2022年8月2日火曜日

持つべきは旅上手の友人

 ツアーの旅を上手に取り上げてくれる達人のおかげで、懐に優しい催しに参加。第6次の感染が落ち着きを見せたころを、ちょうど見計らったように、京都の旅のツアーの日がやってきた。膝の片方の再生治療を前週におえたばかりで、心配の道行だったがなんとかなるかと出発。

 初日は、貴船神社参りと貴船川での川床料理。暑い日差しを避けながらバスも利用して歩く。足はやはりちょっと重かった。市内に戻ってから安井金毘羅宮へ。あまりの暑さに「フワフワ宇治金時」(1080円)のでっかい氷菓子を平らげた。夕食はホテルの地下店街にある蕎麦屋で宴会。地下街には店がたくさんあって、より取り見取りの状況だった。

                  貴船神社




川床料理


安井金毘羅宮




夕食大宴会

2022年7月26日火曜日

あれ!同じ席じゃありませんか。

  えきねっとの申し込みが「eチケット」でという疎ましい扱いになって、しばらく利用していなかった。ちょうどコロナの感染や、岩手への往来が不要になったうえ膝の障害が重なって、利用する目的はなくなっていた。

 このところ「再生治療」の効果があったのか、膝の具合が改善してきたようで、寝返りの度に痛みを感じるようなことはなくなった。で、ちっと遠くへ出かけてみるかと思い立ち、新幹線の予約をしてみることになった。「eチケット」はスイカで改札を抜け、乗車席へ「券なし」でいくというシロモノ。

 なにをどうすればいいのかウンウンうなりながらなんとか、スイカクレジットカードの登録をして、申し込みをすませ目鼻がたったと思った。ところが「大人の休日クラブ」の割引が適用されていない。電話をしてみると、手順に失敗があったらしい。変更手続きの案内をしてくれて、割引の適用が受けられるようになった。

 そして当日、スイスイとスイカで改札関所を無事すり抜け、乗車位置へどっかと座わった。これで安心と思ったのもつかの間、「座席が間違っていませんか」と声をかけてきたご婦人。いや間違っていないと座席の位置のコピーも確かめてみたが、ご婦人の乗車券と一致している。車掌を捕まえてということになったものの、どこにいるのかもわからない。

 ご婦人は、まあお座りくださいと譲ってくれた状況。改めて自分のメールを確かめると、変更のメールが届いており、割引適用にする際に初回の申し込みをキャンセルしたことで、別の座席に変更していることがわかった。

 ちょうどご婦人が戻ってきたので事情を説明して、お詫びをした。申し込みから変更まで、メールが複数たしかにきている。しかも予備に登録しているアドレスにまで「ご丁寧」にメールが送信されていて、いちいち見ていられるかという気分にもなる。デジタル社会とは、ほんとに便利というより、とても自己責任的だし、やっかいなものだと改めて思った次第。

2022年7月24日日曜日

テレビ放映で思い出した撮影地 石川県珠洲市木ノ浦

「バナナマン日村が運転する夢の送迎バス」(NHK18日)で石川県珠洲市木ノ浦が紹介された。

路線バス廃止で市運営のバスが日に2本。地元のお年寄りが買い出しなどに利用している…と。映像に見たようなところがあるので、グーグルマップで調べてみた。間違いなく9年前に能登めぐりをしたときに寄ったところだった。

写真は朽ちた小さな港を撮ったものだった。どのへんで撮ったのか記録がなくて困っていたが、偶然にも判明した。カメラを構えて朽ちた港を見ながら、透きとおった海水と海藻の揺らめきが見えて、昔は賑やかなこともあったのだろうと思いながら、シャッターを押したことを思い出した。








 

2022年7月16日土曜日

神宮外苑再開発で樹木971本を切るという

⇒東京都の都市計画審議会で承認

⇒その新聞報道で初めて開発計画の事実を知った

⇒都民の意見を聞けの声にも、「議論は十分尽くされた」と一方的に採決を行い、賛成多数で可決

⇒東京都が計画の詳細を公表したのは20211214日⇒担当者からは決定は変更できないと一方的な説明

 

日本はほんとに民主主義は不存在といってもいいくらい。

樹木伐採の反対署名(NET署名=現在86717)と請願書を6月に提出、630日までに小池知事の回答を求めたものの、引き伸ばしをして回答をしていない。

711日にメールが東京都から届いているとのこと。

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楠本純子様

楠本夏花様

東京都都市整備局都市づくり政策部土地利用計画課です。

66日に提出された請願書については、回答に作成に向け調整中であり。お時間がもう少しかかることをご報告申し上げます。

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新宿西口でも大規模開発が始められているが、気候変動を招いた一つの要因でもあり「過大都市製造」で地上の熱を吸収するどころか、貴重な森と緑をつぶして、発生源を拡大させるとはいかがなものかと思う。三井不動産が高層ビルの建設を予定しているらしいが、考え直しストップすることをまじめに考えないと、まさます温暖化が進む。










 


2022年6月25日土曜日

「平和の詩」がすばらしい

 沖縄戦没者追悼式で小学校二年の子供が朗読した「平和の詩」がすばらしい。

~せんそうがこわいからへいわをつかみたい ずっとポケットにいれてもっておく ぜったいおとさないように なくさないように わすれないように~

 平和をつかむために軍備を増やし、核兵器も置こうという主張。ちょっと待ってくれ、日本が踏んできた他国侵略の道をなかったことにして、「怖さ」利用するのは不届きなこと。ウクライナ惨状を目の当たりにして「絶対やってはいけないこと」と鉢巻を締めなおすのが普通とすべきなのではないか。

 いつまでも戦争をやめないロシアを見て思う。止めるときは「兵器」がなくなるときまでなのか?その前に「やめろ」というのが政治だと思うのに、欧米の協調にのるだけのことしかない日本。電車で乗客が困っている場面で、何人かが助けていてもまだ側で見ているだけ…。平和をつかむためのポケットはもちあわせない政治。兵器産業が潤いを待つ政治、やめて。


2022年6月19日日曜日

忘れてもいいようにと思うのが「ゴミ」を増やす?

 さあ朝だと、煩いマウスを外してスマホを見るとまだ5時半だった。また寝るほどでもないかとそのままツイッターを眺める。ツイッターを見て「なるほど」と思う記事を読む。それを残すのを仕事の一つにしている。忘れてもいいようにと考えて。忘れるのは高齢者の特権だと強弁しつつ、念のためついでに記録に残すことに努める。

 スマホとパソコンには、「メモ」をとる機能(アプリ)がたくさんある。なにかの仕事をするために必要不可欠な道具なのだ。四角いメモ帳、附箋的なもので、ちょっとした言葉を書き込んでおくのにとてもよい。我がスマホとパソコンはほとんどが同期されているから、「メモ」が残っていることは間違いない。新聞の切り抜きも記録として取り込んでいるから、自分ではスッキリ整理しているつもりでいる。

 とはいえ、どんどん増えてゆき、パソコンの記憶装置の中にはたくさんの「記録」が留まっている。だいたいその「記録」がどこに残されているのかも、時間が少し経つと忘れてしまう。テレビでよく放映される、「片付けができなくて部屋中だけなく家の外にもゴミのビニール袋を積み上げる」。それにほぼ近い。

煩わしいマウスを外したら快感。快感に感謝して毎日洗浄して干す




2022年6月12日日曜日

明日天気になーれ

 予報によると日曜だけは雨が降らないらしい。晴れマークではなく太陽がちょっとのぞく…。朝のところは予報があたっている。窓から入ってくる風がカーテンを揺らしているから、天気が変わるのかな。天気予報はスーパーコンピュータに物理法則に従って予測数値を出させ、予報士が修正するのが主流だというから、あくまでも人間が判断をする。

 下駄を放り上げてとはならないにしても、ある程度は自分が判断することになるのかな。これから出かける時間帯に雨が降るのかどうか、空模様を雲の動きくらいは見ているし、気温予測があっても窓を開けて、体感の結果で何を着て出かけるかを決める。少なくとも自己判断が最後にきめるとなると、これも「自己責任」となるのだろうか。予報に当たりはずれがあるのは、スーパーコンピュータに蓄積されているデータに不足があるのか、予報士の経験値を超えるなんらかの異常があるのか、気候変動、温暖化の影響が組み込まれているのか?などと、余計な心配事をしている朝。

気温低下で一度は枯れ、復活したものの今度はきれいに刈り取られた。それでも復活したフキ。

2022.04.06


2022.06.11


2022年6月7日火曜日

写真展終了して一息

 一息というより、「息切れ」風の幕。受付当番以外も7日間通い詰めて「入江ゼミ展」を無事に終えた。来観者は500人(修正600人)くらいにはなっただろうか。講師を入れて19人の写真を取り外して撤収しながら、これは一人ではとてもやり切れないことだとつくづく思った。2年間はWEBでの代替えだったから、やりがいを感じたことはもちろんあるけれども、疲れ果てたという「充実感」も残った。膝だけでなく股関節まで響いてきた。ここまでくることで、様々な「至らぬ点」と、ちょっぴり「良かった点」が浮かび上がるのは、見に来て下さった方々の反響によるもの。とりわけ大きな節目になって、これから先の糧にさせてもらえることがうれしい。疲労が頑張りに転嫁していけるかどうか、心配がないでもないけれども、ともかくいったんはほっとさせていただこう。

3日は突然の豪雨だった



2022年5月27日金曜日

写真展開催へどうにかたどり着きそう

 もともとなんでもマーペースでやるたちなので、あまり急かされるのは身体がなじまない。その上に退化がかぶさって、その重みで次のことに取り掛かるのに「どっこいしょ」と声をかけるのが習いになった。膝の痛さを「克服」はできないけれども、必要に迫られて動き回るのも、一面では膝周りの筋肉には悪いことではないかもしれない。写真展開催のための、オンラインでの相談や作品プリント、額装をこなしてどうやら開催日に近づいてきた。数日前、医者へのリハビリ通院でいつも通る道端で、アジサイが元気に咲き始めていた。








2022年5月14日土曜日

写真展中止を開催に転ずる霹靂

  中止するはずだった写真展を開催することに転じた。新型コロナの感染拡大が漸減傾向にあることが、考え直すきっかにもなった。連休後の感染拡大がまた広がるのだろうことも言われていたとおりに、ここ数日はまた上昇する気配。しかし、でも…政府がというか、社会全体が行動再開へ、雨後の川の流れのごとく進んでいく状況に、取り残されていくという思いがないではない。率直にそう思うが、本当に大丈夫かと問われて胸を叩ける人は存在しないだろう。周囲の動向に責任を被せるわけにもいかないが、万全な感染拡大対策をしてやるという以外にはない。相談がまとまったところで、突然忙しくなる事態になった。「あいさつ文」の相談をオンラインで済ませ、日曜から作品のプリント作業、来週には「パンフレット」の最終点検など、…に鞭打って頑張らなくてはならない。

膝の具合を確かめながら公園に鯉のぼりを撮りに行く








2022年5月9日月曜日

忘れるのも自然の摂理?

 寝る前にマスクがないのに気付いて、懸命に探したがみあたらない。無呼吸症候群の治療ということで、毎晩寝る前に着用しているものなのに、どこへやってしまったのか。床はもちろんベランダをみても見当たらない。やむを得ず今回は装着しないで寝ることにした。

 翌朝になって明るく見えるのを幸い、もう一度見まわしてみた昨夜とおなじところを探したら、ベランダ出入り口脇に置いてある、竿たての束の上にちょこんと鎮座しているのを見つけた。シーパップのパイプとマスク部は毎日洗浄して、風通しがいい出入り口のカーテンに、洗濯バザミで止めて乾かしていた。布団を運び出すときにカーテンにぶつかって、飛んでしまったようだ。

 ぶつかってなにか飛んだなという気がしたのに、布団を手すりに掛けたあとは、そのまま忘れていた記憶が今頃蘇った。記憶がよみがえるだけまだいいか。でも、翌日に整形外科へ行って、「マスクしていない」と指摘された。「ああいけねエ」とハンカチで顔を覆って、マイクロ波の治療にかかっていたら、看護師さんがマスクをもってきてくれた。こんなに、注意力が散漫になるのは脳の働きなんでしょうね。どうしたって起きてしまうのだから、自然の摂理だよなどと言い訳をして、あまり突き詰めてないことに。笑うのが効果的かもしれない。

これをパイプをつけてし器具から空気を取り入れる



2022年5月2日月曜日

能登の間垣は重要文化的景観だったっけ

 今年の写真展も、ついに3回目の中止になってしまった。月一の例会をオンラインでやってきて、撮影した写真の披露交流と、現像技法を中心にした勉強することが、ある程度できた。ただ、自分の写真の取捨選択をすることが、十分にできないことで物足りなさが残っている。

 それはやっぱり顔を合わせた例会でないと、解決できないようだ。自分の撮った写真の思いやりとこだわりがあって、次に撮っていく動機にもなるのだから、なんらかの批評のコメントに出くわして、整理がついていくものであるのに、肝心なところが解決できない状況だ。

 3年になろうとする新型コロナ蔓延社会で、苦労を被る人をさしおいて言うこともできないが、先を考えたときに、この環境を変えて動かすことができるだろうか。ともかく愛好家としての範疇、「趣味プラスアルファ」=楽しみから逸脱したままで、みっともなく鎮座をするだけのことになるかもしれない。

 写真展作品をと、以前に撮ったの写真を見直して、能登の写真を引っ張り出してみながら、通ったころを思い出した。また行くことは難しいかな。








2022年4月21日木曜日

毎日ウクライナの惨状を見て戦前と重ねる

 ウクライナの惨状を毎日テレビで知らされて、日常の「平和」(?)との乖離をこれでもかと感じさせらている。平和とはと、上段に構えて説法などできないが、生まれる前の年には15年戦争が「敗戦」という歴史を踏んだ。これおも「終戦」という言葉に置き換えて、かつての侵略行為への反省をろくにせず、戦争を軽んじようとする意図が、いつまでも続いている。

 再び侵略をしてはならぬという憲法のしばりをもって、日本は今の位置が保たれているはず。それを顧みることなしに「侵略」に抗するための武力や軍事同盟を強化するということで活路を開くという、1920世紀の時代スタイルを持ち込んだままでいこうとする愚行。

 ロシアに対抗する「民主主義国」の装いをこらしても、アメリカが縦横無尽に「他国侵略」してきたことを帳消しにすることはできない。他国を侵略することをさておくことはできないと思うのは、テレビに映し出される例えようもない状況。大量殺戮、破壊を止める意思が全く見えない。

 あれこれフェイクニュースをまき散らして、これも日本が武力侵略をしていた頃と同じ轍を踏んでいる。国内の反戦世論を押さえつける屁理屈とウソ以外はない。もう「攻撃の目的」もなにも、理屈も説明も不存在なのだ。戦争はそういうもの、地上にあるもの生きているもの全部をないものにしていく。その結果は考えたくもないが、生き残った人々の膨大なエネルギーと、財力と時間が費やされる。「合理性、効率性、安全性」がまた一から始まる。

 しかし、それは織り込み済みで戦争継続している節もある。始めてしまったら終えようのない麻薬のようなものかもしれない。その意味でも「敵地攻撃能力」などという代物は願い下げの「ゴミ箱削除」行きがよい。名称を変えてよいとするのは、プーチン流「軍事行動」と同じだ。

どれだけの人々の血が…



2022年4月17日日曜日

ここだけの話、内緒の場所でフキ採り

 例の場所でフキを摘んだ。ちょうど食べごろのフキの葉が、立派で辺り一面に生えて、元気な姿を見せている。生え伸びるのもとても速くて、元気さを分けてもらいたいものと思った。

 いまどき山に入れば、山菜がどんどん伸びているだろうな。特にフキノトウ、コゴミは雪解けの地面から飛び出しているだろう。渓流釣りを盛んにしていた頃は、解禁になった川沿いには必ずなにかを見つけたものだった。魚が釣れなくとも山菜で…という自然の恵みの時期だ。

 その時は、ワクワクしながら太陽の光を感じて、春先の実感を味わうことができた。いまは夢で山菜取りに行く以外は、新潟の業者から送ってもらうのみになった。

 茹でてアク出しして、調理して口に運ぶ作業はあっても、春先の自然に入って自分の手で触れて採るという、肝心でぜいたくな時間はまずなくてつまらなくなった。元気さを分けもらうことができるのは、自然が一番なのだろう。

 新潟の破間川支流に早朝つりにでかけ、山中で突然人に出くわしたことがあった。クマかとびっくりしたが、山菜取りに入ってきたのだった。山菜は朝早く採るのが常道なのだと、そのとき学ばされた。自分だけの秘密の場所があったりする。ある意味「競争」意識があるのかも。内緒の場所でフキを摘んでそんなことを思い出した。

アクがついた




2022年4月14日木曜日

昨夜寝しなに眺めた都庁は「ウクライナ」

 都庁のライトアップは、その都度ごとの「政策テーマ」をとりあげて実施しているのだとか。それは何?と聞かれてそうかと納得できるようなことなのかと疑問が湧く。

 今は「ウクライナ」キャンペーンらしい。ウクライナ支援という意味だとは理解できないわけではない。電気代は12000円で予算化しているらしい。新しく予算をとったわけでないとの断りが都民ファースト議員から表明されている。たしかに新型コロナでもそれはあった。時たま都庁を眺めて「ああウクライナの平和だよね」という気になる人もいないとは言わないにしても、プーチンの残虐な殺戮を毎日テレビ映像で見ていて、何とかならないかと誰でもが思うことで、都の政治としてライトアップでございますと言われても、何か浅薄さを免れない気がする。

 だって、「何色のスイッチ、これだよね」と指一本で平和を願うなどとは、あんまりではないか。世界の首都の長に呼び掛けて、ウクライナで起こされている、言葉にも表現しにくいほどの非道行為を、断罪するくらいなことをできないものだろうか。



 

2022年4月9日土曜日

新型コロナウィルスは変異して生き延びているのに

 中野区のホームページに「新型コロナウィルス感染症相談の流れ」があった。あくまでも「相談」という辺りが全般の中心になっているが、医者にかかるまでのハードルが高い。

熱がある場合は、かかりつけ医か東京都、医療機関案内、中野区の相談窓口に電話をして支持を受けるとあり、症状によって医療機関に受診するのか自宅で様子を見るという扱いになる。相談して医療機関で感染が疑われる場合は検査を受けることになるが、この場合、検査料は無料になる。検査の結果で感染者になれば施設を紹介されるのが基本とされているが、軽症であれば「自宅でどうぞ」ということになる。

症状がない場合は厚生労働省、東京都、区の相談窓口へ電話をしろとのこと。しかしこれは。本人が接触したと自覚されるか、自主的な検査によって感染者となっている場合もある。いずれにしても「かかりつけ医、医療機関」への連絡、その指示に従って受診可能になる。これは症状がないわけだから、自宅で様子見にならざるを得ない。

保健所職員や医療従事者の負担がこれで軽減とも意図はわかるけれども、だったら対応するための充実策が問われる。多少の策をとった例は報道しているが、足りていないということだろう。これまでの反省も教訓も放っておかれている。検査を充実させることは考えられていないし、「経済のために」という殺し文句で、コロナとの共生を迫られているようで、納得できない。

 

中野区の場合



倉持先生は「最悪の状況」とツイッターで




2022年4月6日水曜日

5月の写真展、またしても中止の憂き目に

 第6波の感染者数の波が引かないうちに、また上げ潮に転じているかのようで、世界中で増加している感染者が日本でも例以外ではない感じがする。

 写真ゼミのメンバーに感染者が2人出て、幸い立ち直りはしたものの、一人はクラスターで大変なことになったとその経験談を聞いた。写真ゼミ例会をオンラインでやっているなかでの「近況」で知らされたことだった。二十数人が参加しているゼミで、毎度近況を報告するうち身近な人の感染は時たま話されて、だんだん広がってきているという実感はしていた。だけれども、今回は本人が感染したとの経験が紹介された。

 経験者から話されたことは、かかわっていたグループから感染者がでて、検査したところ50名が「濃厚感染者」となった。ご本人は、自主的に自宅待機しているうちに熱が39度でてきたけれども、医者との相談で相談の結果自宅で様子を見ることになったという。一週間ほどの寝込んでしまい、食事も「吐き気」を催すほどの症状があったとのこと。

 ショッキングな状況を聞いて、このまま展示会開催でいいのかという気分になった。ワクチン接種を3回しても感染は免れるわけではないし、感染を疑っても検査は自己責任でせざるを得ない。熱が出ても医者に診てもらうことなしに家で様子見ということは、保健所の業務と医療体制の崩壊の状態が、続いたままの「自宅放置」なっていると思わざるを得ない。若年層の感染が増えて、高齢者の場合は基礎疾患者が危険な状態になる可能性が高い。このような状況下で写真展をやるのはどうかということで、意見を出しあった結果「実施する熱意」はもありながら、やむを得ず中止としようという結論になった。(4月7日一部訂正)

フキが育って元気