2014年10月12日日曜日

健康でいるのは大変

 血圧の薬が切れたので、いつもの診療所へ行って一応診察を受けて、またいつもの薬を一か月分もらった。今年の健康診断では、尿酸値と肝臓の指数などが昨年よりはよくなっているから、健康体から少しだけ外れているだけだったことに満足していた。さしたる目に見えた努力などはしていないわけだから、どうしてよくなったのか要因は分かからない。飲酒を発泡酒に変えたから?などと思っていたら、飲んでる「氷結レモン」もご飯一杯に近いほどのカロリーがあるのだとか。痛風で10年間にこれまで数回は典型的な炎症がおきた。が、連続しているわけでなくて忘れたころにやってくる。このところはご無沙汰していて、その気もないのがおかしく思えるほどで、そのうえに、健診結果の尿酸値が心配には及ばないとい数値なら、まあいいかとアルコールも控えずに口に入れることになる。

 健康になるために必死になるというほどの執念はそう湧かないし、人生が長くなるほど楽しいことが広がっている日常というわけでもない。むろん自分だけではないことだろうけど。趣味の世界ももう入魂するまでのゆとりはもう少ない。そんなことだから、医者とは「変わったことはありませんか?」「はい同じ状況です」との一発会話でずっと続いている。言われるところの健康を保つにも自分と戦わなくてはならないだろうに、病気になってしまう危険もあっても、そこまで突き詰めていくことがなにか面倒な気もする。概ね健康の領域にいるのだからまあいいかと、毎日にストレスがかからないように突き詰めない。

 だいたいメタボの基準だって、どんなものだろうか。人によっては「骨太」だってあるだろうし、生まれた瞬間からメタボ気味のこどももいる。背丈の差は当然あるし体重にしてしかり。太目であってもと細めの体であっても、生きている間にそれでも健康状態にいるというのはあるだろう。全く同じという基準でごうりてきなのだろうか。いっしょくたにして、総平均でだすというのは乱暴すぎないか。統計的に説明できるならば聞いてみたい。


 ただ、総じてカロリー摂取過ぎの食だから、カロリー摂取が多い生活になっていることには違いない。食べることアルコールを摂取することは、やっぱり楽しみの中心にあるから、長くかつうまく付き合わなくてはいけない。さすがに今はやらないが、「大食い競争」なるもので、食を遊びに仕立てた文化の貧困も、食を大切にしているとは思えない。さまざまな番組に入ってくる食は、おいしいものを先に立ててやりまくる。「ふだんよっぽどまずいものを食べている視聴者にサービスしている」つもりだろうか。「美味しいものが食べたいね」ということも、世の中に起きているストレスが、輪をかけていることもあるだろう。いまは粗食を進めるときだ。「粗食をおいしくつくるには」だったら、うけるのではないか。

2014年10月10日金曜日

風速25メートル以上なら休めのススメ

 台風に限らず、最近の天候の荒れ方はすさまじい。このとき家にいることができない働き手は、仕事先に向かって危険なとに出会わないようにとの気持ででかける。テレビ報道で見る、特に若者のスタイルはビニール傘にいつもと変わらぬ服装で歩いている。報道がことさらそいう場面を取り上げるというのもあるだろう。

 子供のころは、長靴はいてカッパをかぶって傘を深く持ってさすのだよと教えられて、一生懸命学校に行った。懐古趣味といえばそうなるが、少なくてももうちょっと雨風の対策もあるだろうにと報道を見ながら思う。

 しかし、危険を承知でいくのは自分の意志というより、勤務先の「命令・要求」による。遊びに行くという意図もないことはない。大概は仕事先に向かう人が多い。会社なり店なり事業を営んでいれば、そこを働き場にしているしている人がいなければなりたたない。台風がが来るからと言って、先だって休業にすることは少ないのは考えられることだ。大企業はなおさら、社員の確保が要求される。余分な従業者を雇うという状況はまずない。非正規事業者であれば、なおさら「休暇で休む」ことさえかなわぬことだ。

 昔は、といっても昭和の450年代に、台風がきて危険な状況が想定されるときには、職場の組合の要求で「婦人は早く帰る」という措置をとっていた。婦人の後はより遠い通勤の人だった。安全への配慮として機能していたと思うが、これが「当たり前」とうマイナスをもったこともあるにはあった。このころは、春闘のストライキもまがりなりにあって、「労働者」としての処遇の改善がいくばくかあったときだった。

 国際競争力だのグローバル化だか何だか知らないが、働く人たちの自己努力が啓発されて、美徳として通用させてきたことも、し烈な「競争原理」のもとでなおさら強調される。こんなことがいつまで続くことなのだろうか。それでいて、ろくに賃金をはじめとした処遇が向上することはない。
 悪天候の状況に抗して働くのは、仕事評価の側面があるうちはなかなか難しい。「特別警報」は、大島の土砂災害以降は警報が早めに出されることになっているようだ。実体的には疑問もあるが、都心部で働く場合でも即応した警戒態勢が取られてもいいのではないかと思う。

 「25メートル以上の強風」の場合は危険が伴うとされているから、こういう状況下では事業者には「休む」というなんらかの協力を行政が呼びかけるということはどうなのだろう。そういう危ないときにはみんなで「休業」という風潮をつくりあげれば…。なにせ居住地区には「避難勧告、避難指示」があるのだから。

 ところで釣りの会が、天候によってつり大会を中止すことがある。当然危険を斟酌してのことだが、ちょっとくらいの雨風では中止することはない。つり行動に傾注すればそれは当然のこととも思える。そういったときにする釣りは技量をあげて、その後の釣りにも良い影響がある。体験でもそのことはわかるが、「危険が及ぶ場合」を判断することは容易でない。中止にしてもコロリと予報が違ってしまうこともある。「遊び」であっても身に危険が及ぶ場合は避けるのは当然のことだ。


 判断の過程で、現地の漁業者の話が伝わった。こういう天候では漁はしないよというものだった。漁を営む人たちのギリギリの判断も、つり志向者の活動には大事な参考になることだ。大昔の命がけの漁を模した釣り活動だというと大げさかもしれないが。




2014年10月5日日曜日

危険なところに行くとき

 御嶽山の捜索活動に、総理大臣の声ガカリで自衛隊が派遣された。御嶽山の噴火活動と降雨によって、活動がたびたび中断された。マスコミの報道は、自衛隊の活動ぶりを露出度をあげて流していた。自衛隊だけでなく、警察も消防も地元の自治体もことに対応していたのに、自衛隊だけがやっているかのようにさえ見えた場面もあった。
 
 注目の自衛隊員が、足元を滑らせながら心肺停止者を運ぶ姿を映像で何回も見ながら、その苦労は感じ取れた。しかしその捜索救助活動は自衛隊だけでない。そういう報道で、警察、消防で同様の仕事を担った人たちは、一言あったのではなかったろうか。

 地下鉄サリン事件のときは、消防隊が防毒ガスマスクをつけて救助活動をしていたのを記憶しているが、御嶽山でもその「防毒マスク使用」である程度の活動をできるのではないだろかと思っていた。硫化水素ガスに対応したマスク(簡易なもの?)をつけているのは見えた。そんなものでは効果が薄いだろうと見た目でもそう思えた。有効な防毒マスクをつけた大仰なスタイルで、山腹を歩き回るのはできないことなのかもしれないが、そもそも安全な装備があるのかどうか。テレビで見た画像と新聞からは読み取れなかった。
 
 危険であってもやれというのは、乱暴すぎるだろうが、そのあたりの判断をしていることとは思うものの、どうなのだろうか。報道が一面的だと想像たくましくする以外ない。軍隊なのだから、どんな所へも「戦闘」であるなら行くのが当たり前で、そうでなければ成り立たないという解釈も成り立つ。その論が現れた。もちろん一般的な常識からそう論じていいと思うわけではない。


 命に係わることなので…ということが合理的に説明されるなら、それを踏み越えてやるべきことではない。しかし自衛隊の場合、かつてのイラク戦争のとき 
「派遣される自衛隊員に対して、任務中に死亡した場合、国は弔慰金の最高額をこれまでより3000万円増やして9000万円支払うことを決めている。さらに首相から払われる褒賞金の最高1000万円を合わせると1億円となる。さらに、多くの人が加入している防衛庁職員団体生命保険や国家公務員災害法のもとづく報奨金をあわせれば、さらに数千万円上乗せされる。そのうえ、サマワの自衛隊基地の外での警備員などに特別手当が一日2万4千円が支給される。」という命がけへの扱いが処遇された。


 この憲法に反した「軍事行動」参加による場合と、他の場合とは違うとされたし、自衛隊派遣の命の代償とは違うことはわからないわけでもない。しかし命の重さは変わるわけではない。今回の際の扱いはどうなのだろうか。一定配慮が当然あってしかるべきと考えられる。隊員の命の安全は否定されるべきでない。ただ、だから安全のために「消極的な捜索活動」になってしまったら…。警察や消防も含めてその処遇はきちんとされるべきだし、そのことも心肺停止者に一刻も早く近づける条件を整えるひとつにはなったのではないか。


 書いているうちに、命との引き換えに金が用意されていれば「やれ、行け」みたいなことになっていることに気付いた。本当に硫化水素と爆発、土石流の危険を考慮したということで、捜索活動を保留したことが実態的に運んだのかどうかの夢想にさいなまれてのこと。ことを外しているかもしれないが。




2014年10月4日土曜日

御嶽山、お寒い観測体制

 御嶽山の観測体制は傾斜計が1と地震計が4つあるが、いくつかは正常に機能していなかったという報道があった。地震予知そのものは難しいとは専門家の話だ。しかし、だからしょうがないということに置かれていてはいけないのは当然だし、災害全般に対して万全の備えをしておくべきことだ。日本列島に110ある火山のうち、頻繁に噴火活動を繰り返したり、火山活動の高まりが見られたりする47火山は、気象庁が大学や自治体などと連携し、常時監視体制を敷いているということだ。地震予知連絡会は何らかの火山活動の変化があるときに動くので、その兆候を把握する観測体制がしっかりと整っていることが必要不可欠なことだ。

 御嶽山の観測体制について地震予知連絡会の藤井会長は、記者会見で--御嶽山の観測体制の増強は必要か?と問われて、「それは当然。御嶽山の観測体制は必ずしも十分だとは思えない。例えば傾斜計を設置しているところは1点しかないとか、地震計も必ずしも適切な位置に設置されているとは限らない。もっと観測体制を充実させる余地はあると思う。今後のことを考えれば当然、観測体制の充実は図られるべきだと思う」と応えた。

 昨今の災害は、温暖化が影響しているとみられる異常な気象で、大規模なものになっている。万一への備えがなくては枕を高くして寝られない。災害に起因する自然の活動を止めるわけにはいかないが、起きた時のために備えることは大切なこと。人の病気ではないが、事前の備えがあってこその被災圧縮ができるので、その投資は、被災(額)より少なくて済むはず。

 ところで、「自民党は、御嶽山の噴火が予知できなかったことを踏まえて、活動を休止していた同党の火山議員連盟を再開させることを決めた。火山の監視強化策などを検討し、政府に対策を要望する。議連は2008年に発足したが、大敗した09年衆院選で議連幹部らが落選したことなどから休眠状態となっていた。」との報道があった。 

火山議員連盟、自民が再開へ…幹部ら落選で休止


 地震も多いが、火山活動も始終おきているから、その対応は他国には比較できないほどの対策が必要なはずだ。落選のために…が理由になどならない。全くお寒い政治だ。
 また、御嶽山の観測体制を巡って、片山さつき議員が「民主党の仕分け」のよって、予算が切られたのだというウソまで使うとは、政治家としてなんたることだろうと思う。ここまでくればもう政治家としての資質の問題だ。

 観測体制の強化が急がれるが、27日の御嶽山爆発の数日前から、その兆候が見える。兆校が事前に分かるのに、充分知らされないとはどういうことなのだろうか。(シロウトだからいえることかもしれないが)



上記から抽出





2014年9月29日月曜日

御嶽山と御岳山の違い

 御嶽山は御岳山とは違うと、東京人は思うだろう。噴火で犠牲者が出ている御嶽山は、朝日新聞は報道で最初「御岳山」を使っていた。この文字は誤りというわけではないようだが、グーグルの地図で見ても山は「嶽」の字になっている。御嶽山の周辺では「岳」の文字をつかっているモノもあるようだ。王滝川をせき止めてできたダム湖は「御岳湖」となっている。この湖の上流にあるのは御「嶽」山神社里宮がある。

 朝日新聞が日曜日に、これまでは新字体で「御岳山」と記事に書いてきたが、今後は「御嶽山」と表記すると断り書きをした。事が新字体を使ったということなら、それはちょっと違うような気がする。あくまでも固有名詞なのだから、文化や歴史があっての呼称なので、新字体に換えて使うというのはおかしくないか。

 私事ではあるが、昭和40年の初めころちょうど「電算化」が始まっていて、運転免許証がオンラインとなり「フリガナ」が付けられた。現在とは違って、本人に確認もせずに、勝手につけたものだった。「アオヤナ キョウ」というものだったが、漢字で書く名前からは、かなり大ざっぱなつけ方だった。勝手につけたという断りもあったような気がするが、定かでない。現在では行政関係の名前使用はフリガナを申告させ、あるいは照会して登録しているから、本人確認のために正確を期されている。

 IC技術の向上で、記憶容量が大きくなっているから、名前にしても「斉・斎・齊・齋」などひところの「斉」使用は、本籍登録上の文字を使用することが可能になっている。他人と違う一個人として尊重されているということにつながっている。同様に、その地方でつけられた地名や呼称は、国土地理院でも基本的に使用しているものだから、この点でも「略す」という意義は存在しないと思われる。

 朝日新聞の「御岳山」使用について何らかの選択基準が別にあるとすれば、中日新聞の表現があるようで、この新聞は「御岳山」を使っている。新聞社は、現地も含むエリアを「管轄」しているので、何らかの選択基準を持っているのかもしれない。(それとも新字体?)

 なににつけ、存在するものは他にはない固有のモノだから、区別されなくては正確な表現にはならない。東京が文化の中心である必要はないが、東京にある「御岳山」も名のある観光地なので、同じでない方がいいと思っている人もいるだろう。





2014年9月26日金曜日

鈴虫が細々と鳴き、蚊が元気


 なにか遠慮がちに鳴き出している鈴虫。虫の音は年を追うごとに、鳴き競うことが少なくなり、ほんの申し訳程度に声を出している。「あれ松虫が鳴いている♬チンチロチンチロチンチロリン♬~」という唱歌もいまや、絶滅危惧種のようだ。昔は煩いと思うほどだったのに、今や生息できる条件がなくなってしまった。とりわけ都市部には壊滅的になくなってしまった。
 セミの場合は大概6年もかかって、地上に出てくるのだから、地上の改変にはびっくりすることだろう。林だったり森だったり、木が植わっていたところが、消失してしまったら出てきたときにどうしていいものやらこまってしまうだろう。同じ木の枝に付く蝉の抜け殻はは、そうした事情だろう。
ウォーキンングに出かけたときで見つける木々は、建物の敷地や周囲によく見るが、昔はきっと林だったのだろうというところや、大きな屋敷の跡の庭が放ってるところがある。注目していた、大きな庭のある林のようなところも、なにかほかの用途に使うような気配がある。神社はさすがに「保全」されているが、ほかはなくなるばかりだ。

 わが娘は、間違いなく自分の血を引いていると見えて、蚊に刺されると痕がひどい。家に入ってこないように、窓や戸を開けるときに大騒ぎする。最近その蚊もいやに小さいのが飛んでいて、家の中では、捕まえるのが難しくなってきた。むろん目と運動神経劣化の原因があるが、考えるにやぶ蚊などが生きていく環境がなくなっているのではないかと思う。網戸とエアコンは大概の家にあるから、蚊も繁殖していくのに大変なのだろう。それは蚊が嫌いなものにとって結構なことであるが、その結果より小さいものが増えてくるようになったらまた困る。

 蚊がだって馬鹿にできない。原発集会の場所を止めるくらいの影響を持っているのだし、(集会を邪魔したのは誰だ?)、そんなところまで国際化する必要はない。2000万人も日本に来ることになったら、くっついてくるモノはいろいろあるだろうとは、余計ない心配かな。
 
ブラジルでデング熱をブロックする働きを持つバクテリアに感染させた1万匹の蚊を放出するのだとか。でも、その蚊は人を刺さないのかね。

 
デング熱を根絶やしにする蚊が登場














2014年9月22日月曜日

頼りにしているバックアップHDDで安心できない

 撮った写真の画像ファイルを外付けのHDD(記憶装置=ハードディスク)に保存しているのだが、HDDは「必ず壊れる」と話したのは、デジカメ講師の確信だった。つい先日ハイドディスが少し唸ったと思ったら、そのままウンともスンとも動かなくなったそう。そうなったということなのだから、迫力がある。こころあたりと言えば、パソコンはおよそ2年程度で具合が悪くなってしまう経験があること。使い方が乱暴(使う時間も含めて)なので、製作側の使用頻度の時間の想定外になっているのかもしれない。そんなこと言っても結構な値段なのだから、そんなものかとあきらめるには悔しい話だ。
 
 ICの開発はものすごいし、製品も低廉化してパソコン本体の改変もまたすごい。それに伴ったソフトウェアーのバージョンアップがあるから、使っている古いパソコンが見捨てられるかのようになる。そこにのっているのも大変なことで、出費もかさんでいく。OSの改変も、ともかく短時間に切り替えていくので、そのまま使い続けることが許されない。パソコンを使うようになって6年間で、長短はあるけれども4回(Windows Xp, Vista ,7,8.1)も「バージョンアップ」している。パソコンの使いようは、慣れて使い込むほど新しい機能が必要になってくる。戦略的に使用寿命は長くないようしてあるのだと思われる。だから、パソコン本体の耐性など長いこと使うことを想定しないのだろう。

 そんなもの使わなくても日常生活に大きな影響はないと思っていたが、結局パソコンをNETも含めて様々な活動分野でも使わないわけにはいかない。これが大局、経済のありようと絡んでくいる。そしてグッズとして社会の動向に影響を与えているところまできている。一器具に振り回される無駄多き社会だと切り捨てられるうちはいいが、そうできなくなっているのも事実。それにしても、パソコンのHDDが壊れて使えなくなるということが、間違いなく起こるものと妙な確信をもってしまった。そこで、講師に進められた外付けのHDDを購入して、そこにバックアップすることにした。

 もっとも、そんなに残しておくべき価値のある写真かどうか、それはそれで問題ではあるが、不要なものでも「もったいない」価値観を宿してきた者にとっては、とっておくべきものの範疇に繰り入れられている。某フリーソフトをダウンロードしてというところまで、指導してもらってその資料を見ながらのことで、わりと難なく設定できた。撮った写真のファイルは、これまでの分全部外付けのHドライブに保管しているから、そこから新しいGドライブにバックアップするということでよい。設置したHDDGドライブとして、Hドライブの写真ファイルがコピーできるように指定しら、かつての動きとは違って、かなり高速な動きで終了した。「ミラーリング」の機能を使ったので、指定したファイルの動きを監視して、変更や加除があれば3分ごとに更新してくれるようになった。


 ついでに、ほかのファイル2系統もバックアップに加えたが、これでパソコンの各HDDにあるファイルが飛んでしまっても大丈夫と、安心を手にいれたつもりだが、そのHDDさえいつまでも大丈夫という保証はどこにもない。断定はできないが2年も過ぎればハラハラの日常を迎えることになる。いつまでも安心が手いはいらないというICとは、人間社会に幸福ばかりを与えるものでない。




2014年9月17日水曜日

屋根の下のテンゴクとヂゴク

昨日はまだ暗さが残る5時に起きてしまった。米を砥いでから7時過ぎまで余裕の感じ。労釣連のHP更新をしたから、朝から張り切っていた。味噌汁は玉ネギにナメコを入れたもの。お婆ちゃんは「豆腐を食べていいかい」という、小さな豆腐の3つ入りのものを購入してあるのでOKだ。もちろん「はいどうぞ」。 
何がどうなっているのか、作って用意したものは、多くは食べないのだから、ピントが合わない写真のようだ。イヤそうではない子供たちも同じことか。イヤイヤそうじゃない。自分でさえそうだったのだから人の批判ばかりはできないこと。作る人の苦労というと沽券にかかわるから、子供たちにもにこやかに言わなくてはならない。

朝食が終わって、今日は洗濯をしないので、資源ごみを外に持ち出してから、9時半にはパソコンの前に座る。朝差し掛けだったHPの更新作業は昼までかかってまだ終わらなかった。昼食時にお婆ちゃんは2階から降りてきて「食べたくないねー」という。実は自分も食欲がなくてどうしたものかと思っていたが、食べないというわけにもいかないので、中華つけ麺を食べることにした。無理して食べなくていいよといったら、ほんの少しだけ食べた。息子なら二人分は楽に食べるところ、中高齢ペアでは二人前で十分だった。

午後になってようやくHPの更新ができた。一息ついて気分が楽になったとこで主夫の再開だ。冷蔵庫になくなったものをメモに張り付けて、キュウリ、ナス、ジャガイモ、玉ネギなどなどを買い足す。が、買い物とは余計なものを買い込むことにも「意義」があるようで、あ、そういう惣菜でとか、商品を見ながらあれなら作れそうだと思って、余分に買い込む。それで安心を手に入れることができる。しかし、今日はメモなしで買い物にいったら、ナスは冷蔵庫にあったじゃないか。馬鹿ねー。ご愛嬌という良い言葉が役に立つ瞬間。買い物に出て、山手通りコースを遠回りしてウォーキングしながら、あれこれ算段したのにまとまってなかったらしい。脳の前頭葉「一時ファイル」がすぐどこかへ行ってしまって、追いかけるのに大変だ。

次にやること忘れちゃならないことを指さし点で呼認識するものの、体調で左右されることもあるらしくて、いつも気合が入っていい結果が得られるというわけにはいかない。きっと自分の脳をたぶらかしたり、褒めたりしながら気力を湧き立たせることがこれからもっと増えてくるのだろう。気持ちと自分の動きがマッチしないことがよくでてくるしから、あんまり責めないようにするつもりだが、「815分に食べる!」と宣言されると、勝手にしろというには平時すぎる。と、戦闘状態を心待ちにするかのような気分に陥りそうにもなる。なんであれ、余裕が必要だとあらためて思う。キリキリと成果主義に追いかけられるわけではないにしても、「やってやろう」という気構えのうちには、ストレスが生じることになるのかもしれない。

2014年9月14日日曜日

山と海を壊すことが、平和を守るというさもしさ

昨日の赤旗新聞で、辺野古新基地の埋め立て使われる土砂は、奄美大島や徳之島、瀬戸内海の小豆島などの山を削って使うという計画との報道があった。まさに驚きの「公共事業」だ。2020年オリンピックの競技会場でさえ、自然に配慮したやり方をとの合意形成が進んでいるのに、どうした乱暴さだろう。そのうえ新基地建設は、環境影響評価を避けるという姑息なやり方をするという。

いずれにしても、長時間を重ねて造られた自然に爪を立てて削るという行為は、自然の大切さを思うすべての人たちからも支持されないことだし、美観だけでなく地域のさまざまなバランスを崩すことになる。もう、そういう時代ではないと気付くべきだろうし、わかっているのなら一歩踏み出すのが見識というものでないか。

「アメリカのためなら」黙って従うということなら、日本国内のこれまでの自然破壊に対しての批判に、政治の面でほとんどないがしろにしてきたうえに、臆面なくまた重ねた不届き極まることだ。言い方を変えれば、環境破壊の上に進めてきた「日本の公共事業」を、アメリカの軍事行動を意識した「環境破壊」へとステップをすすめたことになる。屋上屋を重ねるとはこのこと。それも最悪の選択だ。

リニア新幹線は、残土の処理も明確にならないまま、強引にすすめられることになっている。行く先が明確になるわけでもなく、事実上造ることだけに意義があるとすれば、経済成長というよりも博打と変わらない。これが、憲法をおびやかして戦時への準備となれば、その範疇よりなおさら問題は大きい。人の生活もそうだが、自然を隷属させて人間の支配下に置こうとしてきた。そのことを今意識しなければならないときだろう。自然界の「リバウンド」はいま大きくなっていると言えないか。日本中に起きている温暖化による「異常気象」災害は、ここに至った原因に素知らぬ顔でほお被りし、自然の現象なのだと一向に顧みないできた結果ではなかったのか。







2014年9月13日土曜日

新天地で開拓気分というといいすぎだが。

連れ合いが腰を手術するため入院してから半月以上たった。経過は順調そうでなによりだ。その間、義父を養護施設にあずかってもらって、義母と息子の3人の生活になった。調理というか、そのまねごとにああでもないこうでもないと、日頃かかわりが少なかったツケを今払っている。茹でてあるフキだの、肉だのトウモロコをむいた冷凍の実だのの、グザイを大分消耗して冷蔵庫の冷え具合がよくなった。心細くもなったが、己が働いた証拠にはなった。近くに住んでいる娘が、援助に来てくれるが彼女の分も作ることになるから、対象が4人ということで、子供の手前張り切ってやらざるを得ない。

難しいのが義母の食欲で、もう90歳に手が届くかというところで、もともと好き嫌いがあるし、何が食べられるかの相談も「何がいいかね」となるので、考え甲斐がある。いや、本当に動きが悪くなった脳を活性化させて、頭にはないバリエーションを編み出して、肉と野菜を入り混じらせて、結果はいかに?という腕前だから、食べさせられるほうもやっかいなことだろう。

娘に「うまいよ」などとお褒めの言葉をいただくと、「やればうまくなっていくんだ」と見栄を張る。義母の場合は「おいしいよ」と時々お世辞を言ってくれるが、作っても食べないという連れ合いの話よりは、作っても普通の量は食べきれないということだろう。いまだにぶら下がっている貧乏能楽師は、大まかにいって家事の助け人としてはまずダメだな。ブラック企業並みの「しごと」で、夜討ち朝駆けみたいな生活をしているから、無理なことかもしれない。将来どうなっていくのか心配の限りではあるものの、どうしたらいいのかという悩みも感じられないという不思議な存在だ。


我が家、食事のときにテレビを見ながら食べるが、これはどうもよくない。食卓を見ないで食べることになって、旨いかまずいかしょっぱいか、などの味わいが消されている。子供が小さかったころは、消していたものだったが、いつの間にかこうなってしまった。特に年寄りの場合は子供のようにテレビにくぎ付けのようになるから、多分食卓にのっている食べ物と味には不感症になって、「食べる文化」には程遠いところにいるのではないかと思った。いまごろになっての自覚も、滝に打たれている成果だろうか。




2014年9月7日日曜日

東京大改造で得られるものは

2020年オリンピック招致が旗振り役で、東京の「再開発」計画がすごい勢いだ。都市開発はこれまでも、官民がかりですすめられてきた。旧来の住宅地をつぶして、ビルを大量に建造して「ニギワイ」のある街を造ってきた。身近な所でも、その改造はとどまるところなく、次々と新しいものができあがった。しかし、その結果が働くものと住民からの目として見た場合に、すなおに喜べることになったのかどうかは疑わしい。

一勤労者として、はたまた住民としてその成果を受けたことに思い当たることは、どれだけあるか。高層ビルの上から、はるか下を見下ろす快感を味わいながらビールを飲む瞬間に、「おお」とその気分を表すことくらいはあっても、先を争う通勤時間帯や周囲が敵と見紛うような人の交差。昼食は休憩時間にはならない食糧の確保の苦労。住地域の商店はスーパーに凌駕されて、開店時間を延ばして生き残るか、シャッターを閉じる選択しかないかのような始末。静かだった住宅地も、マンションの建設や事務所の増加で地域のゴミ収集にも物議がおこる。そういう風情はなかなか文学にもならないようで情けない。

ケンプラッツ「東京大改造」(日経BP社のHPで会員登録が必要…無料)からコピペした東京の開発の動きだが、昨年9月のオリンピック招致決定以降でも、驚くほどの開発計画が予定されている。これだけの莫大な資本投下のあとにくるものは何だろう。バブルがはじけた後の…記憶は残っている。

神田川に桟橋現る、御茶ノ水駅の改良工事が始動
2013/09/10

上野がゆるりと近代化、下町にも再開発の波
2013/09/26

リニア駅周辺で始動する大規模プロジェクト
2013/09/30東海旅客鉄道(JR東海)が2027年の完成を目指すリニア中央新幹線について、詳細な駅の位置やルートを明らかにした。既に、リニア駅の周辺では複数のプロジェクトが始動している。それらについて解説する。リニア中央新幹線の詳細については既報「リニア詳細、全ルート・6駅の位置が明らかに」を参照してほしい。

田町の車両基地移設が完了、山手線新駅いよいよ
2013/11/25
 

東北縦貫線は「上野東京ライン」、14年度末開業
2013/12/09

西武新宿線でも連続立体化が始まった
2013/12/24
 
どうなる横浜駅大改造、西口はJRに一本化
2014/01/17
 
街との共栄目指すJR高架下施設が開業
2014/02/04
JR中央線東小金井駅(東京都小金井市)付近の高架下に、商業施設「nonowa(ののわ)東小金井」が開業した。施設の延べ面積は4600m2、うち店舗面積は2400m2で、飲食や雑貨店など21のテナントが入居する。周辺の商店街と協議を重ね、地域への回遊を促す仕掛けを盛り込んだのが特徴だ。

横浜駅大改造を縮小、線路上空には建てない
2014/03/10
 
渋谷は地下もスゴくなる、クルマも自転車も
2014/03/24
 
JR渋谷駅が大移動、17日夜から準備工事
2014/04/16
                     
渋谷に「春の小川」は復活するか
2014/05/07
 
広がる池袋東口、エコミューゼに続き新ホールも
2014/05/20

6月に着工、渋谷駅の46階建て超高層
2014/05/27

品川新駅の衝撃、13haの巨大複合都市を創出
2014/06/03
 
品川新駅で湧く近未来の“湾岸”鉄道網
2014/06/18
 

新宿御苑かわしバイパス開通へ、計画から半世紀
2014/07/02
池袋と新宿、渋谷の3つの副都心をつなぐ明治通り。JR山手線の内側に沿って走る東京都内の幹線道路だ。慢性的な交通渋滞が問題となっているJR新宿駅の東側で、明治通りのバイパスをつくる工事が静かに進んでいる。
 当初の計画が決まったのは、今から約70年前。しかし、バイパスは開通することなく、長らく止まったままになっていた。希少な樹木の群落がある新宿御苑の敷地に道路が掛かる計画となっていたからだ。
 バイパスを整備する東京都は2005年、道路の構造を見直してこの群落を回避できるように計画を改めた。工事は10年からスタート。20年の東京五輪を前に、ようやく開通のめどがついた。
 
東京駅丸の内側に大広場、17年春に誕生
2014/07/04

飯田橋駅はカーブも勾配もきつかった!
2014/07/11
東日本旅客鉄道(JR東日本)が72日に飯田橋駅を改良すると発表。カーブしているホームを新宿方面に約200m移設して直線化し、西口駅舎も建て替えて駅前広場を整備する。

モノレール試乗で羽田空港の未来が見えた!
2014/07/18
 東京の浜松町と羽田空港を結ぶ東京モノレールに17年ぶりに新車が登場。715日に報道関係者向けの試乗会があった。新車両は18日から定期運行を始める。首都高速道路が625日に羽田線の更新計画を発表、720日には空港船着場に定期航路が開通するなど、羽田空港を巡る動きが慌しい。モノレールに乗って空港に向かうと、羽田周辺の未来が見えてくる。
滑走路と駐機場を増設へ
 モノレール試乗会に先立つ78日、国土交通省の交通政策審議会が首都圏空港の機能強化について中間取りまとめを公表した。羽田空港については2020年開催の東京オリンピックの前後で、処理能力の’拡大へ向けて新滑走路を設置するなどの案を盛り込んだ。

ついに着工、渋谷大改造の全貌
2014/08/01
 「50年や100年に一度」といわれる規模で進む東京・渋谷駅周辺の再開発。シンボルとなる最も高い「渋谷駅街区東棟」の工事がいよいよ本格化する。731日に起工式が開かれた。東急東横線の地上線路跡地で進む再開発も含め、渋谷大改造の全貌を詳報する。
 
品川は大丸有と並ぶか、鍵は京急線の地平化
2014/08/05
 品川は大手町や丸の内、有楽町と並ぶ「国際交流拠点」となるか。東京都が717日に公表した「品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン2014」から将来像を読み解く。

都が示したガイドライン案は、約630ヘクタールの広大なエリアを対象とする。都心最後の大規模土地利用転換を見据え、街づくりやインフラ整備の方向性を打ち出した。8月をめどに正式決定する。

御茶ノ水の線路脇で耐震工事が進行中
2014/08/19    
神田川の右岸に沿って設置されているJR東日本の御茶ノ水駅の周辺では、大規模な耐震補強工事が進行中だ。実施箇所は、神田川に掛かる水道橋と昌平橋の間の約1.2km

羽田空港アクセス線
2014/08/20
JR東日本は819日、羽田空港と都心を結ぶ新線「羽田空港アクセス線」を整備して東京・新宿・新木場の3駅方面と空港を直結する計画を明らかにした。新線は羽田空港新駅東京貨物ターミナルまでを結ぶ約6kmの地下ルートだ。

「オヤジの街」にシャンゼリゼは出現するか
2014/08/21
「虎ノ門ヒルズ」(東京都港区)が開業した611日、ビルの足元の路上に2つのオープンカフェが誕生した。目指すのはパリのシャンゼリゼ通りだ。虎ノ門から新橋まで延びる環状2号線(新虎通り)沿道では街並み再生のルールが決定。昭和のオフィス街が大きく変わろうとしている。
 地上52階建て、高さ247mの超高層ビル「虎ノ門ヒルズ」(東京都港区)が開業した611日、ビルの足元でもちょっとした変化があった。虎ノ門から新橋までを結ぶ「新虎通り」にオープンカフェが2店舗誕生したのだ。
 歩道上にパラソルを広げた両オープンカフェは、東京都が進める「東京シャンゼリゼプロジェクト」の第1号として設けられた。観光客のほか近隣のオフィス街や官庁街に勤める人々が気軽に立ち寄り、にぎわいを生んでいる。

「新東京」名乗るのは品川か新駅か
2014/08/27
東京の南のターミナルである品川駅は今後、リニア中央新幹線のホーム建設をはじめとする様々な計画が進み、東京駅に匹敵する拠点に生まれ変わる。リニア駅を新駅とみなせば、慣習に倣って「新東京」駅を名乗るところか。

品川は北もアツい、一足先に大変身
2014/09/03

リニア中央新幹線や新駅の開業計画で盛り上がる品川駅。その北隣では一足早く再開発が進んでいる。2000年以降、人口がおよそ3倍に膨らんだ東京・芝浦。最寄りとなるJR田町駅の東口北地区に生活の一大拠点が誕生する。かつての埠頭の街は今なお変化を続けている。



2014年9月3日水曜日

温暖化で抜き差しならない日常

O-157の感染源については、まだわかっていないことが多い。アメリカでは、牛肉・乳製品が最も多く(約51%)、それ以外ではサラダ(約19%)、人から人へ(約12%)、飲み水・プールの水など(約12%)、アップルサイダーとのこと。アメリカの食環境に入り込んでいるらしい。このところ日本では出てこないが、夏から初秋にかけて発生しやすいと。これも気温上昇による要因があるようだ。

温暖化による海水温上昇が沿岸漁業に与える影響も相当あるらしい。1990年以降日本海の定置網にかかる鰆が増加して、地球規模の気候変動との関係が報告されている。福岡県筑前海の鰆も、冬季に漁獲があるのだとか。獲れる魚が違っていることで、食文化にも影響を与えている。サンマの南下が遅れて、この時期北方の遠方へ行かないと獲れなくなっていることが増えた。エサの補給源である栄養塩が高温によって沈み込んだままの状態であることが影響しているのだろう。昨日のNHKの報道で、栽培漁業にもその影響があり、ヒラメの養殖では、水温が高いため死んでしまうヒラメがでてしまっているらしい。高水温でも生き残れるヒラメを、研究しているとか。いよいよ天然ものものからは遠ざかる事情だ。

ヒラメは韓国産とほぼ同等の「生産量」なっているから、競争もし烈だ。日本のヒラメを食するのはいつまで可能かというところまできた。加えて養殖では避けられない細菌性の病気対策も大きな問題だ。ヒラメのエドワジュラ症、ブリの連鎖球菌症、細菌性溶血性黄疸などあり、淡水魚でも有名なアユの冷水病、アマゴの細菌性腎臓病、ニジマスの連鎖球菌症等、自然界では問題にならないだろう病気が、養殖環境の中で伝染する。

人間の側が、自己都合で改変してしまった自然の環境のなかで、生き残っていかなければならない魚には残酷な話だ。
デング熱は東南アジア、中南米などで発生しているものであるのに、媒介する蚊が代々木公園に生息している。気温の上昇で熱帯に近くなっているということだろう。温暖化が外来生物の「国際化」にも及んでいる。いわば人間の世界が誘導している。長い時間をかけて生息環境になじんで変化してきた生物に、重大なストレスをあたえたままでいのか。





2014年8月31日日曜日

代々木ゼミ、受験生が少なくなったから縮小とは。

子供が少なくなったから、競争が無くなって、大学入学が容易になってきた。大学の定員割れが起きて、教育産業には打撃になっているとか。定員が少なくて、受験競争が激しくなる方が事業として成り立つわけだから、悪く言えば人の不幸につけこんで利益を上げる産業だ。親のスネかじった金を当て込むことで成り立ってきたのだから、理屈の上では良いことと言えるのだが…。代々木ゼミは大幅に縮小するそうだが、駅から5分以内の場所にゼミ校舎・施設設置しているので、廃校によって売ってしまうにしても地の利がいいから、需要が見込めるのだとか。その学生寮なども購入企業の宿舎として利用できるということまで想定していたという。これを持って「見通しのよい」優秀な事業者だったと評価する向きもある。

教育が私的事業者に依拠することは、教育に責任を持つ国や自治体の本来あるべき姿ではない。大学もいまや教育「事業」として、私企業から補助金を受けて研究開発の一体化へと走っている。産学協同はいかがなものかと言われてきたが、最近はほとんど聞こえない。しかし、いまや産学連携は「常識」のように闊歩している。教育が私企業の開発のための下請けになって、その研究に従事した学生が、ノウハウをもって企業に吸収される。それでいいのだろうか。大学の自由で豊かな研究、学習を歪ませていないだろうか。

公務員の場合も公務員専門学校がある。本来は事業者が企業業務の教育をするべきところ、就職前から自己の責任と金で、事前教育を身に着けさせるという可笑しげなことがまかりとおっている。新規採用者の教育にかかる費用が安くて済むという話だ。事業者にはやさしい制度が堂々と許されている。

―東海大学のソーラーカー開発に多くのスポンサーがー
  →東海大学木村研究室







2014年8月26日火曜日

自然を邪険に扱うこころ

自然とのかかわりから人間は抜けられない。であるのに自然に対して冷たい仕打ちばかりが目立つ。人間集団の運営は、自然に対しての考慮も配慮も先送りしている。もっとありていに言えば、事業活動優先の「ものみな」有意義な資源としてみているところに原因があると言えるのではないだろうか。

農業でもコメ作りを大規模化させて淘汰し、日本の一つの県ほどの面積が減反として切り捨て誘導され、「耕作放棄地」とその名も主体的にしたかのような文言で切り捨てた。写真に撮る「棚田百選」でも、美なる田んぼはもはやオーナー制度の観光農園としてしか生き残れないところもある。これが文化として残っていくのだとあれば、あまりに皮相すぎないか。

以前にも書いたが、佐渡のトキを増殖させるために、ドジョウが田んぼに生息する環境に回帰させる、つまり田んぼの昔の姿の戻すことに金をかける。「特別」の資金(税)を投入して。これを素直に、自然への配慮という評価するわけにはいかない。自然の体系が守られることが必要だと、気が付いたことは良しとしても。

経済成長の美辞句のもとに、事業活動の有効なグッズ=自然としてしか扱ってこなかったこと、その影響が様々な分野で問題を生じ、指弾を浴びるのは当然だ。これに気付くべきだということは声を大にしなければならないことだと思う。一刻も早く今からどれだけのことができるかを考えなくてはならない。

自然を大切なものとて考える団体も少なくない。なのに、市町村や国の機関はどれだけの施策を持っているのかを思う時、期待の大きさとの隔離を思わないではいられない。「資源」としての活用という範囲しか見ていないという、これがネックとしてあるといえないか。沿岸海域の魚貝類はおしなべて養殖したものが幅を利かせる。そのことを全部否定するわけにはいかないが、それほど海が疲弊化していることだと、しかたがないことに終わらせていいのか。




もともと自然の力は壮大なものがある。気仙沼市の唐桑町は3年前の津波被害で大きな打撃を受けた。
漁業従事者が生き死をかけた復活を試みて、皮肉なこと津波で変化した海岸にアサリが繁殖しているのを見て、復活にかける決意をした。15メートルもの防潮堤を造ってしまったらそれさえもなくしてしまうと、建設不要と言っているとのことだ。

津波にあって、海底の改変がおきたところでも、アマモの繁殖がすすんでいるのだということも明らかになった。しかもアマモは湾を跨いで流れていって繁殖するということだ。神奈川県の水産試験場が、東京湾にアマモを増殖させる努力を続けているが、自然の力とはそもそも凄いものだ。これをほとんど失くしてきたのが自然への「もてなし」だった。東京湾の三番瀬でもアサリが繁殖している。湾のほとんどの浅瀬を埋め尽くして造成してしまった今、この残された貴重な干潟にアサリが息づいている。その稚貝はかつては東京産として地方から求められていた。自己再生が不可能になった今、日本の各地でもアサリは種苗生産としての道を残すだけになってしまった。





2014年8月22日金曜日

開発と言う名の自然破壊になるのでは

 広島県の<土砂災害危険箇所>特別警戒区域の指定が遅れているという記事があった。

~「特別警戒区域」の指定は、320か所と全体の2・7%にとどまる。同課は「警戒区域の指定を先行させ、まずは住民に危険箇所を知ってもらうのが狙い」としているが、新築時の建築確認など規制や制約を伴うため、「地価下落や風評被害を心配する住民の反発を避けたい」との思いもあるという。
 特別警戒区域の指定も、住民の同意を得る必要はないが、県は「納得してもらった上で指定したい」と説明を尽くす方針だ。このため、警戒区域との同時指定を目指す、ある1市約20か所については調査から1年以上経過しているが、警戒区域に指定しておらず、特別警戒区域の指定にはさらに時間がかかりそうだ。~YOMIURI ONLINE  

 昨日のブログで指定に反対すると、行政側が指定しないと書いたが、広島県は「反発を避けるために納得してもらって…」というやり方をしていると、事実上反対があれば指定しないと述べている。住民にとって地価の下落を心配するというとが、本筋なのだろうか疑問だ。16年前に起きていることへの教訓はどうしたのだろうか。

 広島市の住宅開発は、丘陵地を利用したものを重点的に描いている。これが、広島西風都市という名の開発計画によるものらしい。土砂災害がひどかった安佐南区がこの都市開発に組み込まれている。
 ここは市街地の原爆ドームの前を流れる大田川の上流部が、婉曲して囲んだエリアになっている。被災地の広島市安佐南区、安佐北区の航空写真をみると、低い山のいたるところがおおきく掘削されて、住宅地として開発されているようだ。山頂付近の住宅の一群に単独の「丁目」がついているところさえある。こんな開発でいいのだろうか。

 グーグル地図→広島市安佐南区

 航空写真では、山や森の役割をほとんど無視しているように、「人のテリトリー」を拡大している。むりやり山を削って痛めつけ、ヒートアイランド現象を増大させること、このリアクションが今の破壊的な豪雨の元になっていると言えるのではないのか。人が住み続ける場所の造成は、本当は「山のエリア」ではないのか。ないがしろにしているツケ、そんな風にも思える。


ひろしま西風都市開発推進協議会→ひろしま西風新都




(昨日のブログで「京都」と記してしまった。他、不正確だった部分を訂正した。)




2014年8月20日水曜日

災害を自然のせいにしておくのは策略だろう

 土地値が下がるから、「特別警戒区域」指定に反対すると、行政側は指定することがでないのだそうだ。そんな馬鹿な話があるのかと思うが、京都市の地すべりではたくさんの犠牲者が出てしまった。平成11年にも30名上の犠牲者があったとのことだから、同じ轍を踏んでしまったことになる。広島市の消防担当者は対応の遅さと判断が遅かったことを反省する弁を述べていた。大島の土石流の被害でも自治体判断の責任の重みが言われた。身近な自治体の対応が大事なことには違いないが、この豪雨の予報もまだ的確なものと感じない。

 8月初めから11号台風の影響と合わせて、間欠的な豪雨が続いて四国地方を中心に被害を受けたが、さすがにこれまでの台風被害にたいする弾性をもっているのか、その割に大きな人的被害にはならなかった。このときたしかに「特別警報オンパレード」のように警鐘乱打したことが功を奏した面もあるのかとこの時思った。

しかし要は「温暖化」をまだ正面から見てない、というより見ようとしていないところに原因があるような気がしてならない。ここのところの雨の降りようは、なまじなものでない。「何年に一度の」だの「8月の降雨量を3時間で」などといってなんの意味があるのだろう。たくさん振ったものだからしかたがないと言う気かと皮肉りたくなる。

広島市の宅地開発は、山際までどころか傾斜部へ競りあがってまで住宅を造っている。テレビ画面を見ながら、すさまじい住宅の密集具合に驚いた。冒頭の開発事業者の発想とも思える「特別警戒区域」指定を蹴飛ばす安全とはいかなるものなのだろう。住宅地開発の際の安全性の調査は、その気になれば簡単にやれるものだったろう。アルプスの急峻な山というわけでないのだから余計にそう感じる。

当日夕方のニュースでは、すでに地層の種類まで言及されていた。わかっていながら、いわば結果として野放しにしてきた。調べた後の行政側のリードがあってこそ、安全を手に入れられるのではないか。おそらくどこにでもあるように、潜在している問題を掘り出しえないまま、開発容認の方向へすすんだのだろう。丹沢湖のキャンプ場の河川敷無許可使用の行政指導(6回やったと)といい、どうしてこうも事業者の「規制」に優しいのだろうか。


平和と安全を守るためにと戦後をひっくりかえすようなことに執心の政権だけれども、国民の生活の安全や平和な生活のために、さっさと手を付けるべきはここにもある。



2014年8月18日月曜日

戦争は犯罪でなくてはならないと思うとき

2年前のNHKビデオを見た。アッツ島の「玉砕」で2600人が死んだ。軍司令部は「なんの援助も求めなかった」と支援を求めていたことを隠して美化し、「捕虜の辱めをうけず死ぬこと」を遂行させた。このとき19438月。自らの手で死ぬことを選ばせることを、玉のように美しく砕け散るというワード「玉砕」ですり替えた。終戦まで2年も軍部の玉砕戦略が続く。海軍の回天(人間魚雷)、神風特攻隊はこの象徴。これは狂気としか言いようがない。

某幹事長がいう「血を流せ」は戦闘地域に行って死ねと言うことに連動する。だからアッツ島で傷を負って捕虜で生き残った人は、生き残ったことを恥として心にしまいこんできた。戦争に反対することを残虐な手法で封じ込めてきた当時から、いまだに血の匂いを嗅ぐのが当然とする主張が出されてくるのはどうしてなのか。
 
 NHKの討論会で若い学者に「アメリカの若者が戦場で戦っているのに日本の若者が血をながさないのはおかしい」と言わしめる。こういう番組がNHKの真骨頂と思わせる場面だった。15日のNHK番組「大人のドリルSP」では~「第二次世界大戦で、日本はどこと戦ったのか?」「その時の日本の同盟国は?」10代・20代の若者たちに質問すると、なんと半数の人たちの答えは「わからない…」!!!これは、学ばなかった若者たちの問題なのか、伝えなかった大人たちの問題なのか!~と問題提起した。

 マスコミの戦争協力報道を自己批判する発言もあって、これはNHKの良心かなとちょっと感じさせた。出席した解説委員から、「学校教育の中で戦争の問題を学ぶようにする」という発言もでた。日本は戦争の反省もなく教育からもその問題を遠ざけているわけだから、若者が学ぶことは、将来中国や韓国などとの友好にも役立つことだろう。しかし戦争を知る世代が、知らない世代へ伝えることは、繰り返してはならない時代の一番効果的な方法であることは違いないことだろう。アジアで2000万人、310万の日本人が犠牲になったという重みは、過去にあった出来事ということで置いておくだけではあまりにも大きすぎる。



2014年8月14日木曜日

アジの開き、上出来の自己満足

昨夕、Sさんが釣ったばかりのアジを持ってきてくれた。18センチほどのものだったが、30尾ほどもあるのでどうしようかと考えてしまった。どうしようかではなくて、実は気の利いた調理はやったことがないので、どうしたものかと考えあぐねたというのが正確なところ。干物なら塩水に浸して干せばいいのだから、なんとかやれるかととりかかった。小物を切る出刃包丁がちょうどよいので、ハラワタを出して、5枚だけ塩焼きにするもののほかは全部開いてみた。包丁の入れ具合もままならないから、何枚かに一枚は偶然きれい開けた。ギザギザに身が切れてしまったりしたもの多かったが、なんとか「開き」らしきものができあがった。海水は相当辛いものだから、真水に相当塩を溶かし込んで、一時間ちょっと漬け込んだ。風もなくて乾燥できるのだろうかと心配はしたが、翌日の午前中までともかく干すことにした。干し籠に入れてベランダにつるしたら、奇しくも3段の棚がちょうど一杯になった。

21時ころにウォーキングに出かけようと外に出たら、雨が落ちてきた。あわててベランダの干し籠を取り込んだはいいが、干し場所はもとよりない。ドアの洋服掛けフックに括り付けてぶら下げた。多少臭うだろうとは想像したが、その匂いたるや想定外のものだった。生ものの匂いには慣れているつもりだが、その凄さに驚いた。幸いにも23時ころには雨が上がったので、また外に出すことができた。部屋の匂いがすごいので、このまま寝ることもできないから、しばらく窓を開放して空気を入れ替え、竹酢液を小皿にとって匂い消しのために置いた。


翌日は曇りで、予報では午後から雨とのことで、いつ降り出すかという空模様。でもなるべく外に置きたい干し籠。空を眺めては様子を見ていたが、黒雲が厚く見えたのを機会に、干し籠から取り出して新聞紙に3つに分けて包んだ。まだ生乾きみたいな気もするが、空模様を変えるわけにもいかない。昼食時に3枚焼いて試食してみた。魚の新しさからか、思ったより旨い。上手くできたのかどうかはわからないが、食べられるものになっているだけで上出来ということにしておこう。ただ、塩味がちょっときつかったから、この次の時は塩漬けの時間を短くした方がよさそうだ。






2014年8月12日火曜日

釣りは無念だったが、雨降りの中断に観光できた幸せ。

 83日、帰る日なのに容赦なく雨が降り続きている。しかし実は情けなくも、すでに体中が疲れてきているから、友人とは違って気分はそんなに悔しさ100%と言うわけでもない。15時ごろに高知空港に着くまでの過ごし方を相談しながら、散らかった釣り道具と衣類をもとのように戻す。

 どうかなと迷いながら、時間つぶしのドライブで室戸岬に行こうと決断した。風雨で影響がどこまであるのか心配ではあるが、距離はそんなに遠くないので、ときどき強く吹き付ける雨と風を体感しながら、海沿いの道を南東に向かった。現地に着けば晴れるだろうと、昨日のドライブでは体験した「根拠」をなかばやけっぱちに言い放ったのだったが、不思議なことに室戸岬に着いたときには雨が上がるという偶然に恵まれた。


 そのわりにはあまり波が高くない岬を覗いてから、最御崎寺(ほつみさきじ)を傘なしで回った。寺は室戸岬の高台にあり、24番札所とのことだった。神仏には日頃は縁遠いのだが、風雨のさなかよい時には晴れにしていただいたことに恩義を感じて、お参りの真似事をさせていただいた。











2014年8月11日月曜日

台風接近で雨が降り、ときたま雨が上がるとき狙う釣りも…。

 



 82日、朝から釣を諦めさせるには十二分の雨降り。なんとかしてやりたい気持ちはあるが、この降り様ではと泣く泣くあきらめて、ドライブに出かけることにする。雨がひどいと道路にも影響が出るのではないかと思いながら、室戸岬へ行こうと下り始めて間もなく、道路遮断の表示が。11時までは通行できないと工事関係者が話す。回り道はないというから、ふうてんの身をしょうがなく山の方へ車を回転させた。

 昨夜、温泉のレストランの女子が、自分の家の近くは素晴らしいところと紹介してくれたのを思い出して、魚梁瀬(ヤナセ)に向かうことにしたのだ。しかし途中、雨が気まぐれのように間欠しながら降っていて山道の暗さも、少々恐怖さえも感じる。「道路に砂利が落ちているところは崩れやすいんだって」などという話題で余計気になってくる。対向車もあまりない細い道路をしばらく走ると、ダムに行き着いた。展望台を探し当てて眺める景色はなかなかのものだった。

 女子の話のように、なるほど景色はとても素晴らしい。そのとき、降り立った瞬間だけ雨が止んでいた。春や秋にはよほどの景色だろうなと思う。幸運にも写真を何枚か撮ることができて、ドライブの甲斐を賞することができた。



 温泉に戻ってきて、またちょうど上がりそうな雨をにらみながら、よし釣りをやろうと身支度を整えて、川に降りたら途端に雨が降ってきた。それもなまじな降り様ではない。おまけに雷まで鳴りだしてきた。熱意は天に通じない。ウーンダメだとギブアップ。夕餉にまた、地酒と焼酎を飲みほして、明日の帰京日の朝に淡い期待をかけることになった。レストランの女子は、車で通う道で崩れた砂利をみると、手袋をして道路の砂利をどけるのだとか。馬路村の良さをしきりと教えてくれた地元を愛する心意気が伝わってきて、有名温泉地で聞くような表面ばかりの案内とはちがった気持ちをもたせてくれた。






2014年8月10日日曜日

生涯初のアユ釣りは面白みどころでない体験。

 81日は、河口から20キロはある馬路温泉泊の早朝、安田川の上流部でアマゴを狙おうかと3人で出かける。車から眺めながら見る流れの落差はそんなにないが、道路からの降り口がなかなか見つからず、あっても川からは高いので、なかなか流れには降りられない。渓谷は素晴らしい眺めだが、探しながらいくら上へ行っても同じ状態なので今度は逆に下ってみることにした。

宿泊している馬路温泉近くまで下りて、見たところよさそうなところに車を止めて降りてみる。流れの落ち込みで、頭からネオプレンのタイツを纏って、釣竿を持ちながら、箱メガネで川を覗いている人がいる。半身以上川に浸かって、アユの泳ぎを観察しながら竿を振ってひっかけるようだ。あとでわかったが81日から、「しゃくり釣り」の解禁になっていた。見ている間に3尾もかけて、見事なものだった。さて釣りを始めようかと川を眺めてみるものの、動き回るにはちょっと足元が悪いと見えたので、再度の移動となった。

川は平たい流れになって、歩くにも危険はなさそうなので、釣り場を定めた。東京から持って行ったブドウ虫を分けて、針に付けて流すと、第一投でかかったのはカワムツ。渓流でこれが圧倒的に多いのは、以前に四万十川で体験したから、覚悟はしていた。しかしそれが入れガカリだ。なにもアタリがないよりはいいにしても、どうしてこんなにいるのかと思う。この魚は天ぷらだとか唐揚げで食べられる魚なのだが、日常のつり種目にないものだから、疎んじてしまう。釣ることの楽しみは十二分味あわせてもらったが、すべて放流した。そんな状態で、やっと小さなアマゴが1尾だけ顔を出してくれた。

朝食後はアユ釣りだ。私とすれば、アユ釣りはお付き合いのつもりだ。(というと友人には失礼になるかもしれないが、)アユ釣りの面白さは、周りの釣り師たちの突っ込み具合を見ていると解る。釣りはなんでも面白いが、突っ込んでやるのは一つの魚種でもとても奥が深い。いまだにハゼやフナ釣りでさえも、確信に至らないから、ずば抜けて面白そうなアユつりには手を出さないと決めていた。でも信条に反するというほどのことはなく、やらせてもらうことにした。

なんでも知らないことを初めてやることが上手くゆくはずはない。友釣りのためのおとりアユをつけてもらった後は、一人でやることになって、どうにもならない。泳いでくれぬオトリアユをやたら引きずり回して弱らせてしまって、可愛そうなことをした。ところがそんな状態なのに、アユが掛ってきた。目印がとんでもない方へ走ってくのだから、シロウトでもわかった。かかった魚をどうして取り込むのかは、友人が近くにいないからわからない。タマ網をどうやって使うのかのイメージも不明で、ともかくも苦しがるアユを見よう見まねで付け替えて、再投入。反応がないので場所を変えたくてもどうやって魚を運ぶのかも想定できない。やむなく引きずり回すことになった「虐待」行為。それでも2尾目も掛ってくれたから、まあよかった諸体験だった。魚はたくさんいるのだろうということだけはわかったが、ガッツーンとかかる面白みは、もっと授業料が必要なのだろう。
午後からは馬路温泉の直ぐ下の河原でカワムツ承知の釣りをする。今度はアマゴが2尾釣れてきた。これはアユと一緒に塩焼きになって夕食の食卓に上った。


2014年8月9日土曜日

土佐の高知でアマゴが釣れたらいいな。しかしまず、カツオを食べる初日。

 関西の釣りとなると、魅力的で気持ちが動く。めったにいけるものでないから、誘われてうれしい旅だった。それにしても、最近は出かけるときの天気はどうして雨にたたられるのだろうか。家にいることが多いこの頃ではあるが、ウォーキングや買い物に出て、2回も傘なしでどしゃ降りに合っている。昨今の天候せいもあるから、もっぱら運が悪いというわけでもないと思っているのだが、今回また12号台風が居座って、向かうところの高知県には雨の予報で埋まっていた。

 731日には、なんなく高知空港に降り立って、市内でカツオ料理を昼食にすることができた。運転手役には申し訳なかったが、せっかくのカツオにビールがつかないのでは片手落ちと言うもの。一杯だけと遠慮しながら美味しくいただいた。




 食後、レンタカーを西に向けて走らせ、蒸し暑くはあるものの、幸いにも曇りがちの天候の仁淀川河口にたどり着いた。シロギスは釣れると聞いていたので、途中でアオムシを購入して張り切って、竿をのばした。延べ竿でシロギスがかかったら、引きが強くて面白いと言いながら始めたものの、音沙汰はまるでなくてウロハゼとウミタナゴの小さいものが顔を見せてくれただけだった。事前にグーグルの地図を見ながら、シロギスは釣れそうだがハゼはいないだろうかとあたりをつけて、釣具屋に連絡を入れてみたら、ハゼはどうやら無理のようで、シロギスもことしはまだよくないとのことだった。







2014年7月25日金曜日

暑さに釣りで抗するのも身体のため

とか理由をつけて、梅雨と台風でつりに行けなかったときから、夏の陽気が一気に暑くなった日和に、東京湾にシロギス釣りに繰り出した。連れて行ってくれたSさんが、3人なら船頭さんが船を出すよと言っているということだったのに、じつは10人くらいの同乗者がいたので、ショボショボいくのではない繰り出しということになった。きっと、雨の間釣り好き人間はいらいらしながら機会を待っていたからなのだろう。太陽は雲に隠れていて、一日予報通りの曇り加減ならいいなどとしゃべりながら岸離れ。例のアクアラインを越したあたりで「どうぞ」の掛け声がかかった。ところがアタリがなかったようで、すぐに移動となった。

この機に新竿をもって臨んだのだが、天秤仕掛けの工夫が生きずに絡んでしまって、最初からトラブッテしまった。天秤を別のものに替えながら、隣のSさんを見ると、竿を2本使って順調かつ忙しそうに、竿の仕掛けに着くシロギスをはずしている。ようやくできた仕掛けを前方に放り込むと、潮のせいですぐに船に寄ってきてしまい、アタリを取るどころの話でない。おかしいと思いながら、錘を20号に替えてみるが同じような始末。間違ってかかったような数匹以後は空白の時間が過ぎたようだった。舳先の人に目をやると、見るたびにアタリをとって見事に釣りあげている。

ともかくシロギスが嫌というほどいるというのがわかるが、それだけにこちらは焦ってくる。そこで仕掛けを投げ入れたら、錘の位置をほとんど動かさずに置くことにした。ほとんど糸を張るようにして、あたりがなければ竿を振って糸に振動を伝えて、わずかに引くという動作にした。なにせ新竿だからその釣り具合に早く慣れなくてはいけない。ちょうど、前ほど潮の流れが無くなってこともあり、アタリがしっかりとれるようになってきた。さあそれからは、入れガカリ状態を十分味わうことができた。昼ごろには波がなくなり、風もなくなって堪らない暑さになった。汗はいやというほど出るが、蒸発しないので熱中症は大丈夫かなと思った一時もあった。朝方購入した水分が炭酸水だったので、それでもこまめに補給しながらしのいだ。

途中で、Sさんが120尾というのが聞こえてきたので、なんとか100尾を超えたいものと、懸命に頑張ったつもりだったが、結果は追いつかなかったようだ。Sさんは150尾くらいはいったのだろう。舳先の例の人は350尾だという声が聞こえた。その人にいつ目をやっても、シロギスを掛けている状態だったから、さもありなんではあったが、びっくり仰天の腕前だとすっかり脱帽した。自分としては120尾ちょうどまで釣れたので満足はしたものの、つりの腕前はまだまだ先があるようだと自覚させられた釣りだった。
帰ってきてから、氷水と缶酎ハイを十分補給して、魚の始末をしたのだが3時間もかかった。暑さにも抗した体力がまだあると自覚できたのも収穫だったようだ。