2013年5月8日水曜日

鬼怒川支流の土壌から13300ベクレルの高濃度検出

 Nさんからメールで、鬼怒川の支流(志渡淵川)土壌で1万3300ベクレルのセシウム濃度が測定されたという、新聞の切り抜きが送られてきた。環境省の発表になっている。農水省の関係では、福島沖の魚にセシウムが出ているということで、魚類では漸減傾向にあるようだ。部分的には蓄積されている魚がでてくる。

 水産物全体の測定状況では、測定濃度が低くなっているという風に見えるが、果たしてそうなのだろうか。湖沼、川、海の底にはかなりの濃度が蓄積し、しかも増加している。記事にあるように、水底には魚の餌になる底生生物がいるわけだから、どうみても放射性セシウムを摂取しないとは考えられない。






安心できない放射能汚染


 「世田谷こどもを守る会のメールマガジン」を送信してもらっている。厚生省の放射能汚染日報ダイジェストから抽出して、食物関係の測量結果を知らせてくるが、その内容は基準値100Bq/Kgを超えるものが入っている。




 東京湾の三番瀬で干潟保全の運動を続けている「三番瀬署名ネットワーク」では、環境省に汚染測定の実施を要請し6月(昨年)にサンプリングに立ち会った。

三番瀬ネットワークの要請と汚染測定立ち合い
□「1996年千葉県の三番瀬調査では、動植物プランクトン302種、ゴカイなど底生生物155種、鳥類89種、魚類101種、合計647種の生物が確認され、多様な生物が生息する豊かな環境の海城」であり、また、「一番瀬は、魚類の産卵と稚魚の揺籃の海域」となっている。江戸川放水路からの流入で深刻な影響を与える可能性がある。測定を速やかに実施して、汚染していれば除染するように要請。
 
□6月に可動堰上流での測定が実施され、その結果セシウム134、セシウム137を合わせて430Bq/Kgで国際基準を十分満たしており心配ないとの見解を示すとともに、今後も9月、11月、12月にも継続して測定し監視を続ける旨の回答。蛇足ながら、東京労釣連が、除染を求める要請の団体署名に応じている。

 430 Bq/Kgで国際基準を十分満たしているとい環境省がいうが、干潟に生息する生物に連鎖していくものと誰しも思うだろう。

 もう一つ「霞ケ浦を放射能から守ろう」という署名活動とモニタリングが進んでいる。
(環境省)56本の流入河川の内の12本でしか調査を行わす(今年2)、一河川あたりlヶ所のデータしか集めていません。このような粗い調査では、霞ヶ浦への影響や将来の汚染の予測もできません。」として、霞ケ浦に流れ込む56河川の市民モニタリングを3月から実施している。
 
 備前川では、9550Bq/kgが確認されて、1河川あたり10数カ所にして調査を続けている。この方面ではアメリカナマズがら高い放射線線量が出ている。昨年5月に東京労釣連がアメリカナマズの検体からは22.6 Bq/Kgの結果がでている。


 チェルノブイリ事故の放射能汚染では、4年くらい後から人体への影響がでているとのことだが、日本がそうならない保証はどこにもない。なのに、「火消」対応としか見えない政府のやり方は許されない。まして、「安全な原発」を海外へ売り歩くとは、後世の歴史家だって説明できないだろう。




2013年5月6日月曜日

日中韓環境相会合、PM2.5対応など協議


 大気汚染の原因となる微小粒子状物質「PM2・5」などの環境問題で、石原伸晃環境相、韓国の尹成奎環境相、中国の李幹傑次官が6日、北九州市のホテルで会談した。大気汚染に対して3カ国の協力態勢を強化するとの共同声明を発表した。中国は次官級の出席だったが、今後適当な時期に大臣級の会談をと述べ「長期にわたって積み重ねた矛盾が集中的に現れている。もっと美しく調和の取れたアジアを築くため、両国と手を携え努力する」と率直に述べたとのことだ。こうした話し合いはいいことだ。

 「ぎくしゃくした中で…」と石原環境大臣がコメントしたと報道しているが、政治とは本来こういうやり方をするものだろうと思う。緊張を煽るからぎくしゃくするわけで、関係が悪化して最悪武力紛争まで行ったのではたまらない。経済界だって、簡単に中国から手を引けるような浅い繋がりではないのだろう。パイプが増えれば流れはよくなる。

 ただ、この話は突然湧いたわけではなくて、環境省の「北東アジアの環境協力の強化をめざして」との方針で1999年以来毎年開催してきたものだ。東アジア各国との化学物質や各種製品の輸出入が増加する中で、環境汚染を防止する必要から取り組まれていることらしい。









2013年5月5日日曜日

長たる者の資格は


猪瀬知事の失言が世界を飛び回った後、またツイッターでつぶやいたことが、マスコミの格好の材料にされた。NET界でも作家にあるまじき発言として批判されている。ごく普通の話としてやったのだと、その発言の重みを打ち消そうとしているが、公人のストレートな言葉を脚色なしに外にむかって発表したものだから、その意味と反響は大きい。



 ツイッターで発言したら、メールで知らせるように設定したから、私ごときにも、つぶやいた途端に入ってきて、世界に露わになる。このしかけを登録している人は数多いるだろう。
二日の記者会見で、記者からの「追及」で1時間も弁明に務めた。東京都HPの「知事の部屋」にやり取りの詳細が載っていた。ちょっと長いやり取りになっている。


 連続しての物議では、不注意というよりも、本音が見えるという方があたっているかも。行政の長たる人間がそういう視野では、認識が足りないのではないか。「敵か味方か」ではない。だれでも納得できることならともかく、違った意見を敵として切り捨てるというのはいかがなものか。そこを深めていける人が長としてふさわしいのだと思うけど。




2013年5月4日土曜日

超硬の剛竿でガッチリ この瞬間にかける


 イワナ釣りの竿は、穂先の固いのがいいと思っている。物干し竿みたいにと説明する。イワナが餌を食い込んだとき、ガッチリかけられるからだ。不幸にして空振りした時は、必ずと言っていいほど、気に枝や草に絡みつく。はずすの時は、その場所までつかづけなければ、煽ってとることになる。それで外れない場合は最終的に引っ張ることになる。

 このとき竿が強ければ、外れてくる可能性が高い。穂先が柔らかいと反動のふり幅も大きくなるから、絡みやすいし外れにくく、下手をすると穂先を折ってしまうこともある。口が堅いからしっかりかからないと、魚を持ち上げたときに、暴れられて外れる。呑み込まれるほどゆっくり食わせれば、それでもいいかと思うのだが、待ちきれずに竿先を早くあげたくなる。

 万全を期して、魚が掛かったら緩め気味にして、ゆっくり呑み込ませた上で、下流に向かってガッチリ合わせる。そのための剛竿だ。これがいいのだろうと自分では納得している。最近それでも鉤掛かりが悪くなった。針もお気に入りのものを愛用していて、消耗すると購入先の宮古の店から送ってもらう。ところが最近は釣りに行く回数が減っているから、使用頻度が低くなってサビがでたようだ。仕掛けを作ってから針先を研ぐようにしているが、その針はもう製造していないようだから、補充が難しくなった。

 山形の釣り道具屋でたまたまカワハギの針を見た。懐が深くて岩魚針に似ているので購入した。カワハギ用だから針先はびっくりするほど切れる。仕掛けづくりのときでも、すぐに針先がものにかかってしまう。この針を使って試しているが、鉤掛かりは非常に良い。

 今回の渓流釣りでは、掛かりの良さを実感はしたが、それでも何回か、かけてから落としてしまった。エサのキジが太めで立派だったから、口の中に入るまでの時間がかかったのかと考えられるが、もう一つは針が鋭利だから、合わせもゆるくて大丈夫だとしたのが原因だったかもしれない。最終日は気温が上がって、魚の活性が高くなったから、掛かって持ち上げてからの暴れ方で外れてしまった可能性もある。岩魚に聞いてみるわけにはいかないから、もう少し経験してみないとわからない。

 岩魚庵の囲炉裏で、オーナーさんの指導の下、桜の木をくべて燻蒸したイワナができあがった。お土産に持ち帰って娘に食べさせた。ちょうど誕生日にあたった。「吉呼ぶ岩魚―大自然の旨みよく出ていたね」と返事があった。今回のイワナ釣りが完結した。




2013年5月3日金曜日

岩魚庵渓流つり余分な話 「耕して衣更着の里に和す」

 渓流釣りの三日目の朝、岩魚庵近くの碑貫川河岸にワサビ菜があるというので、3人で散歩がてら行って見た。サンダル履きで川岸に近づけないので、別れて写真を撮っろうと近くの橋を渡った。少し歩くと「大沢地区圃場整備の碑」を見つけた。昭和54年、田んぼの区画整理をしたのだろう、その記念碑らしかった。文言が「耕して衣更着の里に和す」。この文言の「…和す」に気が引かれて一枚撮った。

 衣更着(きさらぎ)とは如月と同じ意味だということで、旧暦2月をなぜ文言に持ち出したのかが解釈できなかった。ネットで「衣更着の郷」で調べてみると、れっきとした地名であることが解った。「稗貫郡衣更着郷」という名称が、「大迫町妙琳寺所蔵文亀3年の阿弥陀如来真向絵像裏銘(本願寺9世実如の判あり)に《稗貫郡衣更着郷 截牛村奥州」》と2行に記されているのが初見」ということだった。

 文言の意味は、田んぼの整地が終わって、衣更着郷に一緒になったということだろうか。出来上がった田圃を耕してこの地で生きていこうという意味合いもあるような気がする。「和す」はいい言葉だ。


衣更着郷(中世)




2013年5月2日木曜日

渓流釣りのアフターケアー


 岩手の渓流釣りから帰って、昨日今日は後片付けで動き回る。今日は天気が良かったから、釣り道具は陽にあたって、片付けられて次の釣行への準備になった。足腰もなんとか無事だったようだから、次の釣行も大丈夫そうだ。イワナつりが少々不満足だったので、かもしれないが、楽しく飲みかつ美味しいものを食べてきた結果、体重が相当増えていた。びっくりしてウォーキングへ飛び出した。撮ってきた写真の整理もとりかかったが、もう少しかかりそうだ。

 里の景色は素晴らしい。里より郷という方があっているかな。岩魚庵周辺の風情がいい。

岩魚庵界隈の風情



 













2013年5月1日水曜日

4.27-30 渓流釣りと憲法とどちらも大事


 好きな渓流釣りに行くときは、出発前にあれこれの雑用(=雑要)を片付けて、仕掛けを補充しながら気持ちの高まりを味わう。でも、遠野の方面はあまり釣れないという情報を聞いていたから、どんなものかという不安も幾分かはあった。

 岳川の流れはいつも来る時とそう変わらず、雪解けの多めの水量を保っていた。やれ水が多いの流れが強いのと、わいわいと「いつものように」話しながら、早池峰ダムの流れ込んでいる、折壁川でやってみることになった。流れがダム湖のプールになるところで、メンバーは上下に分かれた。小さいながら流れが強いために、上流に入ったメンバーは、ポイントに恵まれなかったが、それでも6尾のヤマメをゲットした松本さん。下流部では、鯉の姿が見えているほどの緩いところで、ヤマメ1尾がお目見え。次にかかったと思ったら、潜水艦のように一直線に持っていかれたままハリス切れした。魚は、コイだったろう。黒い色の鯉が、緩慢に泳いでいるのが見えた。

二日目(28日)は、佐藤リーダーの選択に従って、荒川に向かう。沢割はこれもいつものように、上下に分かれて2人と3人で沢に。見慣れた沢で、心配はないが、舗装道路からすぐのところで、釣りやすいから誰でも簡単にはい入れるところだ。当初にこの沢で釣りをしたときは、道を誤って見つけたところだった。橋の上からイワナの姿が見たので、やる気になった。その時の結果が良かったので、頭の中の印象では良いつり場所になっている。底石が飴色で綺麗な水が、イワナ釣りを誘うように流れている。川幅も、両サイドに渡りながら釣りができる沢で、石も小型で安定していて歩きやすいところだ。それゆえ、人が入っていると見えて、反応がほとんどない。良い思いをした時との落差を感じることになった。今回初めて岩魚に挑戦した、内田氏の奥さんが頑張って1尾上げたのはうれしいことだった。

 夕方から「渓流九条の会」の交流宴会。渓流釣りの大ベテランたちが、賑やかに交流した。釣りの会の苦労やら、日ごろの釣りにかかわる話やらで盛り上がった。憲法改正(悪)の動きが急で、62日には九条の会として、集会に釣り竿を持って集まろうという提起があった。いろりを囲んで、心も温かくなるひと時だった。




 三日目(29日)は、行く先の選択に迷った。集った他のメンバーの行く先や、釣りの結果が芳しくない。休日で当然ながら他の釣り人も入っている。西側は雪があって入れないという。結局小烏瀬川へ行くことになった。ここは前回も釣れた実績がある。林道から見たところ流れもなかなか良い。3カ所に分かれて入ったが、上流部に入った人は釣り場の状況がよくなかったようだ。源流部の釣りはほとんどやったことがないが、必ずしもこだわらなくていいのではないかと思って、下流を厭わずにやっている。その方が遡行に楽という事情もある。ここで、「新進釣り《志》」が2匹目をゲット。マス釣り場で釣りをしたという経歴から、一段の飛躍だ。「野生のイワナ」を釣ったのだからすごいものだと、戻ってからの岩魚庵でも話題に。

 岩魚庵最後の夜の宴では、囲炉裏にイワナの塩焼きが30本並んだ。不満な釣果ではあったが、小型ながら恰好がついた結果になった。沢は無尽蔵と言うくらいにあるのだから、もっと新しいところへ行って釣り場の範囲を広げておけば、釣り場の選択肢を持てるから、そういう積み重ねをしたいところだ。自然に溶け込む贅沢な時間のほかに、春先の旬の山菜と、鯛やヒラメの刺身もごちそうになって、なんとも豪勢な釣行になった。







2013年4月30日火曜日

千葉県、旅の記録7 白浜フラワーパーク

 花はなんでも美しい。名前も知らないものが多いが、写真を撮るのが楽なので、ついつい撮ってしまう。ただ花だけ撮るのでは「差別化」がされないが、花の咲いている場所を入れ込めば、その場所の雰囲気がわかる。

 時間があるなら、三脚も使ってきちんとやれば、ピントがちゃんと合ったものが撮れる。スナップ模様ではそうもいかないから、複数枚とっておいて、後で取捨選択とする。一眼レフの記録カードが一杯になったので、コンパクトのカメラに換えて使ったが、液晶画面は、明るいときには見えない。だから、これも複数枚撮るしかないが、成功率が低い。

 カステラを買った工房の前に鯉のぼりが、ちょうど風具合にあって、格好よく泳いでいた。じき5月になる。










2013年4月29日月曜日

千葉県、旅の記録6 鯛の浦の遊覧船と鴨川の千枚田


 鯛の浦で鯛を見てもな、と思いながら観光船にのって餌付けされた魚を見る。天然の魚?になっているのかどうかはわからないが、餌付けされている鯛を見ようという心理が湧くのが面白い。

 日蓮上人の化身として信じられている鯛は、地元の漁師はずっと漁をしていない。それどころか、毎月誕生寺で法要しているというから、信心深さには驚きだ。昭和10年ころに「冷たい潮」で死んで、打ち上げられた鯛を葬式したのが始まりだそうだ。昭和42年に史蹟名勝特別天然記念物「鯛の浦のたい」と指定された。誤って獲ってしまったときも、鯛塚で供養してきたという。漁業としてはやっていないということだ。

 鯛が育つ環境を保全する意味合いがあるのかと想像していたが、そんなことではなかった。してみると、帰りに買った「鯛のひらき」は、どこかから仕入れて持ってきたものになるな。物はハナ鯛のようだったが。真鯛でなくてハナ鯛なら…などということもありそうなことだ。

 鴨川にある千枚田は、話に聞いていただけので、一度訪れたいものと思っていた。よくあるオーナー制度で、水田を守っているという。千葉県内を巡ってきたときに、見えた水田では田植えをしているところもあった。ちょうど稲作の仕事が始まったときだ。


 ここでは水が入っていた。人気は見えないが、上の方でホースから田に水を流し込んでいた。水田のつくりはゆるいカーブを描いているつくりになっている。優しい曲線に囲まれた田んぼで、田植えが終わって稲が立ち上がったら綺麗だろう。すでに新緑の木立が見えていた。


誕生寺






鴨川の棚田






2013年4月28日日曜日

千葉県、旅の記録5 勝浦の朝

 前夜は3次会まであって、シッカリ飲んだら朝は少しばかり疲れ気味。でもバスの旅だから、寝ていけばいい。気合を入れてカメラ片手に表に出る。

 5時過ぎに目が覚めたときはすでに明るい。港に行くと、漁師さんがもう働いている。一仕事すんだところなのか、寄り集まって話し込んでいる人もいる。海側の波止めに、釣りをしている人が何人も見える。休日でないのになと、自分のことを忘れて思う。たとえ少額でも「消費拡大」に貢献しているわけだから、人にとやかく言われることはない。









2013年4月27日土曜日

千葉県、旅の記録4 月の沙漠をあるばると

 御宿の「月の《沙漠》公園」には、エラく勉強させられた。「ツキノサバクヲ ハルバルト…」の作詞家が住んでいたということから公園を造ったということなのだが、砂浜の看板に「沙漠」の文字があり、サンズイじゃないのと気が付いた人がいた。間違うはずがないよとの結論になったが、通常「サバク」とは「砂漠」だと、誰もが思っていた。

 ラクダの像から戻ると、近辺の看板には「沙漠」という文字があるから、間違いではなさそうだ。「沙」には「すなはま」の意味があり、海岸の砂がみずみずしいというところから使ったと、作詞者加藤まさをが説明しているとか。

 王子様とお冷え様が飛びだすこの歌が、異国情緒を感じさせるものだから違和感を持つところもあったが、これなら日本の風土に近づいてきた。講談社発行の雑誌「少女倶楽部」大正123月に発表した詩と挿画。佐々木すぐるがこれに作曲したとウィキペディアにあった。






2013年4月26日金曜日

千葉県、旅の記録3 成田山では坊さんの研修に会う

 成田山新勝寺では、「火渡り修行」の研修会に出くわした。パタパタと支度をすると見るや、ほら貝の音色の後に、偉そうな坊さん(注、下世話のエラそうでなく、格式の高そうな坊さん)が出てくるという時にぶつかった。火を焚いてそのあとに、火渡りの修行研修をしようということなのだろう。炊いた後には、集合時間が近づいて退散することになったので、全貌を見ることはできなかった。






ユーチューブから2010.5.28 成田山「火渡り修行」3
















http://youtu.be/gJiu5xYoQ-E



2013年4月25日木曜日

千葉県、旅記録2 隅田川水上バスから


 水上バスは、船の後ろ部分が抜けていて、窓がないから撮影位置になった。後ろ向きとは、スカイタワーが始終目に入るので、もっぱらタワー撮影に。

 川沿いに、美しいとは言えないビルの群像が続く。人が住み仕事をする場が、小さな閉ざされた空間で、汗水たらして働ていたり、生活しているのかと思うとやるせない思いがする。そんな風に思うとその塊が墓のように見える。(住んでいる人ごめんなさい。個人的思いです)


 河畔に、体操する人が見みえる。ホームレスのブルーシートの点在を見ると、人気を感じて、ほっとする。あとはどこへ行くのか、車とトラックの行き交う高速道路が見えるだけの景色。ホームレスの釣り好きは、隅田川でヒネハゼを釣るそうだと話すと、皆びっくりした顔をする。釣り人は自然人であることを知らないな。

定番の景色





 東京タワーも




2013年4月24日水曜日

退職者会の千葉の旅

 浅草寺、隅田川の水上バスから勝浦、誕生寺、鯛の浦、白浜フラワーパークと巡り歩いた退職者会のバス旅行。サロンがついているので、宴会をしながらの不謹慎かつうれしい旅。天気も良い谷間に入っていたし、カメラ撮影の対象にも恵まれた。勝浦港には朝市があるので、コースに入っているものと思ったら、違っていた。早朝には港の方に行って港の様子をカメラに収めた。しまった。堪能できた撮影の何枚かをアップ。


 浅草寺は朝方と言うこともあってまだ、人家は少なかった。入り口の名所では、観光客がひっきりなしにカメラを構えていた。中国人と思しき若者が、おもしろいポーズで撮っていた。お参りする人も外国語が飛び交っている。中国、韓国などの人が多いのだろう。国会議員168人が、靖国神社に参拝したということだが、「外交問題になるのがおかしい」という連中が、大手をふるうようでは、観光客も途絶えることにならないか。










我が田舎から、わらじの奉賛で、思わず一枚







2013年4月22日月曜日

千葉へバスの旅

 退職会の旅。浅草寺に寄って、船で隅田川から、川下り。川からの眺めは、面白い。天気が良くて、河畔の様子がよく見える。やっぱりビル群が目立つ。スカイタワーは、浅草側からは、逆光で撮影不可能。船からはずっと見え隠れしている。大分撮ったが、少し遠いか。成田山は、坊さんの研修の場に遭遇した。火を炊いて、燃やしたあと、<火渡り>をすると思われた。集合時間が間近で、見届けることができなかった。ここで撮影枚数がふえた。勝浦のホテルで、宴会。二次会まで付き合って、久し振りのカラオケ。部屋でまた続きを楽しんだ。11時だから、健康な終わり方だった。浜の波の音を聞きながら、穏やかに寝られそう。
〓携帯電話から

2013年4月21日日曜日

アド街ック天国で中野北口界隈を紹介したけど


 「アド街ック天国」で、中野北口界隈の紹介をした。出演者の中に中野に住んでいたことのある芸能人が結構いた。そういう出演者を集めたのかもしれないが、「下積み時代」を暮したときの出来事や思い出を話している芸能人もいた。

 中野警察学校(もっと言えば陸軍中野学校の跡地。諜報や防諜、宣伝などスパイをする訓練をしたところ)の跡地に帝京平成大学、明治大学のキャンパスが開講する。大学の中を放映したが、ホテル並みのロビーが広々として、大学のイメージからは想像できない様子だった。

 「1945年(昭和20年)1月に中野学校に入校した第8期生150名のうち、90%以上は一般大学や高等専門学校の出身者で、東京帝国大学出身者が最も多く、次いで拓殖大学、東京外事専門学校、そして早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学等が続いた。一般大学出身者から数多く選抜された理由は、諜報員として幅広く高い学識と冷静な視点が求められていたためである。(ウィキペディア)」ということだが、大学との因縁かつながりかが、浮き出てきたような妙な感じがする。まったく根拠はないが。

 中野駅に隣接して囲町公園があった。ここではトランペットの練習や、沖縄の演舞、空手の練習など、夜になると賑やかになっていて、なにかほっとしてうれしくなったものだった。先の芸能人もちゃらけてこの公園を話題にしていたが、中野北口界隈から育った文化もあっただろう。新大学に通り抜ける場所として、無くしてしまったのは残念だ。


 中野の町は基本的には居住地として歴史を重ねてきたところだ。大それたことは言えないが、町の在り方としていいのかなと思う。2万人の学生が増えることによって、地元はどんな影響を受けていくのだろうか。アドマチではブロードウェイの商店街が魅力の第一としていたが、ここに歩く高齢者も多い。わりと買いやすい商店街だからだろう。身の回りの大概のものは手に入る。2万人の若者が押し寄せたとき、それを対象にした店に改変していったら、町の様子が変わってしまう。




2013年4月20日土曜日

首相の好感度演出するマスコミの役割


 安倍首相のマスコミへの露出度がここのところ目立つ。アベノミクスが日本の経済を立て直すと確信する話はどこからもない。それどころか物価の方が上がり始めるということになっている。ボーナスにイロを付けた大企業もあったが、ほかは騒ぐほどの効果もあがっていない。好感度の印象だけを振りまいて、参議院選挙へなだれ込もうとしているのだろうと、誰しもが思うところだ。

 国民栄誉賞にしても、意外性をねらったわけでもないだろうが、二人同時に受賞したりして、釈然としない思いも少し残った。国民栄誉賞は 「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」との規定に基づいて、民間有識者の意見を聞いて総理大臣が決めることになっている。

 2月に故大鵬幸喜氏が受賞したばかりだが、「新年度予算」で早くも執行したということだ。この顕彰制度を造り、最初に王貞治氏が受賞した時は、福田赳夫首相だったがそのときに、この賞は王選手の偉大さに表彰したものだけれども、落ち目の内閣を浮上させるという効果を考えたのだろうと思った。

 20日は安倍晋三首相主催の「桜を見る会」が、新宿御苑で開かれた。各界の著名人ら約1万2000人が集まった。アイドルグループ「ももいろクローバーZ」のメンバーとポーズを決めて写真撮影に応じるなど終始、上機嫌だったということだ。

 「ももいろクローバーZ」は16日に発表されたオリコン週間アルバムランキング(22日付)で、2枚目のアルバム「5TH DIMENSION」(10日発売)が発売初週で18万枚を売り上げ、初登場首位を獲得したというニュースがある。この勢いにあやかりたいというところだろうか。

 マスコミ幹部と首相との会食が続いて、消費税増税、改憲、TPP参加を煽り、露出度を増やす行為が増えている。政治の監視役であるべき役割を投げ捨てたものだ。批判できないマスメディアが、背かれることになることは疑いない。




2013年4月19日金曜日

生活保護受給者は増える。増えるのは不正受給者のためでない。


歩行困難な肢体不自由者が、自動車を保有していることを理由にして、生活保護を廃止にされた。再度の申請も却下した。この牧方市の廃止処分、却下処分が違法であるとの大阪地裁の判決が出た。
 生活保護の受給者は「215万3642人で、前月より2477人増えて過去最多を更新した」と17日に厚生労働省が発表した。

不正受給をしていることが、増加させている原因と、まことしやかに自民党が国会で攻撃して、受給条件を絞り込んで事実上の制限をしている。しかし減るどころでない過去最高の受給者数になっている。不正に受給をしている人もいないとは言えないが、そう多いはずはない。福祉事務所では受給者の圧縮に向けて、さまざまな「努力」、たとえて言えばノルマもかけているだろう。だから、こうした受給廃止、申請却下が繰り替えされるのだろう。

 215万人超は、ちょうど長野県在住の全員が、生活保護受給者ということになる。それこそオリンピック招致どころでない日本の姿だ。このままいけば、「2020年」にはどこまでいってしまうのか。TPPの影響や消費税の増税によって、これは拍車をかける方向に動くことになるのだろう。「経済の再生」で、その成果が身近に出てくるようには、まず見えない。





2013年4月18日木曜日

写真展を見てまた刺激を受ける

 夜に釣りの会の会議があるので、その前に近しい団体が主催する写真展を見に行った。第9回と言うから比較的歴史は新しい。62点の出品で量的にもボリュームのある展示だった。自分もちょっとかじっている写真だから、興味津々で見て回った。

 なんでもそうだが、腕前の差はある。とは言え見る目にも限界があるから、なんとも言えずいい写真を見て、何がいいか評価できなかったりする。自分の意識外のものに出会うと、立ち止まってうんうん考えてしまう。そこに他人が居れば「どうなんだろう」と聞くこともできるだろうが、どうにもならない。そこを超えていくには自分だけでは足りないのだろうと思う。

 同じ写真を見て、プロがいいと言っているものでも、自分がいいと思わない場合もある。それは自分の見る目がないともいえるが、プロの目でも人が違うと評価が違うこともある。素人でいるうちは怖さが解らない。解ってくると怖さが出てくる。しかし、誰が見てもいいものがある。それ、そういう写真を撮りたいわけだ。それがなかなか捕まえられない。

 花、自然、動物、人、鉄道…誰でも撮っているものでも、撮って抜け出せる作品を造らなければならない。その目標を立てると、きついものだ。才があるのかどうかということも当然あるし、なくてもそれなりの努力なしでは、いい結果は持てない。「絵葉かよ」と講師によく言われたが、絵葉書に終わらない写真を撮りたいものだと思う。自分の感性だって研いでいなければ、しぼんでしまうことになる。しぼむのはもう少し先にしたい。