2013年7月10日水曜日

五日目、ザルツブルグへ145キロ。ハルシュタット湖でクルーズ。

 ミュンヘンを発ってザルツブルグへ。ミラベル庭園とモーツアルトの生家へ。天気がよくなって、目に入るものの色がきれいだ。ザルツブルグも世界遺産で、訪れる観光客は多い。日曜日だから余計なのだろう。ミラベル庭園で、バンドに出会う。うまい具合に映像で確保できた。

途中の景色 瀟洒な家がよく見える




ミラベル公園







契の鍵 ザルツアハ川(Salzach)橋上







ハルシュタット湖 伊根の舟屋とそっくりなのに驚き 。最近の洪水から立ち直ったというが、この先大丈夫だろうか。




ルアー釣りだ













2013年7月9日火曜日

四日目、ローデンブルグからミュンヘンへ

 ミュンヘンに向かうアウトバーンはロマンチック街道を通る。アウトバーンはドイツ国内に張り巡らされている。中小都市を結んで実に効率的にむすばれたものに見える。町に入り込むところは、大小のインターチェンジが備わっていて、スムーズに街中に導引される。トラックと乗用車がひっきりなしに行き交う。行程のなかで2回事故を目撃したが、交通量の多さゆえかもしれない。

 ヒトラーが、軍用と交通網整備のために造ったというが、世界を戦争に引きずり込んだ人間が、まさか今の時代にも利用できると予想もしなかったろうが、道路行政に「貢献」をしたということになる。

 ヴィース巡礼教会・世界遺産は、雨で傘をさして見学。ミサ中でなかの様子は写せなかった。ミサが終わって写真が撮れた人もいたというが、ミサが終わるということは頭にはなかった。それよりトイレの方を先に心配していた。トイレは有料トイレが多い。観光地ゆえのものもあるだろうが、売店で商品を買えば、有料トイレで払った分は差し引くと、商魂発のものもある。50セントが多い。約66円也の安息料だ。

 午後はノイシュバンシュタイン城だ。中世の建築様式を取り込み、贅の限りを尽くした城ということ。城から見る景色はなるほどその思いかという気もする。
 ミュンヘンに入って、夕食はビール一杯付。いつもはそのとき自前で清算だから、得をしたような思いで、もう一杯と思ったところだが飲み終えたら、もうその気は無くなった。観光で胸から胃袋まで一杯になってきたせいだろうか。


雨中のヴィース巡礼教会


車窓から



ノイシュバンシュタイン城、中世騎士道への憧れから、
贅の限りを尽くして築いたが、王室財政を使い込み…




ミュンヘンと言えば、ビール!飲み放題ではなかった








2013年7月8日月曜日

ドイツの旅三日目、ハイデルベルク

 ハイデルベルクは詩情あふれる景観で「古城街道」と名付けられた一角を占めている。中世の雰囲気に浸りながら音楽を楽しむという趣向を準備していた。そんな道には詳しければもっと趣を楽しめるたこましれない。人にやさしい文化が息づいている気分を味わった。

 





恋人同士の「契の鍵」だそうな



レストランの入口のバラがきれいだった




 午後からは220キロ移動。ローデンブルグの城壁の「街」を楽しんで歩いた。20時を過ぎても明るい日差しがあって、夕食のチキン料理をレストランで食べた後も歩き回った。日本で言えば老舗のホテルと言ったところか、年季の入った建物だった。























2013年7月7日日曜日

二日目午後から晴れて、ケルン大聖堂

 これも世界遺産ということで、聖堂の鐘楼階段を500段上るかというオプションがあり、即座に参加しないことにした。500段上がって景色が見られる感じではないと思えたし、その時間街中を眺めたほうがいいう判断をした。登った人の話では、行かなければならないほどの景色ではなかったようだ。聖堂の中もミサ中で人が沢山座っていたし、撮ってはいけないという制約もあったので、すぐに出て、街中へと入った。

 日本人のパフォーマンスや大道芸人のアトラクションありで、賑やかなカットがカメラに収まった。原宿の町みたいな、そんな感じだ。若者が集まるところのようだ。中世と現代との取り合わせが面白い。

















2013年7月6日土曜日

二日目はライン川クルーズから

 ドイツに着いた日は、夕食の前に宴会を部屋でこなす余裕の時間があった。旅の二日目になるが、これがまた気が利いていてワインセラーで飲み物が手に入るという嗜好だ。試飲後お土産で送る人は送って、旅中で味わうべきワインを忘れることなく買い入れた。1番から順に試飲して10本も飲んだら選択肢が広がって、うまいものを手に入れたきにもなる。が、確かに美味いとおもった。


 
       


 ちょっぴりほろ酔いの頭を、ライン川クルーズでと洒落込んだ計画だったが、雨がだんだん強くなって、写真を撮るのが大変になった。両岸の建物やら城やらを眺めるのに支障はないものの、雨宿りしながらかわるがわるデッキに出て撮るということになった。

 川はクルーズ船がかなり航行しているし、輸送船も頻繁に走っていた。岸の方には鉄道も貨物車がかなり走っていた。それらの色もなかなかバランスがとれて、自然と調和した感じだった。世界遺産ということもあるだろうけど。古い城を保存して、昔の風景ごと残してあるというは、日本では考えられないことだ。それなりの財政支出も当然していることだろう。日本で言えば「川下り」となるが、そんな表現ではとてもまかなえない風情だ。






          

          









2013年7月5日金曜日

「各国は異常気象に備える必要がある」とWMOが。

 世界気象機関(WMO)が10年間の気象を分析した「異常気象の10年」を発表した。世界平均気温が観測史上最高を更新し、2000年までの10年間より平均0.47度上昇した。2007年には北極圏の海氷の大きさは最小になった。二酸化炭素の大気中濃度の押し上げが、世界の気温上昇を招いて気象パターンに影響を及ぼしたと分析している。日本の気象庁のデータも元になっているということだが、どうもこの重大性が政治に捉えられていないように思う。

 気象庁の天気予報、予想にも、異常気象についての説明はついぞ聞いたことがない。異常な天気であっても何年に1回だとか、何年周期だとかで起こりうることと説明される。二酸化炭素低減の対策と言っても企業の自主性に任せる程度だし、暑いときには冷房を27度に設定してとかということくらいが対策だ。ニュースでは異常気象が世界中で起きていることが伝えられるのに、政治の面ではおざなりになっている。2011年からさきの10年間で、このままいったらどうなることか。

 奈良の平城京跡に広がる草原と湿地を埋め立てて舗装するということを国土交通省近畿整備局が昨年9月から始めているという。テーマパークづくりのためのものということで、批判が上がっている。平城京跡は1000年以上も破壊されたことなく、破壊される危機の度に止めてきたが、国交省は強行しているということだ。史蹟を残していくことは、将来を生きていくものにとっても大切なものだ。日本ではいとも簡単に、安全のため・観光のためといいいつつ破壊に向かう。

もっとも、政権党が建設業界に献金を金額付きで明示して依頼するようでは、さもありなんということでしかない。
 土面といったらいのか、泥が表にでているところは貴重だ。草も木も育つし場合によっては作物を造ることもできる。都市部で言えば、気温の上昇を吸収することができる。大都市などではビルを建てるスペースには、地表をだした緑地として確保すれば、防災対策にできるだろう。

 自然を改変して人間の役にたてていくという大義名分を使い、いわば事業利益の享受で、あとは知らぬ存ぜぬということがまかり通る日本は、良い国とはお世辞にも言えない。壊された自然と歴史とそのつけ(借金)を、子々孫々に負わせる気かといっておきたい。


洪水から立ち直った世界遺産ハルシュタット湖    舟屋が見える

(ミュンヘンから約220キロウィーンへ約300キロ)