2018年5月16日水曜日

宴会場所の店を間違えた

 上野でやる宴会は、店がほぼ特定されてきた。昼食ランチを採りながら一杯やるのが定番だ。早めに現地に着いたので、店のあるビルのエレベーターに乗ったが、昼食時に間があるので、まだエレベーターが動かない。こういう扱いのある上野って親しみがあって良いと個人的には思う。

 しかたなく一回りするかと付近を見渡すと、なんと下谷のお祭りの日で、立派な風体の人たちが、これから動き出すだろう神輿のわきでくつろいでいる。わが近所でやる祭りの神輿とはちょっと格が違うようで、なんという髪型か知らないが、すっきり編み込んだ女性が、鏡を出して口紅を直している。クソッ!シャッターチャンスなのにと思いながら、スマホを取り出して構えるものの後の「祭り」。だいたい祭りがあることなど事前に知らなくちゃ「写真家」にはなれないよなと独り言。

 で、待ち合わせ時間になったので店に入った。なぜか、待ち合わせの店を確かめようとスマホを取り出し、メールの記録をみた。あらら、店が違っていた。あわてて「前回とおんなじところと思っていたら違っていた」と言うと、ニコニコしながら「そうですか、また来てください」と、看板を持ちながら「一緒に下へ行きましょう」とエレベーターに乗り込んだ。

 約束の店は遠くないので、5分ほど遅れてしまった。その話で盛り上がって、宴会はスムーズに運んだ。いつものように二次会を済ませて表に出ると、予報通りの雨が降っていた。神輿が動き出して、大勢の人が周りを囲んで気勢を上げていた。これもシャッターチャンスだったけど…。






2018年5月15日火曜日

これが便利というものか~office365を使うことに


 すっかりコンピューターの世界に取り込まれた。今までもこの怪物に飲み込まれて、振り回されている風ではある。ソフトの開発はすさまじくて、マイクロソフトのワード、エクセル等もそれ自体の改変が多くて、我々の場合は仲間内の文書の受け渡しにも、ファイルの保存形式を意識しないと、それだけでトラブルを起こす有様だ。

 マイクロソフトのソフト、office365を使えと盛んに宣伝が入ってくる。もうoffice2016以降はクラウド上に置いてあって、管理されている。ソフトのバージョンアップがあれば、マイクロソフトの責任になる。要はソフトのバージョンアップについては無料になるということ。

 以前はofficeのバージョンアップは、そのたびに料金を払うことになっていたのだから、office365の導入以降は年会費になっていることとの対比になる。いずれ古いofficeソフトはセキュリティーに「責任とらない」とされるから、仕方がなくどこかの時点で強制を受けいれることになる。

 年に12000円を超える出費は痛いが、この先パソコンの入れ替えを想定した場合には、どのみちそのとき備えなければならない「費用」だから、仕方がないともいえそうだ。

 写真の編集ソフトLightroomのほうも同じ事情を抱えている。もう2年前からクラウド形式が導入されて、旧のlightroom6で頑張っていたが、タブレットやスマホでも編集が可能なソフトもつけて…とのサービス付加に乗っかることにした。編集の一部の機能を「差別化」されて、エサにされた事情もある。

 Adobeのソフトは、多種あってなにかにつけて「乗らないか?」の誘いがうるさい。ほかのものはともかく写真編集の方は、もう少し先まで使いそうなので、これも散財を受け入れることにした。

~クラウドってワード正確にわからなかったので調べてみた。~

クラウド」とは、クラウドサービスプラットフォームからインターネット経由でコンピューティング、データベース、ストレージ、アプリケーションをはじめとした、さまざまな IT リソースをオンデマンドで利用することができるサービスの総称

2018年5月11日金曜日

働かせてるつもりが、振り回されるパソコンの一人歩き

 つりの会のサイトがまた開かなくなった。先日、別のサイトが同様の状態になって、レンタルサーバー側の「重い」障害が発生したことが原因だとわかった。ほかの回線(?)を提供されて、復旧したばかりだ。

 今回はもう一つのつりの会のサイトがアクセス不能になった。また先方へ障害の通報と照会をしなければならない。前回の復旧までの経過をメールの記録から探し出して、レンタルサーバーへメールを打とうとした瞬間、どうしたわけか急に復旧した。どういうわけか全くわからない。

 この手の照会は、最近は電話では扱わない事故対応だから、しっかりと構えて必要な設定などの情報を書き込んでメールを造らなくてはならない。これでどれだけの時間を使うものやらと思いながら、面倒な作業をいくつかやった。なにせ前回のことも記憶頼りでは心もとないから、メールも相当数残して保存してある。

 ほかのトラブル対応にも備えて、およそ1000件以上の受信メールはそのまま保存し、ファイルをこしらえて分別してある。その中から拾い出さなくてはならない。ものによってはGmailでなくOutlookを使ったりするから、探し出すのだってそれだけの時間がかかる。修復したのはよかったが、独り相撲をとったようだ。

 写真もパソコンに取り込んであるから、実体がない。以前なら現像フィルムあり、焼き付けた写真があって体感できたのに、デジタルカメラでは触ることができない。いわば「お化け」のようで、プリントするまではパソコンのモニターで見るだけのこと。情報としてやりとりするのは、便利ではあるが、気持ちとしてはなじめない。京都に行ったとき、スマホで撮った写真も、こうして出さない限り、記憶装置のファイルとして眠っているだけのこと。

2018年5月8日火曜日

メンテナンス風医者通い

 股関節の動きが悪くなっていて、胡坐をかくことができないし、足の指の爪を切るのも足を折りたためず、やっかいな状態になってしばらくたつ。ここにきて、寝るとき横になると股関節に痛みが出てくるようになり、椅子に座った状態で二時間もすると、そこに痛みがでてくるようになった。

 動きの悪さがもとで足の指をベッドの敷布に引っ掛けてしまい、「ポキ」と音が聞こえた。そんなに痛みはないが、念のためレントゲンを撮ってもらおうと医者に出かけた。青あざが出ているから下手をすれば「骨粗しょう症」年代では、疑った方がよかろうとの判断だった。

 結果は折れていなかったので安心したが、ついでに股関節の方も調べてもらおうとしたら、翌日専門医が担当することになっているとのことで、レンチャンで出かけることになった。

 股関節のレントゲンでは、やはり骨の異常はみあたらないとのことで、医者とのやり取りでは筋肉痛という判断らしい。横たわって仰向けや横向きになって、足を折ったり組んだりしながら、先生が要所を手で圧力をかけるが、特に痛みがなくて妙なものだった。

 結局様子見をみてということで終わったが、寝るときに使っているマットレスの柔らかさは、影響はないだろうとのことだし、高尾登山に何回か行っているのには原因がないとは言えない(疲れが残っている)との見立てだった。歩くことのみに関しては、痛みはまったくないのだから、先生は「関節炎」としておくが、もし今後も続くようであれば再度来るようにとのことだった。

 わかってきたこともあり、NETでみた「股関節ライフ」の股関節トレーニングもやってみながら様子見とする以外なさそうだ。

こんな日は温泉がいいね。







2018年5月5日土曜日

5月3日憲法集会に行く


 連休のときは、かつては家族旅行で出かけるのが常だった。子供たちが自分の生活エリアを持つようになった今は、テレビが渋滞の報道をするたびに当時の渋滞の大変さを思い出すだけのことになった。渋滞を伴う運転は余分に疲れるし、せっかくの素敵な旅館でも、酒を楽しんだ後はすぐに睡眠になってしまうので、後々「あそこの料理は何々で」とか「いい風呂だった」と言われても、ほとんど記憶に残ってはいない。

 車を持たなくなってからは、列車を使った旅へとすっかり変わった。写真グループの旅となれば、座席を回して、向かい合って酒を飲むのが、極上の楽しみになった。それも毎日が日曜日となっているわけだから、連休の苦労などどこかの世界の話になった。だから、連休中は「空き」になる。

 空きだからというわけでないが、有明防災公園で開かれた憲法集会にでかけた。壇上ではこもごも、政権への心からの怒りを、参加者の共感を受けながら訴えていた。自衛隊を憲法に書き込んで、日本が戦争の主体者になるかという動きを止めようと、熱気を感じるものだった。その深刻な状況であるのに、皆がニコニコとしている。これから先への確信がそうさせているのだろうかと思えた。







2018年4月30日月曜日

4回目の高尾山「登頂」

 23日には4回目の高尾山に行った。12月から始めたプチ「登山」だが、身体によい影響が出ているかどうかはまだわからない。やっぱり息は切れるし、山頂近くなると急坂が多くなる道で、止まってはたびたび息をつくハメになる。

 今回は小学生のグループと一緒になった。駅の前にたくさんの子供たちが、先生の話を聞いていた。巻き込まれないようにと思いつつ、先を気持ちだけ急いだつもりだったが、途中で抜きつ抜かれつの状況になった。

 終盤では班別で決めているらしい小学生グループの、比較的太目の子たちと、競う様相になった。グループはだいたい女の子が声をかけてリードしていて、そのままいけば「女性上位」の将来を想像させられた。月曜日だったが、神社には外国人の観光客もきていて、にぎやかなものだった。木々の青葉が目に染みて、季節の味わいを楽しませてくれた。





2018年4月25日水曜日

伊根の伊根らしさが残って欲しい 伊根その3

 新しい先の時代への希望を込めて、との思いが伝わってくる。次の時代に関わらなくてはならない。それはいずこも同様ではある。このさきを考えなくてはならぬ。手をうたなくてはならない。そんな声が聞こえるようだ。

 地方創生の「地域おこし協力隊」の活動ぶりがFacebookで紹介されている。伊根らしさが伝えられていくよう、よそものながら願う。早朝、港に船が入ると、街のスピーカーで知らせる。小売りの魚を購入しに市場に人が集まってくる。この日は入港が遅かったようで、朝食時間に間に合わないので、断念した。









伊根の歴史も価値として、残されるべきもの その2


 8年もたてば変わるのが当然と言うのも否定することはできない。それだけの時間が過ぎた。年月を経るとは古いものが去ってなくなってしまうということを包含する。であっても、その地の文化が作り上げられたものが、たとえ語り継がれによるものだったとしても、とっておきたいものっていうことはある。

 伊根が、海の干満が30センチ程度だから、海べりに「舟屋」を接着することができたという、人の生き方が開発された知恵とは、素晴らしいものと思う。歴史を刻んで生きてきた人たちの素敵さだと思う。その証がただ消滅では情けない。ブリが大量に獲れたときには、山側に家を建てたということも文化の価値としてみておくべくことだと思う。自然との「調和、共存」がたしかにあった。それが今は薄いものになったような気がしてならない。











2018年4月24日火曜日

伊根の古い舟屋が減っている その1

 85か月前にこの舟屋に来たとき、実働している舟屋の数が多かった。舟屋の景色の中には建物ももっと健在だった。今は、舟屋家屋の間には隙間(空き地)も増え、建て替えられたものも目立っているが、元の姿をとどめていないものも目に付く。新しい店へと改装した建物もある。昔の舟屋は消滅してしまうのだろうか。

 漁業が生業として成り立たないという状況を想像させる。なんとも、寂しいことだ。よそ者が簡単にいうわけにもいかないけれども、しかしなにも高望みしていなくても、続けていくことができないとは、不幸な状態という以外はない。ともかく「記録」的思いでシャッターを押した。










2018年4月23日月曜日

京都から伊根へ 先に丹後半島最北部経ヶ岬へ

 二日目は京都美山から2時間かけて伊根に向かう。伊根湾の遊覧船に予約をして、16時半に乗せてもらうことにした。8年前も宿屋の勧めで使ったのだったが、船が舟屋に近づいてくれるので、写真は楽に撮れる。その前に丹後半島北端の、経ヶ岬の灯台を目指して移動する。

 経ヶ岬灯台から2キロほど先に米軍の通信所がある。「ミサイル防衛システム」が配備され、基地拡張建設をめぐって地元との齟齬が起きている。「対話路線」の上では、無用の長物というべきもの。眺めてみようかとのノリで行ってみた。灯台とそこまでの道路沿いには展望台があって、なかなかの景色もあり絵ハガキ風の景色をカメラに取り込んだ。





 
 米軍経ヶ岬通信所は、マイクロ波を使用したミサイル防衛用早期警戒レーダー「Xバンドレーダー TPY-2」が配備されている。近畿地方唯一の在日米軍基地施設で、青森県つがる市、航空自衛隊の車力分屯基地隣接する施設につぐ通信所となっている。

毎日新聞 米軍経ケ岬通信所

2018年4月22日日曜日

朝靄の「かやぶきの里」に再度挑戦 京都の桜その5

 二日目の朝食前に上流部に行き、道路から見えた桜を目標に、人里入って何枚か撮った。そのあと前日の「かやぶきの里」にもう一度行くことにした。朝靄がかかっていて他の観光客もいないので、ゆったりと歩きまわることができた。この里にはひっきりなしに客が押しかけて、うっとうしいこともあるだろうとちょっと思う。

 戻るころになって子供たちが集団で人家から坂道を歩いてきた。カメラを車においてしまったので、せっかくのチャンスを逃してしまった。そうなんだ朝方には人が動き出すのに、意識していなかった。失敗!