2011年5月18日水曜日

いま言っておきたいこと

 工程表見直しは、つまり結論ありきとしか言いようがないらしい。「想定外だ」から抜け出せず、「安全神話」にすがっているからともいえる。


 それともアバウトでしかいえないということか。それが、原発のコントロールは技術的に不可能と言われ批判される所以でしょう。いずれにしても責任を負えるシロモノでないことははっきりしているんじゃないか。

 実は相当危険であったことが隠されていた。隠したかった。起こりうる危険に対応していないという批判を無視して、ここまできた。これだけで執政者は失格だろうな。誰のために隠したかったのか。

 この地震と津波によって、被災受けた地方が、自動車産業の部品製造にも大きな比重をもっていることがわかった。大企業でさえも、「安全神話」に再考を求められたと言う点では、原発の将来について教訓とすべきことでしょうかね。

 今日は2回目のアップとなった。言いたいことがあるうちが「花」として勘弁していただこうと思う。

いま桜開花

 13日には蕾だった岩手山麓の八重桜、本日開花と連絡あり。今にも咲くかという状態だったのに、5日かかった。この開花は、昨年と同時期だとか。自然恐るべし。


13日は

今朝は

2011年5月17日火曜日

続けなさるのか原発依存

 神奈川県南足柄のお茶にセシウムが、規制値以上検出されたと報道していた。お茶は薄めてのむからとか、他の野菜とは違うとかを論じていた。

 でも、視点が違うんじゃないか。セシウムが福島原発から足柄へ一足飛びに行ったわけではないのは子供でも分かる。茨城でも東京でもまき散らして居るんじゃないか。

 各自治体で放射能の測定をしていると言うから、その結果に出てこないというのはいったいどういうことなんだろう。マスコミは鈍感にもほどがある。

 「実はメルトダウンが早い時期に起きていた」起きていたのに隠していた。昨日珍しく国会中継を見ていたら、原発の停止は浜岡に限り、他には止めることを考えていないということ。

 一方では原発の開発計画は白紙から考え直すと言いながら、危険性がこんなにはっきりしていても、立つ位置が変わらないとは本当に情けない。

2011年5月16日月曜日

無事だった釣具店

 溜め置きの釣りの仕掛けが不足をしてきたので、作ることにした。イワナとヤマメの針は陸中狐という名前。

 釣りを教えてくれた先輩が教えてくれたもの。宮古の釣具店から購入したもので、これまで何回か註文したお気に入り。愛用して40年にもなろうか。

 調べてみたが、メーカーはもう製造していないのではないかと思う。

 当の釣具屋さんは、津波の被害をうけたが、無事ではあったらしい。どうにか営業を続けている様子がブログから分かった。

 盛岡方面から閉伊川を下ると、宮古に至るが、その支流にはたくさんの釣り場がある。折を見てまた出かけてみたいと思う。

2011年5月15日日曜日

デジタル余話

 宮城県塩竃の七ヶ浜に、何回かお世話になった釣り宿があり、津波直後に電話をしたところ、通じない状況だったので、これは被災したかと思っていた。

 岩手に行った折、その話になったので、「グーグルの地図」で「航空写真」を選択してみたところ、家屋の形が残っているのが見えた。

  「恐るべきグーグル」と思う一方、あの高波でどうしてと思った。幸いというか、その地は湾奥に位置して、津波の直撃は受けなかったらしい。航空写真では同じ七ヶ浜でも他のところは大きな被害を受けているようだ。

 電話をかけてみたら、いつものおばさんが出て「店の品物は流されたが無事」とのことだった。「5月中は釣り船はやらないが、6月になったら再開する予定」とも。昨年お世話になった民宿も大丈夫とのことで、ともあれよかった。

 余談だけれども、
 このグーグルの「航空写真」をみて、福島原発の破壊の状態も人工衛星からは見えているのだろうなと思えた。

2011年5月14日土曜日

ブログとフキノトウ調理

 ブログが止まって、12日の分が更新されていなかった。13日中動かなかったが、今朝になって更新されていた。

 ログインできなかった状態が、そのとき設定をいじっていたからそれが原因だったかと思ったが、そうではなかったらしい。復旧したので13日の「過去もの」を記載した。

 日記は後から書くことがままあるが、ブログもこの点は「過去日」で書き込める。もちろん過去のものを修正もできるから、アナログ的ではある。

 よって、テーマが二つ目となった。
 岩手からもらってきた蕗の薹(ふきのとう)を、教えられたとおりに調理してみた。評判は悪くなかったが、自分では少し苦いような気がした。アクのせいかとも思うが。
 
 それにしても春の味わい。

2011年5月13日金曜日

春とお別れ

 開花直前の八重桜と、ワラビ、ウドの芽、ブナの葉を撮影して岩手山麓の春を記録した。それらを見ていると元気がもらえそうだ。

 昨日数がそろったワラビはあくだしに失敗して、柔らかくなったので胃袋に入れていくことにした。

 人の手による花はいくつも咲いているが、山の木々はまだ少々かかるようだ。今度はいつ来られるか。

2011年5月12日木曜日

釣り場がまた一つなくなる

 キジとブドウ虫が残っているので、岩魚を釣りに行こうと、いつものガンド沢にでかける。グンダリ沢に合流して葛根田に流れ込む沢。

 昨日のあちこちの川では水量が多くて、この状態なら、普段水の少ないところでも、いいのではないかと思った。

 行ってみると、沢の左岸は伐採で山肌が現れて、渓流の趣は無くなっていた。水量は多くて申し分なく、流れがぶつかるところには必ず深みがあって期待をもったが、結局一回かけそこないがあっただけでおわった。

 「植林」のためとか、なんの事情があるのかはわからないが、沢ぎりぎりまでブルトーザーが走り回れば、釣りはちと厳しい。

 沢の入り口の村落は、荒廃した田んぼ後や廃屋が見えた。

 夜食は昨日釣ったのハヤとヤマメの食材を、てんぷらとから揚げにして、ごちそうにする。

2011年5月11日水曜日

自然の懐も改変

 釣りに行こうと、話がまとまって餌を途中で購入。9時過ぎに出発したので上州屋盛岡店に入ってのが10時。

 豊沢川で釣りをしてから、温泉に入ってこようともくろんだけれども、タオルを持たなかったという単純な理由で、温泉をあきらめて早池峰に向かうことにする。

 地の利のある、岳川の様子を見ながらどこかで釣りをしようとしたが、水量が多くて果たせず、結局早池峰ダムの上まで行き、折壁川でやってみた。

 ヤマメが時々かかり、ハヤの大きいのがかかる。なんと、鯉が泳いでいる。かつては岩魚が闊歩していた沢に鯉とは…。

2011年5月10日火曜日

ワラビ生えた!

 今日、岩手山麓の家の庭で蕨(わらび)を25本採った。昨日は見たときは10本しかでていなかった。

 翌日何本出るかを「賭けようか」ということになったが、11本という説の他は「うーん」と考え込んでしまって、賭けごとは成立しなかった。

 蕨が何本出るかを考えることなどこれまでなかったが、結果は皆の想像以上のものだった。

 もっとも、数えることなどはないのだろうけれども。
 


2011年5月9日月曜日

桜がまだ盛り

 6時40分初の新幹線に乗って盛岡へ。3時間ちょっとかけて着く。
 
 盛岡からの車窓からは、桜の花が見える。岩手山の山麓はまだ春の入り口のよう。


 昨夜は釣ったシロギスの下ごしらえをして、パックに詰めて土産にしようという魂胆で寝るのが遅くなった。それでも間に合う時間通りに起きて、荷物を整えて出発。

 渓流づりの道具も準備して、パソコンも持ったから荷物が多くなった。
岩手山麓の家は、桜が満開。ピンクの花が夕方にとりわけきれいに映る。

2011年5月8日日曜日

シロギス釣り

 金田湾(三浦半島)でキスつり大会。45人が参加して賑やかでした。今年のつり大会は、震災の影響で中止が続き今回が初めてとなったので、みんな嬉しそうな顔をして、釣りを楽しんでいました。

 前日に雨降ったり、底荒れがあったようでシロギスが落ち着いていないのか、アタリは少ない状態でした。釣れてもつれなくても賑やかに交流しながら、ひとときを過ごしました。

 釣れたシロギスは型の良いものが結構混じっていたようです。

2011年5月7日土曜日

こころが動く

 雨が降ったりやんだりで、少し寒い。知人にたばこを止めたと聞いた。被災地のテレビで、おにぎりを半分食べて喜んでいると話しているのを見て、心が動いたという

 これまで、止められなかったものが突然できたので、なにか判らないが、心が突き動かされたらしいとのこと。
 こころに感じた、感じさせてもらったことが、良いことに転化できれば、この上ない。

 写真の整理が大分はかどった。ホームページにも慣れてきたので、時間も短縮できてうまくいく。以前に撮ったもの、新しいものを織り交ぜていこうと思う。

 写真は自分の表現だという。そんなに腕前がいいわけではないけれども、まとめていけば何かがわかるような気がしている。
心模様かな。

 今日の更新
http://29.pro.tok2.com/~urohaze/index.html

2011年5月6日金曜日

解せぬこと

 連休の温泉行きは、家族の楽しみで以前から決まっていた。年に何回か行く、我が家にとっては既定の行事だった。
 
 テレビ報道で「自粛」と原発の影響で、客足が遠のいているとしきりにとりあげていた。
   ところが、あの高速道路の混みようはなんだったのだろう。旅館も大変な混みようだった。

 報道されると影響は大きいということだろう。報道されたことによって、行動の動機付けとなったとしたら、と考えるとなにか妙な感じがする。

 とは言え、情報の多くがテレビに依存しているので、鵜呑みにしてよくないということか。

2011年5月5日木曜日

生きるもの元気がなにより

 窓から見える木々の芽がどんどん膨らんでいるのがわかった。 
 最初は、まだ枝が多いと見えた。

 向かう途中見えた山桜も盛りだったから、頃合いだとの印象だったが、三日間眺めていると、違いが歴然とした。

 二日間、携帯電話からブログに原稿を送った。前回送ったときは「下書き」にアップ(書き込み)された。そういう設定だったから当然そうなった。

 今回は直接書き込まれるように設定をし直してあったのでそれはうまくいった。携帯で撮った写真をつけて。うまくいったと思っていたら、写真はタテ撮りが横になって載っていた。アハハ。

 帰宅して、修正したついでに、写真もスリ変えておいた。
 無論主旨は変えないように
 文字も小さくなってしまうんだな。
 
 書き込みの文字が小さくなってしまうのは、後から修正する以外なさそう。でも小さい文字はわかりにくいねぇ。何とかしてぇ。Bloggerさん。

2011年5月4日水曜日

吾妻渓谷若葉愛でつ




  八ツ場ダム建設予定地に行ってみる。吾妻渓谷は、渓が深くて、水量が豊富。淡い木々の緑が映えて、ダイナミックで素晴らしい。
 
 高台に、住宅造成地があった。何軒か立ち上がっていた。湖底に没する住民の移転先のようだった。美しい渓谷と、新しい住宅。このコラボレーションは成立するのか。

2011年5月3日火曜日

短い春を


 関越道、30キロ以上の渋滞。自粛からの解放か。短い春には、山菜もいちどき出る。ゆく春をまだとどめる四万温泉。次の料理をまつ。我が家の三人が5月生まれ。

2011年5月2日月曜日

サンマ考

 中学生のとき、小遣いでサンマを買って、七輪で焼いて食ったことがある。キチンと焼くと骨まで食べられる。しっぽだけしか残らないから、食した満足度は高い。

 サンマが取りもつ縁で、品川区と宮古市は災害時の相互援助協定を結んだ。目黒駅前商店街が「サンマ祭り」で提供を受けていたお返しに、支援物資を送った。

 宮古で、保存していたサンマが、津波によって流されて腐乱して、片付けるのが大変と報道されている。

 サンマの旬は8月後半から10月。

 サンマを好物とするものは、時期を選ばす食べることを望む。よって、冷蔵(冷凍)して需要に応えることが、当然のようになっている。

 いつでも食べられる。その需要に応えるというスタイルが当たり前なのが「幸福」なのか。旬を味わうのは食の文化だと思うのだけど、旬でないときに「旬の時に獲れたもの」を食するのも、悪くないという気もする。
 
 「目黒のサンマ祭り」は9月、旬の時期に催されている。

 
 廃棄されるサンマに合掌。

2011年5月1日日曜日

ここから下には家を建てるな

 416日にこのブログで書いた「大津波記念碑」についてNTVでやっていました。
「ここから下には家は建てるな」との先人の教訓です。

 しかし、です。漁業者は、津波直前には船を守らなくてはいけませんから、海に近いところに「居」なくてはなりません。
高台に住居を構えるということを杓子定規には言えないんじゃないか。

 北海道南西沖地地震の復興のときは、高台のみに住まいを造るということではまとまらなかった。

 千葉県の浦安市。東京オリンピック後、埋め立てた後に大型開発。「住みたい街ランキング」で常に上位。
 
 行政が「税収を上げるために高額所得者の誘致をねらった」ところは、今回の地震で液状化による甚大な被害を受けた。街づくりを考える上では「自然の法則的態様」を考慮した検討が大事なのでしょう。

2011年4月30日土曜日

塩釜湾、松島湾で釣りができるように

 つりの会の仲間に会って、打ち合わせついでに軽く飲む。
 
 やっぱり話題は地震の話になる。昨年ハゼ釣りで世話になった釣り宿、民宿のおばさんたちはどうしたろう。高台が近くにあったから、上手くしたら避難できたかも知れない…。

 昨年秋につりの会の一泊釣行計画で、塩釜湾にジャンボハゼを釣りにでかけた。

 船頭さんは難しい人だったが、「松島湾は、水の汚れで今はのりの養殖も近くではできなくなっている。小さな島でも昔はキノコが採れたよ。山に木を植えるようにしているんだ」と話していた。

 今年も、と思っていたのにだめかも知れない。お元気なら、なんとか復興をと頑張っておられるのでしょうが。

 昨年お世話になった折、大潮で海水が道路に溢れていたのを見て、船宿の女将さんに聞くと、一年に何回か大潮の時起きるのだと説明していた。

 そのときは、温暖化の影響が起きているのかなどと、不安な落ち着かない気持ちでいた。

 つりの会で義援金を集めようということで、取り組んでいる。些少でも。