2020年2月5日水曜日

撮影した写真群の断捨離先

 デジタルカメラ時代ゆえに、撮る写真の数は途方もなく増えていく。自分に写真を見る力量が十分ならば、さっさと不要な写真を「削除」すればいいはず。もしかしたらの身びいきで、場所はとらないパソコンのファイルとはいえ保管している。いつか削除すれば…との無意識放任は、これから先の時間を想うと「いつまでたっても…」に対置しておかないといけないこと反省する。

 最近はパソコンに積もっていく写真を、編集ソフトを使うたびになるべくは消すことにしているが、絶対量が増えていくのではかばかしい整理には及ばない。写真は展示会のために収れんすることで整理している。ケジメとなって気分的な区切りがつくことにはなる。ただ、展示会ではほんの数枚を選択するだけのことなので、圧倒的なその他の写真を捨てるという選択はできない。

 それならと、残った分の消化をするため、しばらく前から「エッセイ」「写真集」「ブログ」のサイトを作って写真を利用するようになった。サイトはこれまでさして整理もせず個別にバラバラで、思い出したように新しい写真で更新していたのみだった。この度はその状況を「断捨離」の方針のもと、四つのサイトを整理しようと手を加えていくことにした。HPの使用方法もいくらかはわかってきたので、難しくはなさそうだ。手をかけてみると、「見栄え」についての技法がずいぶんといい加減だったのが分かってきた。

ネーミングは、たまにしか更新しないからとの思いで「とびとび…」とした。写真のできとしてよりは、風景プラスアルファの切り取りで。このサイトの更新は増えていきそうだ。

エッセイ気取りでつくった「文集」。旅先での出来事を文書と写真でまとめる。旅でさまよい歩き回るあいだに写真と文字の記録をちょっといれてみる。

旅は、撮影目的と計画から始まる。計画段階からドキドキ感があり、撮影先での印象や期待とのずれもあったりする。写真撮影の結果に留まらない後味を残す。せっかくの味わいを残してみるのも一興だと思いつつ。

ウロハゼあーそーべー

ブログは好き勝手にとりとめない題で書き込む文書と写真。書き込みがだんだんおっくうになってきたこのごろ。


それぞれのサイトを整備し、相互にリンクさせたのが今回の仕様。

2020年2月1日土曜日

去年と同じ僕にはなりたくないけど

 区民検診に行こう行こうと思ってぐずぐずしていたら、ついに区からメールで健診受けろとの連絡がきてしまった。昨年も2月にやっていたので、間隔が遅いわけではない。と、言い訳めいているが、本当はアルコール摂取量が多くて体重が増加をしている。診断をするにはもうちょっとアルコールの影響を何とかしてからと思いつつ、状況が変えられず今に至ってしまった。

 健診は2月まででもう後がないから、しかたなく出かけることになった。血液検査では、しばらく前の受診時に先生からPSAの検査をするように説明を受けていたので、検査項目に加えてもらった。胃の検査はピロリ菌退治後、昨年の健診で胃カメラの洗礼を受けたので、今年もやることになった。ピロリ菌がいなくなったら、胃炎になる可能性は少ないのだろうけど、昨年小さな胃潰瘍の跡が見つかっているし、一年一回の検査だからしょうがないかと、胃カメラ検査受診の予約をしてきた。

 昨年後半からウォーキングに少し力を入れたつもりだけど、ちょっとばかりで体重を調整できるものではない。かといって今更専門的なトレーニング、というところまではなんだし、しょうがないなとあきらめて、寿命との兼ね合いに身を任せることになるのか。もしかしたら、強烈な検査結果で、再起の動機を与えてもらえるのか。期待はもちろんしないけど。




2020年1月29日水曜日

年末の西新宿 その2

 賑やかなところの写真はなかなか撮れないものだから、六本木あたりに行ってなどと考えていた。そこに行こうとなると、田舎者ゆえ決心がいる。行ったとしても良い写真を撮れるのは、それなりの道具と準備も必要だ。やっぱり近所にしようと…。少し歩けば慣れた景色が見えて、気が楽だ。同じところでも、前とは違ったところが見えることもあるし、時間が違うから光が違う。最近になってそんなことも少し身についてきた。デジタルカメラになって、夜の景色を撮るのもとても楽になった。














2020年1月26日日曜日

年末の西新宿の雰囲気を撮る


 年末の煌びやかな灯りをファインダーから覗いてみたかったのに、チャンスがなくてついに1230日になってしまった。散らかった部屋の掃除も気になってはいたが、掃除機で部屋の中をいつもよりは丁寧にかけ、窓を開けて埃を追い出した。

 夕食後、ウォーキングがてら新宿まで、プリンターインク、写真用紙を購入にでかけることにした。帰りに新宿の夜景を撮ろうかと言う魂胆だった。忘れないようにと、購入するインクの色をメモに書いたのにそのメモを家に置き忘れて、店で懸命に思い出したものの、自信がなくて、別の色を1つ余分に買ってしまった。

 帰り路を歩いて西新宿界隈の夜景にカメラを向けた。ライトアップがホテルの敷地を飾っていた。もう派手さは盛りを過ぎた年末の落ち着きが見えた。













2020年1月22日水曜日

アメヤ横丁その2

 「ああ上野駅」(井沢八郎)という歌謡曲を思い出した。若いとき親とけんかして家を飛び出し、田舎の叔父のところへ行った。そのときから上野駅は懐かしさが記憶にとどまっている。旅客列車の最後尾に貨物車両が付いてあり、駅に到着すると車掌(?)が積んできた荷物を放り出す光景をみた。ずいぶん乱暴なんだなと…。
 
「ああ上野駅」の歌詞に「♬上野は心の駅だ~♬」とある。新婚旅行で十和田湖に行った折、青森で公演しているのにぶつかった。上野はそんな古くて懐かし記憶を持たせてくれたところだ。

 駅の配置は昔と変わらない形が残っているし、その周辺も基本的に街並みが残されている。上野公園周辺は再開発の声もでているが、むやみに変えていってほしくないと思う。










2020年1月20日月曜日

アメヤ横丁も外国人のテリトリーになったか


 上野での宴会は何回もあったから場馴れできた。「上野」という響きには、中学の頃に二等列車に乗って、田舎へ行った思い出もつながっている。時代の変化があっても、変わらない風景への親近感もある。

 いつもだいたい行く宴会場をセットしてもらって、わが身は待ち合わせ時間と店さえ忘れなければ心配ない。小一時間で着くところなので、いつもカメラを抱えていくつもりでいる。とはいえ人並みに「支度時間の増加」に阻まれて、それがかなわないこともある。

 暮れの望年会は宴席を二つ重ねたあと、アメや横丁に行ってみた。さすがの賑わいだった。暮れのニュースでは必ずアメや横丁の様子を放映するが、かつて映し出されたに商店の様子はずいぶん変わった。正月料理の品ぞろえを見て歩くよりは、日常使う衣類や靴などの店が多く見える。立ち食いや飲食の店などが目立って、生ものを扱っているところは少ない。

 いつ頃だったか釣りの餌に使うイクラを買った。そのイクラは安かったが、粒がポンポンして、皮に張りがあった。人造イクラだったと後から分かった。そのころの熱気は今感じられなくなった。外国の観光客が闊歩する街は、日本の原風景としてもう一つピンとこない。












2020年1月19日日曜日

温泉宿の朝の散歩

 温泉の下は、渓流だった。温泉のすぐ裏側にある遊歩道を周って下り、温泉を通り越していくと、渓流が道沿いに流下って見える。道をしばらく歩いてみたものの、写真に撮ろうとしたものは少なかった。あきらめて温泉に戻る途中で滝が見えた。立っている位置からは枯れ木が入って写すことができない。前に出ようにもがけ縁で危ない。橋を渡って反対側へ回って、河原へ降りた。足元がどうかと心配もあったが、渓流釣りの経験を活かしてゆっくり歩いて、うまい具合に落ち込みの正面に着いた。








 

2020年1月16日木曜日

もうじき春だから


 暮れから新年には「意気込み」を考えるみたいなことが習慣になっている。そんな習慣も、希望なんか考えることがどうでもよくなって、なかなかその気にならず思いつかない。それだけの刺激的な生き方をしていないということだろうか。

 年末から振り返りがあって、なにか息吹でも感じるところがないかと頭で思ってみても、また同じだよなという声が心の奥の方から湧き上がってくる。昨日と同じ今日などは確かに抵抗を感じるが、だからといって抵抗を乗り越えるだけのモチベーションがでてこない。

 あんまりそんな下らないことばかり考えているものだから、憂鬱になってくる。いまさら頑張ってみたってやれることはたかが知れている。そういう年頃なのだからもう頑張らない。「もう」というと昔は頑張ったみたいになるが、そんなにも頑張ってきているわけでもない。これまでどおりに似合う「ひねもすのたりのたりかな」をいただいていこうか。これなら仙人に近づける気がしてきた。