2024年3月10日日曜日

明るい太陽で元気が出るというもの

 太陽の光は何と言っても有難い。暖房費がかからないのだから、日当たりさえあれば心地よい場が手に入る。反対から見れば金さえあれば電気代、ガス代も払えばOKで、暖かさが手に入る。金があればとは貧乏人のセリフで、一生懸命生活しているものの実感だと思う。金を手に入れるのは相当大変だ。特に今は「まじめに、普通に」生きていくのが難しい。

 だいたい、つましくして生きているのに、容赦ない値上げや、あれこれの徴収だのと、懐から金を出させることには政治が熱心に動く。所得になる施策をまじめにやっていかないから、「少子化対策」など特別な手を打たなければならなくなる。働いて得た収入や政策で次代に引き継ぎ対応できる社会を作っていくのは当然政治の責任だ。

 そこへの「政策投資」の手抜きによって、ついに先が見えない日本になってしまった。その責任がまた「自己責任」という言葉ではもう通らない。政策実施のための税はなかったのか?消費税はどこにいったのか?どこに使ったのか?株価最高値になっても我が幸せは測れない。どこに向いて政治をしているのか?「防衛費」で43兆円のエビデンスは?

 裏金犯罪を是正する気も力もない、将棋であればとっくに積んで投了だ。寒暖差の乱高下で体調維持も大変だ。このまま光を期待するのは無理だろうけど、せめて寒さをしのぐ「夢」でもあればと思う。







2024年3月4日月曜日

人の嫌がるとこが好き

支持率がどんどん下がっていくのを見ながら、それでもコア(中核)な支持者がいるんだからなと思う。どんなに悪行をしようがトランプ候補の支持者のように、熱狂的な支持者がいて同調の声をあげる。そして支持率は上がっていく。強いものにあこがれる支持者は、直接利益が手にはいらなくても、(まったく失礼なたとえだけど)大谷選手のようにすばらしい活躍をする人に、身を入れて共振して満足感に浸るというのも、同化したいと思いの現れなんだろうか。

大谷選手の場合は実力もありその上、メディアの扱い自体がセンセーショナルに取り上げるものだから、余計にエスカレートしていく。「ともに天を抱く」ことで精神的充実感を手に入れる。それをもって関心が高いだの、人気が高いだのとのコメントを発するのがまた可笑しい。昂じさせているのはメディアなのによく言うよと思う。

政治倫理審査会でやっと公開でテレビ放映がされることになると、同日大谷選手の結婚騒動の報道が、より盛大に報じられる。国会開会中の重要な場面で北朝鮮のミサイル発射、などということが起きると同じような感覚に囚われる。最近はないがドラッグに手を染めた芸能人逮捕もそういうときによく表れた。

卓球の女子が活躍も日本人としてうれしいこと、もう少しで中国に勝てそうだとなると、親戚でなくとも応援はしたくなる。でもだからと言って政治のことを後景にしてしまうようなメディアじゃまずい。まったくの偶然だよねと思いうけど、大谷報道によって裏金報道が薄まることを自民党の議員が漏らしているとうから、窮しているときの助け舟という関係にはなっている。

日本の政党支持に関して「コア」な人たちはそう多くはないように見える。大きい政党でも、得票率で3割ちょっと。絶対得票率で10数パーセント少し上くらいなものだから、大したことはない。選挙制度と利益誘導によって随分と影響を受けるようになっている。これで政権担当しているのだから、「民主主義国家」などと言えた代物ではない。

それでも「コア」な支持者がいるのは、共振同化を求めてということなのだろうか。「寄らば大樹の陰」というが、権力だしある意味権力と親しくあるのも欲のうちかもしれない。せめて「惚れた因果であばたもえくぼ人の嫌がるとこが好き」というのが合っているかな。

いただきます さっ!のりかえよう 新しい政府




2024年2月29日木曜日

サッシの雨戸が暖まる頃でも体調は

 今日も幸い目が覚めてサッシの雨戸を開けようかと手を触れると、昔のぬるくなった湯たんぽのようにほんのりと暖かい。もったいないからそのままサッシを上げずに硝子戸だけを開けておいた。でも残念ながら日が当たるのは、隣の家のおかげでそう長くない。その温かさを有難いと思いながら、暖房機の熱で補充しないとちょっと寒くなってくる。まだ2月だから、無理もないけれども、アッツイ日の体験が妙に記憶に残っていて、逡巡したりする。

 光が強くなってくると、その光と熱が脳に刺激を与えてひとの活動に影響する。体が温まることで当然頭脳にも刺激をもらうことになる。暖かさが少し感じられて頭が涼しさ加減なら一番気分もいい。しかしいこうも寒暖の激しい日があると、体の慣れがうまく追いついていかない。

 最近知り合いの中で転んでけがをした人が4人いる。いろんな事情の違いはあるのだろうけど、「命に別状はない」程度の事故が起きているのをきくとなんらかの影響があるのかと思う。急な寒暖差で筋肉の動きにだって影響があるものだろう。

 相変わらずというか裏金天下人たちの所業はあきれてものが言えない。こんなふうになっている責任は己も背負いこまされることだけど、ほんとに何とかしてもらいたい。先日確定申告をしたら、少し年金額が増えていた。ところが介護と老人保健の年間の徴収額で帳消し近く持っていかれている。

 この先、少子化の対策の負担だの軍事費の被せだの社会保障費の削減だのと、聞いているだけで胸糞も悪くなって、寒暖差のストレスに加えて体調までもおかしくなる。血圧が高くなっているのはそのせいだろう。

白日の下にさらしてやる



2024年2月23日金曜日

玄関の鍵をかけるのを忘れた

 読者会があるので前日ももちろん、当日も課題になっている項目を読み込む。どうしても時間がなくて、(いやそうではなくてものごとに取り組むのに時間がかかって、)また追い立てられることになった。昼近くになって会に出かける時間になり、身支度を整えて玄関のドアを開ける。珍しく小雨がまだ続いていた。昨日玄関の脇の物干しにぶら下げた傘を外して、空を見上げるとポツポツと雨粒が落ちている。ちょっと迷ったものの傘は差すことにして歩きはじめた。

駅までは5分程度で着くが、改札前でポケットを探るとスイカをいれてある小銭入れがない。よくよく探しても出てこない。家に戻りながらハタと気が付いた。小銭いれには家の鍵もついているのだから、家の鍵をかけないで出てきたかな?と。家に戻ると玄関のカギは閉まっている。

もう、部屋からカギを持ち出していないことが確信的だったので、閉まっている玄関を開けてもらって、(もちろん連れ合いが締めた)部屋にある小銭入れを持ち出して再出発となった。鍵を閉めないで家の中に入るとは結構あったので、気を付けているが締めないで出て行ったのは今回が初めてだった。本を読むのが「義務化」されれば自分の脳にも刺激になるはずとの思いで、読書会に参加しているのに、このありさまではなにもならない。物忘れが一歩更新していらない勲章がまた増えたようだ。

花は春を忘れない えらいな





2024年2月14日水曜日

トイレが早いのは肝臓の働きが良いわけじゃない



宴会のときは、だいたいトイレに行くのが早くなる。記憶をたどるとそれはかなり昔からだった気がする。最近はそれが昂進してせっかくの談義の途中で、「行ってきます」ということがしょっちゅうなので、これは男特有の高齢化症状なのかと面倒さを嘆いている。所用で外に出かけるときは特にその催しの場所を想定することになる。じたばたしても状態が変わるわけではないので、これからの短いか長いかわからない付き合いとして、仲良くしていかなくちゃならないのだろうか。

それでもまあ定例の診療時に先生に聞いてみようかと決意して、「肝臓の働きがいいからですか?」と愚問をしてみた。先生は笑い出して、そんなことよりもアルコールのせいなのだから飲む量を減らし⋯気にしない方がいいです、との応答だった。「アルコール文化」をこよなく親しむ者にとっては、つれない返事だった。

アルコールでなによりカロリーが溜まることは再三言われることなので、消費のために診療所から少し多めに歩いて、もう一つの整形外科のリハビリにも寄って家に戻った。13000歩を記録して充足感をもったが、これで安心してまた一杯につながるのかな?

元気な皆さんで、しっかり飲み食べするので頼もしい。 





2024年2月8日木曜日

1611年(慶長16年)地震の復興で「助けた赤毛牛」が福を運ぶ「赤べこ」になった

 正月に行った会津、柳津の圓藏寺、「赤べこ」がたくさんあった。HPによると

「1611年に会津地方を襲った大地震でここ柳津も大被害を受け、虚空藏堂をはじめ僧舎・民家が倒壊し多くの死者が出ました。 その後の1617年に初めて虚空藏堂(本堂)は現在の巌上に建てられたのです。本堂再建に使われた大材は、只見川上流の村々からの寄進を受け、只見川を利用して運ばれましたが、ここから巌上に運ぶのに大変困り果てていたところ、仏のお導きか、どこからともなく力強そうな赤毛の牛の群れが現れ、大材運搬に苦労していた黒毛の牛を助け、見事虚空藏堂を建てることができたのです。」

今なら赤べこは国、自治体、ボランティアなどということになる。能登の対応が色々いわれていて、当然混乱はあるのを前提にしても、ほとんどが従来の動きと比べて「遅い」対応と報道されている。全体像がつかめない?などと…もしやドローンを飛ばして調べることも制限?海からモノを運ぶアクセスするのは不可能?志賀原発稼働のために騒ぐな?こんなときに「裏金問題」で大きな足かせになっているのでは?それも戦略か?ともかく政治がめちゃくちゃだ。









2024年2月2日金曜日

梅と桜を見てまた来る春を感じる

 ウォーキングがてら喫茶店まで歩き、一時間本を読む。やけに小難しい本で、昨日から読むのが嫌になっている。これで読書会をすることになっているのでいやおうなく、気合を入れて詠まなくちゃならない。

 グータラな生活に活を入れるつもりで参加しているのに、十分な余裕があっても、なかなかとっかからずにいたのはいつものこと。これで脳の体操になっているのかどうか。

 喫茶店に行く途中にある寺の門にしだれ梅があって、ちょうどころあいなので目を凝らすと、花がいくつか咲いていた。このしだれ梅のおかげで、季節感をあじわうことができる。そういえば公園のカワヅザクラも咲くころだったのを思い出して、一度家に戻ってから公園に行ってみたら、案の定カワヅザクラは二つだけ咲いていた。でも咲いたのは何日か前のようだった。







2024年1月26日金曜日

柿不足症候群

 最近、柿を食べていない。手に入ること(貰う)が少なくなってしまったのが一番の原因。噛んだときに口からこぼれだすような、熟した柿を食べることはむずかしくなった。ひところはいただいた柿を毎日食べて、胃がおかしくなったこともあった。固いものもカリカリとかじりつくのが食べ応えがあって好きだった。干し柿はあまり食べなかったが、出かけた折々に店で見て回っても出ている数が少ないし、だいたい高値で小さい。「おいしさ」を優先して高い柿を食べる気はあまりないので、もっぱら我慢の身の上になっている。

 旅に出たときによく柿の木を見る。柿の木はたいがい実が付いたままになっている。これがどこでも見られるので、どうしたことかと思っていたが、どうやら高齢化が理由らしい。だいたい農家の庭先か畑の端っこに植えてある柿の木が、刈取られた田んぼや畑にたたずんでいるのを見ると、「絵になるナア」とカメラを向ける。この時ばかりは実が付いていた方がいいと思うのは、勝手なものだと言われそうだ。

 柿渋を防水のために釣り道具の魚籠(竹の籠)に塗って利用したことがある。竹を編んだ造りなので、釣った魚を入れると竹が水分を吸ってしまう。そのための防水で、魚を腐らせないための抗菌作用もある。柿渋は「防腐、防水、防虫、消臭、抗菌、抗ウイルスなどの効果があるとされ、古くから日本人の暮らしに取り入れられてきました。カキタンニン柿渋の主成分であるポリフェノールで、インフルエンザウイルスやノロウイルス、O157などの病原菌を不活性化する抗菌・抗ウイルス作用があると考えられ⋯」との紹介もある。

 農家のコメの収穫が終わって一段落したころに、柿渋をつかって蓑傘に塗ったりしていたんだろうと思うと、柿と人との間柄がとても濃かったのだと想像できる。現在商品化されているものはどこまでの効果があるのかはわからないが、「飲む」ものもあるとか。そこまで突っ込む気はないが、柿の木の実が着いたままになって、クマの餌場になっているのはどうにかできないものだろうかと、行政が補助金だして起業家を募るはどうかなどと余計なことを考えて⋯。








2024年1月19日金曜日

政治の激震は…激震にはならないのか

 ツイッターでハッシュタグ♯をつけて「検察しごとしろ」という投稿が広がっている。敷居を下げても、起訴に持ち込むということができないのかという論調もでていたから、そう考える人は多かっただろうと思う。派閥解消というルールを自ら作りながらご破算にしてきたことも、信頼できない対象だし選挙に金がかかるとの公然とした主張にも驚く。それならやめればと反論できる。実際政党によっては、自前で選挙をやっているところはある。金と利益誘導でするのが選挙ではない。政治献金と税金からの政党補助金、そのうえの金集めパーティー、裏金キャッシュバックで泥に染まった政治はもういい加減にしてもらいたい。

 経団連の戸倉会長が原発再稼働と関西万博を勧めようと熱心に動き回っていることが報道で分かる。世論に逆らって「経済成長」のために頑張っているということになるのだろうか。経団連は政治の不祥事にはなにも言わない。当たり前と言えば当たり前だが、だから経済界の要求に沿う政治に「金」をながすのもそうだし、国民の苦難は後景にしても、企業のためになることはなんでもごり押しするといういやらしい態度だ。

 ここにきて甘い検察の追求で、派閥の解消という問題を焦点にした「すり替え」が横行している。派閥を解消したからと言って、またぞろ時間がたったら元に戻るだろうなと誰でも思うし、できるなら派閥よりは政党の解散の方が気分ではすっきりしていい。だいたい裏金と表される「悪事」の事実は、ちっとも反省する態度にはなっていない。支持率を見ながら動き回るだけのさもしさ。

 「3人集まれば派閥ができる」とかいうもっともらしいことを、哲学めいていうのは不届きだ。政党内の民主主義は難しくてわからない点もあるが、少なくとも一致した態度でないと信頼度は下がる。何でも言える民主主義というけれど、政党の論戦では皆同じ見解でなくて、黒と白の真逆の見解を突き付けられたら、突き付けられた方が評価に困る。それだけで論争にスキができてしまう。この政治に対抗するのは野党なのに、対抗すべき体制ができない。まさにどろどろの政治になってしまった。この間、政治資金規正法と政党助成金の問題がテレビでも取り上げられてきた。これらを正す絶好のチャンスだと思うけど。

2024年1月12日金曜日

能登地震の報道を見ながらため息ばかり

 秋田県知事が能登地震への自衛隊派遣が遅いし少ないじゃないかと言っている。ずっとテレビ報道を見ながら、そういう感じがしている。NETでは「山がちな能登半島の場合、道路が寸断され、海面が隆起して港湾が使えなければ、陸路も海路もそう簡単には使えず、部隊を大規模に展開する平地も少ないという事情から、同時に大人数を投入することが困難であった事情は斟酌されるべき」といった言い訳派の意見もでている。

 柏崎原発の早期稼働をせまる経団連の意向があって、被害の状況を少なく見せたい→大騒ぎしないようにしろという意志が働いているとの意見もある。

 初動が遅れあとから派遣人数を何段かで増やしていったのは、熊本や東日本震災の時と違った「事情」があったのには違いないが、47億円という予算問題も含めて「検証」しなくてはいけないような気がする。志賀原発は停止中であっても外部電源喪失、油漏れなど問題のある状況があった。再稼働に向かうためにはマイナス要素には違いない。またぞろ「隠し」策でやるのは常套手段なので、疑いの目を向けざるを得ない。

 冒頭で言っている「山がちな能登半島で道路が寸断」の状況は、福島の事故のようなことが起きたら避難道路は使えないということをはっきりさせた。でもだからこその早期の対応が考えられるべきで、2日には時事通信社のヘリコプターが飛んで状況把握ができていたはずで、立ち上がりはできたのではないかという気がするし、能登空港は使えなかったのか?とも思う。

 この主張(JBpress)は「能登半島地震であえて問う、20年後に消滅する地域に多額の税金を投入すべきか」というタイトルであからさまに、意図を語っている。能登は地震が始終起きていたのに、その備え「食糧、トイレ、水、生活必需品の備蓄、緊急時場合の対策」などができていたのだろうか。報道を見る限りではそれはない。つましい暮らしをしている地域の負担としては難しいと思うが、国家予算から手当てをしても対策が取られるべきことではないか。活断層のある場で生活しているのは、これまでの時間軸の中での結果であって、その責任を取れというわけにはいかないだろう。高齢者が50%以上という社会は、生産性がないから切り捨ての対象なのか? 

「能登半島地震であえて問う、20年後に消滅する地域に多額の税金を投入すべきか」

2024年1月8日月曜日

新年が新年にならない出来事が起きて

 受け止めきれないことが早々に起きて、頭で整理しきらない。でも否定的な出来事は自分の頭から除外するのが軽くすることにはなる。そうできるか?と問われてできる人間はいる?いるかもしれない。いやなことは忘れるに限るし、それよりましな楽しみに突っ込んだ方がいい。ただそれを引いて良しとすれば社会は絶望状態になる。己も絶望社会に身を置くことになる。

 今年はどういう年にしようかと考えるゆとりもなく、能登の地震が起きた。能登には先輩に連れられて4回写真撮影に行った。輪島の朝市にもお邪魔して写させてもらった。先輩は前回撮った朝市の人たちの写真プリントを渡して、撮影させてもらった「お礼」を表していた。おばちゃんたちが優しい顔をしているのはそのせいだろう。魚を下ろしている写真は、タラを下ろしているところで、写真をもらったお礼にと、刺身にタラコを混ぜて「帰りの列車で食え」といただいた。これが絶品だった。

 住まいからリアカーを引いて市場まで行くが、住まいのほうは焼失したところではないかと思う。ともかくなんとか無事でいてほしいと祈るのみ。撮ったものが「記録写真」になってしまうなんて御免だ。












2024年1月1日月曜日

年が明けてまた来る艱難辛苦

 去年のブログのタネ=テーマとしてメモしておいたものが残っていて、片付け様がなくて困っている。別に消してしまっても、だあれも困らないのに根っからのケチなせいで、メモが所在無げに残っている。ブログの下書きに思いつきがあった都度書いているのが、ホコリのようにたまっている。タネは発芽させないと実らないのだけど、結局自分の手にかかることだけで可能になる以外は、結局そのまま手抜きになるものだから、顧みることがあまりなく育つことはない。

 文章はあれこれ考えをまとめて、不足の知恵を調べて何回か見直しして、時間をかけてできあがったのちブログに掲載する。金はかからなくても、それなりの労はある。たまったテーマが、大掃除に間に合わなかったので、メモに少しだけコメントをつけてお茶を濁すことにした。

 □金の行く末 電子マネー

 ポイント攻勢がすさまじい。スマホに取り込んでいるが、クレジットだの電子マネーだの、なんとかPayだのと、やかましい程だ。それにお店では現金決済するのに肩身が狭い感じになってきた。10円玉で小遣いをもらった決済はもはや死語か。

□へたくそな片付けは自分の脳のせいか

 パソコンだと「削除」ができて、それゆえせっかくのファイルもうっかり消してしまうこともある。断捨離が指先の削除で片づけられることではいいのだが、なにを片すのかは自分の脳以外に判断はつかない。ともかく「取っておく」ことになってついつい溜まってしまう。(なにせ、忘れてしまうのだから)。

人生終局なのだから自分以外(つまり関係他人=家族)の手をわずらわせることになるのだろうか。

□用件を文字で書く革命

リハビリのときにもらう領収書の裏側に文字を書き込める。A5サイズだかまあまあのメモ用紙としてよい。なんの気なしに太くて真っ黒なボールペンで書き込んでみた。それがなんとなく新鮮だった。最近メモのほとんどをスマホとパソコンに頼っているので、文字を書くことがない。それどころか音声で書き込むこともできる。ところがそのメモを、いったいパソコンのどこのファイルにしまったのかを忘れてしまうことだってある。A5領収書の裏に書き込んで、掲示板に挟んでぶら下げたら、とても新鮮で記憶を呼び覚ますのにも悪くない。もっとも以前はそうやっていたものだったけど。

 

長くなるのでとりあえず停止。

2023年12月27日水曜日

呉で味わった牡蠣料理

 呉旅の夕食(もちろんアルコール付き)で、オコゼ丸かじりは貴重な体験だった。もう一日の宴は「かき舟」という舟。船と言っていっても呉駅の脇を流れる堺川に船が固定されている。かつて牡蠣船は5艘あったものが現在はひとつだけ。

 「かき舟」店で牡蠣、刺身を中心に漬け物までをつまみに頼んだら、どれもがおいしくて堪能した。翌日にまた来ようかと、二人で賄いをしている店主さんにお願いしいて予約しようとしたら、「休む予定なんです」といいながら相談している様子。女将さんは東京立川に30年くらい前に住んでいたとのことで、「せっかくなのに申し訳ない」と話されて、思わず「いや休んでください。また来ますから」と合わせてしまった。

 本当に口に合った料理で値段も高くなかったので、機会があればまた行きたいという気になったが、さて可能かな。店主さんは以前東京の立川に住んでいたとのことだった。






2023年12月24日日曜日

ダイアルロック解除!

 呉の旅にはスーツケースをもってでかけた。海外ではないのでダイアルロックはつかわずに、家に戻ってから使用法を再確認した。空ロックがかかったままで数字が回転してしまって開錠ができず、ジッパーが掛けられな状態になっていた。購入時にナンバーを設定したのに、その数字の組み合わせを忘れてしまったらしい。メーカーのサイトを検索して、対処方法を調べたみた結果、三桁のダイヤル組み合わせを、1000回やってみろという対処法だった。やむなく「999」から「998→997」と一つずつ試してみた。結果「888」の組み合わせたところで、ロックがめでたく開錠した。その瞬間、「ハハハ」のゴロ合わせで決めたことを思い出した。旅の終わりはハハハでめでたくお開きとなった。



2023年12月22日金曜日

呉市立港町小学校の円形校舎を撮った最終日

 円形校舎は敗戦後の時期に全国で100校くらい建設された。敗戦後教育基本法、学校教育法制定下、制度的前身がない中学校は施設が不足のため、急増された。文部省が建築学会に学校建築の標準化を依頼して、東京都建築局が建築モデル指定した新宿区西戸山小学校などの設計に採用された(1950年<昭和25年>)。

 大成建設の設計技師だった坂本鹿名夫氏がかかわり、のちに独立して、全国の円形校舎建設に貢献した。しかしベビーブームに対応する増改築に適合しないことで、60年代後半には建設されなくなった。2010年代前半には約30棟が残存という状態になった(ウィキペディア)。円形小学校は貴重な「遺産」となった。この小学校は建て替えになるとのこと。学校にお願いして「外からなら」という条件で校内に入らせていただいた。来年の建て替えの時期に公開するチャンスが来るかもしれないと友人が言う。そのとき中を撮りたいものと思うけど、さて…。













2023年12月20日水曜日

雨模様の紅葉は素晴らしかった野呂高原

 呉市の背中のような野呂高原は、海側にむかっている展望台が素晴らしい眺めだった。雨と霧ががかって、ちょっと幻想的な紅葉が撮れた。友人の案内が見事に当たった。当日は旅行の最終日で、「円形校舎」を撮りに行くことになっており、生徒たちが下校した後にとのことで、その間の時間をゆったりと歩きまわった。