二日目はもっと鄙びた里を味わうことになった。前日とは行く先を変えてもう一本の道を下ってみた。てくてく歩いて行っても何もない、人にも合わない。昔はなにか農地として使っていたのか、広い原っぱのような空き地が目に入っていたが、シャッター押すまでもない風情。でもスマホで一枚撮った。下りから上り坂になって少々くねっている道を、「何か」を見つけるまで歩くと決めた。畑が見えて花が咲いている。近くに人家が見えてきたので、何かないかと見まわしてもこれといったものはない。どうもこちらは全くの山中といった感じだった。あきらめて「膝をかばうために」と戻ることにした。
虚鯊は「ウロハゼ」。関西で好んで食べられている。すしネタでもいけるとか。「あーそーべー」は山形の方言で、一緒に遊ぼうとの意味。ウロハゼは関東の海でも増えてきているもよう。温暖化の影響かもしれない。夏のハゼ釣りのとき、マハゼに混じってつれるが、「つりの競技会」となると、邪魔者にされることがある。
2022年8月25日木曜日
2022年8月20日土曜日
地元の人に一人だけ出会った「こけしの里」
このところ温泉欠乏症で、どうしても浸かりたくなって、鎌先温泉へ行くことにした。「おときゅう」(大人の休日クラブ)の新幹線三割引を、利用していないのが癪に障ると、理屈もつけて申し込みをした。そのいきさつを先日のブログに書いたけれども、巡りが少し悪くなった頭を駆使したものの、座席のバッテングの「苦難」を背負うことになった。
月初め(7月)には京都のツアーがあったから、月内二度目の旅になった。今度は緊張の一人旅だ。露天風呂が良いのが分かっていた。それ以外は、周囲に「なにかみつけられるだろうか」という程度の期待だった。NETで調べても、観光に類するようなものは何もないことがわかった。
歩き回れば、何かは撮れるかもしれないと、二日目にザックにカメラだけを仕舞い込んででかけた。温泉は4軒の旅館しかないこじんまりとしたところだったので、簡単に一周して道に出た。少し高台にある温泉から下る道は何本かあり、エイヤッと一本を選んで下った。すぐに高齢の人が、道を横切って半来側の建物へ移動するところに出会った。挨拶をするとすぐに挨拶が返ってきた。「97歳で運転免許の更新をするんだ」とニコニコして話していた。
そこから少し下っていくと「こけしの店」が見えた。もう店は営業していない様子だった。渓流にかかる橋の欄干にこけしが乗っているから、この辺一帯が「こけしの里」なのだろうと、うっすら理解した。それは帰りの白石蔵王駅で確実になった。こ「侘しさ寂しさ」の里にちょっぴり触れた。人とビルの雑踏から離れてこの「のんびり」が気持ちの休まる時間だった。
2022年8月12日金曜日
温暖化の「味わい深い雨」と酷暑の京都二日目
温暖化の証拠は日本の場合は、雨型なのだろうか。このところ振り様がただ事でない。海水温が高くなるのが、これまでの則を超えて線状降水帯と称されて、何年かぶりの…という味もそっけもない言葉で説明される。おい違うだろ!災害が起きたのは自然の責任だと言わんばかりの「危機意識」としたら問題だ。今年は東北に線状降水帯が影響を与えたと言っているけれども、線状降水帯は日本の西の方で起きているので、東北方面の記録が少ないために予報しにくいと元気象庁予報士が話していた。そのうえもし予報が外れたら、信頼性を失うのでやれないなどとコメントしていた。たとえ予報が外れても避難の呼びかけをした方が、結果オーライじゃないのかと素人目にはおもえるけど。
それはともかくとしても、旅に出かけるときには大方天気には恵まれる「晴れ男」だと信じ込んでいるのに、今回の京都は大事な中日に大雨の歓迎を受けた。「何年かに一度」の雨だ。膝の心配もまだあるし、無理はしないでと思いつつでかけたには保津川のトロッコ電車だった。雨の方が違った見栄えもあるかと、屋根付きのトロッコ電車に乗って、「竹林めぐり」に向かった。トロッコ電車を降りるときには、しっかりと大雨が出迎えてくれて歩き回るには厄介な状況。2022年8月7日日曜日
読書すると眠れなくなるのは
本を読むのが好きでないけれども、まったく嫌いというほどでもない。「本読み」が退職後の大きな仕事と決意していながら、なかなかうまく実行できないでいるのが困ったものだ。やりたいことがいくつもあって、本読みを先行してというわけにもいかないし、課題として背負うのも重くていやだし、ゆるゆると自分にあった落としどころはないものかと悩む。悩みが生じてくるのは「断捨離」の課題が一方に見えるからで、物理的には本の置き場もなくなってくるあり様。
ともかく捨てるまえには読まなくちゃならないと、方策もなく無茶苦茶に紐解いてみるなんてこともやってみる。知らない知識がこれでもかと迫られてきて、やっぱりそれで素直に片付かない。読んだというちっぽけな満足感は残るのが唯一の成果。二日ばかりやってみた読書は、眠り補充の好材料になる。読んだ翌日に早く目が覚める。頭が刺激で興奮したわけかと一時期思ったがそうでもなくて、前段の居眠り補充のためらしいと分かってきた。これでどこか、脳の一部でもよい効果を生み出してくれるといいと思うのだけど…。
撮った写真も断捨離の対象になる。その気でやるのはまた同様に、妙な「もったいない」気分が始末できないから。「もったいない」は、かつては日本の良き文化だったから自分のせいだけでもない。いずれにしてもどこかで捨てられる運命にあるのだから、願わくば自分の手で整理してやるほうがいいかも。撮られた写真からしてもいい。写真は「勝手に撮って放って捨てた」とは言わないだろうけど。でもそれなりの熱意をもって取り組んだものだから、やたら削除すればいいというものでもない。整理のパターンを考えだしてやるのがいいだろうか。
先日の京都先斗町で撮った写真は9年前に同じ場所で撮った。こんなことしているうちは断捨離できないのかな。
2022年
2022年8月2日火曜日
持つべきは旅上手の友人
ツアーの旅を上手に取り上げてくれる達人のおかげで、懐に優しい催しに参加。第6次の感染が落ち着きを見せたころを、ちょうど見計らったように、京都の旅のツアーの日がやってきた。膝の片方の再生治療を前週におえたばかりで、心配の道行だったがなんとかなるかと出発。
初日は、貴船神社参りと貴船川での川床料理。暑い日差しを避けながらバスも利用して歩く。足はやはりちょっと重かった。市内に戻ってから安井金毘羅宮へ。あまりの暑さに「フワフワ宇治金時」(1080円)のでっかい氷菓子を平らげた。夕食はホテルの地下店街にある蕎麦屋で宴会。地下街には店がたくさんあって、より取り見取りの状況だった。
貴船神社
2022年7月26日火曜日
あれ!同じ席じゃありませんか。
えきねっとの申し込みが「eチケット」でという疎ましい扱いになって、しばらく利用していなかった。ちょうどコロナの感染や、岩手への往来が不要になったうえ膝の障害が重なって、利用する目的はなくなっていた。
このところ「再生治療」の効果があったのか、膝の具合が改善してきたようで、寝返りの度に痛みを感じるようなことはなくなった。で、ちっと遠くへ出かけてみるかと思い立ち、新幹線の予約をしてみることになった。「eチケット」はスイカで改札を抜け、乗車席へ「券なし」でいくというシロモノ。
なにをどうすればいいのかウンウンうなりながらなんとか、スイカクレジットカードの登録をして、申し込みをすませ目鼻がたったと思った。ところが「大人の休日クラブ」の割引が適用されていない。電話をしてみると、手順に失敗があったらしい。変更手続きの案内をしてくれて、割引の適用が受けられるようになった。
そして当日、スイスイとスイカで改札関所を無事すり抜け、乗車位置へどっかと座わった。これで安心と思ったのもつかの間、「座席が間違っていませんか」と声をかけてきたご婦人。いや間違っていないと座席の位置のコピーも確かめてみたが、ご婦人の乗車券と一致している。車掌を捕まえてということになったものの、どこにいるのかもわからない。
ご婦人は、まあお座りくださいと譲ってくれた状況。改めて自分のメールを確かめると、変更のメールが届いており、割引適用にする際に初回の申し込みをキャンセルしたことで、別の座席に変更していることがわかった。
ちょうどご婦人が戻ってきたので事情を説明して、お詫びをした。申し込みから変更まで、メールが複数たしかにきている。しかも予備に登録しているアドレスにまで「ご丁寧」にメールが送信されていて、いちいち見ていられるかという気分にもなる。デジタル社会とは、ほんとに便利というより、とても自己責任的だし、やっかいなものだと改めて思った次第。
2022年7月24日日曜日
テレビ放映で思い出した撮影地 石川県珠洲市木ノ浦
「バナナマン日村が運転する夢の送迎バス」(NHK18日)で石川県珠洲市木ノ浦が紹介された。
路線バス廃止で市運営のバスが日に2本。地元のお年寄りが買い出しなどに利用している…と。映像に見たようなところがあるので、グーグルマップで調べてみた。間違いなく9年前に能登めぐりをしたときに寄ったところだった。
写真は朽ちた小さな港を撮ったものだった。どのへんで撮ったのか記録がなくて困っていたが、偶然にも判明した。カメラを構えて朽ちた港を見ながら、透きとおった海水と海藻の揺らめきが見えて、昔は賑やかなこともあったのだろうと思いながら、シャッターを押したことを思い出した。





















































