2014年12月12日金曜日

JTBが、公~党の支援要請をした。企業経営にも批判が…。

JTBは今回の選挙にあたって、社員に特定政党の協力依頼をした。
〈国内研修会をはじめとした各種需要を頂戴している創価学会様より、支援政党である公明党への支援要請がJTBグループにあり、営業政策上の観点から各事業会社においても可能な範囲での協力を求められております〉〈公明党の政治活動を支援します〉とした用紙への署名集めを、太田昭宏国交相と前職の上田勇氏がそれぞれ出馬した東京12区と神奈川6区の居住者には各候補の支援者名簿を作るための署名集めを社員に要請したとのことだ。
 創価学会が大口顧客だからということもあるらしいが、JTBと言えば誰も知っている公共性の高い企業。企業組織を通じて投票行為を誘導するのは許されない。当然内部からも批判が起きている。

JTBがグループ社員に送った「創価学会様に選挙協力」メール



JTBは旅の時によく利用しているので、抗議の意味で書いたが、「Facebookのページ」は企業宣伝のためにつくってあり、その評判にかかわるコメントを書き込めることになっている。星印がいくつかで評価したうえで書き込みができる。星を一つつけて書き込み「権利」を得たうえで、「今回の選挙で、特定の政党に『協力』の指示をされたとか。一企業が選挙で特定の政党に誘導をすることは、あってはならにことだと思います。たびたび利用させてもらっていますが、今後は再考させてもらいます。」と。

ところが、そこに書かれている他のコメントを読んでみるとちょっと驚きの書き込みがあった。

JTBさん、営業マン最悪です。
ノルマが利益ベースだからか知りませんが、利益追いすぎ。
二度と一緒に仕事したくありません。
責任感無さすぎです。
星つけないと、投稿できないみたいなので、1つにしましたけど、ハッキリ言って、マイナスです。

□11月16日、午前10時頃、私は、太魯閣渓谷・燕子口で信じられない光景に出くわした。
太魯閣渓谷の燕子口はヘルメット着用が義務付けられている。写真の右側の団体客は日本のJTBのお客様。皆さんご高齢の方だ。見て頂いても判るように、誰一人としてヘルメットを着用していない。
 
 手前の休憩所であるお客様が添乗員に、「ヘルメット着けなくてもいいのですか?」と聞くと、日本人女性添乗員は、「着けたい人だけ着ければいいんです」と答えているのを私ははっきりと聞いたぞ。燕子口は頻繁に小さい落石が発生している。昨年は死亡事故も発生している。驚くのはこれだけではない。このお客様をバスから降ろした場所が、昨年の死亡事故発生の現場。そこでバスから下車させ、(バスの写真がそれです)その場でのんきに写真撮影をさせている。信じられない光景だ。日本人添乗員も、台湾側ガイドも、お客様の命を何と考えているのか。

 日本人添乗員の意識の低さと、台湾ガイドの無責任さだ。
彼らの行程は午前中に太魯閣渓谷を巡り、昼前には、大理石工場へ行き、同じ場所で、昼ごはん、阿美族のダンス鑑賞、そして、同じ場所でのお土産屋というコース。故に、時間節約のために、ヘルメットを借りる事をしなかったのだろう。日本を代表する大手旅行会社がこのような事をしていいのか!!!
この日、ヘルメットを着用していなかったのは、この団体だけだった。
すぐに、JTB台湾へ本件を報告したところ、以下のメールが返ってきた。

「……様
お世話になっております。JTB台湾でございます。
ご意見を真摯に受け止めまして、改善に努めて参ります。
ご指摘を頂きまして、誠にありがとうございました。
JTB
台湾」

うーん、これが精いっぱいなんですかねえ。日本の企業ってどうしてこうなんでしょうね。正直、私はこの返事を見て、ガッカリでした。マニュエル対応もここまでくると誠意も反省もみえませんね。




2014年12月10日水曜日

写真編集ソフトでの出来栄え

 たまった写真ファイルの整理と、編集が進んできた。デジタル写真ファイルを編集ソフトで調整して仕立て上げる。つまり見栄え良く整える。自分で撮ったときの明るさなりコントラストなりを表現するのに、ソフトをつかってより「現実」と「感動」に磨きをかけるということになる。しかし、テレビドラマのように原作を大きく脚色してしまって、内容を「激変」させてしまうというようなことまでしてしまうと、最初の「持ち味」がなくなってしまうことにもつながりかねない。
 
 そこは、撮った写真のトリミングはしないというのが一つのあり方として教えられたこともあるし、邪魔な電信柱が入っているのを、編集ソフトで消してしまうとなれば、それは撮ったものの事実とはちがったものになる。そんなことはしないのが流儀となっている。そういう使い方をする分野もあるわけだが、写真のあり方として自分としては、なるべく変えない最小限の脚色をするという、教えられたやり方を好む。せっかくこれはと思って感動して撮ったものなのだから、その範囲を逸脱してしまっては腕前をあげることにもつながらないだろうと思う。

 
 だから、元写真に少々の明るさやちょっぴりのコントラストと明瞭度をくわえることで、現実に近いものに調整する。習い進むに連れてその編集の出来栄えがだんだん良くなってくる。苦労した甲斐ありと自己満足を感じながら、出来上がったものの「完成度」をどんなものか考える。だけれども自分の評価だけでは決まらない。そこが悩ましいところ。










2014年12月9日火曜日

あの世からの悪戯

一週間前に山形へ墓参りに行ってきた。ほぼ毎年行ってはいるのだが、12月に入ってから行くので、雪に祟られる。この墓に入っている人はいたずらが好きで、ときどき悪さをする。暮に行ったときにはだいたい雪を降らせる。

しばらく前だったが、家族で年末を温泉で過ごそうと出かけ、途中に寄ってお参りした。その時も雪がもう積もっていて、お寺の墓の場所までいくのに、雪掻きをしなければならなかった。そこまではどういうことはなかった。参ったあと車でお寺の駐車場から出るときに、縁石にタイヤを擦ってパンクさせてしまった。年末のことで、店も閉まっているところが多くて、カーナビから修理店を探してもなかなか開いているところがなくて往生した。

やっと修理をしてもらってから、旅館に向かったがもう暗くなって、食事の時間に遅れそうになった。電話を入れて「7時までに着きそうもない」と言ったのだが、そのときの応対が「到着してもらわないと食事がなくなる」というものだった。携帯の電話口から思わずどなってしまった。幸い7時前に食事処に入れたので、事なきを得た。あとから、あれはお婆ちゃんの「いたずら」だったんだろうということになった。
 
 その後も雪に祟られることはあったが、いたずらはともかくとして、山形では12月になれば必ずと言っていいほど雪が降る。その雪はたいがい一度は溶けて根雪になることはない。

 今回の墓参りはそれゆえ雪降る前に行くことにした。墓に行ったときは雪が全くなくて、無事に終えることができた。東京の天気予報では、翌日からはずっと雨模様ということだった。二日目はそのとおり朝から雨だった。翌日、東京に戻る日からは雪が降り出して、そのまま連日降り続くという地元の人の話。雪が降らないうちにという目論見がうまくいってよかった。紅葉もすでに終わっていて、どこにいくということもなく、温泉にはしっかり浸かることができた。その後予報通り、雪が続いているらしい。


前日は雨

翌朝の銀世界




2014年12月6日土曜日

時は金にはならないが、意味はある。

 今日はビンカン集積の日。持って出たついでに、久しぶりの山手通りコースウォーキング。帰りに喫茶店に寄って、ノートパソコンでWifiをつないで試す。設定は先日やったが、家の無線LANで使用した後問題なく使えるのかどうかを試したのだが、支障なく繋がった。Facebookに写真を投稿して9時に家に帰る。食事は終わっていたが息子と一緒に食べることになった。

 食べて一段落してから、義父のところへ行くことにした。20分ほど歩いて病院に着くと、ちょうど昼食を食べさせてもらっているところだった。一生懸命食べていた。食べさせてもらえれば、少しはおかずも食べているようだった。入院の時には青い顔色をしていたが、頬に少し赤みが出てきたようだ。まだ、頭がぼうっとしているらしく、記憶があまりないようだ。

 
 連れ合いの手術後の回復には時間まだがかかりそうだが、少しは元気が出てきたように見える。それはいいのだが、義父がまた入院することになったのは3日。特養ホームの「仮住まい」から、老健施設に移ることができたのが1119日だった。家に戻ってくるための「体力をつけるのが目標」で、リハビリをしてもらえる施設に移れたことで、ひと山越えたかに思えた。

 しかし、ご飯や食パンのみの食事で食べられるものが極度な偏食になっているために、「電解質が不足だ」という検査結果で、入院が必要ということになった。塩分摂取が少ないために、意識レベルが相当低下してしまって、アブナイ状況までに陥ったという医師の説明だ。病院は隣接しているので、すぐに入院して、点滴を受けることになった。

 年末には家で過ごしたいという本人の願いでも、ちょっと危うくなってきた。入院の期間によっては、せっかく移った老健施設の再入所もできなくなるというので、なんとか短い間に回復基調になってほしいものだ。天気もいいし、カメラを持って出たのだが、特に撮りたいところもなくて終わってしまった。



2014年12月2日火曜日

九条の会集会とパレードに「渓流9条の会」が釣竿にヤマメをつけてアピール

 11月24日に「憲法9条の会」の集会とパレードがあった。渓流つりを志向している釣り好きの人たちがこれに参加した。曰く、「平和でなければつりはできない」。9条を守れと言う声はいまや天の声。集団的自衛権の名で海外に戦闘行動を展開するというアブナイ政府に批判が集まっている。集会後元気に銀座を通ってのパレードに、沿道から賛意の声も聞かれた。日比谷野音の紅葉も最高潮の時だったが、それに負けず劣らず「憲法9条を守れ!」の示威行動は輝きを増していた。











2014年11月23日日曜日

太平洋のクロマグロとハゼ

 太平洋のクロマグロが絶滅危惧種に指定された。過去22年間に1933%も減ったと推定されたことで、日本の捕獲量も2000トンほど制限をするとのことだ。その分を大西洋の方から獲るとのこと。日本人がマグロが好きだから…ということかどうかはわからないが、飲み屋では刺身を必ず頼むことが多い。日本が海産物を味わいやすい環境にあるから、ツマミやには必ずと言っていいつきものとなるのだろう。しかし、だから海のはるか遠くへ出かけて行って、獲りまくるということではマグロが枯渇するのは当たり前だ。需要に応えるのが「事業」だが、そういう意味での調整は賢明で必要なことと言うべきことではある。

 刺身を食う贅沢も、子供のころの体験として味わった。食べることが戦争に「勝つまでは」だったことが、敗戦後は生活に関わる物事が「復興」するまでは窮乏生活だった。「贅沢しないこと」が美徳として存在価値があった。いまはスーパーで、いつでも手に入る。そういう自由は手に入れたが、そこまでは漁獲技術の近代化のおかげということになる。しかし、世界で漁獲・養殖・畜養された天然魚(太平洋クロマグロ、大西洋クロマグロ、ミナミマグロ)、養殖クロマグロ(日本産)、蓄養マグロ(太平洋クロマグロ、大西洋クロマグロ、ミナミ マグロ)の70%以上を日本が漁獲・養殖または輸入しているというものすごさだ。そんなにマグロを食べなくては収まらない日本人の胃袋になってしまったのだろうか。

 クロマグロ漁獲量(主要港における水揚量の総計)は年々減少し、築地市場に上場されるクロマグロ(国産と輸入)の取扱量はほぼ一定とのことなので、輸入物に比重がかかている。今すぐというわけではないが、新しい耐乏生活になっていくのかもしれない。
スーパーではタイがよく並べられている。タイは高級魚(かつてはかな?)で、めったに食べられないはずのものだと思っていたが、これも今は比較的安価に手に入る。タイは種苗放流のさいたるもので、成長が12年の期間で商品化される。だから、比較的よく流通しやすくなっているのではないか。わが家の年寄りが、生もの苦手の人だが、タイなら、焼いたものを食べる。いわゆるイカ、タコほかの魚は嫌う。よって、結構高い頻度で食卓にのる。ほかのものも食べるものが少ないから、その意味でも贅沢というわけにもいかない。いつでも食べることができるのは悪いことではない。

 真鯛は近海ものだけれども、天然のものはほとんどいないだろう。稚魚放流で育ったものが、獲られる環境しかない。魚の種苗放流は、食を確保する重要な事業には違いない。貝塚からヒラメやタイの骨がでてくるように、大昔はいやというほど生息していたに違いない。現在の漁業技術なり、事業化によって獲りつくしてしまうことになったり、魚の生息環境を破壊しつくすほどの改変をしてしまった。そのことをしかたがなかったこととして無反省であってはならない。賢明な人間社会としてはお粗末だ。


 それはそうと、我が家の年寄りはから揚げなら魚もいける。よく揚げたものなら大丈夫で、気持ちの良いほどしっかりと何回にも分けて食す。シロギスも丸上げで良いし、ハゼも喜んで食べる。食物の好き嫌いは多少の我儘と味の勘違いによるものでないかと常々思うが、人間の舌は結構いい加減なところがある。どちらにしても幸せに思いながら食べるのがよい。今年はそのハゼつりも、一回やっただけだった。喜ばれる食べ物の獲得を大義に、もう一回ぐらいはハゼ釣りに行きたいものと、画策している。









2014年11月20日木曜日

たまたまテレビで見た、ラフマニノフ:ヴォカリーズ がすばらしい

 ラフマニノフが作曲した、歌詞のない歌「ヴォカリーズ」。ラフマニノフが曲を作り、親しい友人の意見を取り入れた。そしてその歌い手に送ったという。テレビ番組でははっきりと言っていないが、これは恋の告白じゃないのかな。そんな気がした。
 
 先日釣りの会の人が属している合唱団の「歌声喫茶」に行ってみた。昭和時代の知っている曲を多くうたって、気分が明るくなった。最近テレビの音声が少しだけ聞き取りにくくなった。朝になるとよく聞こえるので、体調によっても違うのかもしれない。 いい曲を聴くことで、聴覚にもよい影響を与えるのではないだろうか。


オーケストラで





歌で













2014年11月14日金曜日

一週間たってブログを書く

 前回ブログ投稿から一週間もたつと、また書かなくてはという気になってくる。もしかしたらだけれども、脱法ハープのような作用があるのかなと思えてきた。アルコールもそうだしタバコや、パソコンやスマートフォンと同じようにそのけがあるとしたら、ビョーキに近いことになるのだろうか。いやいや、家にいてウツウツとして身の回りに近いことばかりしていると、人間の活動としては「足りない」ということなのだと、自己弁護ノセリフが頭に湧いてくる。


 書きたいネタがないわけではないが、まとめて書くにはそれなりの時間もかかるし、下手なりの推敲だってある。けっこうなエネルギーがいるのも実感する。肩ひじ張らないでやるのがいいと思うのだが、それだって多少の時間をかけないとうまくは運べない。

  2日の日に臨海部の有明北に行って写真を撮ったが、そのとき動画も撮った。ちょうど、有明北埋立地と「豊洲新市場」の間の運河に釣り船が一艘、手漕ぎで操られていた。見ていた橋からは遠かったが、どうも和竿のハゼつりらしいと睨んで、近づくのを待ってからカメラを向けた。有明埋立地の脇をゆっくいり流しながら、二本竿で釣っているのが見えたが、あんまり竿があがった様子でもなかった。

 有明北はそうとう荒れ野原風のままだが、埋め立て反対、自然を守れという声に押されて、「カニ護岸」をこしらえることにつながった。有明北のその場所でハゼつりをやらせろと、冗談でなく東京都に打診したことがあったが、「液状化の危険」を理由に断りの返事があった。しかし、その脇のすぐ北側にある豊洲新市場の建設が進められている。有害物資があるとその対策にも相当の資金を投入されているらしいが、「液状化の危険」はなしなのだろうか。











2014年11月7日金曜日

埋めては掘って、「経済の発展」に資するとか

 しばらくぶりに有明北に行ってみた。東京都が2000年に埋め立てを強行したところだ。当時は埋め立てに反対する声の高まりで、都議会でもハゼ論議がされ、石原元知事が「ハゼはどこかへいくでしょう」と答弁したのが語り草になっている。再開発の起爆剤としての莫大な事業資金投入で、臨海部開発のための埋め立ては事実上の失敗に終わっている。企業からはそっぽを向かれて再三にわたっことて、「安売り」を試みたものの大方売れずに、14年たった今でも有明北は原野が残っている状況だった。

 2016年のオリンピック開催招致に向けては、「選手宿舎」として利用する計画があった。経済の活性化めざすとする大義だけが生き残っているようだが、今も大方はススキが原になってるだけだった。運河を挟んだ北側では豊洲新市場の建設が大仰にすすめられているが、有明北ススキが原とのコントラストが奇妙で可笑しい。


有明北埋立地


豊洲新市場工事








2014年11月3日月曜日

神田川界隈の紅葉狩り

 神田川の中野新橋から、中野坂上の高層ビルを見ることができるので、撮影の軽いメッカになっている。今日もそこから下流のほうを眺めでみたら、流れの右岸方に小砂利がたまっていた。少し上でこの神田川の拡張工事をしているので、そこから流れてきたものだろうか。その反対側は、なにか雑草が何本か立ち上がっている。川は本来の機能として、上流から流れてきた土砂を堆積することもあるし、養分を含んだ土には植物をはやす働きをもっている。ところてん突き穴のような角ばったへりに押し込められて、大型側溝として道を定められる工事にさいなまれても、川の本性をなくさないのだから大したものだ。

 川に沿って下ると途中にミニ公園があるが、ここの桜はまだ紅葉していない。山手通りから長者橋をのぼって中野坂上の高層ビルのところまで行くと、ビルの脇に公園がある。高層ビルには緑地を付けることになっているらしいが、大きくないその公園にまだ若い木々が育っている。そこはうっすらと紅葉がかかっている。行程一時間ほどの紅葉狩りだった。















2014年10月29日水曜日

天気がいいとどこへでも出かけたくなる

 秋晴れの天気になると、なにかウキウキとして外に出たい気になる。家にいたまま近視眼的に煩わしいことばかりしていると、気持ちがだんだん落ち込んでくる。折角の時期なのに家にこもっているのではもったいないが、遠くに出かけてというわけにもいかない。よって買い物とウォーキング「がてら」というストーリーを描く。ウォーキングでは何回も同じところを歩いているのだから、楽しみと緊張感はとうに薄れてはいるが、他人の家の木や花を覗いて歩くことでも季節感を感じ取ることができる。写真を撮るという動機が効用になって、いまなら紅葉を見つけて歩くのがいいころだ。紅葉の狙いはもちろん公園だ。公園でなら草木が秋模様を演出してくれる。











2014年10月26日日曜日

お天気屋でないけど、秋だから。

 子供のころは、運動会の日の雨はうれしかった。走るのがうまくなかったから、スタートから遅れたりして、ビリから何番という結果に終わっていた。ずっと時がたった近年では、子供たちを連れたドライブ旅行はだいたいは晴れた。天候が良い安定した時に行くということが多かったせいもあるだろう。土砂降りで苦労したという記憶はない。

 「人生卒業期」にはちょっと様相が変わってきた。雨に降られることが多くなった感じがする。人生雨あり晴れありだからかどうかわからないが、雨模様の天気も「身のうち」みたいにお付き合いをすることになっている。カメラを持っているときは、雨模様の写真を撮るようにする。写真は銀塩写真のころは暗いところを写すのは大変なことだったが、デジタルカメラになってからは少々の明かりでも撮れるようなった。それに、水にも強いカメラもでてきている。撮影領域が広がったのは利点となっていく。「こんなところなら撮っていないだろうな」とは撮影するときの動機づけのひとつだ。

 つりも天候には関わり合いが大きい。雨だったら風が強かったらと、その時に応じたワザが発揮される。増水した川から魚が消え去ることはないのだから、悪条件化の釣りも恐れない。技量が工夫されているのは、釣りの領域を広げる。そこまでの技量は身に着けていなのが残念だが、渓流であれば雨の降りようによっては、魚たちの絶好の捕食時間となる。明らかに魚の反応が違う。

 そんなことを思うと、「お出かけは晴れるべきとき」から一歩脱して多少の天候の変異に許容範囲が広くなる。

 19号台風の直撃の日にあたった紅葉狩りは、予報を見ながら決行だった。浄土平のハイキングはできなかったが、台風一過の朝は、吹き返しの風が、重い空気を運んでいた。ホテルの窓から気楽にとった写真は、晴れてきたときにあたった。帰りのパーキングエリアで紅葉を探して間に合わせた秋だった。












2014年10月24日金曜日

本当は重い政治が軽くなる

 消費税増税、特定機密の関連法、原発再稼働など日常生活に重い政治課題が山積しているのに、団扇や政治資金の使い込み、委員会での馴れ合い運営、果てはSMショーへの出費まで、なんと「下世話」な問題が次々とでてくる。まったくあきれ果てたことだ。
 団扇問題は、国会の場でとてもわかりやすく追及されたから、スポーツ新聞む含めて乗りやすい報道になった。「国会の場で政策問題でやらず」にそういうことで取り上げるのはという批判も当然でてきた。当たっていると思ったが、国会のシリアスな場面で、テレビのワイドショウのネタに大うけするような内容で、その意味では政治が身近になっていい。出てくる「不幸」は回りまわって有権者であるものの責任にも当てはまるから、外野席から見ている政治ということでは、いつまでたっても変わらない。国会審議は政策上の熱い論戦は違いがあってのことで、たとえば増税の問題でも同様の結論をもっているなら、張り合うことのならないから、トーンは下がるし枝葉のはじきあいで終わってしまう。とすれば、やっぱりワイドショウ向けの話になってしまうのか。

 しかし、新閣僚の資質を調べる場合とそうでない場合が政権によって違うとの、コメンテーターの話には驚いた。驚いたよりはそうなのかという変な納得をした。資質の問題より、50人以上もいる「閣僚資格者」の扱いのほうが忙しいということなのだろう。この体質はいまに始まったことではない。これまで何回も繰り返していることなのだから本来なら、マスコミもせめて「いい加減にしろ」というトーンで扱ってもらいたいと思う。新閣僚がでてきたら、その活動や資質について調べて、問題がないのかどうかを発表したらいい。皮肉に言えば、問題を起こしてくれたほうが、ネタとして描きやすいということかもしれない。その場合だけマスコミに貢献しているとも言える。

 小渕氏の発言で「政治家として一から出直す」という言葉があった。出直すのは自由だが、今は圧倒的に強い地盤をもって、悠々と議員になれるという立場だから、就職先として議員をやるという選択が有力なのだろうが、現行法制化で違法に立ち入ったという認識もさることながら、問題の全容解明ととるべき責任をさておいて、出直すとかいう決意を言う時ではないだろう。この類の人たちは「みそぎ」で再生可能な立ち合場にある。非正規従業者が突然首を切られるという身分などは到底考えられないだろう。会社都合というだけでいいのだから、そこから新たに職場を求めるの大変さとは比較できないほどの相違がある。
 

 小選挙区制が生み出す結果とみることもできる。制度が定着をして、優位な一人の選択に集中することになっていく。政策の選択が一本化に向かって、それしか自分の票が生かされなくなるから、無言の圧力となる。しかも投票する結果のむなしさで投票行動が少なくなっていく。こうなれば、立候補者の資質や行動に問題があっても、そこは問題として浮上しないし問われない。投票による民意がかき消される一方で、彼の再生産の道はできあがっているという図式だ。だから、きれいに一度引っ込むという筋書きが描かれるのだろう。ひところ「秘書が…秘書が…」という責任逃れのセンテンスがはやり言葉のように使われた。「全く私が知らないことで…びっくりした」などというのも同じこと、責任はやった人にあると言わんばかりの無責任さは感じる。そのことをもって責任と罪が軽くなるわけではない。「政治家」ですから。





2014年10月19日日曜日

自然の脅威は生き物の存在にかかわる

 渓流釣りが9月末でほぼ禁漁になる。魚の再生に配慮してのことだから、人間のかかわりあい方として、守らければならないことだ。Bさんはちゃんと9月末に村上の方へ釣りに行ったらしい。5尾のイワナを釣ってきて今年の釣り納めにしたとか。渓流好きの人の締めくくりができることは、出かけることがままならないものにとっては、うらやましい限りだ。
 
 渓流魚に限らずだが、釣れる数は年を追うごとに少なくなってきている。釣人が多くて、釣ってしまうために魚がいなくなるということがよく言われるが、それだけではない。イワナやマメを釣ろうと思うと関東周辺ではまず釣果を上げることは望めない。宮城県や新潟県まで行かないと釣れないというのが実感だ。最近はマメにいくことが無くなったから、確かさは欠けるが少し昔の記憶でもおおむね変わらない傾向だろう。体験では専用道(高速道路)の延長が、釣果に影響していると感じている。釣り場へ短時間で到着できることで、「場荒れ」が起きているということは現実にあるだろう。

 漁協が増殖事業として放流する魚を釣るというやりかたが、当たり前のようになってきたのは、漁業を営む人ばかりの責任ではない。ここまで川を痛めてきた国のあり方のほうがずっと重い責任を持っている。何より大きいには川の流れの改変だ。言葉でいうと優しいが、川の生成の歴史からみたら破壊というほうがふさわしいかもしれない。いわば積極的に破壊行為に及んでいるわけで、川底を掘り崩して砂利を採ってしまうということが、高度経済成長期から進められた。あとは野となれ山となれと言う言葉がピッタリはまる。ダムの建設も相当な打撃になっている。流れが寸断されたり、川底の石がなくなってしまうことで、魚が再生できる環境と生態系をどれだけ奪ってしまったことか。そのうえ最近気になっているのが、どこの川も流量が減って見えることだ。あちこちで見える川の水量はとっても貧相な状況が目立つ。針葉樹林による原因はよく言われるが、温暖化による植物への影響や田圃の減少などがあるのだろうか。雨が降っても、山も含む陸地が水を保全しておく条件が減っているのだろう。

 東京でもつりの会、グループや漁協で、ヤマメの発眼卵の埋設放流を秋川水系と奥多摩水系に実施している。自然保護活動として貴重な活動になっている。東京でやっているのだからなおさらのことだ。
 この4月に東京労釣連がヤマメの卵を沢の流れに埋めて、放流した際に使った籠の回収作業をした。2月の大雪でどこの沢でも放流籠の回収をするのが大変だった。落石よる林道の通行止めがあり、沢には倒木の流れ込みが随所にあって、渓流が荒れ果てていることが報告された。雪渓が残っている状態では、籠の回収ができないところもあった。したがって埋めたカゴから出られずに、籠の中で死んでしまった卵や、孵っても籠からでられなかった稚魚もあった。この数は多分これまでには聞いたことがないものだった。


 台風や集中豪雨による被害が際立って多くなってきているが、当然ながら自然界そのものへの影響も大きい。つりの会も高齢化で、足元もやや怪しくなってきているが、「自然保護」への努力が大波にのみこまれてしまうような有様だ。地球温暖化の影響も「作り上げた」なの環境だから、環境NGOだけでない見識と取り組みが求められているに違いないが、日本のかじ取り連中は一顧だにしないという態度だ。





2014年10月14日火曜日

魚が再生できない現状が肯定されてはいけない

 小国川漁協が、最上小国川穴あきダム建設を協定で容認した。漁協は漁業権水域を一部放棄し、補償は求めない。魚類生息環境の保全は放流による水産資源の維持と増大などとした。年度内に建設に向けて動き出すが、そもそも一時止まっていたものが、動き出すとはきわめて裏のある政治の動きなのだ。日本のダム建設が「再始動」している状況は、有権者側から見てまったくふざけたもので、「日本の政行政の継続」という「理念、論拠」も放り出している証拠だ。あとはどうなろうと将来に責任もたぬということ。無駄な公共事業の再開によって、見直しの反省もどこへやら本当の自然がまた一歩遠ざかる。

 環境の悪化によって、再生が不可能になった自然魚の漁獲をあきらめを得ず、放流稚魚や卵で代わりを賄おうということが、川でも海でもやっている「資源管理」だ。日本は海に囲まれて、山脈が多く川も豊富にあるから自然の環境が豊かだった。今はそれも話題にはならないほどの環境になってしまった。毒のないトラフグの養殖に成功しているというが、喜ぶべきこととしておくには、なにかおさまらない。
 
 アユの稚魚は、流れ込みとみると川を遡ることを試みる。三浦半島から流れ込む、小さな川でもそれを見ることができる。佐渡ヶ島でももんの小さな川に、どう見ても飛び越えられそうのない落ち込みに稚魚が泳ぎ寄っているのを見たことがある。日本中の川のほとんどが、人口の構築物によって、アユによらず海から遡上することを生態とした、サケ系の魚は上流への遡上ができなくなっている。

 最上小国川にある小学校では、川に生息している生き物の調査をしている。身近にいる生き物とかかわることは大事な教育だと思う。生き物に対する配慮、共生などを学ぶべきだ。人がすべての生き物との関わり合いと食に依存している環境が、破壊されていいのかと、問われれなくてはならない。それははっきりしているが、その自然環境が少なくなること、破壊されることへの批判の声はまだまだ小さい。生態系への思いやりはいま最も大きなことだ。動植物の生息に対する人の配慮が体系的に確立されるべきだ。生態系への乱暴な干渉は、人の活動に降りかかってくるに違いない。人ばかりが埒外で生き物の頂点にいるがごときの振る舞いが通るはずがない。

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 協定は県と漁協、最上、舟形両町の4者で結んだ。「県は流水型(穴あき)ダムを建設する」「小国川漁協、最上町、舟形町はダム建設を容認する」とそれぞれの立場を明記。内水面漁業振興に関しては、放流による水産資源の維持と増大、魚類生息環境の保全などを図る―とした。生息環境の維持・向上のための清流未来振興機構も設置する。期間は10年間。
 覚書は県と漁協が交わした。ダム建設に伴い、漁業権が及ぶ水域が減少することに対する漁業補償を漁協が県に要求しないことを確認。漁協は県から依頼された場合は漁場環境に対する調査や監視を誠実に受諾し、県は穴あきダムの穴詰まり対策や濁水対策に努めることなどを盛り込んだ。
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2014年10月12日日曜日

健康でいるのは大変

 血圧の薬が切れたので、いつもの診療所へ行って一応診察を受けて、またいつもの薬を一か月分もらった。今年の健康診断では、尿酸値と肝臓の指数などが昨年よりはよくなっているから、健康体から少しだけ外れているだけだったことに満足していた。さしたる目に見えた努力などはしていないわけだから、どうしてよくなったのか要因は分かからない。飲酒を発泡酒に変えたから?などと思っていたら、飲んでる「氷結レモン」もご飯一杯に近いほどのカロリーがあるのだとか。痛風で10年間にこれまで数回は典型的な炎症がおきた。が、連続しているわけでなくて忘れたころにやってくる。このところはご無沙汰していて、その気もないのがおかしく思えるほどで、そのうえに、健診結果の尿酸値が心配には及ばないとい数値なら、まあいいかとアルコールも控えずに口に入れることになる。

 健康になるために必死になるというほどの執念はそう湧かないし、人生が長くなるほど楽しいことが広がっている日常というわけでもない。むろん自分だけではないことだろうけど。趣味の世界ももう入魂するまでのゆとりはもう少ない。そんなことだから、医者とは「変わったことはありませんか?」「はい同じ状況です」との一発会話でずっと続いている。言われるところの健康を保つにも自分と戦わなくてはならないだろうに、病気になってしまう危険もあっても、そこまで突き詰めていくことがなにか面倒な気もする。概ね健康の領域にいるのだからまあいいかと、毎日にストレスがかからないように突き詰めない。

 だいたいメタボの基準だって、どんなものだろうか。人によっては「骨太」だってあるだろうし、生まれた瞬間からメタボ気味のこどももいる。背丈の差は当然あるし体重にしてしかり。太目であってもと細めの体であっても、生きている間にそれでも健康状態にいるというのはあるだろう。全く同じという基準でごうりてきなのだろうか。いっしょくたにして、総平均でだすというのは乱暴すぎないか。統計的に説明できるならば聞いてみたい。


 ただ、総じてカロリー摂取過ぎの食だから、カロリー摂取が多い生活になっていることには違いない。食べることアルコールを摂取することは、やっぱり楽しみの中心にあるから、長くかつうまく付き合わなくてはいけない。さすがに今はやらないが、「大食い競争」なるもので、食を遊びに仕立てた文化の貧困も、食を大切にしているとは思えない。さまざまな番組に入ってくる食は、おいしいものを先に立ててやりまくる。「ふだんよっぽどまずいものを食べている視聴者にサービスしている」つもりだろうか。「美味しいものが食べたいね」ということも、世の中に起きているストレスが、輪をかけていることもあるだろう。いまは粗食を進めるときだ。「粗食をおいしくつくるには」だったら、うけるのではないか。

2014年10月10日金曜日

風速25メートル以上なら休めのススメ

 台風に限らず、最近の天候の荒れ方はすさまじい。このとき家にいることができない働き手は、仕事先に向かって危険なとに出会わないようにとの気持ででかける。テレビ報道で見る、特に若者のスタイルはビニール傘にいつもと変わらぬ服装で歩いている。報道がことさらそいう場面を取り上げるというのもあるだろう。

 子供のころは、長靴はいてカッパをかぶって傘を深く持ってさすのだよと教えられて、一生懸命学校に行った。懐古趣味といえばそうなるが、少なくてももうちょっと雨風の対策もあるだろうにと報道を見ながら思う。

 しかし、危険を承知でいくのは自分の意志というより、勤務先の「命令・要求」による。遊びに行くという意図もないことはない。大概は仕事先に向かう人が多い。会社なり店なり事業を営んでいれば、そこを働き場にしているしている人がいなければなりたたない。台風がが来るからと言って、先だって休業にすることは少ないのは考えられることだ。大企業はなおさら、社員の確保が要求される。余分な従業者を雇うという状況はまずない。非正規事業者であれば、なおさら「休暇で休む」ことさえかなわぬことだ。

 昔は、といっても昭和の450年代に、台風がきて危険な状況が想定されるときには、職場の組合の要求で「婦人は早く帰る」という措置をとっていた。婦人の後はより遠い通勤の人だった。安全への配慮として機能していたと思うが、これが「当たり前」とうマイナスをもったこともあるにはあった。このころは、春闘のストライキもまがりなりにあって、「労働者」としての処遇の改善がいくばくかあったときだった。

 国際競争力だのグローバル化だか何だか知らないが、働く人たちの自己努力が啓発されて、美徳として通用させてきたことも、し烈な「競争原理」のもとでなおさら強調される。こんなことがいつまで続くことなのだろうか。それでいて、ろくに賃金をはじめとした処遇が向上することはない。
 悪天候の状況に抗して働くのは、仕事評価の側面があるうちはなかなか難しい。「特別警報」は、大島の土砂災害以降は警報が早めに出されることになっているようだ。実体的には疑問もあるが、都心部で働く場合でも即応した警戒態勢が取られてもいいのではないかと思う。

 「25メートル以上の強風」の場合は危険が伴うとされているから、こういう状況下では事業者には「休む」というなんらかの協力を行政が呼びかけるということはどうなのだろう。そういう危ないときにはみんなで「休業」という風潮をつくりあげれば…。なにせ居住地区には「避難勧告、避難指示」があるのだから。

 ところで釣りの会が、天候によってつり大会を中止すことがある。当然危険を斟酌してのことだが、ちょっとくらいの雨風では中止することはない。つり行動に傾注すればそれは当然のこととも思える。そういったときにする釣りは技量をあげて、その後の釣りにも良い影響がある。体験でもそのことはわかるが、「危険が及ぶ場合」を判断することは容易でない。中止にしてもコロリと予報が違ってしまうこともある。「遊び」であっても身に危険が及ぶ場合は避けるのは当然のことだ。


 判断の過程で、現地の漁業者の話が伝わった。こういう天候では漁はしないよというものだった。漁を営む人たちのギリギリの判断も、つり志向者の活動には大事な参考になることだ。大昔の命がけの漁を模した釣り活動だというと大げさかもしれないが。




2014年10月5日日曜日

危険なところに行くとき

 御嶽山の捜索活動に、総理大臣の声ガカリで自衛隊が派遣された。御嶽山の噴火活動と降雨によって、活動がたびたび中断された。マスコミの報道は、自衛隊の活動ぶりを露出度をあげて流していた。自衛隊だけでなく、警察も消防も地元の自治体もことに対応していたのに、自衛隊だけがやっているかのようにさえ見えた場面もあった。
 
 注目の自衛隊員が、足元を滑らせながら心肺停止者を運ぶ姿を映像で何回も見ながら、その苦労は感じ取れた。しかしその捜索救助活動は自衛隊だけでない。そういう報道で、警察、消防で同様の仕事を担った人たちは、一言あったのではなかったろうか。

 地下鉄サリン事件のときは、消防隊が防毒ガスマスクをつけて救助活動をしていたのを記憶しているが、御嶽山でもその「防毒マスク使用」である程度の活動をできるのではないだろかと思っていた。硫化水素ガスに対応したマスク(簡易なもの?)をつけているのは見えた。そんなものでは効果が薄いだろうと見た目でもそう思えた。有効な防毒マスクをつけた大仰なスタイルで、山腹を歩き回るのはできないことなのかもしれないが、そもそも安全な装備があるのかどうか。テレビで見た画像と新聞からは読み取れなかった。
 
 危険であってもやれというのは、乱暴すぎるだろうが、そのあたりの判断をしていることとは思うものの、どうなのだろうか。報道が一面的だと想像たくましくする以外ない。軍隊なのだから、どんな所へも「戦闘」であるなら行くのが当たり前で、そうでなければ成り立たないという解釈も成り立つ。その論が現れた。もちろん一般的な常識からそう論じていいと思うわけではない。


 命に係わることなので…ということが合理的に説明されるなら、それを踏み越えてやるべきことではない。しかし自衛隊の場合、かつてのイラク戦争のとき 
「派遣される自衛隊員に対して、任務中に死亡した場合、国は弔慰金の最高額をこれまでより3000万円増やして9000万円支払うことを決めている。さらに首相から払われる褒賞金の最高1000万円を合わせると1億円となる。さらに、多くの人が加入している防衛庁職員団体生命保険や国家公務員災害法のもとづく報奨金をあわせれば、さらに数千万円上乗せされる。そのうえ、サマワの自衛隊基地の外での警備員などに特別手当が一日2万4千円が支給される。」という命がけへの扱いが処遇された。


 この憲法に反した「軍事行動」参加による場合と、他の場合とは違うとされたし、自衛隊派遣の命の代償とは違うことはわからないわけでもない。しかし命の重さは変わるわけではない。今回の際の扱いはどうなのだろうか。一定配慮が当然あってしかるべきと考えられる。隊員の命の安全は否定されるべきでない。ただ、だから安全のために「消極的な捜索活動」になってしまったら…。警察や消防も含めてその処遇はきちんとされるべきだし、そのことも心肺停止者に一刻も早く近づける条件を整えるひとつにはなったのではないか。


 書いているうちに、命との引き換えに金が用意されていれば「やれ、行け」みたいなことになっていることに気付いた。本当に硫化水素と爆発、土石流の危険を考慮したということで、捜索活動を保留したことが実態的に運んだのかどうかの夢想にさいなまれてのこと。ことを外しているかもしれないが。




2014年10月4日土曜日

御嶽山、お寒い観測体制

 御嶽山の観測体制は傾斜計が1と地震計が4つあるが、いくつかは正常に機能していなかったという報道があった。地震予知そのものは難しいとは専門家の話だ。しかし、だからしょうがないということに置かれていてはいけないのは当然だし、災害全般に対して万全の備えをしておくべきことだ。日本列島に110ある火山のうち、頻繁に噴火活動を繰り返したり、火山活動の高まりが見られたりする47火山は、気象庁が大学や自治体などと連携し、常時監視体制を敷いているということだ。地震予知連絡会は何らかの火山活動の変化があるときに動くので、その兆候を把握する観測体制がしっかりと整っていることが必要不可欠なことだ。

 御嶽山の観測体制について地震予知連絡会の藤井会長は、記者会見で--御嶽山の観測体制の増強は必要か?と問われて、「それは当然。御嶽山の観測体制は必ずしも十分だとは思えない。例えば傾斜計を設置しているところは1点しかないとか、地震計も必ずしも適切な位置に設置されているとは限らない。もっと観測体制を充実させる余地はあると思う。今後のことを考えれば当然、観測体制の充実は図られるべきだと思う」と応えた。

 昨今の災害は、温暖化が影響しているとみられる異常な気象で、大規模なものになっている。万一への備えがなくては枕を高くして寝られない。災害に起因する自然の活動を止めるわけにはいかないが、起きた時のために備えることは大切なこと。人の病気ではないが、事前の備えがあってこその被災圧縮ができるので、その投資は、被災(額)より少なくて済むはず。

 ところで、「自民党は、御嶽山の噴火が予知できなかったことを踏まえて、活動を休止していた同党の火山議員連盟を再開させることを決めた。火山の監視強化策などを検討し、政府に対策を要望する。議連は2008年に発足したが、大敗した09年衆院選で議連幹部らが落選したことなどから休眠状態となっていた。」との報道があった。 

火山議員連盟、自民が再開へ…幹部ら落選で休止


 地震も多いが、火山活動も始終おきているから、その対応は他国には比較できないほどの対策が必要なはずだ。落選のために…が理由になどならない。全くお寒い政治だ。
 また、御嶽山の観測体制を巡って、片山さつき議員が「民主党の仕分け」のよって、予算が切られたのだというウソまで使うとは、政治家としてなんたることだろうと思う。ここまでくればもう政治家としての資質の問題だ。

 観測体制の強化が急がれるが、27日の御嶽山爆発の数日前から、その兆候が見える。兆校が事前に分かるのに、充分知らされないとはどういうことなのだろうか。(シロウトだからいえることかもしれないが)



上記から抽出





2014年9月29日月曜日

御嶽山と御岳山の違い

 御嶽山は御岳山とは違うと、東京人は思うだろう。噴火で犠牲者が出ている御嶽山は、朝日新聞は報道で最初「御岳山」を使っていた。この文字は誤りというわけではないようだが、グーグルの地図で見ても山は「嶽」の字になっている。御嶽山の周辺では「岳」の文字をつかっているモノもあるようだ。王滝川をせき止めてできたダム湖は「御岳湖」となっている。この湖の上流にあるのは御「嶽」山神社里宮がある。

 朝日新聞が日曜日に、これまでは新字体で「御岳山」と記事に書いてきたが、今後は「御嶽山」と表記すると断り書きをした。事が新字体を使ったということなら、それはちょっと違うような気がする。あくまでも固有名詞なのだから、文化や歴史があっての呼称なので、新字体に換えて使うというのはおかしくないか。

 私事ではあるが、昭和40年の初めころちょうど「電算化」が始まっていて、運転免許証がオンラインとなり「フリガナ」が付けられた。現在とは違って、本人に確認もせずに、勝手につけたものだった。「アオヤナ キョウ」というものだったが、漢字で書く名前からは、かなり大ざっぱなつけ方だった。勝手につけたという断りもあったような気がするが、定かでない。現在では行政関係の名前使用はフリガナを申告させ、あるいは照会して登録しているから、本人確認のために正確を期されている。

 IC技術の向上で、記憶容量が大きくなっているから、名前にしても「斉・斎・齊・齋」などひところの「斉」使用は、本籍登録上の文字を使用することが可能になっている。他人と違う一個人として尊重されているということにつながっている。同様に、その地方でつけられた地名や呼称は、国土地理院でも基本的に使用しているものだから、この点でも「略す」という意義は存在しないと思われる。

 朝日新聞の「御岳山」使用について何らかの選択基準が別にあるとすれば、中日新聞の表現があるようで、この新聞は「御岳山」を使っている。新聞社は、現地も含むエリアを「管轄」しているので、何らかの選択基準を持っているのかもしれない。(それとも新字体?)

 なににつけ、存在するものは他にはない固有のモノだから、区別されなくては正確な表現にはならない。東京が文化の中心である必要はないが、東京にある「御岳山」も名のある観光地なので、同じでない方がいいと思っている人もいるだろう。