2020年3月8日日曜日

高尾山に登って見た富士山と活気


 「自粛」ムードが新型コロナの増殖と競うように広がって、身の回りの催しごと(花見やら写真展、講座)などが中止になっている。休校「要請」がおしなべて強要に変異して世の中に蔓延している感じだ。

 「休校→自粛」が合理的なのかどうかの判断などはできないが、これによって生じる働き手や関係機関、中小営業者などへの対策を後から付け足すように出したのは、やはり後追いで不適切なやりかただと感じる。国会の野党質問でその対応にようやく小出しにながら、それでも従来になく改善策を出し始めた。予備費の2700億円を充てるとようやく言い始めたが、そんなもので済むわけではない。他国も日本よりはずっと多い対策費を計上と報道されている。アメリカは野党民主党の要求で3倍以上の8700億円の対策予算を決めている。

 自粛ムードモードに影響されて、予定の高尾山行きを考えた方がいいかという気分にもなった。しかし野外なら影響は少ないと決行することにした。久しぶりの登山だったせいか非常に足腰が重くて、後から来る人達に追いつかれ追い抜かれっぱなしの有様だった。ところどころで写真を撮りながらようよう頂上にたどり着くと、驚いたことにいつもとと違って、中学生と思われるグループや親子連れが賑やかに集っていた。













2020年3月1日日曜日

ちょっと酷いかなり酷い政治

 突拍子もないことで人心を乱す…のが戦略なんだろうか。こんな言葉よりも「独裁」という言葉がNET上でも出回っている。独裁と言う言葉、昔はよく聞いた。けれども最近は、より分かりやすいということか、より具体的な言葉で批判がされているみたいだ。皆が理解をし易いことがなにより大切なことは間違いない。支持率を覆すような「説得」はトーンが強いということだけではダメだろ言うことはわかる。でも今は「独裁」で十分いいと思う。


 コロナウィルスの検査に後ろ向きなのが、これまた「利権がらみ」らしいことが表に出てきた。取り巻きの利権集団のための政治が、この抜き差しならない問題でも貫かれている。コロナウィルス対策の予算は予備費を使うと、ここに至って言い始める。どれだけものかは、これまでのことから信用が置けない。だったら野党が提出した補正予算案を審議すればよかった。ただただ、やらせたくないためのことだったのだろう。支持率を浮揚させるために~。そんなこと考えるたびにこっちの気持ちまで暗くなってくる。

 温暖化の影響で雪が降らず、早めに新潟や北海道に移動していると噂している。222日現在、餌場に行き来している白鳥の数はめっきり減った。











2020年2月25日火曜日

真鶴半島ウォーク、後半は港の様子が目に残った


 過去に何回か歩いたことがあって、うっすらと当時の記憶が残っていた真鶴半島だった。でもその時は写真撮影を意識してのことではなかったので、その意味では初めての経験だった。高台にある道路から見える遠景は、東側からの太陽が海に照射して光り輝いていた。

 熱海の方角だろう半島の形は、全体が陰になっていて霞が掛かったようになっている。手前の木の影と双方とも墨絵のような具合になっていた。半島の先端に着いて、昼時になったので、小さなレストランで昼食に。三ツ石の磯には降りずに眺めただけでUターン。

 途中には、魚付き保安林で活躍してきただろう老木があり、その力強さに圧倒された。帰りの道は少々疲れがたまってきた。ゴールに近づいたところに真鶴港が見え、そこに漁具が干してあった。港いっぱいに広がった網は、漁業の活性を感じた。そういえば真鶴半島の東側の福浦から、釣り船でカワハギつりをやった昔を思い出した。



















2020年2月19日水曜日

真鶴半島の光と影


 タイトルはちょっと古めかしい感じがするけれどもうまい表現が思いつかない。衣食住の生活環境を保全していくことは、どんな時代でも一番大事にしてきたはず。今は農業も漁業も法人化が意図的に導入されて個人から大規模な事業へと、変容が迫られている。ものみな大都市へと集中され、地方の生業が置き去りにされていく。

 真鶴半島の道を歩き、陽ざしが照らす海を見ながら、空き家が目立っていることに、日本の縮図をみる思いがした。自然を保全して共生しその場で活きていくことがこんなに難しいことになっているのはおかしい。撮りながらそんな思い強くなってきた。















2020年2月15日土曜日

海を守り町を守る真鶴半島


 行き先が高尾山から真鶴半島に替わって、真鶴駅から半島を一周歩くことした。冬の服装で寒さを感じない程度の陽ざしだった。海の陽ざしは照り輝いてもう春が近づいている感じだった。「魚付き保安林」で有名な森と海の様子をカメラに収められればいいなと、鵜の目鷹の目で眺めながら歩いた。

 真鶴はリゾート法による別荘地開発、マンション建設による影響を避けるため「景観条例」をつくって街を守ってきた。現在も「変えない価値」を大切にしている。

 江戸時代に魚の生育のために、森を保全して対策をとっていたことも驚きだけども、その精神が受け継がれて、自然と人との共存を図っていることに感心をする。自然環境をないがしろにして破壊することに、さして考慮されない現代には珠玉のことに思える。

 ついでに森林総合研究所HPから拾った、魚付き保安林についての研究論文に、漁民へのアンケートの記載があった。
「森林の魚つき機能は古くから漁民にはよく知られていて、水産庁の平成6年度の定置網漁業と森林に関するアンケート調査の結果、全国1400余の定置網業者の約80%が森林の定置網漁業に対する効果を認識していることが分かりました。」と。

 その「魚つき保安林は平成143月現在、全国で約25,137ヘクタールあります。」とも書いてある。この面積は奥多摩町 225.53平方キロよりやや広く、大島町90.76平方キロの約3倍程度。あまりにも少ない。漁業者の認識があるのにかかわらず、効果的な手を打たない政治の貧困というべきものではないか。