2011年8月26日金曜日

ブナの森なら

 14時過ぎから、雷雨が始まった。中野区では80ミリの降雨だった。最近の雨は多量に降ることが多い。

 神田川は「50ミリ改修」で河川の工事を続けている。かつて、神田川の氾濫で水害が発生していたが、「地下導水工事」や改修の効果か、被害が少なくなっているようだ。

 しかし80ミリとなるとなると、その上をいってしまう。これまでの認識を超える「想定外」となっている。

 降ったときの対策がどこまで有効に働いてくれるのかはわからないが、自然界の変貌はすさまじい。これも自然界のリアクションなのだろう。

 ブナの森の保水能力は「50ミリ」と聞いた。その雨量なら森の地面は保水し、沢の水は増えない。日本の都市部で50ミリ改修というのもおもしろい巡り合わせだ。そして、自然の偉大さを感じさせる。

2011年8月25日木曜日

2年前にできたものなんだそうで

  日頃お世話になっているデジタル道具に、翻弄されながら「苦労の絶えない」ものと、生意気ながらおつきあいいただいている中に、こんな「風刺」があろうとは思ってもみなかった。
 これもデジタル文化なんですね。デジタル文明、捨てた物ではない。414000超のアクセスがある。

 あれだけ「地デジ対応」を叫んでいながら、切り替えできない所帯の数さえも把握していない、御仁たちはご覧になっただろうか。

 今は党首選だからいそがしいでしょう。今のこれからをどうするのかがさっぱり見えないで、というよりも誰がやっても同じことをやっていくから、それは無いと言うことか。

 政治の「格付け会社」がなくてよかった。あそう、格付けは国民がやるわけだ。

2011年8月24日水曜日

スマートフォンなんか買うか!

 池袋からの帰りの電車の中、スマートフォンか携帯電話か判らないが、前側と左右の座席16人あったうちの9人がそれを眺めていた。

 ほぼ30才代前の若者たちだった。それが、楽しそうな顔をしているわけでない。目的地に行くまでの短時間を時間つぶしに見ているのだろうか。

 情報にアクセスできることが可能な方が良いとは思う。提供される情報が「まし」ならば。

 情報の取捨選択も必要になる。だからそのために使うという論も成り立つ。

 たとえば60歳以上のパソコン使用のパーセンテージはどのぐらいだろう。間違いなく圧倒的に低い。だから「アナログ社会」の現実を粗末にしてもらっては困る。

 情報取得の格差は広がっていく。この格差の責任を己が追うべきという結論はだせない。

スマートフォントは携帯電話にパソコンやPDA「携帯情報端末」の機能が備わったもの)

2011年8月23日火曜日

しっかり情報伝えてよ

 デジタル放送になって、一ヶ月。何が良くなったのか改めて思う。チャンネルの多さに対応した番組が少ない。無論有料であれば幅は広がる。

 BSときたら、韓国ドラマ、大昔のドラマ、商品宣伝番組がほとんどで、これはという物が少ない。

 仕掛けがあるのに大事な情報が伝えられないのは、なんのためのデジタル切り替えだったのか。

 チャンネルのうち一つぐらいを、原発や被災地の情報を常に知らせる物などに使えないものか。マスコミの報道はトーンが落ちてきている。

 放射能汚染された瓦礫の行く先で、受け入れ先をどこにするのか。このごろ国会で決まっている法律の内容はどんなものなのか。放射線の状況はどうなのか。必要な情報はたくさんある。

 官邸の「掲示板」がある。でもアクセスできる人はどのくらいいるのか。避難先や、仮設住宅でみられる条件のあるのはそうないのではないか。情報に格差があってはいけない。知らないのが悪いと言えるか。言わなくてもやらないのは同じこと。

2011年8月22日月曜日

「がんばろう東北」

 24時間テレビは「感動場面」がたくさんあって、共感を覚えるところもある。でも、あの「マラソン」はどうもいただけない。今回は特にそう思った。

 「感動づくり」となるとそれこそ「やらせ」のパターンをみているようでいけない。

 夕食時に、「あれは、虐待みたいだ」と、それを言ったら息子が、「違う人でもいいんじゃないか」と寛容だった。番組全体は見ていない(いつもそうだが)けれども、東北の被災地にどれだけのアクセントを置いたのだろうか。

 先日行った、山形県新庄市金山町の祭りの山車には、「がんばろう東北」と大きく書いた山車を、若者が勢いよくひいていた。「おー」と思わずつぶやいてしまった。なにか嬉しかった。


2011年8月21日日曜日

江戸時代を超えてないぞ

 我が釣りの会が、ヤマベつりやアユつりで度々楽しませてもらっている酒匂川は、江戸時代の1707(宝永四)年に富士山の「宝永噴火」で火山礫や火山灰による甚大な被害を受けていた。

 近世の江戸近郊で起きた大規模噴火だった。振動と灰は江戸まで届いたということだ。

丹沢山地、足柄山地の火山礫・火山灰によって噴火の翌年、豪雨による水害が発生して被災に輪をかけた。その後も治水工事の一方で水害がたびたび発生して、使者も出た。

 農地が火山灰で覆われて、作物ができなくなったので、餓死者も出た。動きの悪い小田原藩に、領民たちが幕府に訴願行動をおこすことでようやく食料支給に動き出したとか。


 幕府も動き出し、直轄地にすることを決めた。そしておよそ80年かかって、復興を手がけて、江戸川幕府の直轄地として管理していた。

中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/14/shiryou4.pdf

 1708(宝永五)年2 月に幕府直轄領となっていた相模・駿河両国のうち、およそ半分が復旧を遂げたとみなされ、1716(正徳六)年に小田原藩に戻されました。その後、1747( 延享えんきょう四)年になって、駿東郡や足柄平野の一部を除いた多くの地域が小田原藩に復帰し、1782(天明てんめい二)年には駿東郡の一部を除く大半がそれ除いた多くの地域が小田原藩に復帰し、1782(天明てんめい二)年には駿東郡の一部を除く大半がそれに続きました。そして、1785(天明五)年から翌年にかけて、復興の遅れていた大お御神村(現在の静岡県小山おやま町の一部、須走の東)を除いたすべての地域が小田原藩に返った。
 

 水没した土地や田畑はどうする?復興の責任を考えているのか?被災地の要望に応じた体制になっていないのではないか。国の責任でということが薄い。いまは江戸時代より下か。

2011年8月20日土曜日

分割ウオーキングで目標達成

 今朝は涼しいので、張り切ってウオーキングにでる。表通りコースで回ることにして、最終的にはい喫茶店に入ることにした。

 土曜日は朝食がゆっくりだから、よくこのパターンをとることになる。問題は、そこでサンドイッチを食べることだ。このカロリーで歩いた分くらいは簡単に取り戻しているんじゃないか。

 今週は旅に出ていたから、豪勢な料理ではないにしても、アルコール入りでがっちりカロリーを身につけてきた。

 その分の燃焼、消化となると、ちょっとくらい歩いても追いつかないだろうから、出るときに本を二冊持ち出した。せめて脳の働きでカロリーを使おうという作戦。

 爺様がショートスティにいっているが、皮膚科の医者に行くということで、息子が援助に行ってくれた。先日退院したお婆ちゃんも、通い付けの医者に行くので、医院から車椅子を借りてきた。

 休日には家族も頭数がおおいので、いろいろあってもなんとかなっていく。

 新聞の切り抜きの整理すすんだところで、少し遅くなった健康保険と介護保険の納付書を持ってコンビニに。そのついでに遠回りして帰って歩数目標は達成した。

2011年8月19日金曜日

最果ての大連立

 マニュフェストが存在を否定された。少なくとも、約束事は変えたよと言わない限り、マニュフェストさんはいたたまれないだろう。

 当たり前の政治を求める声が、強くなった。せっかく選挙制度を“都合よく”いじって、二大政党政治に持ち込もうとした作戦は、ここで憂き目を見ることになった。

 圧倒的に日の目をみる、二大政党が大連立するなんて、本来想定外。支持を失った連中の窮余の作戦。それが上手くいかないときは、強権政治ではないだろね。

 同じ穴のムジナでは、公約もマニュフェストも捨て去った実績しかないのだから、期待のしようもありませんよね。
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 ブログの投稿が復活した。前回は先方から通知があって、事態はわかったが、今回はなんの音沙汰もなかった。お陰で、いくつか改善できたので、それはよかったが。

2011年8月18日木曜日

ブログの投稿がおかしいぞ

 出かけている間には、携帯電話から投稿していた。うまくいっているようだったので安心していた。帰ってから一部修正しようとしたら、編集機能が不調で、アクセスできない。

 いじっているうち別の投稿方法がでてきた。本来はこちらでやるのだろうか。このヘルプは英語対応なので質問をだせないし、英語訳がわかりにい。

 いつも「やってみる型」の解決手段で突破できるといいけど。

 撮影した写真を整理した。結構数があったからまた、HP用に編集しなくてはならない。撮ってきたものを見返すのは楽しみ。歩いてきたところの記録と記憶と結びつけて思いだすと、また次への夢へと広がる。

写真は14日の金山町。あと数時間で宵祭り。

2011年8月17日水曜日

ランクアップできるかな。

 肘折温泉の朝一。朝市に出かける。大蔵村在住に限って出店できるのだと、旅館の人が教えてくれた。旅館の従業員さんは写真を撮りにきたとわかって、なんやかや情報を提供してくれる。

 写真はただ撮るだけより、背景や歴史がわかると深まる。というより、知らないで、感性だけでは失礼にあたるときもあるかも知れない。

 肘折温泉の朝市、最高齢は88歳。それを知って、おいそれとはシャッターを押せなくなった。知らない軽さと、知った重さ。また、ひとつのステップを負った。

写真は肘折温泉の朝市

2011年8月16日火曜日

天と地の味わい

 遊佐の朝は雨。海は波だっていた。酒田の山居倉庫の撮影してから、土門拳記念館へ。

 ヒロシマの原爆をテーマにした写真と、<古寺巡礼>をじっくり鑑賞。ヒロシマの原爆被災・被爆二世の写真は凄い。恨みを写したものでない。が、写真が訴える力をもっている。

 泊まりは肘折温泉。夜は仮装盆踊り。デジカメはブレて、撮影は苦戦。


2011年8月15日月曜日

早起きで得した

 早朝、朝日を撮ろうと、昇ってくる方を目指して車を走らせた。あった!出始めた稲穂に水滴が光る。バックは林を抱えた農家が、靄に霞んで、絶好のロケーション。
早起きは三文の得だと話ながら、朝食に戻る。

 金山町の祭の本番。山車を追いかけて、汗だく。そこから鳥海山へ向かう。玉簾の滝は家族連れで賑わい。

2011年8月14日日曜日

古里の暑い夏、若者帰り元気な祭

 写真撮影の旅へ。初日は新庄市の金山町に。新幹線車中は暑かった。町中の古くて立派な民家を使った蕎麦屋さんで、鳥蕎麦を注文。量がたっぷりで美味しい。

 撮影対象で狙っていた成人式は、午前中に終ってしまった。金山の見所を一回り。大美輪という杉林を撮り、川で遊んでいた子供達をスナップした。

 あまりの暑さに、立ち寄ったレストランで、成人達と遭遇。写真に収めた。


 夜は、宵祭。アルコールを控える大決断をして行ってみた。小さな町でも、大きな賑わいだった。

2011年8月13日土曜日

猛暑の問題点は熱中症だけ

 気象庁の発表を聞いていると、なぜこうなっているのか、というあたりの原因に立ち入った話が少ないように思える。何年前にあったとか、それ以来だとかと聞いていると、また起きただけのことという受け止めになる。

 台風でさえなぜあんなに緩やかな動きなのか、変だと思う。雨の振り方は尋常でない。いまや危険なのは地震だけではない。「お気おつけなさいよ」というだけの情報でいいのだろうか。

 12年前の今日(8月13日)丹沢湖で、熱帯低気圧による豪雨があって河原でキャンプをしていた、13人がなくなった。「自己責任」としてあつかわれた。

 この丹沢湖は我が釣りの会が、昔からヤマベつりを楽しんでいるところで、事故を聞いて驚いたのを覚えている。

 台風が日本列島をかすめたりして、大陸にむかったときは台湾なり韓国、中国なりが酷い目に遭っていることもあるだろうに、このとき日本のマスコミは全くと言っていいほど何も言わない。

 スポーツ、文化では交流が活発にされたいるのに、「知らん顔」。世界は一つ、人類皆兄弟でない。

 暑い中汗を拭き拭き、JR中野の駅まで出かけた。明日行く金山町のそば屋さんの土産を買うために、往復歩いて8800歩。7日間の平均8852歩。

2011年8月12日金曜日

日航の安全航行は大丈夫だろうか

 日航ジャンボボーイング747SR-46 が御巣鷹の尾根に85年8月12日墜落。

 1978年6月尻もち事故で圧力隔壁修理をボーイング社がやった。修理が適切でなかったとされているが…。未だに原因は疑問が出されている。

 このとき労組の委員長をアフリカへ配転していた。「沈まぬ太陽」(山崎豊子)では「恩地」。

 この小説の内容を巡っても、日航は画策した。
 日本航空機長組合のHP
http://www.jalcrew.jp/jca/public/taiyou/asahi-shintyou.htm


 委員長をしていた小倉さんは、
 「この小説で白日の下にさらけ出された、組合分裂工作、不当配転、昇格差別、いじめなどは、私および私の仲間たちが実際に体験させられた事実です。日本航空の経営側にいた人たちは、(中略)数々の不当労働行為やその他の不祥事を思い出されたらいかがでしょう。人間である限り、そんな事実はなかった、などとはいえないはずです。」と話している。


 いままた、ベテランのパイロットと客室乗務員を解雇して排除しようとしている。稲盛日航会長は、「御巣鷹事故以降の安全意識はトラウマになっている。利益無くして安全なし」と恐るべき発言。


 「二度と事故を起こしてはならない」と安全運行を支えてきた人たちを首に?こんな歴史を繰り返すのはあってならないこと。


 御巣鷹の尾根に墜落したこの航空機は、このあとも墜落している。


2002年チャイナナライン611便ボーイング747空中分解事故。
1980年尻もち事故 修理した圧力隔壁が金属疲労で壊れて墜落。

2011年8月11日木曜日

あのソニーが150人を雇い止め計画

 政府の復興構想会議に委員を出しているソニーが、期間社員150人を雇い止めにしようとしている。新しい就職先を斡旋しているということだけれども、非正規雇用で県外というものらしい。

 仙台テクノロジーセンターの浸水被害は、保険金でほぼ全額まかなわれるそうだしソニーの会長さんは8億8千万円も役員報酬をもらっているそう。

 普通の神経なら「ご心配なく、落ち着くまで頑張って」ぐらいでもいいんじゃないか。


 「海のリスクと共に生きる」と言って震災直後、崩壊した港で、宣言した水産加工会社の社長さんがいた。

 気仙沼での再起を誓った阿部泰浩さん。三陸最大の水産加工会社は今、800人いた従業員を「全員解雇しない」と決め、孤軍奮闘。

 「通院する病院がなくなったり、家族の都合で気仙沼を離れざるを得なかった社員100人が辞めてしまいました。でも、残った700人の雇用は守り抜きたい」

 岩手県大船渡市にある工場の一部が再開した。1日も早く、全従業員に仕事が行き渡るよう、再建を急いでいる。

「復興ニッポン」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110803/221861/?P=1&ST=rebuild


同じ企業でも雲泥の差。恥かしくないかな。

2011年8月10日水曜日

コメを投機の対象にして

 日本人の主食が、先物取引の材料にされた。マネーゲームをそこまでやってどうするのか。

 どうして今やるのかについて鹿野農林水産大臣は、「やらない理由がない」と答えた。それじゃやる理由はなにか。財界でしょうね。

 今だって生産者価格を割って、買われているのに、なお下がることに歯止めもない。放射性物質の影響で心配しているときに、なんということだろう。


 アメリカ国債の格付けが下がったとか、円高で輸出企業の打撃だとか、「自由主義経済」が動揺して、コントロールできない。「社会主義が崩壊」して勝者となったはずなのに。


 社会構造が「大地震」か。正しいかどうかはさておくとして、今日の日刊現代のタイトルは「資本主義崩壊」と書いてある。

2011年8月9日火曜日

被災地の首長さんに見習え

 津波で破壊された町は、ところによって瓦礫の片付けがすすんでいる。更地が元のように生活の場をり戻すのにどれだけかかるのだろう。

 起るべき地震には、備えを十分対策することで対応することは必要。日本のどこであっても大切だ。

 中野区にあっては耐震改修助成は「個人財産の形成」になるためとの理由でやらず、まだ使用できる区庁舎の建て替え、駅前再開発には積極的に取り組むらしい。

 毎年やっていた「なかの祭り」は会場が確保できないから休止すべきと判断したので、区として支援しないと言っている。原発は「幅広く論議」と、判断せず。さてこれでは、東北の首長だとしたら勤まらないだろうな。

2011年8月8日月曜日

イベントとは違う祭り

 江戸時代に大飢饉で多くの餓死者がでて、疫病が流行した。8代将軍吉宗は翌年慰霊と悪病退治のため隅田川で水神祭りをした。

 そのとき両国周辺の料理屋が、許可を受けて花火を打ち上げた。というのが隅田川花火の由来とされている。

 陸前高田の「動く七夕」が昨日実施されたとNHKが報じた。12台中10台の山車が流された。協力者を増やし5台を復活させた。瓦礫の後を引いていくところが痛まくて思わず涙。

NHK


 

 南相馬では「野馬追い」の行列だけを敢行。鎮魂と復活の思いをこめた行動に、こちらが励まされる思いがした。人が生きていくためのエネルギーをわき出させるのが祭りなんだと、祭りの見方が変わった。

2011年8月7日日曜日

雷怖い、デジタルも怖い

 雷が鳴っているときに温泉に浸かっていた。雨がポツポツと頭に当たって、濡れたっていいんだよと思った。

 でも思い出した。家の近所を歩いているときに雷にあたったことがある。近くに雷が落ちた音がした。その瞬間傘を持つ手がピリピリと痺れたので、驚いて傘を放りだしたことがあったっけ。

 「飛び散る」ような感じで放電していくらしい。長居はさけて上がることにした。

 温泉に浸かるために、ブログを2本用意して自動で投稿するようにしたつもりだった。これがまた失敗した。「下書き」でなくて「予定」としなくてはいけなかったらしい。
 ゼロかイチかのどちらかの世界といえども、使いこなすにはそれなりに大変だ。

 雷に当たった人は長生きすると言うが、生きながらえる世も苦心が絶えないものだ。