2011年4月15日金曜日

しっかりしているのは…

 地震が起きてからの1ヶ月は、とても早い時間が過ぎて
いった。地震の少し前に、うれしくもない介護保険の決定通知。なんと誕生月の分も聴取するとか。
 
 確定申告の時でもあったから、税に対する思いもまた新たにした。たまたま国民健康保険への切り替え手続きもあったから、いずれ納付の通知が届くだろう。
 年金収入の懐から出て行くというより、「年金ねらい」というほうが心情には近い。
 この手は非常に「しっかり」したシステムとなっている

 補正予算で、年金財源から支出をして復興財源に充てると、「皆で負担」ばかり先行して対策が考えられている。
「しっかり」と。

 が、あるはずだよ無駄が。身近な中野区では駅前の再開発に、「資金導入」とか。国にもあるでしょ。「ダム」とか。「港湾事業」とか。
 
 これまで通りの大型公共事業は、止める機会だね。年金生活者の経済に対する貢献比重は大きいと思うけど…。

 特に旅行などは「受給者」が貢献しているのではないかな。被災地の避難所で、テレビに映される高齢者は元気。

 いろいろ大変な環境を背負っているに違いないが、ほんとに元気な姿を見せている。

 復興は高齢者がどれだけパワーを発揮できるかにかかっている。そう思いませんか政府殿。

2011年4月14日木曜日

「義捐」か「義援」か

 つりの会も幾ばくかのことはやりたいと、義援金を集めようということになった。義捐と義援と二つの使い方どちらにするかが話題となった。

 身を捨てても助けるのが義捐の意味合い。ただし当用漢字にないから、新聞社が義援の文字を創出したそうな。
 結論は、両方排除しないとなった。

 言葉は豊かにあったほうがいい。意味するところが同じなら問題ない。言葉が違ってニュアンスは選択できるのが自由の拡大というべきだろう。
 
  「食べれる」は食べられる」の変形。私は「ら」抜きは日本の言葉を違えていると思うが、意味は通じると言うことから言えば、排除はできない。
 

 爆発があって、「原発の作業員が移動した」と「退避」とでは、相当受け止め方が違ってくる。言葉は豊かな方がいい。でも性格にしないと言葉が死んでしまう。

 本日「虚鯊数多フォト」更新
 「春から夏にむけての瞬間は」ttp://29.pro.tok2.com/~urohaze/essay.html

2011年4月13日水曜日

ダイジョブ?

 ダイジョブじゃないようです。福島第一原発事故「レベル7」は3月末には引き上げの可能性を知っていたと。「データの精査をするのに時間がかかった」とか。
 
 12日の発表まで、原発の状況はどうなっていったのか。精査しなくても皆知っている。3月末の状態より明らかに悪くなっているじゃないか。

 復興に向けて、立ち上がっているときに原発の状況は相変わらず危機。始末が悪い原発をまだかばおうとするのかな。ダイジョブじゃないな。

2011年4月12日火曜日

原発は続く

 「原発の新規建設はやめよ、すべての原発は停止しろ」と全国漁業協同組合連合会が東電に申し入れた。
 当然であり大賛成だ。しかし、多くの人が同様の思いを持っているのにも関わらず、選挙の結果はどうだろう。
 原発を推進してきた前・現政権が「圧倒的」に議席を占める。おかしい。なにかのミスリードにひかっかっている。政治の上では「安上がり」原発は推進されることになる。

2011年4月11日月曜日

人間謳歌

 「頑張って生きていきます」との言葉にこちらが励まされる。普段は表にでない言葉が、こういうときだからこそ感動するんだろうか。助け合い、復活、復興のもとの力になるものだろう。
 

 普段はそんなに付き合いの深くない人にも安否の様子を聞いたり、子供から連絡があったり、人間は本当は助け合い、支え、協力合って生きていくものだということを思い出した。そんな気がする。

2011年4月10日日曜日

桜、散り流れ

 この暖かさで満開の桜が散って、神田川の水面が華やかのなっている。
 

 被災地に少しずつ援助の手がさしのべられているとの報道にほっとしつつも、こんなときにやる選挙が「後継」に追いやられることになっているのには否を言いたくなる。
 
 東京が福島原発の電力をも頼りにして「経済成長」拡大に走ってきた。新銀行は?築地市場移転は?オリンピック
招致問題は?原発に対する考えは?災害に対する対応は?。

 ほかにも掘り下げて考えなければいけない課題がたくさんある。

 「後出しじゃんけんは…」などのことに止まっていていいことでない。マスコミはもっと腰を据えて報道して欲しいものだなと思う。

 「原発問題は言わぬまま」済む選挙などは、愚の骨頂と言ってやりたい。 桜は、咲き誇れば散る。人間社会は散っても良いと思う者が「咲き」残る場合もある。

 人間の社会は自然以下か。

2011年4月9日土曜日

デジタルめ!

 長い間のアナログ生活で、デジタル生活への慣れには時間が掛かる。最初は「抵抗」だった。でも命令がメールを通じてくるのには、抵抗できない。
 

 これを自分の生活上のメリットにするには、慣れるしかない。それならレクレーションのつもりでやるか。そう思えばとりつきやすい。
 
 難しいことをやるやるのは、年齢にに免じて許してもらって、写真編集だのスキャンだのHPだのとやってみる。
 どれにしても、分からないところはウーンと唸りながらの前進だ。ひとつ引っかかるとえらく時間がかかる。
 

 そしてブログだ。生意気にも、趣味の釣りと写真のWEBとをまとめて「リンク」させることにした。できあがった(と思っていた)。
 

 旅先から携帯電話でブログに投稿できるようにと設定をしたつもりだった。パソコン前にいない三日間、携帯電話から投稿した。
 

 自宅に帰って確認したら、メールの宛先違いで投稿(アップ)されていなかった。理由はわかった。それこそ「バックアップ」でもう一度投稿の作業をした。
 

 デジタル社会の構成員になるのはまだまだ先のようだ。

2011年4月8日金曜日

釣りは楽し、釣れればうれし。

 登山道をしばらく歩いて、林を抜けて、沢に下りる。沢名川は立派な沢だ。えてして、きれいな沢では、魚に会えないことが多い。素晴らしいところはだれでも通うから。
 登山道の入口に車がおぃてあったから、心配したけれど、やっぱり先に行かれてしまっていたようで、いくらやっても目印がちっとも動かない。
 自然のなかですごす心よさだけを、味わうことになった。
 その時間、地震の恐さをわすれさせてもらった。
 
 沢名川はきれいな沢 「釣れなくてもよい」は少し負け惜しみか。

2011年4月7日木曜日

宴の肴

7日。栃木県黒川第一投。餌は余笹川で捕ったクロカワムシ。食った!ところが、竿があがらない。竿尻をいっぱいにもちすぎていた。ヤマメは、ひらをうって去っていった。
何回もやっているのに、こんな失敗をするなんて。そこからずっと沢をのぼって、魚の影をいくつか見て、一尾だけ確保。夕げの貴重な一品となった。友人も一尾だったから、旨い具合だった。釣れなくても、それはそれで釣れなかった話が宴の肴になる。

2011年4月6日水曜日

釈迦の手のひら

 6日。午後からの打合せ会が早めに終了。明るいうちに、新幹線に乗ることができた。列車は那須塩原までしか行けないが、そこに友人の家がある。
 東京駅のホームに、人は少ない。不便で困惑している人も、たくさんいるのだろうけれど、その分いつもの喧騒がない。
 那須塩原駅には、迎えの車が多く来ている。
宴の話は無論原発。

2011年4月5日火曜日

魚の生息場を壊さないで

 朝散。朝散とは朝、散歩をすること。神田川の際を歩く。中野新橋の通りの橋は工事中だった。川をのぞくと流れの中に小砂利のまじった土の山が見える。流れが狭まって、本当の川のようだ。すぐ下は水の溜まりになっていて、少し深みができている。

 川が自然のものなら、魚が遊んでいるところだろうに。
そこから下流は、川でなく側溝と言った方があっている。川のイメージはもはやない。

 福島原発の海に、とうとう放射性物質を含む水を流し込むという。釣りを親しむものとして心穏やかでない。魚は避難できない。ことが起きたときに危ないから、人家からは離れ、海際に立地したのだろう。いざというとき海なら…
 魚も生きていくところは狭くなっていく。

2011年4月4日月曜日

いま考えなくてはいけないこと

 デジタルを使った機器が日常生活に多くなった。携帯電話は必需品みたいになって、もっていないと攻められるほどになった。自分は使っているほうだが、コマーシャル並みに言うと「本当に必要か」と疑問が湧く。
 
 偶然、3月11日の「津波警報」をテレビで見ていた。岩手の方でと聞いたかどうか覚えていないが、でた瞬間に携帯電話で岩手山麓にかけてみた。東京が揺れる直前だった。しかしもうだめだった。

 中継基地が破壊されていたのが、原因だったのだろう。そんなに早く電話をかける人はいないだろうから。でも中継基地破壊が無くても使えないな。地震のときは。

 もって歩ける軽快さ、様々に使える機能は悪いものではない。しかし、いざというとき使えないという不愉快さは容認しなくちゃいけないものか。いざというときのために、バックアップできるようなシステムをつくれないのだろうか。

 固定電話に加えて、我が家は4人も電話料金を払っている。電力も使っているし。もうひとつ、公衆電話は一定数増やしてもらいたい。今回、固定電話の方が通じていたと聞く。そのぐらいの資金は十分にあるものと思う。

2011年4月3日日曜日

いたいたヤマメ!

 つりの会の行事、ヤマメ発眼卵埋設放流のカゴを回収に行く。毎年11月にヤマメの卵を沢に埋める恒例の催し。このときのカゴを回収に行く。

 参加した多摩川、秋川の渓流は春の兆しはちょっとだけ、梅がチラホラ。山には雪が見えた。寒いはずだ。
 
 沢の水は6度。卵を埋めてから一週間ほどで、卵から孵る。泳ぎだしているのを見るのが楽しみなのに、見えたのはわずかだった。
 長年続けているせいか、溜まりによっては4、5尾も泳ぐのが見える。12センチほどか。遠くからの写真でわかりにくい。

2011年4月2日土曜日

今考えるべきこと

 電気のコンセントを抜くこと。たしかにできることの一つ。しかし、家庭内の生活は何をとっても電気抜きには暮らせない。ガスストーブをつけるのも、風呂も、インターホンも。洗濯はもちろん、オカズの暖め…。享受してきたことへの反省も必要かな。   

 電力によって生殺与奪の生活がつくられたことへの「思い返し」も必要なんじゃないか。携帯電話にゲーム機、ipad。隅から隅までヅヅヅイーッと、デンキ飽食機器。
 「ほんとにいる?」も必要だ。

 「福島の原発のおかげで東京が成り立っていることを考えてほしい」と話した女子学生の言葉が耳に焼き付いている。
 
 電気をがぶ飲みしている東京のあり方=これから先高層ビルをいやと言うほどつくったり、再開発などを幸せを追求しているかのようなふうに描くことはやめた方がいい。世界の中で「経済力トップ」などでなくても、日本に合った身の丈ほどの生き方ってあるんじゃないかな。

2011年4月1日金曜日

茨城県、与田浦周辺も爪痕があった

 フナつりでいつもおじゃましている与田浦周辺に行ってみた。地震直後に現地を見ていた仲間から状況は聞いていたけれども、実際見てみるとその凄さが実感できた。東北の方はこれ以上、何十倍もの大きさであったろうから思いやられる。
 田園が広がる地域は、田んぼが液状化しているところがたくさんある上に、水を引き込むパイプが寸断されて、今年は作付けができないと話されていた。
 水位が高く見えて、地盤沈下が広域にあるように見受けられた。
 関東の状況の報道が少ないから、マスコミももうちょっと報道してほしい。どっちでもいいような番組はやめて。番組から情報を得た「政府」が対応に動き出すに違いないから。

与田浦周辺の状況写真集
http://28.pro.tok2.com/~torotyo/topics.html

2011年3月30日水曜日

全知全能が必要なときに

 アメリカの無人偵察機が、福島原発の上を飛んで映像を撮ったはずだ。日本に提供するという言明をマスコミが報道していた。自衛隊のヘリコプターが「初めて」撮影した映像を2.3日前に公開した。アメリカの撮影したものはどうしたのだろう。
アメリカに対しては催促はしないとみるほうがいいのか、それともオフレコか。
 広島の原爆で被爆した患者のデータを、アメリカは秘匿して持って帰ったときいたことがある。勘ぐりたくなる。
 そんな場合じゃない。被曝の許容基準が、厳しくつくりすぎているから大丈夫という説明も、なんというかあきれてしまう。日本だけだとしても1億2千万人の基準ですよ。決めた数値は「いい加減」??我々を愚民あつかいしているな。
 もうひとつ言わせていただこう。政府の閣僚が被災地に行ったという話は聞かない。首相以外は。いったい何をしているのか。

2011年3月29日火曜日

とうとうプルトニウムが。

 被曝と被爆の違いをことさら説明したことがあった。ついに「爆」の範疇と重なってきたということかな。制御できない。これはますますはっきりしてきた。
 気になることがある。10日ほど前のデータ解析ができなくてデータの判断ができなかったという説明。その前の日のデータはどうだったのかな。マスコミは質問してくれたのかな?ちゃんとした説明をしてくれないから勘ぐる。
 モニタリングもちゃんとできているのかわからない。検査結果を正確に発表しているかもわからない。「今直ちに…」という発表だけを飲み込めるはずがない。「風評被害」をとりあげて、責任を被せるけれども、大元がしっかりした発表ができないことが、風評の原因になってる。「臭い臭いは元からたたなきだめ」でしょ。

2011年3月27日日曜日

こころは見えないけれど心遣いは見える

  とてもよい言葉だと思う。 
  でも番組の肝心な場面で3回もやる必要はないにじゃないか。

  良いコマーシャルが台無しだと思う。「結局商売の宣伝か」と気持ちが荒んでくる。受け取りようもあるかも知れないが、3回やれば質が違ってしまう。

  周りの知人と話すと、この印象は自分だけではないとはっきりしてきた。
 こころが見えないだろうか。

2011年3月26日土曜日

公務員が頼り

 「公務員が多すぎる」とスケープゴートになっていきた。民間の労働条件が非常にきつい状態になって、そんなにきついんだから公務員も我慢するんだよと。そういう風土がマスコミも通じてつくられてきた。


 人件費の削減が首長の政策の柱になる。毎年予算査定で、定数を削減することになり、削減はまず一律にどこの部門も「○○パーセント減」と査定にかけられる。
民間委託で、本当は「公」が持つべきところを放り出す。そうやって削減数を作り上げる。当然サービスは低下する。


 保育園が足りないと問題になる。足りないのは無くしたから。中野区は地域センターもなくなる。町会が責任を肩代わりさせられる。


 「公」は住民の生活から「撤退」なんだ。大震災で自治体の職員も相当亡くなられた。
  各地から応援をとの声が出てきた。行けば現地できっと役に立つだろうと思う。


が、被害が少なかった自治体のところからは、被災者の受け入れの申し出はあっても人を送り出すとの声は聞こえない。もしかしたら、出せる体制にないという足かせがあるんじゃないか。


うがちすぎでないと良いけど。

2011年3月25日金曜日

告示日は、殆どの政党党首が「第一声」をしなかった。

合点。

 かつて相当前に「公約は破られるもの」と皮肉られるまで、公約のイメージが壊された。政権は崩壊した。次の「マニフェスト」が意味はほぼ同じでも外来語として登場した。このマニフェストも。守らないものとして葬むられた。

 死に体となった「公約」と「マニフェスト」。つぎにまた新しい言葉を創出するのか、というのは皮肉。

 それどころでない。
 告示日主要政党の第一声ほとんどなし。おー暗闇選挙。


 自粛という理由はつけているのだろう。それならはじめから延期すればよいのに。

 「約束ごと出さず」で選挙戦。これをどさくさまぎれと言うのではないか。