのよう。呉の「海軍」の歴史を背負って時間が流れていることが感じられた。











2023年11月24日金曜日

オニオコゼを丸かじり

 呉旅の夕食にオニオコゼの唐揚げを食べた。「呉おこぜフェアー」を4月から7月ころまでやっているとのことで、時期は過ぎているけれど行ってみることになった。チラシにある店をホテルで聞いて探したら、場所がわからず他へということで歩いていくと、ノボリを掛けているところに運よく当たって、飛び込んだ。しっかり揚げられたオニオコゼににらまれながら二人でバリバリと食べ、残した骨の部分も二度揚げしてくれて、99%完食。噛めないところは残してとのことで、1パーセントは残った。我ながら歯の丈夫さに感心した。もしかすると、固いところで歯をダメにした人もいるのかな。





2023年11月20日月曜日

三高山砲台が残っている江田島へ行く

 明治政府が海軍の呉・江田島を防御するため、「防御上重要性」から、敵艦を攻撃する砲台と、陣地を守るための堡塁を造った。日露戦争直前の明治34年竣工。280ミリ榴弾砲6門、90ミリ速射砲4門、90ミリ臼砲4門を設置。弾薬庫4個、機械設備庫や大規模な巡回監視所等の建物跡が残っている。防御上の必要性軍備日露戦争とは、今に通ずる昔の話。 西方正面に厳島が見えた。