なぜかざわざわしてくる暮れの時節。働いている人方は年末の稼働時間が少なくて、契約の完成日に遅れないようにとか、年内決済へむけた支払いのためなどに駆け回っているかも?支払い「困難案件」も、ものみな値上げのなかで、どれだけになるものだろう。
江戸時代の大家の家賃取り立てには、店子が手段を駆使してしのぎ大晦日を迎える。除夜の鐘が鳴ってからは「とりあえずの保留」になって、新年を迎えれば松の内は安穏に過ごせるという(落語の話)。我が人生のつまらない経験をひきあいにすると、債権回収は、三が日明けなら(油断しているから)「押さえられる」という事例があった。権力機関にあるものがあらゆる「合法的」な手法を使って「債務回収」を実行することはまったく常識のようなことになっている。
その常識の発信先は、働く場の有り様に起因しているものだ。ブラスかマイナスか、効率的なのかどうか、成績になるのかならないのか、事業のために、そんなモノサシが当てられて、背中を押される。その結果は想像するまでもなく、強いものが立場の弱いものをたたく図式が成り立つ。たたかれるほうに原因があるとした浅薄な結論では、今の世の中不幸の連鎖しかない。「しばらく許されよ」の場面は成り立ちにくい。
けれども、そんなスキマのない社会は、いい世の中といえないだろう。逃げ道のない蟻地獄になっているのではないか。新しい年をむかえていくらかでも希望が持てる未来があるとすれば、「助ける政治」であることは疑いのないことだ。来年こそ日常生活の「安全保障」をしっかりお願いしたいもの。
長浜公園(熱海の先)でみつけた桜(2024.12.18)
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