2013年10月20日日曜日

我が家も限界集落

 「限界集落(げんかいしゅうらく)とは、過疎化などで 人口の50 % 以上が65歳以上の 高齢者になって 冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている 集落を指す、日本における概念」と説明されている。

 テレビで、限界集落を尋ねて集落の人と触れ合うという番組をやっていた。二人の訪問者が「突然ですが」と現地で会った人に声をかけて、日常の話をする。番組の紹介がHPにあった。どこかでやっている旅番組の焼き直しみたいなものという印象だった。4組が観光的気分で訪問して、地元の人とかかわる。

番組ホームページがあった


書きだすとこんな具合
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Ⅰ さっそく宿泊交渉し、宿泊させてもらうことに。宿のご主人は漁師ということもあり、豪快な船盛りやアワビなど、新鮮な海の幸を存分に堪能した。山側の集落を訪れると、花が満開に咲いたソバ畑を発見。近くにソバ屋さんを発見した2人は、ソバ打ち体験をしてみることに。

Ⅱ 炭焼き名人と出会ったり、大自然の中でたくさんの絶景ポイントを発見したり、おいしい空気と水、あたたかな人情ですっかり心癒される旅となった。

Ⅲ 豪快な船盛りやアワビなど、新鮮な海の幸を存分に堪能した。山側の集落を訪れると、花が満開に咲いたソバ畑を発見。近くにソバ屋さんを発見した2人は、ソバ打ち体験をしてみることに。

Ⅳ 潮風をあびながらゆったりとした時間を過ごすことができた。

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 番組で描くとなるとこんなものかと思うが、もうちょっと突っ込んだものにならないものかと感じた。「限界集落」のワードは、1991年に長野大学教授である大野晃氏が、高知大学教授時代の1991年に最初に提唱した概念なのだそうで、旧国土庁が1999年に行った調査では、やがて消え去る集落の数は日本全体で約2000集落以上とのこと。これとて14年前の話。

 中野区では世帯の5割以上が65歳以上の独り暮らしという。そういえば我が世帯の場合も限界集落適用条件に当てはまっている。 なにも遠い山のなかのことではない。都議会で「認可保育園を新設・増築する場合の用地確保を援助する」条例提案が否決されたと聞いたが、財政がないわけでないだろうに一体何を考えてるのか。2020年のオリンピック開催ばかりが鮮明で、いかがなものか。子供が増えることが一番の経済効果だと思うけど、大法人ばかりが肥えていくのでは、日本全体が限界集落になってしまう。









2013年10月19日土曜日

後手後手の憂き世では

 大島で起きた土砂災害の場所には堰が二カ所に造られていた。片方は流れを止めて今回役に立ったが、もう片方は土砂の量が多かったために迂回して下へ流れた。火山対策のため沢に造られた砂防堰堤は、早期避難のためのハザードマップが作られていなかった。

予測してきた以上の豪雨で、それも前日夕方になってから「もっと酷くなる」との連絡が気象庁から東京都に連絡が入るという経過をみると、予知の体制が全体としてとれていなかったということだ。前日夕方はさしたる雨ではなかったというから、その時点での危機感は持ちきれなかったということもあったのだろうか。その危機感は、砂防ダムがあるから安心という認識も手伝った。これまで災害が起きて犠牲者がでて、ようやくなんらかの手を打ってきたものが、それではもう役に立たないという見方もできる。それ以上に自然環境の改変が進んでいると見なくてはならないのではないか。


 もともと崩れやすい地層に、薄々でも危険を感じながら住居を持つということ自体に問題はある。三陸の「ここから下に家を建てるな」と同様の教訓も生きるということになる。しかし、自己責任ではまかないきれない選択があるし、政策誘導も十分でない。大島町が限界集落になってしまうことをだれも望まない。危ない土地でも住める条件があれば、とりあえずはいいといった判断を全否定することは難しいかもしれない。

 対策の手を早くとらなければならない。東京都の土砂災害危険地区は島しょを含めて3700カ所もあるという。たくさんあり過ぎてということなのか、多摩から調査を始めていると実に鷹揚だ。伊豆大島にも40カ所あり、この沢も調査対象になっているとのことだが、それこそオリンピック開催の施設づくりに嬉々としている場合でない。台風27号が来秋にはやってくる。ついでながら、そのための公務員数増員はいいんじゃないの。




2013年10月18日金曜日

大島の災害・点描


大島の台風災害で、町長「不在」責任が挙げられている。町長が出張先から戻ってきていれば、災害が起きなかったのかどうか。そういう問題ではなくて…なのだろうが。避難勧告を出さなかったことが問題と取あげて報道されている。
特別警報は市町村単位の3時間、48時間雨量や土壌水分量のほか、「府県程度の広がり」が発表基準で、羽鳥長官は記者会見で「局地的大雨を対象にすると、実際の災害に結び付かない『空振り』例が増える。基準を見直すのは技術的に難しい」と話した。いわば、注意喚起すべき気象庁がこの有様なのだから、自治体行政のトップに全面的な責任を持たせるだけでは事足りていない。

防災体制そのものが十分であるとは考えられない。ハザードマップ作成している市町村は全国で半数だとのことだ。土砂災害の危険のある地区を調査して警戒区域に指定するという東京都の調査が進んでおらず、今回の沢も調査地点に含まれていたが、「多摩地方」の調査が先行しているとのこと。被害が出た沢には火山対策で土石流被害のための調整池が2カ所あったが、早期避難につながるハザードマップは造られていないということだ。

とんでもない「ゲリラ的寒暖」があり得る。予想を超える豪雨、強風があるとして、対策をとることが必要に思える。公共事業もそういうところから進めるべきだろう。温暖化の仕業という見地を早く明確に打ち出すべきなのではないかと、シロウトながら思う。先日の竜巻にしても、予報不可能ということになっている。「ゲリラ的寒暖の攻撃」のような、これまでと異なった温暖化による気象なのだという考え方を明確にしていけば、警戒感が高まるように思うのだが、どうだろうか。

交流サイトに「自民党の現職公安長官の投稿で、事実を追求していく・・・とあり、共産党町長なんて・・・ていう、フレンドの投稿が結構あり・・反吐がでそうなので、読めませんでした・・・・」という書き込みがあった。NHKのニュースも、町長の責任追及のスタンスのように見えた。

1986年三原山の噴火に見舞われたが、その時の人口は約10,000人で現在は8,000人台であり、東京にして過疎の町だ。広報を見てその倹しさを垣間見た。











2013年10月17日木曜日

青野川ハゼ釣り余話

 最期まであきらめてはいけないというのが、人生の処世訓。スポーツでも勝負事でもよく言われるが、さっさと諦めるタイプの人間としては、耳の痛いことだ。でも釣りも、それが通用するとは面白いことだ。青野川のハゼ釣りにも適用されてしまうことになった。ただし、なにも根性があってのことでない。釣れたから言えるが、釣れるかもしれないからやってみるという単純な図式で良かった。想定では釣れない状況ならさっさと止めて、車で昼寝をして帰りの運転に備えようとしていたのだから。

 帰りに通った伊豆中央道は、初めて通った道路だった。江間付近を通過するときに、山が削られているのが目に入った。ああここでもかと、ちょっと遠めながら、写真を撮っておいた。いつの日かこの「山削りの実相」を記録したいと思ってはいるのだが…。あちこち旅に行く先々で山を削っている個所をよく見る。日本全体でも相当の実態が広がっているものだろう。所有者が山を管理できないからとか、公共事業には必要な土砂として、需要が高まるなどの要因があるのだろう。自然破壊の一つとして問題視されるべきが、あまり聞いたことはない。新規大型公共事業や都市の高層ビル開発が昂進するのとの対極なのには違いないのだけど。




ちょっとわかりづらいので、グーグルの地図を検索した


   →  江間付近











2013年10月16日水曜日

起死回生か、晴天の霹靂か。ボヤキが吹っ飛んだハゼ釣り二日目。

二日目はどうなることかと、前夜のもっぱらの話だった。「石畳の穴釣り」をした先行組のHさんは、よい型をなんと80尾も釣ったから、ハゼがいないということにはならない。気持ちを引き締めて朝は5時から行くことにし、「朝飯前」の稼ぎに出かける。しかしなんとまあ、石畳は干潮のためにすべて露出状態で、穴はあるが水はない。石畳の先には浅い水辺ができているから、そこをめがけて仕掛けを投入する。20メートルも歩いて小さいハゼが1尾釣れるという感じで、2時間余りで10尾がせいぜいだった。リールで投げると掛かってくることはあっても、岸からいくらやっても報われない状況だ。

朝食後、これでは帰りの時間を早めることになるかと思いつつ、ともかくも再挑戦となった。午前中はいやがおうでも、やるしかないし、潮が上がってきたときは違った状況が期待できるわけだから、終了を13時と決めて支度にかかった。早朝は気温が低くてレインウェアーを着ても寒いくらいだったが、9時近くには陽射しが高くなって、暑くなってきた。考えた末に、持ってきた「立ちこみ」の道具をつかうことにした。身に着けて浅場に入り込んでやろうと、以前来たときに良いつりができたことを思い出しながら支度した。

皆の釣り場から少し上流まで歩き、川底の一部が露出しているところで土手から降りて川に入った。水に足首くらいまで使って釣り始めると、すぐにハゼのアタリが出た。釣れないイメージが頭にこびりついているせいか、最初のころはうまい具合にかからなかった。竿先が固いのではじかれているようだ。最初のアタリから、予想とは全く違って順調にアタリが出て、腰に着けてある魚籠には黒く映るハゼの姿が増えていった。仕掛けを投入して探ってから、一度でもアタリがなかったときは、投入する場所を変える。同じ位置から違うポイントへ3回くらい入れてもアタリがないときは、10歩移動するという具合に川の中を動き回って、アタリを堪能した。

浅場でのハゼは小さいものでも、かかると引きが強烈だ。四方八方に竿先を引っ張りまわす。型が大きいものが混じって久しぶりに「入れ掛かり」を堪能した。「穴釣り場」のほうは、前日釣ってしまった影響もあるのか、はかばかしい釣れ具合ではなかったようだ。「一人でいい思いをして」と言われてしまった。立ちこみ釣りは、我が会では他にはやる人がいない。陸からやる「エンコ釣り」が主流になっている。若い時にやったことがあっても、足腰の衰えでだんだんできなくなる。川に降りるには踏み跡もあるし、傾斜もきつくはないから、安全に釣りができた。釣ったハゼの数は合計116尾だった。




2013年10月15日火曜日

青野川一泊釣行の一日目の不幸

 13日から青野川へハゼ釣り行こうという釣りの会の計画は、会の久方ぶりの「一泊釣行」だった。釣りも上手いし車の運転も頼れるのに、忙しいハマちゃんの日程に合わせてこの日になった。レンタカーを使って、大きい車なら1台でいいかと思っていたら、そこは連休で空きがない。やむを得ず、7人乗りのレンタカーを予約した。8人は参加するということになったので、車を持っている元会員さんに声をかけて、一緒に参加することになった。

 ところが、気持ちはあるのだが、ちょっと動きがままならなくなってきた98歳の会長が、「止めておく」ということで残念なことになった。足場が良くて車から降りたら歩かなくて済むという条件をクリアするのは、泊りがけというのは難しいのかもしれない。
 横浜にいる会員さんを拾っていかなければならないので、2台は別行動になった。先を越されては、釣り場を「荒らされて」しまうので、こちらは途中でハゼ釣りができないかと、馬入川に行って見ることにした。平塚港を見てみると港ないと外側の河口でリールを使って釣りをやっていた。しばらく眺めても一向に竿が上がらない。

 これでは気が乗らないと、下田の稲生沢をめざすことにした。途中の道路が混んだわけではないが、適当な場所を見つけて竿を降ろすのが12時過ぎになってしまった。護岸下に船着き場のような場所があり、足場がよくて、広い場所があったので早速やってみることにした。しかしアタリの方は一向にない。2時間ほどやって、あきらめることにした。ここでは小さいハゼが6尾だった。

 青野川に着いてみると、車を止めた場所で若夫婦が子供連れでやっている。声をかけると、「午前中はよかったけど」と奥さんから返事が返ってきた。少し上側に本命の「石畳の穴釣り」場がある。先行していたHさんから電話がかかってきた。まあまあ釣れているというこうことだった。竿を降ろしから、一向にハゼの反応がない。

 先行組と合流して様子を聞きながらやってみるがやっぱり駄目だ。若夫婦と同じように、午前中はよかったらしい。一日目はHさんが良い型を80尾も釣って、皆をびっくりさせた。例会参加トップクラスの先行組のMさんも、いつにない大きなハゼを釣って満足の様子だった。


平塚港


稲生沢川


 Hさんの釣果80尾








2013年10月14日月曜日

ネット依存傾向とかスマホ症候群とか

 ネット依存症というのがよく言われるようになってきた。興味のある「何か」の情報にアクセスすることで、充足感を求めようということなのだろう。人とのつながりが希薄になりがちな状況で、端末機でどこででも使えるとなれば、使う人が増えつづける。コドモからオトナまで、所構わずスマートフォンを覗きこんでいる人は、いまや通常人のようだ。

 しかし目の疲労や肩、腰の痛み、ウツまで生ずるとあってはちょっと気にしなくてはならないことだ。ひとつの新しい文化を生み出していることも否定できないが、人間生活が機械に取り込まれていくようではまずい。だいたい、電車の中や歩きながらスマホを操っている人が、楽しそうにはしていない。本来満たされるべきものが、ヒトの生活の中に、もっと広くたくさんあるのに、ネットがそれにとって代わるということにはならない。ヒトとして生活の充実感と楽しみをもっと味わえる社会になっていかなければと思う。

 就活、婚活などと語られるが、わざわざ「活動」しなければ目的に達しない世の中になったともいえる。就職は政治のおおきな課題だし、結婚は生活していける賃金と住居を、自力だけで手に入れることは通常はできない。自己責任で放り出されているのだから、生きていくための基礎までなかなか到達できない。僅かな満足感と充実感はどこで味わえばいいのだろう。このままではだめなことだけははっきりしている。



 スマホ依存は日本だけではない。依存している様を批判的に見事に映像にしたものがある。2560万回以上もアクセスがある。

→ I Forgot My Phone


2013年10月13日日曜日

藤原紀香は被疑者か?

 藤原紀香が秘密保全法の怖さをブログに書いた。重大な問題なのに短い期間のパブリックコメントでいいのだろうかといったものだった。ネット界でそのことが飛び交っている。ご本人はどこかでこの問題に触れて、ごく普通に危ないものと解釈したのだろう。藤原紀香の背後関係を調べたというから、この反応がおもしろい。おもしろいというのは、そんなことを調べて調査したということを平然と言ってのけるという神経もだ。それこそ秘密保全法の性格を体現しているものではないか。

「藤原紀香はシロ」公安に背後関係まで調べられた秘密保全法の怖さ
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 紀香登場で反響は大きかった。政府関係者は「なんで?と思いましたよ」と驚くばかり。それだけではない。公安が紀香の背後関係を調査したというから驚きだ。
「この法案にはいろんな団体が反対しています。なかには公安の監視対象になっている団体もある。なので『念のためではありますが、藤原さんがそういった団体の影響で書いているのかどうかを調べました』と公安が言うんです。結論はシロ。純粋に心配だからそう書いたといいます」(永田町関係者)
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書いたのは「東スポ」だが、シロかクロかいう見方もまた異常だ。まるで犯罪人の扱いのようだ。政府が勝手に秘密事項としたゴム印を押したら、すべてが闇の中で処理される。皆が当たり前に思うことでも、当たり前でなくされてしまう。まるで中世のようだ。そんなことを法律で造ることがおかしいのに、これはやはり戦争体制づくりへの環境整備というしかない。

 良心的に発言することが問題視されるとは、これまでもいろいろな場面でされたことだろう。しかし、今はそうはいかない。ネットでの情報伝達の影響が、参議院選挙でも現れたし、ネットで投稿される情報はマスコミも国も自治体も、無視しえないところまできている。甘く見るなよ。そのうち「倍がえし」「十倍返し」だ。
藤原紀香が普通に疑問を思う人として、公に発言することに勇気あることとして拍手したいが、今後どういう展開になっていくのかも気になるところだ。「勇気あること」という自覚をしているのかどうかはわからないが、良心に忠実な人がでてくるのはうれしいことだ。

ところで、マイクロソフトが手抜きをしているのか「フジワラノリカ」の文字変換ができない。単語登録をして「登録と同時に単語情報を送信する」のチェックをいれてやった。こういう良い有名人の名をちゃんと変換しないのは、許されないことだ。




2013年10月12日土曜日

見棄てられる?JR北海道

 「人もいねえし資材も来ない。一生懸命手をかけることもないべ」JR東日本の保線現場の声があるとのこと。仕事にやる気は大切なことだが、必要なことができない、それも資金がないからという。ついにここまできたかという感じがする。列車用のマスターキーがネットオークションで売られて、備品室が開けられたことがあったと昨日の夕刊が報じた。

 分割民営化で儲からない路線を、貧乏くじのように充てられた結果だ。民間の活力で活性化が図れるとよく使うセリフが、どういう事態を生むのかが象徴的に出てきたことなのだろう。民間活力で競争して、勝ち残り組はあっても、その先は「負け」もでてくることを知らなかったわけではない。負けの荷物を自治体や乗客が背負うのではたまらない。

昨日、車の自動運転がもうすぐ実用化するというところまで来ていると、テレビが報じていた。実際にカーブがある専用道路を、運転手が何もしないでも勝手に走り、前の車のブレーキを感知して減速することもできるという。実際60キロ程度で安定的に走っているようだった。特定の条件下では利用ができることになるようだ。
 自動車は「売りまくり」の扱いで、総走行量の心配などはまずない。一家に何台とかいって、その量を誇るようにさえ見える。車なしでは地方も成り立たないし、物流は道路を必要としている。新しい幹線道路をどんどん造る理由に使われる。

 自動車道路網があれば、という政策誘導が北海道のJRの存在も脅かしているという関係にある。あくまでも捨てられる運命なのか。しかしそれにしても、最近の自動車事故は多重で車の種類を問わず、死者や負傷者が多い。車への依存症も考えるべき時になってきている。

 高齢化社会が進んで医者通いするのに、車社会に依存していたのでは自殺者を増やすようなものだ。子供のころの思い出が、自家用車の窓越しの景色よりは、列車に一緒に乗った友達との会話の方がいいに決まっている。
 単純軽薄な発想かも知れないが、自動運転できるなら今の専用道路にレールを敷いて、列車を走らせたらいいと思う。連休に出かけるのに運転する人のエネルギーの総和はものすごいだろう。列車なら一人でいい、と考えたらどうだろうか。車の走行量の減少は、温暖化問題にも効果をあげるし。

毎日新聞 

 → 腐った枕木 本線にも 社員「新品現場に来ず」 






2013年10月11日金曜日

強盗、殺人をなくすにはと考えるべきところ

起きてはならないことと思うのが、ふつう考えることだけど、どうしてこうも犯罪が増えていくのか。負と否とともかくマイナーなことで、パソコンなら削除と抹消の対象だ。
 人間は「狂気」を持っていると考えるのも外れではないだろう。獣を追いかけて獲って食うということは相当長い間やってきているし、人間同士が「財産」増やすための闘いを仕掛けることも相当やってきた。自然の脅威から身を守り、暴力をふるうものの危険から身を守るため、武器を使うこともやってきた。だから、そういう繰り返しのなかでは、殺意というDNAというか要素のようなものが脳の中に存在しているのではないか。

 兄弟は他人の始まりと言って、仲が悪いことを合理化することがよくあるが、同じ親から生まれながら違った性格なり体質なりが現れるというのは、生まれ出るときの「構成要素」がなんらかの要因で、プラスだったりマイナスだったりという違いが出てしまったということではないかと思う。あるいは親から生まれるときのなんらかの異なった要因があるのかもしれない。そうだとしても、殺気立って周りの人間がたやすく敵同士になってしまう環境が造られ、犯罪の引き金になっていることは間違いない。


 人の命を大事にしない政治が大手をふるっているのもおおきな誘因だ。TPPの交渉は「5項目」を守るという公約を、内容によって外す検討をするという白と黒というより、天地をひっくり返すようなことを平気でやる。マスコミも批判できずにこれで済むかのごとき流れになっている。生き残るものにしか焦点を当てない政治でこれからどれだけの「犠牲」を生んでいくことになるのか。仕事先の企業はまるで、中世の奴隷制度並みの扱いで企業の都合に合わせて人を切り捨てる。それももっとゆるめて合法的にと。これから先の、子供たちの時代は年金だけでは暮らせない。いくつになっても、低賃金で働かされる。動けなくなったらそれこそ自殺か強盗かの選択しかない。犯罪が減るわけはない。





2013年10月10日木曜日

海外旅行など行こうと思わなかったのに2

 写真をまともに撮り始めた2003年。撮影の講習会で身に着けたものを、3年後からデジカメで使うようになった。魔の触手に触れた2007年は、奥尻・礼文島の撮影旅への誘いだった。観光写真っぽいものでも、目には新しいから絵葉書との違いをどうしたらいいのか工夫しながら、撮り歩いた。しかしなかなか、どうしても絵葉書範疇から抜け出せない。素晴らしい景色に見とれて素直に撮るから、「芸術的作品」には程遠い。でも十分これで良いだろうと思っていた。日本中いくらも撮るところはあるだろうと整理していた。

 ところが、魔の触手がまた伸びてきた。今度は海外で中国に、ということだった。同伴させてもらって、存分撮りまくった。そしたら、また別の海外旅行の誘いがかかってきた。最初の海外で、旅への緊張感は薄らいできたから、清水の舞台を利用するほどのことはなかった。現地の言葉がわからなくても、添乗員の言葉を逃さなければ大丈夫と、たかをくくれるようになって、ツアーの隙をみては撮る。撮るのにこだわっていると移動のスピードに遅れるから、そこは注意する。写真はだからスナップばかりで、グンと落ち着いた写真はなかなか撮れない。山岳写真のように待って撮るというような設定は無理だ。いまのところ、そういう撮り方をしたいとは思っていない。やるからには体力、気力、金力、時間がいるだろう。

 こんな写真を編集して、投稿サイト(Facebook)に載せたら、外国人から友達申請が来た。率直なところ困ったことになったと思った。その人のサイトを見たら、良い写真がたくさん載っている。中国人らしいのだが、コメントは英語になっている。Facebookのコメントはいい写真だの素敵だのと長いものでないから、そんなに苦にはならないだろうと、交流することに決めた。
「英語はわかりませんが、仲間にしてください」といったたぐいのコメントを英語で送った。
Good evening. Please associate, although he does not understand English well.」。
It's OK !」と返事がきた。

 日本語を綴ってHPの「翻訳」サイトで英語に変換することがいとも簡単にできる。コピーして貼り付けるだけの作業で「国際化」に参入することになった。

2008.11.17羽子板市




2013年10月9日水曜日

海外旅行など行く気はなかったのに

 「毛唐」という言葉を面白がっていた時代があった。侮蔑的な言葉として戦争遂行の折に使われたのだったが、蔑視的な言葉として一般には使用されていないのだろう。というより、アメリカの従者としての実態が不要にしてしまったという流れなのか。この言葉がなんの疑問もなく頭の隅に置かれていた。なぜ英語を教育されなければならないのかも、常にずっと疑問に思っていた。今なら愚かな疑問と言われそうだが、横文字の文化と違うものが沢山あるのだから、その違いも壊していくものだとしていたことが、記憶に置かれていたのだろうか。敵性用語だとして排除まがいの扱いをしていたのだから、少なからず頭の隅には敵を作り出す訓練が生き残っているのかもしれない。

戦後はもう、まったく戦前とは違った文化や政治がされて、邪険な扱いを受けているものの、平和憲法が維持されている。邪魔なものとして、敵性用語だったものが今はスピードラーニングで聴いていれば覚えるというまでの「親密度」だ。しかしこのかい離も、「侵略戦争は誤りでしたごめんなさい」という国内に向けての明快な反省があれば、過去に犠牲になった様々なことの切り替えに合理性が出てくることになるはず。歴史は造るものでないとしても、過去と未来の結節点で今を考えるとしたら、教訓を引き出しておくのが通常の手法だ。

 ちょっとずれちゃったが、こんなことが海外と自分の関係などに、一向の興味もなかった事情かもしれない。ところが、魔の触手がかつての職場の先輩からかかった。西洋でない中国旅行だった。写真を撮りに行く目的だった。写真は観光する箇所もあるが、人の暮らしや観光地でないところを見てみるという動機があった。中国がこれからどういう影響を持っていくのか、いま暮らし向きがどうなっているのかは見てみたい。ツアーでどの程度可能かは計れないが、行くことを決めた。この瞬間にわが身の「国際化」が始まった。









2013年10月8日火曜日

与田浦の清掃つり会の写真

 10月6日に15会71人が参加して実施された「第58回関東勤労者つりの会協議会主催」清掃つり会は、曇りがちながら降られことなしに一日行動ができました。

 関東の行事としては1977年に第一回開催以降12回実施した後、12年間休止し、2001年から12年間を東京労釣連が主催したものに関東労釣協が後援して実施してきました。今回「主催行事」として復活したものです。段取りにいくつか手違いがありましたが、今後の改善点として考えていくことが必要です。勤労者つりの会伝統の清掃つり行動に新しい一歩が刻まれたことをになりました。
 
実施要項説明など

十二橋周辺のゴミ収集



ひところよりゴミの量は減ってきている
 


 ヘラブナ大型賞は33.2センチ

検量模様、優勝者は5キロを優に超えた!






2013年10月7日月曜日

刈り取った田の脇でフナつり

 釣りの会(関東勤労者つりの会協議会)の清掃つり会が、香取市の与田浦であった。10時までゴミの収集をしてから、釣り場をよく知っている人の案内で水路に向かった。途中、ワンボックスカーを停めて、釣りをしている家族連れを見た。小学生高学年化か中学生くらいの男の子が、橋の上から竿を出していた。お父さんだろうか家族の釣り自宅をしていた。家族連れはなかなか見ないので思わず車を止めて、子供に声をかけた。「まだ釣れない」と返事が返ってきた。頑張ってと声をかけたが、ディズニーランドやアウトレットに行くよりはずっといい遊びだ。

 釣り場は細い水路でコンクリートが打ってある。野趣にはかけるように見えるが、実績があるということで、車を降りた。ちょうちん仕掛けで、キジをえさにしてやってみようと、今日の方針を決めてさっそく仕掛けを入れてみると、すぐにアタリがった。ところがテキはキジエサの端っこを咥えて、引っ張るだけのことらしい。反応があるのが面白くてしばらく付き合いをさせてもらったが、水中に浮かぶ草が引っ掛かって、そのときに魚が外れるらしい。

 近くに一緒に入ったSさんはもう、いなくなった。見切りが非情に早い人なのだ。たしかにその方が釣るチャンスが増える。浮子の動きにつられて長居をしたが、モロコがやっとかかった。フナを釣らなくてはと、場所を変えながら歩いも、モロコはよく掛かかった。排水溝が川に接続しているところで、ようやくフナが顔をだしてくれた。浮子がスーットと横に動いた時だった。この動きがアタリかと思い、浮きの動きに集中して、いくつかを取り込んだ。目的の魚がかれば俄然面白さを感じて、時間が過ぎるのも早かった。

 異動しながら、水路の脇映える草と水路の中に這える草の間に、1.5メートルの仕掛けを上からそっと落とす。これで浮子に反応がでれば上々だ。都合、フナは8尾で小さかったから、重量が少なくて競技結果では問題にならなかった。案内をしてくれた二人は1キロ前後を釣った。同じ会から参加したMさんは、水路に掛かるコンクリートの橋にイス席を構え、5尾を釣っていつになく気分爽快のようだった。



2013年10月6日日曜日

秋が駆け出しているみたい

 9月、10月は催し物が多い。実りの時期とは、人間も様々なものを採りいれて、身に蓄えていくものなのだろうか。北国の稲の収穫は今頃なはずだと写真を整理しながら思った。自覚できるものは、テレビで出てくるもの以外はない。夜うっすらとなく虫が秋を思わせるだけで、暑いやら寒いやらの行ったり来たりではわからない。

9月と10月頃の写真









2013年10月5日土曜日

天気が悪いと気分も滅入る

 グループ登録をした50人ばかりに一斉にメールを送信したら、届かない人がでてきた。これはいつもあることだが、今回はなぜ届かないかを解明してみようと思った。不到達四人のうち二人は、どうやらいつも届かない人らしい。たまさか、第三者が送った一斉メールのアドレスが、参照できたので比較してみても違いがないことがわかった。日常は連絡する用件がないので、事実上棚上げのままになっている。

 受診の有無で問題が起こる内容ではないので、後日調べることにした。もう一人は、アドレスが変更になっていた。当人に連絡が取れずに、人づてにお願いして教えてもらった。改めてここに送信してOK。もう一人は、アドレスが変わったことを承知していたケースだった。連絡をもらった新しいアドレスを登録しておいたのに、旧アドレスを使用してしまった。グループ登録したメンバーで、そのグループ登録のアドレスを修正していなかったからだ。

 修正後のアドレスを使って、同様の内容を送信したら今度はこれが送信されない。一文字違って届かないことがしばしばあるが、送信自体をダメだとされることは初めてだった。目を凝らしてみるがなかなかわからない。うーん困った。いじっているうちに、余計な文字が合入っていることが解かった。セミコロン(「;」)だった。アドレスブックに登録するときに、コピー元のアドレスに加えて持ってきてしまったらしい。

 「こんなことでかよ」とデジタル社会を恨むが、仕事でやっているわけではないから、反抗のしようもない。恨みはこの次の釣りかい?しかしその釣りもなかなか「恨み」が晴れるような結果にならなくて…。明日は清掃つり会で、天気予報では回復しそうでなによりだ。





2013年10月4日金曜日

日本でもセシウムの体内蓄積がすすんでいる

 チェルノブイリで、内部被ばくが進んでいるという映像を見た。食物から体内に蓄積されたセシウムが半端でない。キノコを主食ほどに摂取しているが、森に蓄積されたセシウムは、長期間にも減っていかない。畑よりは原野、原野よりは森の汚染がなくなりにくいという。森に拡散したセシウムは地面から木、木から葉へ、その葉が落ちてと循環する。ちょっと長い映像だったが、恐ろしさがわかる。



 日本で子供たちの尿からセシウムが検出されたというニュースもあったので、いよいよ深刻な状態であることを感じる。福一原発では連日のように汚染水洩れが報道されて、垂れ流しと変わらないような事態だ。コントロールなどという馬鹿げた状態はどこにもない。



2013年10月3日木曜日

消費税増税を煽るマスコミ

 消費税は8%でいくと、安倍首相発言の後は既定の事実のごとく、「増税分の転嫁はどうするのか」と、NHKらしくアンケートを取り歩く。これでも法治国家なんだろうかと思う。アメリカの場合は予算が成立しなくて政府機関の一部が止まっている。それがいいことというわけではないが、日本は予算成立まで半年(も)あるのだから、規定のこととすることは筋が通らない。世論調査で反対と出ているものを、やらせ機関で聴いたことにして、強行することに掉さす論調では情けない。払わないで済む消費の仕方を、あたかもそれしかないような取り上げ方では、テレビ報道の品格も問われる。

 7月は生活保護受給者が前月比5800人も増えたと厚生省が発表した。3月には過去最高の受給者数で、世帯数だと過去最高の6月より5213世帯増えた。非正規雇用者も増加しているわけだから、増税は所得階層の低いところにより大きい打撃を与えることになる。集めた税は法人税の減税や法人の復興税の穴にも埋め込むということを隠していない。

 年金暮らしは言わずもがなで、上がらないで下がり続ける賃金の勤労者の負担は大変なものだ。消費不況が必ずくるだろう。バブルで失敗したはずなのにまたその道にのめり込むという、馬鹿なことでいいのか。失敗のツケはまたこちらに回ってくる。すでに物価が上がってきた。自民党内部で、賃金を上げるための要請をするといっているが、「まわりまわって賃金に回ってくる」というなら、いままで溜まったものをまず出せと言うのが当たり前だろう。トヨタの社長が「乾いたタオルでも置いてあるうちに湿ってくる」だから労働者からはもっと絞れるのだと言っていたこともある。

 オリンピック招致で、日本のメダルを期待するのは悪くはないが、ホイホイのっかていると、安倍政権の浮揚のために利用される。としたら、スポーツは政治に利用されていることになってしまう。7年後のオリンピック開催に向けた関連番組がシフトされているが、そのとき原発はどうなっているのか、どうすべきなのか。復興はどこまで進んでいるのか。TPPの影響はどうでているのか。そんな、ちょっとは辛口の番組はやらないのか。




2013年10月2日水曜日

健診に行く

 昨日、小雨がパラついているけど、思い切って健診に行ってきた。血圧の薬も切れているので、先延ばしにしているのはよくないと、ビニール傘を持って歩き始めた。通りに出るとちょうどバスが出てしまったところだったので、共立診療所まで歩くことにした。25分ほどかかるが、昔と違って歩いたなという実感が残る。歩くチャンスも少なくなっているから、これも幸いだろう。

 健診は500円かかり、今回は胃がん健診も申し込んだから、これは別に1000円必要になっている。「中野区らしい」負担が増えている。大腸がん検診と肝炎ウィルス検査も加えることにした。便は二日続けて採って、持ち込まなくてはばらない。降圧剤をきらして数日飲んでいないから、血圧測定のとき高い値が出るかと、出かける前に計ったら140を超えている。診療所に着いてから計ってもらったら、2回目に130台でまあ、良い数字が出た。アスピリンを飲んでおいたのでその効果なのかどうかわからないが、そうでないとすると数日たっても降圧剤の効き目があるということなのだろうか。

 いつもの診察も簡単に終わって、降圧剤と尿酸値を下げる薬を貰った。その足で高円寺の上州屋に向かう。先日の渓流釣りで折ってしまった竿のパーツを受け取らなければならない。源弓の穂もちは2000円で、電話を掛けたときには保証書が使えるとのことだったが、店ではだめということで現金を払って受け取った。保証書に依るときは、破損したパーツを持っていくことが必要だと言っていた。昔もそんなだったかな。

 帰り道も青梅街道をテクテク歩いて家へ向かった。途中の釣り道具屋の半田丸でウィンドウからキス竿が見えないかと覗いてみたが、見えなかった。そうとうくたびれていたが、1時を回っているので食事処を探しながら、やっと家近くでツケ汁うどんを食べた。大盛りで700円だから値段は気に入った。。さっぱりしていて、天ぷらがついて美味かった。歩数一万歩は優に超えた。




2013年10月1日火曜日

南三陸町防災庁舎は解体される

 南三陸町防災庁舎は解体されるということだ。保存には遺族の感情もあるし、残すための財源もないという事情を抱えている。住民を避難させるために津波で命を賭して、仕事を全うしたということには、公務員への「いわれなき中傷」に応えたという意味でも残して置きたい話だと思う。しかし、遺族の感情もあることだし、周りであれこれ勝手にいうわけのもいかない。
 
 ただ、公務員とて人なのだから、美談ですませるだけではなくて、遠藤未来さんが助かるべき方法も想定していなければならなかっただろう。少なくとも3階建の防災庁舎はダメだったわけだ。公務員でも事業所でも今の仕事スタイルから見ると、人としての当たり前のことが認められてない。いかに参加型を装っても上意下達と自己責任はまぬかれない。津波で庁舎が破壊されて、命を落としてしまった美談と、「人間魚雷・ゼロ戦」と同じであっていいはずがない。

 昨日「NHKスペシャル 追跡復興予算19兆円」をみたら、復興予算は各省庁が予算要求したものに配分しているが、そのうち数十パーセントは「流用」だという。例えばコンタクトレンズ製造の会社が補助金を受けているのが、生産することで復興地の売り上げがあがり、雇用する人が増えるという理由になっているという。火事場泥棒的なやり方だ。
 南三陸町の防災庁舎が、財政難がネックという事情も、「金」の流し方ではいくらでも官僚の知恵を借りることができるのではないか。