2022年2月27日日曜日

「侵略戦争はやめろ」がキーワード

 ロシアによるウクライナ侵略があって、プーチン大統領の能書きを聞くと驚くばかり。「(ウクライナ政権に対して)クーデターを起こせ」とまで言う。停戦にはウクライナの武装解除が条件と?それならロシアも武装解除するのが筋ではないか。独立国家に対するやり方がこれ?これじゃ野生の熊と同じだ。欲しい餌はとことん追いかける。こんな野蛮なやり方が、21世紀にあっていいのだろうか。

 どうしたら止めさせることができるのかが、問われるときにその点に突っ込んだ論調は、テレビからはあまり見て取れない。ここにきてようやく、ロシア国内でのデモがされているとか、日本でも在住の「ウクライナ、ロシア」の人たちのデモが行われていることが紹介されている。

 武力でない解決がもっとも重要なことは、日本の憲法からも当然なのに、この機に乗じて「敵基地攻撃能力」を持つことが大切だと、触れ回る連中もいる。武力行使はダメなことはもちろん、そのための戦力増強は、「いらない」とした日本の憲法が戦争を「起こさない」という意志と、平和を導き出すことに腐心していることに、憲法はすごいものと改めて思う。

 憲法を順守する態度でいけば、日本は最もふさわしい発信力を持っていると思う。日本が日本国内での「声」がまた少なく感じられる。今は皆で「侵略をするな、やめて」の声を発するときなのだろうと思う。世界のあらゆるところで声を上げることが、一番の「戦争抑止力」だという気になってきた。

 ようやく暖かさを少し感じるころになった。医者の帰りに公園に寄ってみた。平和は戦争否定の上に成り立っていると公園を眺めながら思った。 







2022年2月21日月曜日

5月30日からの写真展に向けて

 2年の間、コロナのおかげで写真展がやれなかった。直前で感染拡大の状況で中止になって、作品をサイトに載せて何とか記録として留めたものの、やっぱり発表の場がないことにはまとまりが付かない。今回はなんとかこぎ着ければいいと思う。

 絞り込んだ写真を眺めて、撮った当時の思い入れや出来事を思い出す。どちらかと言えば素人筋(自分のこと)であることからちっとも抜け出せないで、写真の良し悪しを目の前に突き付けられるのだから、ある意味つらい作業にもなる。それでも繰り返してやることで、いくらかはましな写真を撮ることにつながればよいと思う。この時世で、撮影に行くチャンスが少なくなり、そのうえ膝の痛みに邪魔されて歩くことが重荷になってきた。作品にするものを選び出さなければならないので、前に撮ったものから見直して、あれはどうかこれはいいかと、パソコンの前で眺めている。今回はモノクロでということになっているので、現像をし直して、タイトル候補中から決めて5~6枚の組を作ることにしている。

タイトル候補1 ヤマメ発眼卵 埋設


タイトル候補2 神田川

タイトル候補3 能登

タイトル候補4 山形県金山町

タイトル候補5 奇習 加勢鳥









 

2022年2月13日日曜日

神宮外苑を都市改造、自然のテリトリーをまた減少させるのか

 「経済」活動の効果をあげるために、邪魔な自然エリアをなくしていくのは、許容されていのか?残念ながら「自然」の大切さについての、「政治側」の関与は余りにも勝手きままな振る舞いになっている。ほとんどなんのおかまいなしに、人間社会の「経済」優先的な活動が推進されて、究極「温暖化」まで呼び起こした。地球環境を保全のために行動を急がされる事態なのだから、ちっとは反省して…というのが常識的な考えというものではないのか。肝心な「お国」が推進側の旗振りなのだからなにをか言わんやだけど。

 明治神宮外苑の再開発で約1000本の樹木を伐採・移植するという計画がある。それは超高層ビル2棟、ホテル付の新神宮球場、国立競技場より高い新ラグビー場をつくるためとされる。またぞろ「自然破壊」をこりもせず続けるということになる。事業者が三井不動産、伊藤忠商事と聞くと。住民のための街という大義が、またまた住民をそっちのけにして希薄なまま、どこかのダム建設みたいな程遠い「問題」となって扱われていく。

 ソロバンをはじきながら進める方は、そこが付け目でもあるのだろう。都市が経済活動の貢ぎ場所として特別な扱いでいいとは言えない。一極集中のデメリットが本格的に検証されないままできていることもある。循環する生態系の一パーツとしての人間が考えやるべきことを、検証して考える必要性はより高くなっている。

 かつて、東京都知事鈴木俊一のおり、「緑の倍増計画」(「昭和60年~6年間」)がたてられた。緑豊かな東京目指してと題した巻頭言で「…緑は今住む人達のものだけではなく、将来に済む人々との共有財産であります。緑と水の豊かな、美しい東京を時代の子供たちに、そして、さらに将来の世代に引き継いでいくために、国や区市町村のご協力を得ながら、都民の皆様と手を携えて進んでまいりたいと思います…」と宣言していた。つぶさには様々な問題もあっただろうとしても、施策に「緑」を据えるのがかつての東京都でも存在していたことを、今になって言うのも虚しい話だ。


 

2022年2月7日月曜日

追いかけて来なくともよい疫病神

 顔にできた日焼け跡が少し膨らんで、痒みが出てきたので皮膚科に行ってみた。そう悪いものではないとの事で一安心した。その部分を薬で「焼く」ことができるとのことだったが、放っておくことにした。特段の障害がないのだったら、やたらいじらないのも方法かと思い、そう医師に話すと笑っていた。

 この週は何時もの内科に加え、無呼吸症候群の診察もあったから、3回も出陣することになった。日常なんの役にも立っていない我が身のように、メンテナンスを必要とする中古人間は、ずいぶんと医療機関の世話になる。だから余計にコロナの対応でもまさに献身的に感染者に対応する姿には頭が下がる。

 でも賑やかにテレビに出現する「健康食品」の個人的感想に全幅の信頼を置くわけにもいかないし、やっぱり「医療」への信頼は大きいものだから手立てを尽くして、援助が考えられるべきは当然のことだと思う。ある医師がコロナ対応に責任を持ちきれないと、職場を去るということまで起きていると報道していた。

 濃厚接触者でも自宅で「療養」として診察も受けないで、陽性者認定をするなどというだけではなくて、診療機関は発熱外来を閉じるというところもでている。大阪では陽性者数のカウントが持ち越されているし、死亡者数が飛びぬけているというのは、保健所削減などで体制が取れていないことが問題と見る以外ない。国会の答弁で「日本の死亡者は他の国に比べて少ない」と言っているが、「死亡者をなくす」という言葉は聞こえない。

 韓国の閣僚は「感染者と死亡者を出さない」と記者会見で語っている。言葉の問題だけではなくて、「死亡者を出さない」と本当に思っているのだろうかと疑問を感じる。検査キットを配るといいながら、一般には無料キットはすぐ枯渇してしまい、ワクチン接種は「早く」の声には前倒しと言いながら「8カ月原則」という文言を活かしたままにしている。

 国会中継を見ていると、「内閣は良くやっていると思う…」という問答さえしているのは、これから先「経済」優先のための「野放し政策」なのかと考えてしまう。オミクロン株の別系統「BA2」が空港の検疫で313例確認されたと厚生省発表。専門家組織は「感染力今より強く警戒」と。疫病神は誰なのだ? 




2022年1月28日金曜日

口先だけのやる気、必要な手立ては見えないコロナ対策

 オミクロン株の感染拡大で、首相や担当閣僚、大阪府知事、東京都知事のテレビへの出番が多くて、なにかそれだけでやっている感が作り出される。「先手先手で」「前倒しで」などと言われると、これまでより前向きな取り組みをするのだなと、つい思わされることもある。

 しかし、ワクチン接種にしても、前倒しというわりには「8カ月後接種」を全体として変えていなのはなぜなのか。「8か月後の接種」という縛りから抜け出ないのは、前政権への義理立てなのだろうか。でなければワクチンそのものが「ない」状態か?少なくともモデルナであれば在庫があるのに、理由がわからない。地方自治体の体制が準備できない事情がいわれ、理由にされているが逆に早くやれるという声もある。ようやく前政権でやった大規模接種が動き出しただけで、目論見よりも遅れに遅れている。

 検査キットは80万セットの製造しか求めていない。検査拡大が求められていたのに真摯に向き合わず。足りるのだという説明で製造を増やす気がない。無料検査キット配布を東京都や世田谷区でもやっているが結局数が圧倒的に足りていない。何を考えているのか。感染が下火になっいた間いったいなにをやっていたのだろう。

 医療体制がまた大変なことになりなりそうなのに、医療体制で賄えないからと、またぞろ濃厚接触者を「自宅」に追い込むことになっている。果ては「オミクロン株は心配には当たらない」という声まで聞こえる。

Googleサイトの「新型コロナウィルス COVID-19」に COVID-19によって起こる症状のほとんどは軽度から中等度であり、特別な治療を受けずに回復します。しかし、中には重症化して医療機関での治療が必要になることもあります。と常駐して表示されている。医療機関で検査キットがないため発熱外来を中止しているところさえある。空きベッド云々よりすでに医療崩壊が起きている。口先だけの「やる気」芝居はいい加減見飽きた。





 

2022年1月23日日曜日

恐る恐る出かける写真例会

 凄まじいオミクロン感染拡大で、ずいぶんと脅かされて人の集まりは止めた方がいいと思いつつも、写真の例会に久しぶりに参加の人がいるとのことで、出かけることにした。膝の調子がここのところ芳しくなくて、歩くのは止めたほうがいいかという気で電話連絡をしたのに、結局反対の結果になった。

 医者に通うというエリアでは、コンビニに寄ってもおよそ3000歩足を動かせば済むが、このエリアから出ていくとなると、どうしても10000歩前後は歩くことになる。どうもそのあたりの歩数までいくと痛みが後日残るようだ。「運動は痛みあるときでなければ必要だ」と医師も言うけれども、このありさまで動きまわるのは、身の程を考えながらしなくてはならない。これもコロナ禍に加えてストレスになる。

 今回の例会は以前に撮った写真も含めて、ということで持ち寄ることになった。自分の場合は秋から正月に複数回出かけて、新しい写真の準備ができたが、昔の撮ったものを持ち込んだ人の写真を見せてもらったら、とてもいい写真をたくさん見せてもらった。いい写真を見ると充実した満足感が得られる。今は久しく顔を合わせるせる機会がなくなっているから、余計に感じるのかもしれない。

 立川までの道のりを9900歩。そこまでは良かったのだが、先週は少し遠方の診療所通いも三回もあり「3000歩」では収まらない膝の稼働をしてしまい、膝が悲鳴を上げている。




2022年1月14日金曜日

「社会を回す」→と言い始めた意味も「意味」がありそうだ

*前回投稿の翌朝(14日)の報道で、ワクチン接種の前倒しは、自治体の要望に応えて「実施する」ことにしたとのこと。前倒しは医療関係者には実施されているけれども、この実施率がまた低いらしい。言葉だけが先行することで、モーニングショーでまた後手後手の繰り返しかと指摘される。前倒しのことが取り上げられて、モデルナの在庫もあるとのことだから、やれない理由はないのに決断を遅らせるのは何の意味があるのだろう。とするともしかして、ファイザーの入手に問題があるのかとまで疑いたくなる。

 無料検査(PCR検査、抗原定性検査)はなぜかウエルシア薬局の名が大部分を占めている。無料キットは180か所で扱うということだったが、ウエルシア薬局は品薄のようで、ほかを探せというばかり。惨事商法でいくなら、有料なら可能ですということか。ようやく検査の拡大になったのかと思えば、この状態。これではオミクロン株の感染でも、重症化するケースが少ないからという理屈をもって、「共生」社会を無理やりつくろうとする方向に持っているつもりだろうか。重症化のリスクがどれだけのものかということが見えない状況で、5類から2類へインフルエンザ並みへの変更を言い始めたのは怪しげなものだ。

 

東京都HPPCR検査無料化のご案内」

予約に関するお知らせ

ただいま店舗によっては、検査を希望する方で大変混雑しており、予約無しで検査を受けられない店舗も発生しております。
お手数ですが、事前に各店舗ホームページ等をご確認いただきますようお願いいたします。

検査キットの品切れに関するお知らせ

現在、ウエルシア薬局など店舗によっては検査キットが品切れとなり、希望する検査を受検できない場合がございます。
ご迷惑をお掛けしており申し訳ございません。
上記店舗以外では検査受検可能店舗もございますので、各店舗ホームページ等をご確認いただきますようお願いいたします。

2022年1月13日木曜日

内閣支持率が高かろうと、寒いものは寒い

 内閣支持率が高いという調査結果が出されている。そんなに高いのかなといつも不思議に思う。高く出る層に当てて調査をしているんじゃないだろうか。腑の抜けた報道なりの結果が映し出すことで、これがまたNETの世論調査によるものとは全く違ったものになる。新しければ何でも「OK」という短絡的な発想はダメなものであることはよく体験する。本当はダメなものが化粧を施される場合もあるし、はっきりと目に映るまでは薄ぼんやりとして、「他にいないから」などの誘導で導かれる回答が、そんな結果を生むのだろう。

 オミクロン株の感染が猛威を振るって、前倒しの3回目注射だの、治療薬の配布だの、検査の拡大だのと言葉だけは「やっている感」をみせて、自治体では可能と言っていても「前に倒れない」ワクチン注射、医療機関に3箱しか渡さない治療薬、圧倒的に少ない検査キットの配布など、腰が入っているのかわからないやり口で、やっぱり安心に思うには程遠い感じだ。

 あまつさえ、「水際作戦」では米軍の感染検査なし扱いで、「安全保障」の本質を演じてくれる。東日本大震災の時にトモダチ作戦として、援助してくれた結果、米艦船の軍隊が放射線を浴びたとして、損害賠償を求めてきた。日米が平等であれば、日本に損害を与えないように対応するのが、「お友達」ではないのか。日本は地位協定を盾に、どこまでお人好しで筋を通さない気でいくのだろう。

 北海道、東北、北陸が豪雪に襲われている。オミクロンの感染拡大に加えてのことで大変な状況になっている。目の前の生活の脅威に対策に十分な対応ができずに、「敵基地攻撃能力」を目の前に掲げる日本の政治、実にお寒いことだ。

*これを書いた翌朝(14日)の報道で、ワクチン接種の前倒しは、自治体の要望に応えて「実施する」ことにしたとのこと。前倒しは医療関係者には実施されているけれども、この実施率がまた低いらしい。どうしてこうも言葉だけが先行するのか。モーニングショーで、前倒しのことが取り上げられて、モデルナの在庫もあるとのこと。やれない理由がわからない。とするともしかして、ファイザーの入手に問題があるのかとまで疑いたくなる。

12月に生えたフキノトウが寒さで枯れそう

豪雪を想わせる空模様



2022年1月4日火曜日

急がないのに忙しい一年始まる

 そんなことはない。どうしてもやらなくちゃいけないことはないわけだから、忙しかろうはずはない。仕事を卒業してからは、趣味(遊び?)のみの暮らしか、ゴミ出しか医者通いのように着々とこなす用事のみが、生活をつないでくれる主役に幅を利かせている。それだけなのにどうしてこんなに、時間が過ぎるのが早いのだろう。てなことを考える脳の働きに従うことこそ、ヒマの証明ということになってしまうのかも。

 昨年膝の痛みを覚え、無呼吸症候群宣言を受けてから、使い込んでいるわが身の中古具合を余計味わうようになった。身のこなしもおっくうなことが多くなったし、なにごとも取り掛かりが遅くなる。「歯を食いしばって」などという言葉はとっくになきものになって、いやおうなく「共生」の道を歩かされる羽目になる。じたばたするのも、過去のことになっている。受け入れるべきものは受け入れる。ではなく受け入れられないことも受け入れる、受け入れざるを得ないとすれば、心の安寧に立ち入れることになる、ということにしよう。

ともあれ、背中に十分荷物を負っていることゆえ、外敵のオミクロンなどにさいなまれないように、無事で暮らしたいもの。


 

2021年12月28日火曜日

今年の少ない撮影の一つは笠間稲荷、菊祭り

 珍しく年賀状も早く仕上がり、カレンダーも作って年末の「仕事」もきりが付いた。となると、来年はどうなるかという心配と、どうするかという策を考える余裕ができる。コロナのことは言わずもがなで、おんなじ誤りはやってくれるなということしかない。でも経済対策を気にしての転がし対応なのだろうと、悪意をもってこれまでの恨みを沸かす。アベノマスクが廃棄だというこれまたビックリの無責任きわまりないやり方に開いた口がふさがらない。そういえば、倉庫にしまっておく経費も経済対策なのだと、どこまでも悪意のある発想が先行する。

 オミクロン株の感染増で、PCRと抗原検査を無料でやるということだ。そこも一言いいたい。無料でやるとは言ったけど、どれだけやるかは聞こえてこない。いや内緒なのかな。抗原検査は不正確だからやらないといっていたよね。少しは向上したのかな。「費用対効果」と言っていいかどうかわからいけど、PCR検査数は抑えるのかな?働く世代は必要にかられて有料でもやらざるを得なかった。そうだ、有料が経済対策なんだ。「無料分はもうないので有料ならやれます」などということはありませんように。

 さて来年はどうするかと、じっくり考えようと思うけど、なにせ足の痛みと長い付き合いになりそうだし、そんな半人前の実力故、鳴かず飛ばすという風になるのか。コロナ感染低下のスキマで行った退職者会の旅行で、バス組と別れてから笠間稲荷の菊花展示を見たのが、今年の数少ない催事の一つになった。たまに美しいものを見るのも、大いにストレス解消になった気がした。












 

2021年12月22日水曜日

第二次産業とは肌合いが優しいと思った石切山脈

 「石切山脈」は以前テレビ報道で見たことがあり、一度は行ってみたいものと思っていたところだった。「『石切山脈』とは約6,000万年前に海底深くて長い時間をかけ冷えて固まった花崗岩の一種で、日本橋や東京駅、国会議事堂、最高裁判所など 、全国有数の歴史的建造物に使用されてきた」という説明がある。「歴史的建造物」が企画されそのために利用された当時なら、地球温暖化にどれだけの温室効果ガスが…を心配する必要はなかった。しかも使った「花崗岩」がいまだに「現職」であることにちょっぴり感動した。昨今の「都市化」への暴発的なのめりこみ(日本中の山から石灰岩を削り出し、鉄骨と砂利、コンクリートを投入)とは象徴的な違いだ。「持続可能な…」と言い分けめく言葉を使わざるを得ない状況になったのも当然のこと。石切山脈のミュージアム的容姿と、事業の緩やかな活気をカメラから覗いて、感じたところがあった。 















2021年12月19日日曜日

那須烏山の「竜門の滝」はまた立派なもの

 二日目になって前日の宴会とカラオケの残像が頭に残っている。ホテルの前で記念撮影をして、最初の訪問地の龍門の滝を見物した。滝の立派さに驚いて、あちこちで見てきた景色に、また一つ感動が加わった。こんなに立派な滝が、今まで耳に入らなかったのだろう。いつもの旅が「観光情報」頼りになっているばかりなので、見つけられていないことを思い知らされた。計画してくれた退職者会の役員の皆さんには感謝・感謝。滝の落ち込みに降りて行き、しぶきを噴き上げる様子を見ながら、どうやって撮ったらいいのだろうと、頭をひねるがやっぱり一期一会の撮影のゆえ、絵葉書風の写真を撮るのが精いっぱいだ。朝に夕にとバリエーションを変えることができれば…と思うのみ。滝への降り口の手前にあった神社も、この時期の紅葉を配して、なかなかの見栄えのあるところだった。