2011年7月10日日曜日

川を侮るなよ No2

 北海道の後志利別川(しりべつとしべつがわ)に親父と釣りに行った。20年も前になろうか。「清流日本一」と掲げられた看板を見ながら上流部へ向かい、ここぞと思ったところで、川に入った。

 背筋がゾッとくるようなきれいな渓流だった。これは魚は釣れない。そのころは釣りの腕前もたいしたことはなかったし、あまりのきれいさに「釣るところと違う」みたいな気後れがした。やっと一匹だけヤマメを釣った。

 当時は、「日本一の清流」を黒部川と競っていた。後志利別川はダムをつくり、その座が黒部川に渡った。黒部川はご存じ黒四ダムがあり、どうしてそこがBODが低いのか不思議だった。

 黒部川の「出し平ダム」がその頃ダムの排砂を始めた。たまったヘドロを下流に放出した。その結果、漁業被害が出て係争になり、今年和解が成立した。

 1985年に造った出し平ダムは、海岸線の後退を止めるため排砂ができるようにとの目的とされたが、想定した効果があがらない。

 そもそも川を人間社会の都合の良いようにしようという考えが、違うんじゃないかな。

 その黒部川、どこでBODをはかったのだろう。

 それからしばらたって、また後志利別川が日本一の清流になったことがある。現在は複数の「日本一の清流」が発表されている。

足の指先を魚がつついた

  
 つりの会のヤマベつり大会で西湖に行った。下界の予報も30度を超えるといってたが、西湖も暑い。水の中に立ち込んで身体を冷やそうと膝下まで入る。

 そしたらどうだ。足をコチョコチョつつくやつがいる。最初は気のせいかと思って見向きもしなかった。しかし、ヤマベが釣れないので、ふと足元を見るとなんだ!小魚が足先で遊んでる。

 ヨシノボリ、ヌマチチブのたぐいだ。

 昨日のブログの話の実践版になった。「自然を大事にする人間」になれそう。

今日は「川を侮るなよ」の続きの予定だったので、項を変えることにした。

2011年7月9日土曜日

川をあなどるなかれ

 放送大学で「川とこどもたちのかかわり」を話していた。山中康裕京大名誉教授は、自然に触れることによって子供たちの成長に良い影響を与えるよいう趣旨の話をしていた。

 川を非常に愛しているようで、「カワンセラー」と自称しているとか。臨床心理学の第一人者ということだが、退職してからは川歩きをして国内の河川を相当(35以上も)歩いたことを紹介していた。

 四万十川の135キロを歩いて22カ所の沈下橋を見たとか。



 日本の河川で一番きれいなのは四万十川だ。北海道の後志利別川(しりべつとしべつがわ・清流日本一に何回も選ばれた)もきれいだけれども、流域に人家はない。それに比べると、四万十川は人里がたくさんあるのにも関わらずきれいだと話されていた。

 人間と川との交流はずっと昔からあった。共存する形ができていたわけだ。だから川によって人間が生きていく知恵を授かり、獲物を得、たくさんの影響を受け生活してきた。

 山中教授の「人里がたくさんあるのにきれい」には感心した。写真撮影の場合も対象が「美しいもの」に限らない。感動したもの、気持ちが動かされたものに啓発されて撮ることがある。リアリズムといっていいものかどうかわからないが、そんなものではないだろうか。

 教授は「自然は脅威もあるが、予測できる」と言った。気象学も相当すすんでいるだろう。地震のメカニズムの研究もすすんできているようなので、怠りなく注意をはらいながらつきあえばよいと私も思う。

 川が人間の生活や形成におおきな関与をしているらしい。やたら詰め込む学習は、、自然がさしのべる宝には及ばないかもしれない。生きていく力は今の「勉強」だけでは足りない。

 教授が子供に「川の絵」をテーマにして描かせた。川に足を入れたら、その子供の足の指先を小魚がつつき始めた。足の指先、爪の間には皮膚の老廃物があって、餌になる!(知らなかった)。子供は足を動かすことができなかった。その感動を絵に描いたと。

 もちろん臨床心理学はうといが、内容は理解できた。子供は自然を大事にする人間になるだろう。きっと。

2011年7月8日金曜日

1ページといえども

 つり会会報の初稿が、修正初稿として送られてきた。最初、本来8ページ立てになっている会報を、そそっかしい私が7ページしか入稿していなかった。

 業者の担当の方が、気を利かして、写真を大きくするなどして、のばしに伸ばしてくれたけれども、まだ空きがあった。

 それならこっちだって考えがあると少々(相当)うろたえながら、入稿した原稿のなかで、長すぎてカットしていた部分を取り上げて、埋めることにした。

 元の原稿はテーマごとにワードでファイルしてあるから、コピーして貼り付ければOK。

 先方に連絡をとってメールで送付、修正したものが今日返ってきたわけだ。レイアウトはさておいて、うまく8ページには収まっていた。

 編集の担当者にこの修正初稿を送ったので、あとは校正作業がある。
 

 最初の原稿を送った後「まあまあ旨くいったんではないか」という余韻にいた自分が可笑しい。

2011年7月7日木曜日

写真撮れるか

 瀬戸内寂聴さんが、被災地へ行った。集会で話を聞こうと集まった人の中で、「私は写真を撮っていましたが、震災以降撮れなくなりました」と話している人がいた。

 寂聴さんは「撮ってください。今の状態を撮ってください」と明快に言い放った。さすがだという思いがした。

 実は自分も現地で写真を撮りたいと思っていた。きれいなものや人、風景を撮るのも写真だけれども、記録として撮るのも写真だから。

 あってはいけないことをちゃんと記録にとって見ておくのも必要なこと。大事なことじゃないか。

 しかし、悩み苦しむ人を真正面から見ることができるか。いささか自信がないのも事実。どんなに言葉で出してみても所詮他人事という気持ちの部分が、無いとは言えない。

 写真家の篠山紀信さんは現地へいくと聞いた。

 3月11日の津波の時、宮古市役所にいた日本野鳥の会のKさんが津波を目撃し、写真集にした。それを送ってもらったが、一過性の映像と違った、生々しさを感じさせる。

 代金は高額ではなかったが、一部を震災孤児基金に寄付とあった。整理のつかない気持ちをなんとしよう。

2011年7月6日水曜日

これって節電

 我が家の外装工事のため、全部の窓が封鎖された。洗濯物は外には干せない。洗濯機には乾燥機が付いているらしいが、使ったことはない。

 雨の日にはいつも部屋の中に干す。乾燥機をつかって、乾き具合をみながらやるが、相当時間がかかるから電気の使用量は多いだろう。今日は「雨対応」の乾燥となった。

 今は冷房を入れるから、部屋に洗濯物と共存することで乾かす。ところが、部屋が冷えているなかにあっても洗濯物がよく乾かない。

 エアコンは湿気も取るわけだから乾くはずだと思っていたが、思ったほど乾かない。

 そこで知恵を絞った。温度が下がると湿気の飽和水蒸気量が減ることに思い至った。

 そこで冷房の設定を28度にして一定期間部屋を冷やす。ちょうど自分の体温も年齢にふさわしく早めに冷えてくる。寒いかなと感じたときに、冷房を切った。

 それからしばらく、温度計が30度になるまで忍の一字。

 湿度計が上昇をしてきて、70%ほどになる。よし、ここで再度冷房を入れる。湿度がずーっと下がってくる。これを2セットやってみたら、なんと午前中に一点の衣類を除いて乾いた。

 いっとき30度までの我慢。これがコツだった。

 これって節電。

2011年7月5日火曜日

ホットしたホットな日

 つりの会の資料を二つ作り上げて、メールで送った。5ページと4ページになった。

 基本的にはコピーして貼り付けることで仕事は進むのでそう大変ではない。しかし何回かは見直しをしないと危ない。

 パソコンのやり始めの頃は原稿を打ち込むと、それだけで疲れてしまった。見直すゆとりが無かったが、どうしても誤字や変な文章が発生するので、時間をおいてから見直しをするようになった。

 文章表現も、見直すと修正したくなるところもあるから、よりよいものができることになる。

 ともかくできあがって、送信したら気分が開放された。たまさか、昨日の外壁工事で、今日は「乾燥日」なので工事人もいなくて、ゆったり気分になることができた。

 つりの会議があり、夕方から出かける。節電対応で夜間の集会所の使用がこの間できなかった。久しぶりの面々も集まって、熱心な話し合いがすすんだ。

 帰りは代々木から歩数かせぎ。汗を拭き拭きホットな時間を過ごした。朝の散歩と併せて10200歩。途中の立ち飲み屋で、うまそうにビール飲んでいるのを横目で見ながら。

2011年7月4日月曜日

風を使おう!火は大丈夫?

 しばらく前に中野坂上に高層ビルが数棟建って、山手通りと青梅街道の交差点はビルの谷間のようになっている。

 今日は日中風が強くて、渋谷方面からふいてくる強風で地下へ降りていく階段は危険なため通行止めになっている。ここは普段でもビルにあたった風が巻き込まれて強風が吹くことは多い。

 高層ビルが一棟でつかう電力は相当な量だろう。発熱による周囲への拡散も馬鹿にならない。熱せられた風を受けながら、この風もったいないな。風車創って発電につかえないものだろうか。

 西新宿の高層ビル群もあるし、高層ビル建てるときには風力発電用の風車をつくることを義務づけたら良いんじゃないかな。なんて暑さですこしやられた頭で、歩きながら考えた。

 きょうは気になるニュースがある。ボーイング787航空機が就航されるとのことだが、機体が丈夫で軽いからメリットが多いというもの。一つだけ非常に心配になった。

 釣りをしている人はよく知っているけど、確かにカーボン竿は丈夫で軽くてよい反面、熱にはからっきし駄目なんだよね。火をつけるとチリチリと正体もなく燃えてしまう。

 事故がないという前提なら危ないよ。想定外があるかもしれないから。燃料漏れで燃えて…、離着陸で何か起こって…航空管制が…した場合は、どうなんだろう。カーボンが良導体で雷が当たった場合はどうなんでしょう?ぐらいは言ってほしいね。マスコミさん。大丈夫だとは思うけど…安全神話じゃいけないから。

2011年7月3日日曜日

ビジネスチャンス

 シンクタンクが「復興ビジネスチャンス」を物にしようと動いている。復興に名を借りたオリンピック誘致」もそのビジネスチャンスをねらってのことだろう。

 鉄とコンクリートの使い道をもっともらしく作り上げる。それが日常の生活の向上にどれだけの効果をもたらすのだろう。税の使い道をビジネスチャンス誘導に使うことで、経済の発展を促す。すべての道はビジネスに通ずでいいのか、おおいに疑問を感じる。

 宮城県では「経済特区」で漁業に民間企業が参入させると知事が熱心になっている。いま漁業者の生活回復、復興に手がさしのべられないから、一部に「やむを得ない」との声もあるとしきりに報道している。漁業権を漁業者以外にも所得可能とさせることで、漁業者の生活が守れるか。

 大手の会社が大型の網を使って漁獲高をあげるなら、魚はいなくなる。小さな漁船を操っている漁業者は不利だろう。元の漁業が可能になるようにするのが政府の役割と違うのかな。

 魚は季節によって様々なものが獲れる。デパートやスーパーなどでは売らない魚も水揚げされるから、地元では販売ルートさえあれば利用することができる。漁業者にも現金が入る。こういったものもなくなってしまう。

 三浦半島の港でも無名の「魚」が獲れるが、いま魚屋が少なくなっているから、食卓にのらなくなったとのことだ。

2011年7月2日土曜日

公務員バッシングのあと

 都庁の職員がついに「一ヶ月」の支援をすることになったという。現地の「公務」は復興にかかるまで多くの仕事があるのは想像がつく。

 陸前高田の職員は会議中に津波にあった。なんといっても住民に身近な自治体の職員がいないと困る。自治体では臨時で職員を雇っていると聞くが、財政も大変な状態で対応しなくてはならない。

 送り出す自治体も、暇で送り出すわけではない。支援する自治体やボランティア任せでは無責任きわまりない。国の責任でキチンと確保すべきだと思う。

 スリーマイルで原発事故が起きたとき。アメリカは「安全神話」があったことを反省。安全体制の強化を図って、3000人の技術スタッフを集中させて安全体制を強化した。日本とは月とスッポンの違い。

 アメリカでは、地域住民の安全を守るために、原発で事故が起きたら16キロ以内が危険地帯とする。80キロ以内での対応も具体的に決めている。

 「トモダチ作戦」の米軍も80キロ圏外へ避難したっけ。当時は危険性を認識できなかったけど、放射性物質の測定結果で出ている今の状況は、対応の甘さをいやというほど感じる。

 公務員は必要なところには配置されなくちゃ。「人件費が少ないのがいい」というまやかしに注意が必要だ。

2011年7月1日金曜日

はや、半年の新しい日

 ニュースで話題にしていたが、半年過ぎちゃった。いや早い。  
 
 早いけど感慨に浸っているゆとりはない。家の外壁を修理する足場を組みに、業者が来ることになっていた。

 今日は我が家の爺の通院日。病院の担当医師が替わってしまったので、これまでのように予約ができずに、「早い者勝ち」の診療になった。ところが、8時半からの診療の体制がとれないらしく、早くから待っている人からブーイングがでてしまった。

 それでもなんとか、11時までには家に戻ることができた。病院が近いから助かる。

 洗濯物は「11時頃なら大丈夫ですよ」と業者が話していたので、時間が気になっていたが間に合った。さして問題なく足場ができあがったので一件落着。

 
 家の中は待避させた荷物で、足の踏み場もないほど。それで、動き回った瞬間に、物をぶつけて昨日買った晩酌用のウイスキー瓶を割って半分くらいにしてしまった。

 昨日の晩酌で足りないといけないからと、一本買い足したのに、開けずに残してしまったのだった。もったいない。
 飲んでおけば良かった。
 
 半年が過ぎた一日目の反省と記録。

2011年6月30日木曜日

あのルイ・ヴィトンが5億円の義援金を

「被災された方々と、被災地の復興支援のために5億円の義援金を送ることにしました。義援金は、復興プロジェクトを支える組織に送り、支援活動に役立てていただく所存です」

http://www.louisvuitton.com/jp/flash/index.jsp?direct1=faq&direct2=faqH_catJap

http://d.hatena.ne.jp/mizuyama-oyster-farm/files/Mori_wa_Umi_no_Koibito-Press_ReleaseJP.pdf?d=y

http://d.hatena.ne.jp/mizuyama-oyster-farm/20110622

 壊滅的な被害を受けた牡蠣養殖場 水山養殖場の復興、三陸地方の養殖・水産業の復興支援、水山養殖場やそれを取り巻く森川海をフィールドにした「森は海の恋人運動」へ支援とのことで、義援金を「復興を支える組織」へと目的を明確にしています。

 牡蠣を通じたフランスとの交流もあるようですが、海を守るために森を保全するという運動が広がっていることに、うれしくなりました。

 去年釣りでお世話になった船頭さんが話していました。「山が荒れて海が汚れて魚がいなくなる。木を植えてるんだ」と。

2011年6月29日水曜日

夕涼みはなくなっちゃうのか

 21時過ぎから、散歩に出た。我が家の近所は、神田川を底辺にして台地がとりまいている。緩い坂、アップダウンがどこにもあって、ふと風が抜けたりする。

 熱い空気の風も、少しでも涼しい風が混じると、冷房とは違った快感さがある。

 事情で、来月の釣りの会の会報を作らなくてはいけなくなった。とはいっても、原稿は複数のライターが別に苦労を重ねているのだから、ページ数をまとめる仕事。

 入れてみたら、8ページには足らず、少し空きができる。涼しい風に当たったおかげで、埋める記事を思いついた。

 夕涼みなどという言葉も、死語になっていくのだろうか。近所に風鈴の音もない。七夕飾りもまだ、目に入らない。

 そういえば、蝉の鳴き声が聞こえないけど、どうしたんだろう。
 
 夕涼みの散歩で目標歩数を補足したつもりが、800歩ほど足りない9200歩。残念。

2011年6月28日火曜日

事業目的が社会的な企業ほど、健全でなくてはね。

 今日も暑かった。天気が良いから洗濯物は気持ちよく乾いた。
暑いのは東電の株主総会があったせいもあったのか。9000人を超える株主が集まった。


 総会で当然ながら原発撤退の意見が出されて、「少数で否決」とか。どう数えてか手法は解らないが。

 だいたい、議長が企業の責任者というのは、聞いたことがない。もっとも株をもっていないから知らないが、株主総会はそういったもの、慣習になっているのかな。

 部長級が50万円ずつ集めて政治献金する。官僚が東電に天下りする。「安全神話」を作り上げて原発を推進する。まさに構造的な日本の政治と企業の癒着。

 株の配当を期待して購入する。でも配当が得るために、企業のやり方がなんであってもよいとはならないのではないか。

 原発依存しない企業のあり方は追求できるんじゃないか。海外では原発依存を断つところは増えている、当然にも。

 南相馬市、白河市は原発ノーの態度表明した。

 3%株主の東京都は、委任状だけで欠席。交通局の「収入」になれば原発OKということかね。
 

 夕方から釣りの会の会議があり、帰りは代々木から歩いた。汗を拭き拭き、今日のブログを考えながら。10200歩。OK。

2011年6月27日月曜日

地元の生活、文化、歴史に思いを馳せて復興計画をつくれるのかな?

  諸分野に関する政策立案・政策提言を主たる業務とする研究機関…いわゆる財界のシンクタンクである「NTTデーター」と「野村総合研究所」が、若者に被災後の日本を創るアイディアをフェイスブックで公開してもらう。

 そのうえで投票評価によって100人を選択、一同に会して議論する。それをリアルタイムで公開して議論を活性化させるという。 7月上旬から始めて8月に合宿するとか。


http://www.nikkeibp.co.jp/article/reb/20110621/275048/

 「成果物は、復興に役立つ事業プランを想起できるものであれば、動画や簡単なプログラムなど何でも構わない」ということだから、主催者の選択に任される。

 この「野村総研」は宮城県の復興会議に「三菱総研」とともに委員として参画している。復興計画にある漁業について、大規模集約化を図るとした方策に漁業者から批判を受けている。

 生活も、職も、できるだけ元のように戻りたいというのが一番の願いだろう。宮城県の復興会議はメンバーの大半が東京にいる(県内在住者は2人)ので開催は東京でという。


 被災者の思いはさておいて、頭越しに復興させる?それでは被災地が元に戻ることにならない。

2011年6月26日日曜日

捨てろ、捨てられない

 家の外装を塗り替える。家の外周を空かさないと、足場ができない。まいった。

 周りに植木が一杯置いてある。肥料やら鉢やら、土類、ところ狭しとひしめき合っている。加えて漬物用の桶もかさばって場所取りしている。

 息子の旅行用の鞄も、野ざらしに近いスタイルで狭い場所を占拠している。隣家との境はいまどき広くない。23区内に住んでいるのだから、懐具合からしたら贅沢は言えない。

 立て替えてから14年もたったから、あれやこれやが、隙間を埋めていくのは仕方がないことかもしれない。

 片付けの手抜きはあるにしても、そういえば家の中も同様。おいてある物、壁に掛けてある物、ぶら下がっている物。あらゆる空間に物がつまっている。大量生産、大量消費の社会が家の中ではこの有様ということかな。

 こちらは決して裕福ではない育ちだから、「捨てられない」。物を大切に使おうという時代もあったから、相反することを同じ人格がやるという時代の変遷を身に受けている

 どこかの国の総理大臣も大量生産、大量消費。この場合は、役に立たないということなのだから、さっさと捨てなくちゃならないのに、まだ国会にたくさんいる元総理大臣。

 日本は変な国。家の中は、きれいにしよう。せめて。

2011年6月25日土曜日

人に寄り添う政治がほしい

 津波で被災した、少し高台にある家のおばあちゃん(失礼、自分もお爺ちゃんに近い)が、津波で打ち寄せられた、卵くらいの大きさの砂利をリュックに詰めて運んでいた。

 家は床上浸水だった。家の前の砂利は津波によって持って行かれてしまったから、玄関先に砂利をひいて直すつもり。何回も運んで。

 「津波がまたくるかもしれない。津波には負ける。勝てねえってしゃべってんだ」「でも、来たら来たで、しかたねえ。またなおすしかねえ」と話していた。

 達観というのか、自然の脅威にもひるまない、折り合って生きていこうとする。人間てすばらしい。

 人間の生きていく力に寄り添った政治、お願いします。

2011年6月24日金曜日

暑い日身体が慣れなくて

 今日は暑かった。そのうえ予定通りことが進まなくてまいった。これは昨日からだったのかな。

 万歩計の電池が切れて、買うことになった。電気屋が少し離れた商店街でないとないので、もしかしたらとセブンイレブンにいったら幸い売っていた。
 そこからの歩数365歩が昨日の記録歩数。

 今日は、午前中の予定に手違いがあって、せっかく出かけたものの、用を足せないまま家へ戻り、パソコンに向かって、資料の整理をすることになった。

 メールの返事と、ホームページの更新作業で午前中を使ってしまった。

 夜の合唱レッスンに行き、帰りに「納涼パーティー」。結構歩き回って13000歩を超えた。それにしても暑い一日だった。

2011年6月23日木曜日

首相は首相でも違うなあ

 違うなあ。

 ドイツ政府はエネルギー政策を転換して原発撤廃へ舵をきることにした。

 メルケル首相の議会演説
 「…日本のような高度な技術国ですら原子力の危険は確実には制御できないという事実を、我々は福島の事態から認めざるを得ない。…だからこそ私は”新しい見方をすることにした”と明言したのだ。
 …私は“福島”以前には原子力の残存リスク(万全の安全対策をしたうえで尚残る危険)を容認していた。高い安全基準を持つ高度技術国ではおよそこうした事故は起こらないだろうと確信していたからだ。…」

 メルケル首相は、ドイツのエネルギー計画で原発の稼働期間の延長を支持していた。その態度を変えて、撤退の態度を決めた。

 日本はというと、なんか首相の首をすげ替えろなどという話を毎日繰り返して…。大連立がどうだとか。

 結局二大政党の形態は、基本的な政策の違いは無いわけだから、ほんとの意味で政策論争にはならない。エネルギー政策にしてみても、原発を続けるかどうかの選択などないわけだ。

 世論調査ではっきりしている。世論の意向に立つのが政治なのに、これまでどおりの政治と政策の踏襲で、なにも生まれないということになるのかな。政治家じゃなくて政治屋だな連中。

2011年6月22日水曜日

暑さに負けないように

 今日は夏至。早く目が覚めて、散歩に行こうと思ったけれども、あまり早すぎるので、新聞を読み始めたら7時になってしまった。

 朝食のあと、パソコンの前に座って、メールの整理を始めた。メールニュースも各種溜まっているので、目を通してあちこち整理をしたらもう昼。洗濯物は昼までで乾きそうな日照り。
 
 中野のつりの会の「常会」があるので、江古田まで出かける。その帰りに中野の駅から家まで歩いた。暑さに負けないで歩いたというつもりだった。でも歩数計が4700歩しかカウントしていない。

 釣りの会のHPと会報の原稿づくりで、時間を費やしたあと7時過ぎからもう一度外へ出かける。ブログのネタを考えながら。

 朝は年配の人がよく歩いているが、夜は若い人がジョギングしている。健康に気遣う人が増えている。体格のいい人(つまり太った人)がやっぱり多い。人のことばかり言えないが。

 これで9600歩になった。

2011年6月21日火曜日

スカイタワーの省エネという切り口だけでは

 東京スカイツリーの省エネ効果が発表された。「省エネ型地域冷暖房システム」によって、夏のピーク電力を40%から50%、冬で41%から52%カットできるという。

 地中温度を利用するシステムも利用、建物から地下にのばした配管に水を循環させて熱交換することで、冷暖房も効率をいっそう高められるとのこと。このほかLED(発行ダイオード)を使用することで従来の4割の電力削減できるといっている。
 そういう切り口の評価もあるけれども、東京の電力事情はそれだけでない問題を抱えているのではないか。

 「東京電力の発電量割合で22%が原発頼り」ということ現状に目をつぶったままの評価でいいのだろうか。実際これから「節電対策」で乗り切らなければならない事情もある。

 省エネになるとされる「40%から50%」というのは、「60%から50%」の分の電力消費量が現状より増えるということだから、すなおには喜べない。

2011年6月20日月曜日

歩け歩け

 血圧の薬が無くなったので病院へ行く。中野の北側の病院へはいつもバスを使って中野駅まで行っていた。

 雨は降りそうもないので、血圧対策を兼ねて歩き出す。青梅街道の交差点で、混んでいる上りの車を何の気なしに眺めていたら、運転しながら、歯ブラシを口に突っ込んで磨いている人がいた。

 運転スタイルはいろいろ見たが、歯磨きは初めてだった。続けてみていると、あごに手を当てている人、片手で運転している人も多い。両手でハンドルを持っていた人はタクシーだった。

 自分のスタイルはやはり、片手でハンドルの上部をつかみ、左手はギアのところへ置いておく。

 40数年前免許を取った頃は、チルトハンドルではなかったから、両手でしっかりハンドルを回さないと動かなかった。ハンドルが軽くなって、ギアもオートマになったことで女性も簡単に運転できるようなった。

 でも危険度が増した。片手が空いているから、携帯電話もかけられるし、おにぎりも食べられる。危険度は、車を使わないことで下がるのだろうが、生活の中の車の依存度は高い。産業も。

 もうじき己も運転卒業のときがくるだろう。そしたら危険度は下がる。もっともそのときは人生の卒業も近いわけだ。

 津波で、車がどんどん流された。三陸鉄道は再開の見通しはつかない。足の問題も深刻。

 話がそれた。血圧記録をみて今日の医師は「安定している」という。「血圧の薬をワンランク増やすのも良いが、1キロでも体重を下げれば血圧は下がる」といわれて、歩行作戦の努力を続けることにした。

 昨日は、レンタカーの店まで歩いたのと、釣りで歩き回ったので13000歩。もっとも帰ってきてからアルコールをたしなんだから、無効になったかな。今日は6700歩。

2011年6月19日日曜日

梅雨の合間のヤマベつり

 釣りの会のヤマベつり大会で那珂川支流の荒川へ行く。道の駅「きつれがわ」に集合して50人で開催。予報では晴れるということだが、朝方は曇っていたので心配した。

 尻上がりに天気は良くなって気持ちの良い釣りができた。朝までの雨でも少し水が高いかなという程度だった。8時の集合時間より早朝に現地に着いて、川虫をしっかり準備した人たちもいた。

 50人がどこに消えたかと思うほどあちこちに散らばって14時までのヤマベつりを楽しんだ。

 ヤマベは、瀬の浅い流れで良く餌を追った。二、三週間前には深いところでしか釣れないという情報だった。「試釣」(大会開催日より前に釣りをしてみるという釣り用語)の情報も、大会をみんなで楽しむとなると大切なことだ。

 道の駅のすぐ上流で川虫を捕って、やってみる。どこで魚は補食するか、仕掛けはどう流すか、キチンと底を流れているか、餌は傷んでいないかなど、いろいろ気を遣いながら少しずつ場所を移動、時には戻りながら楽しんだ。

 結局582グラムでおよそ30尾ほどの釣果(これも釣り用語かな。チョウカともツリカともいう)自分にしては結構満足の釣りだったけれども、優勝した人は2キロを超えていた。100尾は超えていたでしょう。朝早くから餌を準備したベテランさんだった。
 

  釣り大会の表彰の前に、被災地支援のバザーを実施した。自製のマーマレイド、タマネギ、仕掛け、竿など多数寄せられ、時には抽選や譲り合いながら5万円ほどの義援金となった。

 1000円料金終了の日のためか帰りの道路は混雑気味だった。

 この道の駅は、売店や食堂もあり、子供たちも河原で遊べるようになっている。近くに温泉も多いので、河原でバーベキュー、おみやげに新鮮野菜も手に入り、いろいろと楽しめる。

2011年6月18日土曜日

日の丸、君が代を愛す、国を愛すのとはちょっと違うかな

 日の丸と君が代は歴史的な遺恨を残している。 
 子供の頃、映画を見に行くとニュースの上映をしていた。そのとき「侵略戦争」という言葉を使っていたのを覚えている。

 戦争の道に入ってしまった国のあり方は負の評価としておくべきもの。そのことを抜きに平和は語れない。国がとったこの道は、アジアで300万人以上が犠牲になった。加えて原子爆弾の最初の犠牲者を負うことになった。

 日の丸と君が代は、先導の役割で使われた。今の震災地を見て、戦後の状況を思い出す人も多かったのではないか。好感度が高いとは思えない。

 日の丸と君が代は、現行憲法ができたとき、替わるべきものでなかったのではないか。様々な問題を棚上げしたとしても、歌詞がちょっとね。日本全員の賛意をえられるものなのか。

 日本語は最近乱れてきたというか、変化してきているけれども、「すばらしくいい歌、良い歌詞」がどんどんでてきている。歌い手も。

 国歌でいったら、アメリカの国歌なんか元気が出るような曲だね。こんなこと考えると新しい国歌っていうの造った方が良かったんじゃないかと思う。今からでも良いけど。

公募して「総選挙」なんていうのはどうだろう。

日の丸に礼をしてから、こちらを向く某官房長官。「放射線量はただちに身体に影響が及ぶものでない…」と臆面もなくしゃべる。国民、国を愛しているようには見えないな。

 政治にしてこの有様、こういう国を「愛さなければならない」のだ。起立して君が代を歌わなければ処分するという。よっぽど自分たち、為政者がなしていることに自信がないのだろう。

2011年6月17日金曜日

放射能線量調査して! 行政も動きだし

 国や自治体の動きに先立って、放射線測量の活動が盛んに行われています。


ウォールストリートジャーナル記事
 柏市では、母親らが中心となってネットを通じて1万人の署名を集め、子どもを放射線から守るために一段の対策を求める請願書を柏市役所に提出した。2日に柏副市長に会い、学校で毎日放射線量の測定を実施するよう要請した。だが、以来ほとんど進展はないという。


その後柏市も測量に動き出しました。


ウォールストリートジャーナル


共産党都議団の調査は早かった(5月6日から25日)

 
 東京都は新宿一カ所で18メートルの位置で調査という、お寒い状態。申し入れにより100カ所の測定を開始した。都の担当者のコメントでは、今後は模様眺めらしい。続けてよ!


今、住民の要望で行政が動くという事態が広がっているようです

なにゆえの雨か

 今日は我が家の爺の通院日。これまで3年ほどの間、傘を差すような天候はなかったのに予報通りの雨。爺には車椅子専用のカッパを着せ、自分は釣りの時使用する上下のレインウエアーを着て、傘なしで出かける。

 雨はまだ多くは降っていなかったから、濡れることはなかった。降雨量が多いと、どうしても濡れてしまう。

 そしたら、これまでの医師が病院を辞めてしまうとのこと。金曜日のこの先生は一日何人診るのか解らないが、順番待ちの人が相当いる。他所で医院を開くらしいが、やっぱり独立するのが夢ということかな。

 帰り道「わかった。先生が辞めるから、今日は雨だったんだよ」としゃべりながらいつもより早めに家に着いた。幸い雨はまだ少ない降りだった。