2012年9月5日水曜日

枝豆より不幸


 岩手山麓から枝豆を送ってきた。雪解けの後、人に頼んで土を起こしてもらって、種をまいたものが撒いたものが実った。堆肥を入れ雑草を取り払って貰って育った。豆の入りが少し小さくて、何かの影響があったものだろうが、味は悪くない。

 豆が小さかったから、もう少し待とうと様子を見ていたら、黄色くいなってきたので、急いで刈り取って収穫したのだという。山麓の気温と土、雨の量などの影響で成長が変わってくる。なにが原因かは率直なところ分からない。いや実はわかっているけれども、我々が知らないだけかもしれない。ともあれ自然のパランスは微妙のものだ。枝豆が喜んで成長していたのではないことだけははっきりしている。

 子供たちも「喜んで成長」していない。いじめの構造は、いじめるものがいるからだというのは、短絡的な発想ではないか。なぜ苛めるのかの解明がいる。いじめの構造は、大人の世界というより社会の構造の中に包含している。人と人の関係の中に極度の競争や差別がある。競争で負けたものは「仕方がないんだ」と切り捨てている。

 品川区がいじめた子供を排除できることにするというが、そんなことをしたらもっと酷いことにならないだろうか。いま、苛めにあった子供は「苛められていない」と話すという。苛められても、そうでないということを言わせるまでの苛めになっている。そうでなく、相手にしてもらえる友達だと思い込んでいるとしたらこれも大変だ。今の子供たちは、枝豆よりも不幸だ。

2012年9月4日火曜日

政局をとらえるにも、骨がなくちゃ

 総裁選とかで、民主党ではあの人気のない内閣の野田首相が有力というし、半野党の自民党はぞろぞろと候補者がでたり、もったいぶったりして、マスコミがこれを人気投票までして煽って、AKB48の総選挙かいと思うほど。昔首相になった人まででてきて、まあ法に触れるというわけではありませんが。

 政党が自分の都合でお決めになることを、いちいち報道で取り上げるなら大変ですよ。今政党が多いんだから。維新の会ばっかり持ち上げてやるのも拙いし、緑の党もでてくるわけでしょ。

 目立つことだけを取り上げるのがマスコミだというのはいいわけだよ。公正だとか公平を大事にすること、社会正義を曲げないことがなくなったら、ものの発展につながらなくなる。

 石原慎太郎さんが何しようと無批判にしていていいのか。尖閣列島のヤギの食害を心配するより他に都政に問題はないという認識なのか。国や自治体の役割とはなんだということを、ちゃんと捉えてほしい。自治体の長を足掛かりにして本来の「職務専念の義務」を果たさない連中がどんどん出てくるのは、マスコミのせいと言っても過言でない。

2012年9月3日月曜日

これがコミュニケーションかな

 人間生きていくにはコミュニケーションが必要。これは、人が太古の時代から顔を突き合わせて、意思を交わして情報交換をして生きてきた歴史だし、社会を発展させてきた原動力だったのだろう。

 企業でも生産性や売り上げを伸ばすために、簡単に言えば従業者に過密な業務を背負わせる。しかしその疲労のために、従業者に体調を崩すものが増える。企業の存続にとっての人材も保全しなくてはならないから、コミュニケーションを経営管理のひとつの目的に据える。

 ネットの世界もこのコミュニケーションが意見交換の主軸になっているように見えてきた。パソコンでツイッターだのブログだのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・システム)で他人とのつながりを作るのは、この本性によるものだろうか。

 今、地域社会の繋がりが、移転や高齢化、子供の減少で非常に薄いものになっている。だが、隣の人が何をしているかわからなくても、ネットならつながっていくことができる。遠い地域にいる人とでも、平気でつながりを作れる。

 問題はこのシロモノがわかるまでが、何とも手間がかかる。いろいろ試してみて、やっとわかっても実は目的が違っていたり、ルールにのっていなかったり、書き込んでは消してみたりして苦闘する。

 でも間違えても「抹消」は必ずどんなところにもついているから、新しいことをやるときには「抹消」はどうやったらできるかということを念頭におきながらやる。苦労してフェースブックに投稿したものに、「いいね!」とクリックされると、これがコミュニケーションかと、こそばゆい感じがする。

2012年9月2日日曜日

つりの楽しみがパソコンいじりではねぇ


釣りの総会があった前後のあいだに撮りためた写真を、ブログとHPに載せようと机上の作業に明け暮れていたが、どうやら山は越した。

デジタル写真は嫌というほどたくさんシャッターを押してしまうから、後の始末がまたかかる。HP用の写真を選択して、少々編集して「軽くして」素材にする。文章はブログがちょっと長いだけで、写真用のHPはわりと簡単に更新できる。

「写真エッセイ」としゃれ込んだものを旅の都度作るが、この文章は下手なりにも推敲がいる。ブログも一定文字数があるから、これも考えなくてはならない。見直す度に直すところが出てくるのは不思議だ。(要するに文章が拙いと言うだけのことかもしれないが)

 出かける予定だった渓流釣りは、家族が二人入院してしまったので中止にした。その分集中してあたったのでおもったより捗ったようだ。つりの様子を電話で聞いてみたら、昨年より状況はよくないと話していた。でも、同じ指先使うならキーボードよりも、釣り餌を付ける方がいい。幸い義母は今日退院できた。


(御用とお急ぎでない方は、上部のリンクからご覧ください)


2012年9月1日土曜日

江田島の牡蠣ひび


 江田島の別荘に泊めていただいた帰り道に、海の浅場に「牡蠣ひび」を見た。

 8月ごろ筏に貝殻とビニールで造った「暖簾」を海につるすと、泳いでいた牡蠣の幼生が暖簾に付く(採苗)。しかしそのままでは1~2か月で死んでしまうので、海から引き揚げて海岸に並べて干す。最初は干満で海の水から出るところに置き、冬の間は一日中冷たい風のあたるところに干すことで、小さい牡蠣は丈夫になる。冬から春を過ごして暖簾を乗り換え、筏にぶらさげて海に戻され、暖かい海で十分なプランクトンを食べて育つ。
 
 牡蠣が大きく育つためには、プランクトンが豊富であることがいいらしい。東京湾奥の三番瀬干潟に、牡蠣礁が発達していると聞いた。干潟で潮の干満で空気に触れることや、波が穏やかなこと、有機物が供給されることがつくりだすものだろう。貴重な自然を守ろうとラムサール条約登録地へと運動が続いている。

 東京湾臨海部のお台場公園「人口干潟」は、下水処理水の浄化がしきれないため、一部汚染水が流れ込んでいる。海で遊ぶ場合いは、あまり酷いから、膝までしか入ってはいけないという制限をしている。

 他から海水を引いて注入したりしているが、はかばかしくなく、ついに(というべきか)牡蠣礁を造成して浄化しようという試みになった。牡蠣の浄化能力に期待して。自然をないがしろにして都市づくり、経済の発展、収益追求がされた結果がこんな可笑しなことになる。


 広島の牡蠣の養殖は室町時代に始まった。海岸に石を撒いておいて、牡蠣のついた石を集めて浅い海辺に移して育てた。自然との調和とはこれが原点だろう。原点をとっくになくして、温暖化の心配を人類の課題としなければならなくなった。これを発展だの幸せというのだろうか。


江田島の海(瀬戸内
東京湾お台場

2012年8月31日金曜日

できるなら 女房リセット してみたい

 サラリーマン川柳も、デジタル社会を詠むものが多くなった。否応なくデジタルの社会構造に組み込まれていくことに、曖昧模糊としたものを感じる。埒外と否定して別のことを選択できるかといえばそうもいかない。しぶしぶ付き合うことになる。

 情報を集める上では非常に便利なグッズには違いない。列車内でモバイル端末を見ている人は多い。隣の座席の人の端末を覗いたら、その文字の小さいこと。やっぱり若者向きか。出てくる情報を指ではじいて、別の情報を探す作業を続けている。

 かの有名な橋下徹氏のツイッターのフォロアー(自分のツイッターを閲覧すると、登録した人の「つぶやき」が自分のラインに流れ込んでくる)は、今814,458人いる。140文字の「つぶやき」を、書き込んだらすぐにみようとする人がこれだけいる。

 彼の人、140文字の掟を破って連続して投稿する。(なんと合法的!)これを都合よく使って、言いたい放題の危ない情報を出しまくるとしたら、いや出しまくって新党をつくるということだから、こんなことまでできる危ないグッズでもあるということ。

 今の政治を見ていると、政策をひっくり返す旧態依然のままだから、気持ちの上では「抹消」してやりたいという気分が起きる。この機に乗じての仕掛けに、自己の地位保全のためにこれになびいて、身の安全を図る輩もいる。

 自分がやってきたことが通らなかったのは、民意に従わなかったこと。この反省抜きに、別の力を借りて議員を続けようなどと姑息なことを考えるのは、政治家というより「政治屋」というべき。この連中への議員報酬は無駄遣いだ。マスコミが取り上げて、投票を誘導するという手法も、いい加減リセットさせなくては。


2012年8月30日木曜日

民意を素直に反映してくれれば


 「少数政党」が統一して提案した問責決議が参院で可決とは、実に愉快なことになった。愉快なこととは、どう見ても圧倒的な民主、自民、公明党の三党合意が吹っ飛んでしまったことだ。

 先の7会派合意で首相の不信任案が提出されてからの展開も、政局をリードした。なぜかと言えば、一番筋が通った策だったからだ。消費税増税や原発稼働、オスプレイ配備強行に対する世論に沿ったものだったから。

 7会派は生れはさまざまではあるが、自民、民主の旧政党の路線継承では立ち行かなくなったから、新党を立ち上げた。これが第一の世論の反映だろう。「二大政党」を無理やり生じさせる目的を持つ今の選挙制度は民主主義からは遠い結論を導く。今の事態がこの実証だろう。

 少数政党が連合したり統一したりして、論議をしたうえで政局を動かすということであれば、今の選挙制度は止めて、比例代表制度を広げて、得票率に応じた議席を配分するということで、充分民意を反映できる制度になると言えるのではないか。

 議員数を減らすとの「耳触りの良さ」でなおこの制度を強化するということでは、民意はもう一段通らなくなる。

2012年8月29日水曜日

せかいのげんぱつどこまでも


(「線路は続くよどこまでも」の替え歌)

原発つづくよ どこまでも
多くの批判を 乗り越えて
はるかな町まで ぼくたちの
たしかな利権が つないでる

安全うたうよ いつまでも
批判勢力を 振り払い
利権に合わせて 僕たちも
楽しい夢の歌 歌おうよ

しかたがなーい
しかたがなーい
くらしのために
し かたが ない

しかたがなーい
しかたがなーい
お金のために
正 当 化
(編集 脱原発中野も・歌声隊)

 「高度成長」のとき公害が日本全体を覆った。「公」とは我々も含んだ言葉かと恐れ入るが、実行犯は言うまでもない。今、揚子江下流にある王子製紙の工場から排水管を建設することについて、環境汚染や健康被害の心配をする地元で抗議が起こっている。環境汚染のつけはいまだに清算されていない日本だから、信頼度合が低いのかもしれない。


 もっともこの抗議活動を「半日騒動」として利用する向きもあるようだが、環境には心配がないということなら、「説明責任」でなんとかなるものではないのか。「中国なら日本ほど規制が厳しくない」などとしたら大問題だ。当時の日本でも公害反対運動が大きく広がった。そのとき「替え歌」もたくさん生まれていた。

2012年8月28日火曜日

流れに掉さす、ときの速さ


 早い。時の流れは非常に早い。だれしも感じると言っているが、後ろから何かに追い立てられているように、身の休ませどころのない瞬間がえんえんと続く。

 何もすることがないという存在よりいいことと思わなくては、やっていかれない。そして体力気力が少々ずつ、かつ確実に下がり萎えていくのに和合しないと、毎日を過ごせない。

 旅の帰りの列車で「義母入院」の連絡あり、そのまま病院に向かう。重体という状況ではないようでなによりだ。

 神も仏もよりどころとはしていないが、身近な人が亡くなったり、病気になったりすることが続くと、関連性がないのになにか因縁めいたことみたいな気持ちが湧く。お払いなどということがよく話されて、断ち切りたい思いをぶつける対象にする。


 しかし、先で起こってくることに、意思で関与できることはなかなかない。被さってくる仕掛人に、とんがらずに冷静にいきたいもの。

2012年8月27日月曜日

つりの会の総会、収穫あり


 釣りの総会の日中の予定を済ませて、呉の夜の町並みを見下ろしながらの交流がひとしきり盛り上がった。会場を設定して頂いた呉の会の方の案内で、二次会へと繰り出す。二次会も釣りの会の活動と、つりを中心にした話題で、いつものように日中の会議の継続の様相となる。短い間の交流だけに、この時の本音まで踏み込んだ話で共同の絆が深まる。

 翌日午前中に次期の活動内容と役員などの確認をして終了となる。午後からは、地元の会長さんのお宅の別荘にお邪魔をすることになる。呉から一時間ほどかかけて、江田島西側で瀬戸内の海を望める小高い丘の中腹の家につく。

 途中買い込んだ食料品を、テーブル一杯並べて交流宴会が始まる。人数が多いと支度も早い。打ち解けた話がすすんで、日中の疲れで早めの就寝としたが、海から吹くはずの風が吹かず全く凪状態で、やむなく扇風機をかけっぱなしで寝ることになった。

 夜中の涼しい風には恵まれなかったが、横になって眺めた上限の月が縁側からの景色のど真ん中を占めて、ビル群のほんのわずかな空間から見る月とは違った風流さを味わうことができた。

 初日、呉の駅前で会場までの地図を見ていたときに、「労釣…」の手製の案内看板をもって、近づいてきた労釣の会員さん。ちょっと感激でした。総会後の案内やもてなしまで、とても世話になり感謝、感激の旅となった。

2012年8月25日土曜日

危ない、危険はごめん

 ジェットスター(格安航空会社)が、ブレーキの不具合で「折り返しの便」を欠航した。天候以外の理由で欠航したのは73日就航以、降7回もあるそうで、安心できない。

 そのうえ、行く先に整備士を置いていないので、成田から派遣とのこと。安かろう悪かろうではまずい。国鉄が分割民営化されたあとも、事故は非常に増えている。「サービスに廉価」はだれしもが望むが、収益優先が事故では話にならない。ベテラン社員を切り捨てている日本航空は大丈夫だろうか。

広島で途中下車

 釣りの会の総会が呉でもたれるので、一日前に出発することにした。ほんらいなら、海の釣りでもやってみたいところだが、段取りが取れなかった。

 折角のチャンスだから、原爆ドームを見ようと広島駅から路面電車に乗った。家族連れや外国人がめだったが、若者のカップルやグループが結構いた。暑い中、ボランティアの話を熱心に聴いている女の子も。原爆ドームを中心にして写真を取ったが、どこからも後方にビルが入ってしまう。存続が問題になったこともあったが、歴史の証人にビルはいらないがなと思った。










2012年8月23日木曜日

釣りの楽しみ、釣って食べる楽しみが


  昨年の10月の時点での、文科省の航空機モニタリングがある。福島第一原発j事故で全国各地に降ったセシウム量を調べたものとされている。このセシウムの数値が大きい順をみてみると、所属する釣りの会が釣り場としているところと、ほとんど重なる。

 魚に関する放射能汚染調査は、漁業権魚種のみしか対象とされていないから、ハゼ、手長エビ、メゴチ、ヤマベなどは調べられていない。どんな魚であれ生態系の一部を占めるのだから、それぞれが生息する状況の中でどれくらいの影響を受けているのかは、調べてもいいことだと思う。

 その集積の上で、全体の評価にも影響してくるのではないだろうか。これから先、人に対しての影響がどうだったかが明らかにされなくてはならないだろう。放射能汚染が影響している場合の検査は、制限されているとも聞く。どこにどれだけ蓄積されて、どう変化しているのかという測定を続ける必要は大いにあると思うのだが、国や自治体の動きはよくない。

たまたま訪れた東久留米市役所には掲示があった


中村隆市ブログ「風の便り」から転載
東京新聞2011103日→ 東京新聞
セシウムの数値が大きい順に並べてみました。   
宮城、福島両県はデータなし
単位:ベクレル/平方メートル
茨城県 40660.0
山形県 22502.0
東京都 17318.0
栃木県 14490.0
埼玉県 12480.0
群馬県 10320.0
千葉県 10095.0
神奈川県 7730.0
岩手県  2973.0
長野県  2492.0





2012年8月22日水曜日

命尽きるまで山越え

 岩手の仙人が夜間にトイレに行く途中で転んで、歯を折ったと従妹から連絡があった。食欲もあるというから心配はなさそうだが、暮れ以来腰を二度も痛めたりして、危なくなったものだ。高齢によるところなのでやむを得ないこともあるのだが。

 こちらの義父は、見舞いでみたところちょっと不機嫌に見える。強心剤の点滴も止めて、心臓に負荷をかけているということだ。人工呼吸器もはずれたので、心臓も含めて自力で働いている。身体はきついのだろう。

 入院前に歩行器でようやく歩いていた状態だったから、その上の状態には回復しないと何回も説明を受けているが、今後はどういう看護になっていくのか、できるのか、リハビリを含めた病院との関係など、考えなくてはならないことが続く。

 手術自体も危険だし、いくつも危険な山があると医師から説明をうけていたが、冠動脈の血管を修理して以降一路順調に回復してくると大丈夫なんだなという気が大きくなってくる。日ごろは「医者はあてにならない」と悪口を言うことが結構あるが、こういう優れた機器を使ってかつまた篤い看護で具合がよくなってくると、信頼の気持ちが湧いてくる。

 体中に心臓の補助や呼吸のためのパイプ、輸血から栄養剤、強心剤などを注入して、モニターを4台もつけていたころから想像もできなかった。 

2012年8月21日火曜日

明るい話は共有したい

 レスリング金メダリストの吉田薫さんが「工事現場の人がパレード」を見ていたけど仕事をしていなくて大丈夫なのかなと思ったと語った。

 大阪市では外勤からの帰庁途中に喫茶店に10分程度、喫茶店に立ち寄ったのは職務専念違反だということで、懲戒処分にした。民間ではその程度のことは大方認められていると弁護士さんが言う。

 外勤の場合は労働基準法で認められている、休憩時間もとることができないのが実情だ。そんなことはわかっているだろうに、「公務員と公務員の組合をのさばらせておくと国が破たんしてしまう」という橋下市長の特異性によるもののようだ。

 事の始まりは、市民通報だとのことだが、公務員と住民との「対峙関係」を煽り立てることで、様々な公務サービスを切っていく手法には要注意だ。橋下市長はツイッターを得意とするが、連続して打ち込みをして、一定箇所を占拠することも多い。

 彼のツイッターが流れる時間帯は、必ずしも公務員の勤務時間外ではない。パレードを見たらその時間だけ賃金カットになるという社会が当たり前になる、とは考えたくない。

2012年8月20日月曜日

議員なんかなりたくない

 小学校6年生のアンケートでは、将来なりたい職業5位までの中に「政治家」はないらしい。政権に着いたものと、ひっくり返そうとする「野党」議員のテレビ映りがどんなみっともないかという現れと言えそう。

 オリンピックが終わって、今日は凱旋パレード。50~70歳代の女性が多かったという報道もある。50万人が集まったと報道してる。メダルをもった選手たちは、やっぱりいい顔している。これだけの人気を、うらやましいと思っている時期の議員候補者たちもいるんだろうな。それ以上に「候補者工作」なんかもやるかもしれない。

 議員活動ではないといいつつ、尖閣列島へ乗り込んで「一人の人間として」マスコミに売り込んでいる連中もいる。出身の自治体の住民に必要な活動がよっぽどないと見える。そんなことで小学6年生のアンケート回答が変わるとは思えない。ところで今日の50万人参加者数に「警視庁発表」ってのはないんだろうか?

2012年8月19日日曜日

知的な潤いで満たされた

 案内をいただいた須山敦行さんの「風景スケッチ展」を見に行った。バイクに乗っていった先でスケッチをしたもので、いわゆる絵葉書的な風景とは一味違う図柄を描いたものだった。

 自分もそういう景色が好きだから、親しい感じでみることができた。淡い色と線で描いているので、カメラで撮る「ピントぴったり」とまったく異質な自由さと柔らかさを感じた。

 その上に、俳句をたしなんでおられて、もし自分ならワザとらしくひねっくってつくるであろうところを、ストレートで端的に表現されているので、とても好感をもてた。余韻を味わいながらの帰り道、喫茶店で暑さしのいだが、店を出たときは未だ夏を感じさせる太陽がきつく照らしていた。

日本が馬鹿にされているとしたら


 日米安保体制の弱体化が「一斉」領土問題を起こしているという考え方はどうなんだろう。オスプレイの配備強行を巡って、安保条約への言及もでてくる状況を言っているとしたら、それこそこれまで、一向に進展できなかった領土問題の経過を見ない議論ではないかと思う。

 これまでの歴史を元にした「交渉」をやればいいいのに、やってきたのは「棚上げ」だった。棚からおろして二国間で話し合うという当たり前のことがなぜできないのか。安保体制、自衛隊、海上保安庁、警察力の発動だけを頼りにしか考えられない発想がそうさせてきたのではないか。

 日本が足元を見られたとしたら、東日本大震災後の対応や、世論に抗しての原発再稼働、アメリカ軍の主張丸のみのオスプレイ配備、なによりマニュフェストを放り投げた民主党政府の態度と、これだけあれば日本の政治は十分に馬鹿にされる。

 率直に言えば、これまでやれなかった政権に代わってもらわなければダメだと論理的には言える。

2012年8月18日土曜日

外れない報道をお願いします


 今日の朝日新聞天声人語に、大阪維新の会について書いている。橋下氏の動きに「思想は保守、小さな政府と分権、手法はトップダウンだろうが。まずは彼らが描く日本と公約見定めたい▲A党派イヤだからB党、B党がダメなのでC党……。かれこれ20年、有権者は早指し将棋よろしく『直感の一票』を投じてきたが、いよいよ長考の時である。むろん新聞やテレビも。次が「外れ」なら国が詰む。」と。

 橋下氏がやっていることや、「維新八策」をよく見て考えろと言いたいのだろうが、それなら大手新聞社が、十分な有権者が戸惑わない記事を構成すべきだ。「直感の一票」はマスコミ自身が、新党が出てくるたびにを持ち上げて、報道したことだ。自覚されていないのか。

 「長考の時」を新聞テレビがのんびりしている場合ではない。有権者、国民生活への影響に視点をあてた記事をどんどん書いてもらいたい。「次が外れなら国が詰む」は国民生活よりも「経済」(財界)への心配か。消費税増税も煽り立てて、強行に手を貸したことは忘れてませんよ。大飯原発の再稼働、危険なオスプレイの唯々諾々配備容認、これだけで十二分に「外れ」だ。

2012年8月17日金曜日

経済誌も無視できず斜め書き…官邸前集会


 一向に書かなかったマスコミが書き始めた 


 首相官邸前で毎週金曜日に行われている反原発デモは開始から4カ月経っても熱気が冷める様子はない。政府が原発再稼働の方針を固めた4月に始めた際の参加者は数百人程度だったが、徐々に増加。関西電力の大飯原発再稼働直前の6月29日には、主催する市民グループ「首都圏反原発連合」発表によると、20万人が詰めかけた。7月29日に行われた国会議事堂前のデモも同様の規模になったと主催者は見る…

と書き出し、

記事中に
…共産党や労働組合が中心となった従来型の脱原発運動と一線を画したことで、子連れの女性や会社員など、これまで脱原発運動とは疎遠だった人々が集まりだした…
という論評を加えている。

 「7.16さようなら原発10万人集会」では、政党の旗も、労働組合の旗も翻っていた。一緒にやれる集会もいいものだと感想もあがった。だいたいこういう集会で万単位の人たちが集まっても、新聞記事の隅にさえ書かず、テレビ報道もしなかったったマスコミの対応には、政党も労働組合も参加者皆怒りを感じていた。

 官邸前の大飯原発再稼働反対の集会の参加者も増えに増えて、自前のネット報道までするに及んで、やっと報道を開始したのが実情ではないか。集会の持ち方もさまざまな工夫されていているのも、参加者を増やしていることも間違いないが、報道する側にいるものが「日本のあるべき将来像」にしっかり目を据えて向かうべきだ。もっとも「経済誌」では望むべくもないか。