2024年12月31日火曜日

災い転じて福となす?でいくか

 パソコンを初めて触ったのは20年も前になる。仕事の道具で使うのでないから、誰にせかされるわけでもなく、好きな時に好きなだけやることで、ほぼ遊び道具として動かしてきた。日記と買い物レシート書き写し、新聞の切り抜きスキャンが日常の仕事となり、ブログ書きが2011年から始まった。写真を扱うことになってパソコン使用の領域が広がった。撮影した写真を取り込んで現像、プリントをこなすようになって、パソコンも酷使され続けている。

 ホームページ作成を曲りなりに教えてもらい、その更新も加わってきたら、忙しくなってきた。指図を自分でやってきたのだから、文句は言えないし、なにより⋯自分のノウミソに刺激をさせるのも主要な目的なのだから、健康のためが大義になってきた(と思いたい)。

 そうとは言え続けることを日常の課題として、ここまでやってきたものが、ここまできたのはいいとしても、動きの鈍くなったノウミソには酷なことになっているのかも。パソコンの不具合は、助けを写真ゼミの先生にお願いして、解決の方法を援助してもらった。そこから解決の糸口を教えてもらって、どうなるかと気にしながらやってみた。判断できないところがいくつも出てはきたけど、試行錯誤をしつつだいたい解決方向が見えてきた。

 20年もいじっていながら、いまだにわからないことがたくさんあって、よくよく「深くて面倒」な道具なんだと今更ながら思う。それは専門家が束になって開発にかかっているのだから、あたりまえではあるけど。スマホも同様だけど、どんどん仕様がかわっていくから、そこに合わせて使っていくのは、簡単とは言えない。若者のとりつき方がぜんぜん違って苦にしていないように見えて、「年寄」には少々扱いにくさがあることも確か。我がノウミソの動きからして同じようにはできない。

 2024年がどんな年だったかは、日記と首っ引きで見ないと思い出さないから、もうテレビを見ながらつまらないことは振り返らずに、「福よ来い」としようか。

写真は池に沈んだ落ち葉 頭のなかもこんなかな


 

2024年12月29日日曜日

暮れを忙しくするのは誰だ

 なぜかざわざわしてくる暮れの時節。働いている人方は年末の稼働時間が少なくて、契約の完成日に遅れないようにとか、年内決済へむけた支払いのためなどに駆け回っているかも?支払い「困難案件」も、ものみな値上げのなかで、どれだけになるものだろう。

 江戸時代の大家の家賃取り立てには、店子が手段を駆使してしのぎ大晦日を迎える。除夜の鐘が鳴ってからは「とりあえずの保留」になって、新年を迎えれば松の内は安穏に過ごせるという(落語の話)。我が人生のつまらない経験をひきあいにすると、債権回収は、三が日明けなら(油断しているから)「押さえられる」という事例があった。権力機関にあるものがあらゆる「合法的」な手法を使って「債務回収」を実行することはまったく常識のようなことになっている。

 その常識の発信先は、働く場の有り様に起因しているものだ。ブラスかマイナスか、効率的なのかどうか、成績になるのかならないのか、事業のために、そんなモノサシが当てられて、背中を押される。その結果は想像するまでもなく、強いものが立場の弱いものをたたく図式が成り立つ。たたかれるほうに原因があるとした浅薄な結論では、今の世の中不幸の連鎖しかない。「しばらく許されよ」の場面は成り立ちにくい。

 けれども、そんなスキマのない社会は、いい世の中といえないだろう。逃げ道のない蟻地獄になっているのではないか。新しい年をむかえていくらかでも希望が持てる未来があるとすれば、「助ける政治」であることは疑いのないことだ。来年こそ日常生活の「安全保障」をしっかりお願いしたいもの。

 長浜公園(熱海の先)でみつけた桜(2024.12.18)










2024年12月27日金曜日

パソコンの中のお掃除失敗

 暮れにきて整理するつもりが、散らかしてしまった。パソコンになかのドライブ(引き出し)にしまってあった場所が、かなり多くてあふれそうなので他の「引き出し」に移そうとした。方法がわからず少し迷ったけど、例によってNET検索を使って調べた結果、移動そのものはうまくいった。ところがそのあとに付随することで、余計なことをしてしまい、二重にファイルを保存するハメになった。
 
 ディスクトップ(パソコンの初期画面)にすべてのファイルが表示されてしまい、それを削除するとファイルがなくなってしまうという厄介なことになった。これは自力ではできなそう。とりあえずの作業はできるので、支障はないがなんでも知ったかぶりをしてやってはいけないなと反省。
 
 写真は、先日伊豆にいった時のもの。何回も伊豆に行っているのに修善寺の「寺」を訪れたのは初めてだった。お寺の写真をとるときにはいつもお賽銭をあげるのだけど、ここにきての不幸は金額が足りなかったせいかな? 







2024年12月25日水曜日

理不尽さには「削除」の力がいる

 物事がうまくゆかなくて、最初に戻ってということがよくある。日々の人生でも元に戻したいことはしょっちゅうある。近頃パソコンやスマホを使っていて、アプリの使用でどうするのか分からなくて迷うときには、試行錯誤の末最後には削除とかアンインストールだとか、初期化とかで修正する。経験や慣れにもよるのだろうけど、「間違ったらどうしたらいいのか」をわかりやすくしてもらうことが大事だと思う。人間生活の常識で判断できないことがしょっちゅうある。デジタルの構成だから仕方がないとしても、人間の道具にして使えないというのが壁として大きい顔をされては困る。

 やみくもな方法で試してはうまくいかないと、スマホをたたいてみたりする。気の短に気付くことはあっても、「削除」でこの世から抹殺する怖さをその時は感じない。もう少し前の時代であれば、間違っても修正することに、もうちょっと鷹揚に扱うことができたし、周りも直すことに寛容さがあった気がする。

 デジタル社会に無理やり付き合わされた挙句、マイナカードを使えと「ポイント」という名の金でつられて、健康保険証まで無くされるという理不尽さは、なんとも許しがたい。こんなとき「削除」の言葉が欲しくなる。民主主義の世の中では国会で修正するしかないから、選挙結果は重大だけど韓国民の「合法的平和的な意見表明」のように、理不尽さを削除する方法で、圧倒的な世論をつくることが日本でもいるよなと思う。どれだけの理不尽さがあるのか、ひどい日本だなと思う。その「筋」にはやりたい放題じゃないか。💢








2024年12月23日月曜日

大掃除しなくちゃ、でもいい加減に

 大掃除という一大行事も結構な仕事に感じるようになって、手抜き気味のやり方になっていく。集中してやるという気が薄れてしまって、困ったことになってきた。なにせゴミのもとになるものには年中取り囲まれている。新聞の切り抜きあり、月刊雑誌あり、その他生活にかかる購入物ありと狭い部屋が余計に狭まっている。気合を入れて「捨てる」こと抜きには整理ができないと思ってはいるものの、これが難しくて進まない。たまにやっても毎日やるというわけにもいかない。

 それに加えてパソコンとスマホのファイルがゴミの予備軍として増え続く。気軽に保存できるのが、なにか整理がついたように勘違いしてしまう。記念写真と同様に、あとから見返すことは多くはなく、後に「廃棄」の作業を待つ運命が」待っているだけになる。作り上げたホームページが10本以上あり、撮った写真の数は7万を超えている。場合によっては、パソコンは電源を切ってしまえば、他人に使われることはまずないし、相続などにかかわる財産はないから大筋心配なさそう。しかし本来ホームページのように「宙づり」になっているものは、中に他人と具体的につがなっている場合があるので、なるべく先に整理をしたいと思うところ。年末のせっかくの機会なので、さぼる気持ちに鞭打って、「掃除」をするように頑張らなくては。




2024年12月21日土曜日

温泉がいいのは家の風呂がぬるいから

 家の湯船につかるとだんだん温まるにつれて、湯の温度が下がっていく。どうしても寝る少し前に入りたいものだから、家族が先に入りしばらく経ってから風呂に入る。湯に浸かった当座は暖かい瞬間があっても、温度が低い分「追い炊き」を使うことになる。「温泉であればこんなことはないのに」という気持ちがたまって温泉の旅への楽しみになっている。

 我が家のイベントは温泉の旅で、義父母が生きているころには正月と夏には必ずでかけた。今は子供たちの仕事の関係で、正月以外はなかなか揃うことがない。家族で行く場合は「高級感」が選択肢に入ってくるが、我が旅の場合は、永らく釣りで行く旅ゆえ料金が安いところを探して宿を決めていた。釣りは行かなくなっていても、その方針が身についている。

 良い宿を紹介する本を見つけて、載っていた温泉宿をねらって出かける。料金もまあまあで紹介されている。その一つが修繕寺の近くにあった。お気に入りになっていて、3度目の訪宿になった。おりしも気温がぐっと下がってきたときで、期待して行ってみた。温泉は透明で掃除がいき届いている。宿は静かなところだし、穀物中心の健康食が良くて、通常の高級料理で食べきれないということはない。

 早めに旅館に着いて、ひと風呂浴びに…ところがその湯がぬるい。どうしたことかこれまでは肌合いにピッタリの温度だったのに、なかなか湯船からあがれなくて、もしかしたら地震の前触れなのかなどと考えながら、首まで浸かって長湯してしまった。風呂場に行くには渡り廊下があって風が吹き曝しになっている。さすがに食後の3度目の風呂は寒くてまいった。翌日は修善寺まで出かけて「日帰り温泉」に浸かってきた。








2024年12月19日木曜日

近所の公園でフウーと息をするとき思うこと

 なにゆえ蜂の巣のような棲家群が高いビルに集められ、夜には人がいなくなる寒々しい事業所ビルがとめどもなく建設されるのか?と公園の木々の下で思う。公園の運動場では子供たちが野球、サッカーをして駆け回っている。フェンスの外では年配のご夫婦や、何かを口に頬張りながらベンチでくつろぐ人の姿もある。保育園の子供たちが、毎日の散歩で巡っている。これが街なんだよなと思いながら眺める。こういう場が増えれば憩いの時間が持てて、鬱陶しい日常にやわらぎの時間を過ごせる。

 中野区は北の区域にJRが通っているから、対局の南側が「都市開発」からは離れた(逃れた)位置にある。中野駅北側は「再開発」でびっくりするような改変が進んでいる。50年も中野に住んでいると、いっぱしの住人だから言わせてもらえれば、中野区は人が長年「棲み処地域」としてきたところだ。ここに企業オフィスや高級マンションの住民を呼び込むような発想ってどんなものだろと思う。

 環状7号線の内側に副都心をつくるなどという、無謀な都市開発を行政の方策とし作り上げた。それを熱心に追及することが行政の役割かと思うほど、不動産業界と「共同」したマッチングで進められてきた。だからこそ政治団体への袖の下(献金)の効き目を感じざるを得ない。

 低層住宅が保全されて公園が広がれば温暖化に対する影響にも効果的なことだと思う。高層ビルは「高層」でないと事業的には成り立たない。高層ビルの従業員人口と居住者人口の増大で公共事業の負担や水、電気ガスはどれだけ使うことになるか、炭酸ガス排出量が多くなることに違いない。夏のビルは「湯たんぽ」だろ?冷房についやすエネルギーが「原発稼働」の理由にされたらたまらないし。

 東京一極集中への批判の声はあまり聞かれない。少なくとも現政治の中では配慮はどこにも見えない。急ぐべき「改修」事情がどれだけあるのかを無視して、「再開発」でいいか。地方が枯れるばかりの偏った開発はおかしい。








2024年12月17日火曜日

去りゆく秋、また先の一年が速足でやってくる

 なにせ時間が早く行き過ぎて、もうちょっとゆっくり頼みたいところでも、誰も許してはくれない。考えてみれば世の中の移り変わりの速さ、事件の多さに押し出されている気もするし、我が身はこれまでどおりのペースよりはごゆっくりと、たしかには減っていかない様々な用事をこなすのだから、結果は時のたつのが「早い」ことに甘んじる以外にはない。物事こなせなくなると、しょうのない苛立ちをもったりして、困ったものだ。

 気温が5度前後にもなって、えーもう暮かよ雪かよ正月かよと追いかけられて、秋の写真を忘れていた。近所の秋もちゃんとある写真を見ながら、秋の模様をみれば少しは時間が止まってように見えるだろうか。中野坂上の中野の森公園。高層ビルが寒々しい。ビルの谷間で木々が秋を象徴しているけど、太っちょのビルに囲まれて大きく育つことはなさそうだ。人間のエゴというべき可哀そうな処遇だ。










2024年12月15日日曜日

急寒むちょっとまてといっても意味なし

 噂どおり急な寒さがやっていた。寒いと言って文句をぶつけるところがない。相手は自然だから農耕民族の一員としては、とりあえず受け入れるしか手はない。文句をぶっつけられたら自然の方が困るだろうし、そりゃあなたがたの責任だよと言われるのが関の山。農耕民族のDNAをもつものとしては、先輩たちがどれだけ苦労をしてきたことか。慮れば、厳しい自然を相手に「食」を手に入れるために言われぬ苦労をしてきた先人たちの辛苦が浮かぶ。

 今に経ってもおなじように、現世を生きる酷暑極寒の試練を背負うのは、いままで人間界は何をやってきたのかを振り返らざるを得ない。だから自然を大事にしろよということなのに、「温暖化なんかないの」という言説を振りまくアメリカの石油企業。その代弁をする大統領。気候変動の影響は世界の食糧生産事情にかかわり、富の偏重が戦争の動機になっている。

 日本近海の漁業は、全てと言っていい程の栽培漁業となって、それはやむを得ないことかもしれないが、実はそれほど自然界の再生能力を劣化させてしまったことに、感性を高めるべきことではないかと思う。

 今年は訃報がとても多くて、有名人だけでな身近な知った方が音を立てるように亡くなっている。己の高齢化によるものとはいえ、「生き抜くこと」の様々な大変さの裏返しなのではないかと思ったりする。



2024年12月13日金曜日

急ぐなよなボケ具合

 忘れることはよくあることと、最近は抵抗することなく受け入れる。なぜか身体全体は一部若さが残っているようで、うっかりすると「昔のまま」の動きをする。めまいもどきで頭を動かす所作ではふらりとする危ういことがある。「劣化」が一番わかるのはパソコンに向かってキーボードを打ち込むとき。打ち込みは相変わらずたどたどしいものでやるのに、何回気ボードをたたいても出てくる文言が間違っていることが増えたみたい。

 そういえば文章を読むとき、意味をとらえきれないこともある。難しい文章なら途中で断念し、またの機会でとすぐにあきらめる(放り出す)。先日の宴会には事前のメールで連絡があって、一次会はレストラン二次会がカラオケという催しだった。一品注文すれば後は持ち込みのものでいいよと書いてあった。面白い店があるもんだとその時は思った。内容を一次会でもちこみOKと解釈してしまって、そのための「刺身」を奮発したのだが、集まった場で説明されてようやくわかった。

 二次会のカラオケのほうが一品注文だった。お預けになっていた刺身はようやくカラオケで陽の目を見ることになった。ものごとを間違えなように、スケージュールもスマホのカレンダーに登録して、二日前にはメールで通知までもらうようにしているけど、そんなことを超えて試練が続く。この寒さの中滝に打たれるようだ。なにせ、あんまり気合を入れると血圧も上がるそうだから、のんびりぼんやりが必要だな。と思うと~やっぱり「ボケ」の領域かな



2024年12月11日水曜日

ものみな値上げで、こっちは「音を上げる」

 米がなくて備蓄を出せというと、もうじき新米ができるからとスルーした。野菜の生産具合はいくらか同情はするけど、10月からの郵便料金の引き上げは全くひどい上げ幅、郵政民営化で政府の息がかりの御陣が社長になって、そんなに上げるのは企業の「失敗」じゃないの?25グラムまでの封筒84円が110円、ハガキは63円から85円だ。社長の千田哲也氏、日本の実業家であり、かつ、郵政総務官僚。株式会社かんぽ生命保険代表執行役社長を経て、20236月から日本郵便株式会社代表取締役社長兼執行役員社長になったのだそう。加えてJR料金の値上げがまた予告されて、ちょっと勘弁できない気分。

 JRは赤字なのかな?JR東日本の有価証券報告書をサイトでは、「20243月期 連結で営業収益が27301億円、営業利益が3451億円となっていて運輸事業の収益は18536億円、利益は1707億円」とのこと。115Yahooニュースで「現行の経営成績で、赤字路線を支えられないというものではない。流通・サービス事業や不動産・ホテル事業でカバーすることも可能だ。」と書いてある。閑散線区を廃止して切り捨てることを、政府と一緒にすすめようとしているが、それもカバーできるとみられている。
 
 新幹線の自由席を減らす、初乗りを10円上げるなど〈普通運賃 7.8%、通勤定期 12.0%、通学定期 4.9%〉で滅茶苦茶の値上げになる。これから運輸審議会で議論されるとのことだが、なにかこの際だから「何でもかんでもあげちゃえ」みたいな流れがあるのかな。それにしてもこの値上げ問題に政府は何も手を打たないのだろうか。

12/06 Yahooニュース



2024年12月9日月曜日

貧乏で正直なことはいまやガラパゴス?政治が真っ黒では。

 韓国の非常戒厳令の騒動をみて、見たような景色かと思うところがある。大統領の妻のバック購入とか様々な便宜をはかったていたことが、支持率を落としたと報道している。その地位を守るためにやったことというだけだと皮相かな。地位による「余禄」が批判されるのは、日本でもどこでもよくあることだ。兵庫県知事の場合も「余禄」が話題になった。

 地位と便宜は政治によく結びついている。それだけのことをやるのは政治家としてあるまじきことで、批判されるのは当然だ。結びつきはそれ以上に、企業団体献金が動かす政治が改められるべきところ、「企業団体献金は悪ではない」と認める議論を振りまく。政治が金で決められる行為が、いまだに公然と幅を利かしている。

 「役人の子はニギニギをよく覚え」って江戸時代から言われている川柳。はずかしくないか?「自由、民主」国でまだこんなことか。韓国でも与党が大統領弾劾に反対したのは、大企業、財界が裏で支えていることがうかがえる。日本でも同じようなせめぎあいがある。




2024年12月7日土曜日

韓国大統領の非常戒厳令、日本でも必要という憲法改正論者が

 大統領の支持率が10数パーセントのことで、大統領への批判が高まっていたとのこと。政治の行き詰まりがどういったものかはさておいて、日米韓の軍事的圧力が背景にあって、北朝鮮からの「決別」を呼び込んで韓国国民の「統一」を望む世論にも影響したこともある。

 ロシアが北朝鮮のウクライナへの肩入れを望み、「戦争拡大」にまた一歩踏み込んでいることで、危機がいっそう身近に感じられるようになった。「戦争を止めさせる」行動がもっとも望まれている時に、軍拡競争と軍事同盟強化に埋没しているのでは、先行きへの希望が持てない。

 他国のことと片付けられない事情が日本にもある気がする。与党が半数割れになったのは、政権の政策に対する批判が支持率に表れて、当然にも選挙結果に反映した。国会の議論を聞いていると、それにもかかわらず野党側が提言する政策について、素直に取り入れるようには見えない。これからの論戦でいくらかは譲歩がとれるのかもしれないが、この「補正予算」の後の」25年度の「大企業優先」予算がまたぞろ強硬となると、危機が顕在化する可能性がでてくる。

 だからとも思える「戒厳令」待望議論が出回っている。この先の近い将来、ありうる状態に備えた「憲法改正」の動きに注意をしなくては。非常戒厳令宣言下で韓国国会に軍隊が出動した。軍が国会機能を止めるためのものだった。軍の行動に対峙する人々に銃をつきつけた場面には驚いたが、「発砲」に及んだ光州事件も40年前にはあった。韓国の歴史から学んだことが今回の終息に向けた動きになったといわれている。

 日本も同じような場面に至らないとは限らない。昨今自衛隊が大手を振って市内を行進することが増えている。自衛隊が災害時に活躍する部隊だという理解だけでは足りなく、戦時動員をおくとしても治安維持活動も使命として国民と対立することもありうることではないか。

 今回、主要政治家を逮捕しようとしたことも報道されているが、不発に終わったらしい。平和的「ローソクデモ」、国会職員がバリケードで軍が国会占拠しないように行動していたことに、日本とは違った民主主義の厚みがあるのだと感じられる。




2024年12月5日木曜日

この秋の紅葉は「枯れ葉」が主役かな

 以前は季節の変わり方が不鮮明でわからないと感じられた。現役のころは天候に気を取られることが少なかったからか余計にそうなのかもしれない。今ではは年中写真を撮っていて、季節を探しにどこに気配があるか見ながら歩くから、気になるならないよりも埋没気味に浸っている。

 目を凝らすと、秋に出くわす事象を探せる。外に出て歩くという効果が身体にもいいのも余禄。空気を吸いながら、就寝中につけているシーパップマスク=(いびき用器具)で鼻がつまる)鼻の通りを取り戻す。

 この秋は紅葉の時期選びが大変だった。桜の時期もしかりで、こちらの都合にあわせてはくれない。急寒暖のはげしさが異様な昨今の気候で、草木の時期選びがむずかしい。聞いたことはないが、草木に言わせれば「人間ばかりが大変なんじゃないよ」っていうことだろう。紅葉を撮るときにはあえて「枯れた風物」も好みの範疇に入れる。






2024年12月3日火曜日

今回でブログ2000達成にたどりいた「あーそーべー」

 13年かかかってようやくできた2000本のブログ投稿。最初のころは毎日更新することもあった。でもそうは問屋が卸さないのが世の常。ずーっと時を過ごしてしまった。なんとか今年中にと最近では一週間ほどで更新してきた。

 好きなように何の制約もなくて書くことなので、難しいことではないと、B5サイズで組合のニュースを書いていた経験から思っていた。何を書いてもいいといっても、毎日のニュースや、日常の体験をネタにして書くにしても、纏めるにはそれだけの集中は必要だった。写真を撮って載せることもできたのはよかった。

 立派なものでなくてもそれなりのものを書きたいとは思ってきた。自己満足でやってきたのが、続けたことの意味っていうのはどこかに残っているかもしれない。

 どうしても今年中にと、自分に負荷を背負って113日からは一日おきに書き込むようにした。まだ動きまわることに不自由はないからネタは拾えた、年内超過達成したから、あとは年内休みかなー終わりにして無罪放免といくかと弱音が頭をかすめる。ここまできて、自分に残っているエネルギーと、つたないブログに累計閲覧77573回をかさねていただいた方々に、感謝しないわけにはいかない。心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。