2011年3月13日日曜日

自然は偉大

 被害の全貌がわかってくるに従って、そのすさまじいエネルギーがみえてくる。人間の制御が利かない自然の力が立ちはだかっているのがわかる。ほんの一部は自然に関われても、その偉大さは圧倒的だ。人間が偉大でいかに尊厳であっても、歯が立たないことをみせつけてくれたようだ。
 原子力発電もその範疇でかんがえるべきなのか、想定していないマグニチュード9であったとしても、日本で3回目の多数の被(曝)者を生み出すような装置は使うべきではないんじゃないか。海水を注入した原子炉は廃棄だから、膨大な無駄使いになった。

1 件のコメント:

  1.  こんなことがあると、如何に現代の人間の暮らしが自然にそぐわない状態なのかを感じさせられてしまいます。

     地球にとっては、かゆい所をちょっとかいただけの出来事が、人間にとっては歴史的な大災害。何千もの命が失われ、何万のも生活が一瞬にして波に飲まれ、数百キロも離れた場所でさえ、日常とかけ離れた生活に追い込まれました。
     
     計画的にというよりは、対処対処で散々引いた鉄道も当然のように運休し、歩いては通えない場所に毎日通っていたのだと初めて気づかされました。
     日本経済を支えるトップランナーの自動車は、本当に必要となったここ2日、ガソリン需要が増えすぎてガソリンスタンドが休業です。
     高さを競うようにどんどん建設された高層ビルは、エレベーターの使用が制限され、高層階に行くのは一苦労。ひとたび地震が起きれば停止するので、何十階も階段を降りなければなりません。
      
     原発の爆発しかりです。今更ながら、地震大国に原発を造って地震が起きれば、今回のような惨事は避けて通れないのではないでしょうか。
     
     
     人々のより良い生活のために、莫大な費用と労力を投入して造り上げられはずの全てのものに煩わされる現況です。はたしてそれらは、地球に生きる人間の生活にとって本当により良いものなのでしょうか。
     
     地震発生の翌日、東京大停電の警報が流れる中、しっかりとライトアップされた国会議事堂を眺めつつ、そんな疑問を感じたのでした。

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