2017年2月8日水曜日

キューバの人たちの生活・建物 キューバその5

 我が家は都合40年住んでいる。最初の建売は10年もたつと傷んできた。ベランダの付け根のところにシロアリが巣を作って喰われ、押し入れに水漏れがおきるようになった。やむなく改築することになった。同時に売られた隣接5軒の建売物件は1軒を除いては、今では全部建て替えになっている。建て替えに前後して居住者も入れ替わった。通り側の近所の家もほぼ建て替えられている。家も消費財として、使い捨てまではいかないにしても、どれだけ長く住めるかという基準での選択は難しい。ローンを背負ってようやくその頸木から抜けられるころには、ボロ屋になってしまう。今はそれでもいいほうなのだろうか。

 ヨーロッパでは、中世時代の古い建物が現役で使用ないし利用されているが、キューバがスペインの植民地だった影響を受けていることで、それと似たような中世期の建物の街並みが続いている。古いものというと言葉の響きはよくないが、使えるものを使うという「思想」は、現在の日本の「再開発」と対極にあるような気がする。使用可能なものでも古いものは破壊して、新しい何かを作るということは、そこにあった広い意味での文化構造を、ぶち壊すということにつながる。人間にとってそれが当たり前とされた時には、育んできた人たちにとっては大事なものが、失われてしまうことになるのではないか。経済成長という魔物と、うまい具合に付き合っていくことは大事なことと、よそ者が余計な心配をしてしまう。

 キューバは、今あるものを生かしているということを、ガイドさんの話の中で強調される。児童の学校も、保育園も環境客が行き交う賑やかな街のなかで、旧来の建物を利用して活発な活動がされていた。建物の内装をリニューアルして、賃貸をする予定のところを案内してもらった。その部屋の隣には瀟洒な店が営業していた。























2017年2月5日日曜日

キューバの人たちの生活・車 キューバその4

 今あるものを利用するのは理に適うこと。日本でも着物は浴衣になりおむつになっていった。いまは、大量消費時代を金科玉条にして、さして反省のないまま、あればあるほど良いという感覚が醸造されている。たまたまテレビで見たのだが、「MOTTAINAIもったいない」という言葉を、ケニアのノーベル平和賞受賞者ワンガリ・マータイさんが来日した折に、その意味に感銘して、世界に広げるという決意で実践をしたとのこと。ご本人は亡くなられたが、後継者マリナ・シルバさんも次世代へのメッセージとして世界に広げている。http://www.mottainai.info/jp/about/#anc01
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マリナ・シルバさん
日本語「もったいない」が、マータイさんが取り組む資源の有効活用、3RReduceReuseRecycle)を一言で表す言葉であり、さらに命の大切さや、かけがえのない地球資源に対するRespect(尊敬の念)という意味も込められていることを知り、子供たち、次世代へのメッセージを 含んだ言葉として深く感銘。環境を守る国際語「MOTTAINAI」として世界に広げることを決意しました。
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 「もったいない」というよき共通の概念が、実は日本では薄れてきているのは恥ずかしい限りだ。当たり前のことを絶やさずにしておきたいものだ。キューバで古い建物や年代物の車をみて、この「もったいない」という言葉が頭に浮かぶ。この有様の真っただ中ということが、歩き回って理解できる。

 年代物の乗用車は実用ということはもちろんあるだろうが、観光客を乗せる「お遊び」としてタクシー営業をしている。ツアー同行のメンバーもその車をチャーターして観光地を巡った。観光客は中国製の公営チャーターバスで移動している。新しくはないがオンボロということはない。「足」としては、乗り合いトラック交通が許されていて、廉価な乗車料金で済むらしい。タクシーは「公営」のものがあって、料金が決められているようだ。使うときは黄色のタクシーをとガイドさんから説明された。写真撮影メンバーはこれを利用した。年代物の車も登録することによって、タクシー営業が可能になっている。料金は公営より少し高めとのこと。車が走行する道路では、ときおりガタガタと揺すられることがあるが、長距離の移動は8070キロくらいのスピードで走っている。

 日本の事情と比較すべくもないが、ハバナの市街でも車は結構走っているし、歩行者との行き交いも注意は必要な状態だが、信号機は少ない。今後車が増加していけば、歩行者との対立が拡大していくのだろう。排気ガスをマフラーからだしている車が走っている。交差点では匂いがして気になった。車が故障して、道路端で修理したり修理待ちをしたりしている場面を見かけるが、大事に使うということの表れということになる。年代物の車を何枚か撮影させてもらったが、いずれも自慢げに写真を撮らせて、中には礼まで言うそぶりの運転さんもいた。キューバはどうしてこうも積極的で明るいのかと、驚くばかりだった。













2017年2月3日金曜日

キューバの人たちの暮らしぶりは… キューバその3

 写真を撮るメンバーは、キューバの暮らしを切り取りたいと、狙いを定めている。キューバの姿がドキュメントでつかまえられればいいのだが、それはあらかじめ狙いを定めておくわけにはいかない。出たとこ勝負のことになる。くじ引きのように当たりはずれがある。

 したがってキョロキョロと挙動不審者がごとき動きで、一瞬も気を抜かずに動かなければならない。特に人を撮るとなると、秒単位で千変万化する相手をとらえなくてはならないが、うまくその瞬間にシャッターを押せれば御の字というところ。

 ところでキューバの人たちは、基本的に写真を撮られることをさして問題にしない。もちろん撮らせてもらうときには断るが、日本の場合は事前に断りをいれないと、ときには齟齬が起きたりする。キューバの人(キューバに観光で来ている人も多くいる)が問題にしないというのが、どうしてなのかはわからない。ちょうど目が合ったとき、その機会にカメラで撮るポーズを示すと、「いいよ、撮れ!」という態度が返ってくる。こういうケースが一番多い。

 家の前で外を眺めている人も結構いる。ガイドさん話では、夏だから家にいるより外に出てくるのではと言う。この撮影チャンスは、日本から持ち込んだアメが役立つ。同行の先輩が慣れていて、ちゃんと準備していた。アメ一つで、まず笑顔がでてくる、さあ撮っていいよと、構えてくれる。でもそれが型式的になったりして…。

 もう一つは、多くはないが、「撮ってくれ!」とせびる人。これは後からチップをせびるというスタイルの人。申し訳ないがこれは応じない。金の問題ではないが、いい写真にはならないだろうから。で、どれだけ迫れたのかというところは、ウーン。