2022年11月25日金曜日

墓参の功徳、山形の紅葉

 天童で高速道路を下りて、スマホで検索した目当てのソバ屋に行くと、先客がたくさん並んでいる。そこは諦めて近くのラーメン屋に入る。これが結構おいしい味噌ラーメンだった。新庄でいつも寄って花やら供えものを購入するスーパーに行こうと思ったところ、途中で新しい「ヨークベニマル」を発見。墓参物資を購入して墓へ行く。墓には燃え残った線香が少し散らばっていた。今回は去年より少し見栄えの良い花を添えた。

 時間が遅くなってきたので、墓参りは明日にしようかと迷った。チェックインの前に立ち寄っているカルデラ温泉館が、4時までだったことを娘が思い出した。温泉が先行ではまた怒って、悪さ(おばあちゃんのいたずら)をするかと笑いながら、墓に先に行くことにした。墓参りが終わると雨が降ってきて「やっぱりばあちゃんの仕業か」と、墓参のときに起こる不思議に笑った。

 旅館から「旅割り」を適用すると事前に電話があったが、娘は不適用だとのことだった。娘は念のためにPCR検査を受けてきたのでその結果を旅館で伝えた。ワクチンの接種結果よりは、直前の検査の方が、信頼度は高いはずなので、娘の検査結果があることを説明すると、適用できるということだった。

旅館をチェックアウトして寄り道








 

2022年11月21日月曜日

明治神宮のイチョウ見物多賑わい

 息子の能を見に行くついでに明治神宮のイチョウを撮りに行った。今年これまで3回目の撮影と見物だった。今頃になるとテレビで必ず取り上げられるので、特に行くことはなかった。再開発で外苑の木を切ってしまうだとか、高層ビルを建てるのだとかとの話を聞いて、今更ながら出かけてみている。

 実に立派なイチョウが並んで、風物詩としても文化的価値も高いものだろうと感心する。これを改変するというのはなんたることか。ただでさえ少ない公園を、たとえちょっぴりであってもなくしてほしくない。イチョウのそばに壁を作ったら…、壁の土台で根っこは大丈夫か…、建物による熱や風でどんな影響を受けるのか…素人が考えても疑問が湧く。

 モーニングショーで、車で乗り付けた人が一時駐車をして、スマホで写真を撮る場面を放映していた。警察が車を動かすようにパトカーで説得している。でもだから考えたいのは、都市部でそういう場が圧倒的に少ないということだし、「車社会」の有様にも手が打たれるべきと思う。








2022年11月18日金曜日

島を削ってどこへいく土砂

 呉の島をめぐっている途中に見た山を削っている現場は、こんなところまでかというショッキングな風景だった。自然環境を壊しているという、どこにでもある見慣れたものではあった。じっくりと歴史をつないできた島の時間の流れに、「都市再開発」の強引で横暴な牙が爪を立てている…と見えた。かつては瀬戸内海の砂を採ってはならないという反省もあった。そしたら山か?

 風景が損なわれていることが地球温暖化を加速させる方になっているのではまずい。日本の経済成長の悪しき有様がここにもあった。経済成長を金科玉条にして、株価の心配をすることばかりでは、持続的な社会を望むのは無理だろう。歴史的遺産、今あるものは大事に残してほしい。その時代に興隆した文化を振り返り、次の時代を慮ることを忘れてはいけないと思う。

 「改変」が、さることのにためにするのであっては「破壊」にもつながる。呉の旅、ほんの一部を周っただけだったが、これだけの「歴史的遺産」が残っていて、触れることができたのは価値のあることだった。いくつか見残したこともあったので、機会があればもう一度行ってみたい。






2022年11月15日火曜日

下蒲刈島から先、大崎下島に江戸時代の足跡があった4-4

 島は港から発展した足跡が残されている。江戸時代に交易で船が活躍していた。「地乗り」と「沖乗り」という航法の違いが島にやや異なった港町形成になった風でもある。当地に行ってから分かったことなので、あらかじめ分かっていればその点も考えてみて周ることもできたかもしれない。なにせ盛りだくさんの「見て歩き撮影」なので余裕がなかった。

観光パンフから~~~

「地乗り」とは、中世以来の航法で、山などを目標として沿岸部を航行するものである。昼間航行が原則で、目的地までは相当の日数を要した。鞆(とも)・田島・尾道・瀬戸田・忠海・竹原・三之瀬(さんのせ)・倉橋島・宮島はその当時から発展した港である。近世、「沖乗り」が出現すると、御手洗・鹿老渡(かろうと)など新しい港が台頭してきた。

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 「三之瀬」が「地乗り」の港で、本土に近い場所に位置した。ここは鞆の浦と同じように北前船の寄港地だった。そこは観光地として整備されている様子だったので、通り過ぎてしまった。御手洗港はこの4島目大崎下島にある。ここが「沖乗り」で発展した港町とのこと。江戸時代には盛んに交流がされたので、航海術の向上でより遠方からの物資や人の往来によって、経済もより発展したのだろうと想像される。

 乙女座は1937年(昭和12年)に建てられた劇場で、戦後から1960年代までは映画館として使われた。その後ミカンの選果場になり2002年に元のように復原されたとのこと。とても立派なもので、現在も大衆演劇、能、舞踊、漫才などの公演、無声映画の上映などイベントに活用されている。

 御手洗には江戸時代に4件の遊郭があったそうで、そのうち1軒だけ建物が残っていた。中に働き手の手形の痕跡などがあるとのことだったので、見たいものだと思ったが、現在は中には入ることができなくなっていて残念だった。

 港が開かれることで町(村)が発展していく歴史を、目の当たりに実感してこの旅の充実感が高まった。旅が終わった後も、NETを検索しながら情報を重ねて思いだし、味わっている。





遊郭 若胡子(わかえびす)





櫛とそろばんを売っている

乙女座








2022年11月13日日曜日

廃校になった小学校に行ってみる 4-3

~下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島、最後は岡村島へ走る~

 三日目の後半は西方の下蒲刈島から5島を渡り歩き、瀬戸内の広さと島の多さを実感した。おおよそ島は、「山」なので道路は海岸縁を通っている。ポツポツと集落が点在して、日本のあちこちにある風景と同様の佇まいを見せている。この様子を見て、騒々しく大きなビルを建て続けている「大都会」との対比を考えさせられる。富の集積を重ねる都市部の雑踏とは雲泥の差がある。

 しかし都会で極上の生活をしているのは一部であることも事実。地方との格差は広がり続ける。もうちょっとゆっくりとした時間の流れを要求するのは理不尽なことだろうか。下蒲刈島に友人が通っていた小学校がある。子供が少なくなって今は廃校になった。廃校になっても、見学で訪れる人を受け入れているのか、建物の敷地と周囲に入ることができた。廃校になる学校は多いという。むろんここに限られたことではない。

 少なくとも自然の環境に恵まれた場所にある施設が、使用されず放置されたままとは…。公共事業という名の経済対策で、これでもかというほど瀬戸内に橋を造設した結果が、このありさまとは。「総括はどうするの」という言葉が思い浮かぶ。いずれ校舎は壊されることになるかもしれない。記録として残したいと、二人で写真の撮りまくりをした。












2022年11月11日金曜日

呉市街から島へ渡って歴史を追いかける4-2

 自衛隊呉基地から、本土の呉市街と倉橋島を結ぶ音戸大橋へと移動。そこから10キロ弱ほどで音戸大橋直下に着く。本土側と倉橋島を結ぶ橋が建造されたことにより、音戸渡船が廃止されたと聞いていたので、そこをぜひとも見たいという希望に沿ってくれた。

 渡船場の様子が使っていた当時のまま残っていて、昔を想像してみることができた。船着き場の前は、海際の道路は車がひっきりなしに通り、広くない道路は歩くのに余程の注意がいる。渡船を利用していた頃はそんな危険も少なかったのかもしれない。橋げたの下あたりには、当時をしのべるような建物は少なくなっているようだった。

 倉橋島と隣の江田島までは早瀬大橋でつながっている。そちらには行かず、いったん「本土」に戻ってから、下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島、最後は岡村島に向かう。この日の後半は5つの島を周遊するコースになった。(次回4-3へ)