2020年7月27日月曜日

コロナ禍の「楽観」はないのか

 新型コロナの感染拡大の報道を見て、身近な世間話で感染した話が耳に直接聞こえてくると、やり切れない思いがする。最近の報道には、政府の「言動」も含めなんの根拠をもって「楽観」しているのか理解不能なものもある。先の見通しが捉えられない安心を強引に持ち込むだけのことでは、無責任を通り越して投げ捨てに近いものを感じる。なににつけても足りない、足りても利益誘導にしか動かない政治であっても、信頼に足る少しの何かでもなくては、ここまですすんできた日本のシステムが崩壊していくとしか見えない。

 自己の努力でやれることは限られている。三密ができていればコロナ禍が終息するとは誰も思わない。医療崩壊への手立て、中小業者への支援、文化事業への援助、学業補助など「自助努力」でやれるはずはない。政治の出番に「閉じこもり」をしている場合ではない。将棋の藤井聡太君を見習って「しっかり考えて」やれよ!

 このごろ、新型コロナは恐ろしいものでないと、故意に楽観的な論を取り上げているサイトもあるし、テレビの報道でも自力で取材して構成しているものはごく少ない。Gotoキャンペーンで東京との差別ばかりを強調して、本筋をはずしてしまったりする報道もある。無理強いする方が、批判を受けて繕いごとをするのだから、それを追っかけても仕方がない。政治が持っている責任にしっかり焦点を当ててもらいたい。

 自粛下で静かな町になったら聞こえた鳥の声、公園の静かな遊び、いつもこれならと思う、空いている電車などなどを切りとってみると、一面なんと穏やかでゆったりした社会なのだろうと感じる。これが本来の街の環境でいいのではないかと。これまでの殺伐とした日常よりいいと思うのは、今の状況では不謹慎なことになってしまうだろう。どれだけの「日常」を奪われたのかを忘れたわけではもちろんない。

SNSの投稿でイギリスの話があった。

~イギリスは確かに大変ですが、ロックダウンは給与補償とセットだし、なんだか曖昧に外出や営業自粛している日本よりはhappyな感じで生活してる人は日本よりは多いです。

あと、感染者数がイギリスは大量にいて日本は少ないって思っている方も多いですけど、それね、日本の検査数はイギリスと2桁違うのね。少ない。日本も同じ規模で検査すればそれなりの数字になると思いますよ。多分10人調べれば1人は陽性っていう感じじゃないのかな?

日本で誰かと話すと「いったいこんな状態がいつまで続くのか」というフレーズが必ずと言っていいくらい聞かれるんですけど、こないだイギリスでロックダウンの段階的解除前に行われたアンケートで「ロックダウン前の暮らしに戻りたい」って回答したのたったの9%でした…イギリスの人たちの大半がなんでロックダウン前の暮らしに戻りたくないと答えたかって言うと、

今までの通勤や通学は考えてみれば忙しすぎたよねー、家でのんびりしたりジョギングや犬の散歩したり窓から生き物眺めたりっていう生活っていいもんだな、って気がついちゃった、みたいな~

 給与補填をやっているイギリス。これがあっての楽観かも。これまでの日常を超えた「夢」の方向へ行かないものかと、ぼんやりと思った。三密でなければ成り立たない過密さの都市と生活を切り替えることが、ウィルス対策にもなるのでは?



2020年7月20日月曜日

「gotoキャンペーン」は利益誘導?




 「gotoキャンペーン」は汚染拡大が収まってからとの閣議決定だった。これをひっくり返して「前倒し」でやるというのは、閣議決定違反だろう。東京を抜くなどとあとからとって付けて、つじつまを合わせようとし、キャンセル料はどうするのだと対応が迫られてまさに「トラブルキャンペーン」に陥ってしまった。これまでのモリトモ問題から始まる、前のめりの政治はもうお仕舞でいいと、思う人がグッと増えているようだ。

 決めたことをひっくり返したのは、「選挙対策」なんだと。なるほどつじつまが合ってくる。支持率の「35%」もの数字があれば、政権の維持はオーライなので、キャンペーンが多数に反対されようとも、「30%台」の評価があればよいということにもなるのだろうか。(20日の朝日新聞世論調査では、キャンペーン反対の声は74%とのこと)我々の税を使って利益誘導(得票)の経費にあてるなどは、桜を見る会での構図と重なる。旅に行く余裕などない人がどれだけるのか、わからないわけはない。よっぽど特異な議員集団だ。

 イギリスでは、15日から “付加価値税”の減税が始まり、20%だったものが5%に引き下げられた。レストランやパブなどの飲食店やホテル、動物園、映画館など幅広く、期間は半年間。こういう政治が「政治」といえるものだろう。

自粛解除後、間隙をぬっていった温泉




2020年7月14日火曜日

「避難の掛け声」だけの対策ではこれから先どうなることか

 命を守る行動を呼びかけ、数十年に一度の降雨だから避難してとしきりに気象庁が警告する一方、また大きな災害が続いて拡大している。亡くなる人も80人を超えるかの様相。「経験」もなく想像を絶する降雨量はすさまじい。毎日のニュースで知らされ、コロナ禍に加えてのダメージで大変な思いをしているだろうと思うと、心が痛むばかりだ。早く行動を起こせ、避難しろと、外からは「現実的」解決法が繰り返されるのを、何かむなしさを感じる。 

 スーパーコンピューターが導入され、予報の正確性が向上しても、災害を直接止めることは不可能。せいぜい「早くしろ」と掛け声をかけることが、その成果なのだろうか。昨年から天気の種類15分類が8分類になったとか。「快晴」「地吹雪」などが死語になるという。もって「効率化」と説明されている。横文字ばかりが余剰に使われて、日本語が死語となっていくのは、文化の衰退にもなっていく。この折本論を控えず、温暖化への対策も議論してくべきだとは思うが、なかなか立ちこまない。4年も5年も同様の被害にあっている現状に「ハザードマップ見て逃げろ」の対応だけじゃしょうがない。

 

「快晴」「地吹雪」がなくなる!?東 北5気象台、来年(2020年)2月から自動観測に仙台は目視継続  @20191217 11:15 河北新報ダイジェスト

仙台管区気象台は16日、仙台を除く東北5カ 所の気象台で目視による気象観測から気象レーダーなどによる自動観測に切り替えると発表した。運用は来年(2020年)23日から。観測技術の向上に伴い可能になったものの、機械で判別できない「快晴」「地吹雪」などが観測できなくなる。

対象は青森、盛岡、秋田、山形、福島の各地方 気象台。青森、盛岡、秋田は17回、山形、福島は同4回、職員が決まった時間に目視で観測している。天気は「晴れ」や「曇り」など15に分類されているが、今後は8種類に減る。

 自動観測は1時間ごとと頻度が大幅に増え、 観測を効率化し、データの客観性や均質性が高まる効果が期待できる。一方、天気の観測が減るほか、雲の種類や量、「黄砂」や「虹」といった現象も記録されない。見通しの利く距離(視程)の観測も自動化される。

 仙台管区気象台は目視観測を続け、比較して自動観測の精度向上に生かす。各地方気象台は、警報の発令などのため目視で監視する体制は維持し、「防災への支障はない」としている。 

 自動化は今年(2019年)2月、関東甲信地方8カ所で先行して実施。来年(2020年)2月、東北地方を含めた39所で始まる。~



2020年7月11日土曜日

「結果出せ」のお題を頂戴して

 新型コロナの感染拡大が、想像通りに広がってきた。PCR検査の数は増えていると都のホームページに載って、出どころ不明の感染者が増えていると、「夜の街の元凶」をしかたなく補足している。「夜の街」と称して感染拡大が一部であることを強調したいのかどうかわからないが、シロウトが考えても広がりはどこにでもあるのだろうという予測はつく。

 社会に持続して生きていこうとするものに「休業はやりたくないでしょ!」という侮蔑を投げかけて、「経済」と両立といいつつ補償を避けて、優先させる狙いが意図される。広がっていることを認めざるを得なくなっていながら、「医療崩壊」を起こさぬようにと拡声を続けて、看護師さんのボーナスなしという現実にも向かえないのはどういうことか。400人もの看護師さんが退職を希望しているということは、医療崩壊を起こしているということでないのか。これまでの政治がこんなにも、願いに沿ったものでないことが、いよいよ露になってきた。

 日本の死亡者数、感染者数が少ない特殊性にいくらかの期待はあっても、そこに望みを託すことは危険だろう。為政者の責任が皆の「自己責任」にすりかえられ、責任を放棄することは勘弁できない。タガを緩めたうえに「go toトラベルキャンペーン」で経済を活性化させるなど、いま必要なことなのだろうか?急ぐのは少なくとも医療崩壊にさせないための先行投資ではないのか?「あとは野となれ山となれ」では許されません。「結果だせ!」のセリフ使わせてもらいます。

もう、三か月たっている



2020年7月5日日曜日

カルメンと言えば「バラ」、バラのころは6月中の頃

 良い育ちだったわけでもなく、金持ちの暮らしだったわけでもないが、いつだったか不鮮明な子供のころ、歌劇を見ることになった。親に連れられて行ったのだと思うが、多分その頃は「歌劇」なるものは日本ではまだ珍しかったころだと思う。演劇でさえ見たこともなかったし、歌いながらしゃべるなどということが、なんとも奇妙な感覚だったのだろう。バラを加えて歌い踊るという鮮烈な場面を、びっくりしたまま記憶に残している。

 だからといって歌劇=オペラが好きで通ったということでもなくて、その後も何回かは舞台を見、テレビも交えて眺めただけのことだった。合唱団の先生がときおりやる演奏会では、カルメンの曲が織り込んであり、いつもそんなことを思い出しながら楽しませていただいている。

 しばらく前に成り行きで、合唱団の「オペレッタ」で演じることになった。多数のなかの一人でやったもので、にぎやかにやり結構楽しいものだった。合唱団でさえも今ごろ(10年前)になっての奥手入学で、もっと早くからやっていれば、様々な楽しい体験ができたのかもしれないと思う。

(写真は昨年の6月22日)







 カルメンが加えたバラは、原作では野アカシアなんだそう。薔薇のようにすぐ萎れることはないし、「枯れてなお芳香をはなつ」強さがあるとか。