2019年3月19日火曜日

50銭2枚は1円ならず、お宝には縁のない生活


 使用済みの切手は、なにか価値があるかのような気がしていたが、それも今の世の中では価値はほとんどないらしい。未使用のものであればともかく、たとえ発行当時の文化を留めていようと、今の世では価値はないものらしい。

 趣味は「蒐集」などとかつては言ったが、しょせん金には縁のないものの慰み事だった。「将来の夢」に意義を見出していただけのこと。記念硬貨もお宝かと思っていたらそんなことは全くない。

 記念硬貨は500円玉などでいろいろなものが発行されているが、商品としての価値は特別高額なものでなければ、銀行で取り換えるだけのことだ。銀行に「両替」に行ったら、両替ではなく通帳に振り込むことを要求された。

 そのうちに10銭と50銭紙幣があったが、現在は流通していないから両替できないという。502枚なら1円にならないのかな?なんて急に惜しく感じてきた。でも、「大日本帝国政府紙幣」など使えない過去のものである方がいいには違いない。




2019年3月17日日曜日

咲いたサクラとまだ咲かぬサクラ


 神田川の淵にある2本のサクラは3月上旬に開花した。その頃は他の地の開花の様子は、河津のサクラ以外はあまり聞こえていない。どんな名の種類のサクラかなのかは、ほんとうはわからなくているが、元々桜の種類は10種くらいとのことで、交配で300種はあるというから、調べてみるのは大変そう。

 咲いたことで春を迎えたという気分を得られるので、種別は専門家にお任せすることに。近所の神田川のサクラは、もう一カ所3月末4月初め前後に咲くところがある。この桜の木は34本あって大きく育っているで、一杯に開くと見応えがある。
3月17日神田川


3月16日八王子、高尾

 3月7日近所の公園 雨でした

 2月25日神田川


2月25日山手通り


2月21日神田川

 3月16日八王子、高尾の梅



2019年3月15日金曜日

有害な重金属が高濃度で「衛生環境良好」(東京都)といえる異常

 豊洲市場で、アンチモン、カドミウムの多量に発生している。アンチモンは一般道比べて8.1倍、カドミウムは4.8倍あると分析された。築地であれば路盤は固い石材で造られていて問題はなかった。今は水を流すことを制限されて黒い粉塵(有害物質)もたまっていくことになる。

 アンチモンは難燃剤としてゴム、プラスチックなどに混ぜられてとされる。古代は化粧品として使われた。アイシャドーにも使われたが、毒性がある故今は止めているとのこと。 

 タイヤには「顔料」として使われているという説明もある。カドミウムの方は路盤材からでたものとしているが、一般的には規制がかかっているから、出てくるはずはないと思うが、なんらかの産業廃棄物「スラグ」からのものだろうか。規制がされていても、「蓄積されれば」という隙間があるということだ。

 転じてみると、タイヤ粉塵や路盤剤の摩耗したものは、高速道路や専用道路のトンネルでは相当まき散らされている。しかしついぞ問題にしたのは見たことがない。高速道路両側に広がる田畑にも多量に舞っているだろうが、農作物への影響は「衛生環境良好」と言えるのだろうか。

豊洲市場の粉じんから高濃度の重金属 タイヤ・路面がすり減り滞留か

2019年3月11日月曜日

ホテルの写真と「♬高原列車は行くよ♪」(歌 岡本敦郎)の近しい関係





 写真は五色沼ツアーに参加したとき、中ノ沢温泉のホテルに泊まった時に展示されていたもの。川桁駅(磐越西線)の様子と説明されていた。いい写真なのでスマホで撮っておいたものだったが、どうしてこんなに賑わいのある列車だったのか気になって調べてみた。

 かつて硫黄鉱山があった中ノ沢温泉近くの沼尻まで、日本硫黄沼尻鉄道(磐梯急行電鉄=沼尻鉄道 大正2年開業 昭和44年廃止)が敷設されていた。この鉄道は磐越西線の川桁駅で接続して、主には硫黄を積み出す貨物が走っていた。写真にある貨車に積んでいるものが硫黄らしい。

 沼尻鉱山(安達太良山西斜面)にはひところ2000人の労働者がいたらしい。江戸時代には会津藩と二本松藩が権利を争ったという。硫黄は朝鮮戦争時には「黄色いダイヤ」と呼ばれるほどだったが、「戦争特需」だったことを思わせる。それ以降は石油製品にとってかわられていった。

 ところで岡本敦郎が歌った「高原列車は行く」はこの磐梯急行電鉄の情景を謳ったものだとのことで、作詞の丘灯至夫、作曲の古関裕而は共に福島県出身。昭和27年に発表されたこの歌、知らない人がいないくらい流行したが、このとき朝鮮半島で戦争をしていたのだから、なんという能天気なことだったかと思わないでもない。


2019年3月9日土曜日

築地跡地にカジノを含むリゾート施設を造るネライ

 「カジノを推進しても、熱が冷めれば、最終的にそれを支えるのは地域にいるお年寄りと依存症の人達。でも、お年寄りは、年金は十分もらえるのか? 近い未来の75歳支給、それまで現役時代の半分の収入で身を粉にして働き、医療費の負担増、カジノを楽しむ余裕もない。」との話がブログ=
アメリカのカジノ事情 日本とは違うメンタリティー 
に書かれていた。分かり易くてなるほどと納得した。

 それで先日の確定申告の際に国民健康保険料が昨年より4万円も増えていたのを思い出した。わが年代でさえ、年金資金が投資に投入され、危ない目に合っているし、これから先の受給者がどれだけの受取額になるのか。10月から消費税増税と、余生の懐は心配ばかり増えていく。

 そんなことを考えると、悠長にカジノで楽しむなどということはとうてい考えられない。2年前にアメリカのカジノ企業から、日本にラスベガス級のカジノ都市を作りたいとの要望があった。JN幹事長が面会しているとか。来年の都知事選挙を現職でいくとの発言は、なにかカジノ施設づくりへの布石みたいに思える。





2019年3月8日金曜日

「築地文化」を亡きモノにして、跡地開発は一般会計からも


 「築地ブランドは生かす」「築地に戻りたい人がいれば復帰のお手伝いをする」などといっていたものが、ついに全く別物の開発計画として姿を見せた。知事の公約違反なのかどうかみたいな論調が、ようやくテレビの報道にも登場した。
 
一時期の集中豪雨みたいの報道から、そんなことはなかったような扱いになり、また現れてきた。「後追い」をすることがほとんどなくて、大きな動きを「経て」から話題として再登場するのでは、「国民は冷めやすい」に手を貸しているようなものだ。

 交流サイトでは盛んに豊洲、築地の情報が常時投稿されている。豊洲では、相変わらずの使い勝手の悪さや、ターレトラックによる「事故死」まで起きているのに、テレビ報道で取り上げたところはあったのか。シアン、ヒ素などの有害物質が出続けているのに、問題ないということになってしまっていいのか。

 築地市場後は、結局不動産開発業者への「商品」として提供され、全国で展開されている再開発事業と同様の図式が展開される。しかも「市場会計を一般会計に売却」するという。

 将来赤字が見込まれる市場会計のためとのことだが、築地市場の跡地の開発にも一般会計から「使用できるように」するということだ。2001年(平成13年)に「臨海副都心事業会計」を、黒字の「埋立事業会計」「羽田沖埋立事業会計」と統合して赤字消しをした。それと同じような赤字隠しをするという知恵だ。都の官僚たちの。



2019年3月6日水曜日

入江ゼミ写真展(4/9~4/14)のパンフレット造り

 写真展のパンフレットの文言を修正する作業は、毎回大事な仕事になっている。ブログを書いているときは、字句の間違いやコロガシなど、推敲する作業を複数回する。時々正しくない文言を書いても、気が付かず投稿してしまったことは何回もある。誤ったままの文章投稿に、後になって気が付いて背筋が寒くなる。

 写真展のパンフレットの言葉の誤りは論外で、いわば「公式文書」とも言えるものだから、キチンと表現されなくてはならない。自力でそれぞれが自分の写真に、言葉を付加して表現していく。そこには思いも込めるし、写真を見た人に撮影情報を提供して、味わいをより深くしてもらえればとの目的で作業をする。

 専門家であれば、すらすらと定型的にキャプションが造れるのかもしれないが、自分たちで練り上げるところに撮った写真への表現の一部として飾りつける。子供に新しい服を着せて七五三に行くようなものとでも言ったらいいのか。

 何かといえば人より優れなくてはならぬと、けしかける社会の有り様から解き放たれて、少々動きの鈍くなった頭脳に刺激を加えながら、自分なりの写真を押出していく。これは、様々なステップを乗り越えた、「楽しい境地」になる。

 楽しさを感じないようであれば、まだ枝葉の部分に引っかかっていることなのだと、思いながらこの工程を完成させる。パンフレットのまとめ役の人は5版を重ねた。大変な作業だ。


2019年3月5日火曜日

誕生祝い


 祝いをもらうなんて、いくつになってもうれしいことだ。娘からは間違いなくLINEで言葉が届く。Facebookでも誕生日は友人に通知をするので、祝いの言葉が届く。始めの頃はこそばゆくてまいったが、少しは慣れてきた。

 いままで自分の誕生日などはあまり感激も関心もなく過ごしてきた。ほかにやることがあったし、祝ってもないになるのかという気分が先だった。でももう射程距離もそう長いわけでないだろうから、それまで味わっておくのもいいかなという気になってきた。

LINE

ー娘
「誕生日おめでとさ~ん😉いくつになっちゃった⁉️
ー返事
「ありがとさん。7※歳になっちゃったー。「もういくつ寝ると―お葬式(^^♪」なんて。
ー娘
「ナハハハ、何事も明るく元気にが一番ね🎵

夕食後、ショートケーキが用意してあった。



2019年3月2日土曜日

写真展「共生」のDMができたので

 ゼミの先生が写真展のDM(ダイレクトメール)を造ってくださった。これを届けて写真展に来ていただく大切なものだ。写真展をするまでの工程は実に大変だが、半面実に面白い。いや面白いというと語弊があるかな。楽しみでやっていくという点の面白さだ。

 第一写真を撮らなければならないし、撮った写真から「よいもの」を抽出しなくてはならない。何が残すべきであるのかが、肝になるがそこに先生の力も借りることになる。

 撮りためたものは「日の目」を見させたい。多かれ少なかれ、その過程が多量にため込んだ写真の「まとめ」になっていく。

 今の世相や自然を切り取る。今を切り取って記録しておかなければならない。「ならない」などとは、少々異様かもしれないが、未来からの今を振り返ることが、いつのときでも必要なことだと、そんな思いをのせて、テーマ「共生」で今年の写真展も準備が整ってきた。



2019年2月27日水曜日

釣り心刺激された

 久しぶりに、釣り友と飲んだ。一昔前、テントをもって、缶ビールを詰めた思いリュックを背負って、山越えをして目的の渓流に入る「本格的」な釣りに同伴した。この醍醐味を人並みに味わえたのは彼のおかげだった。自分の体力のなさを十分自覚させられた釣りでもあった。山歩きをためらいなくやれる経験者なので、すべてお任せの計画に乗るだけで、その上荷物の負担まで軽くしてくれる頼れる人なのだ。

 複数回行ったつりは、別天地だった。だれでもが行って、よほど時間がたって、おまけに雨でも降らなければ釣れはしない場所とは違って、魚は無尽蔵と思えるほど多い。彼は「あのときは釣れなかった」と話すが、それでも持って帰るのを考えるほど釣れるのだから、これまでの釣り経験のなかにはほとんどないことだった。

 渓流釣りを志す者は、本当はこうなのだろうなと思わされた。行くときには相当の覚悟をしてのことになるが、釣りの会の行事も立て込んでいることもあり、その後この釣りでのお付き合いはしていなかった。彼の友人を何人も案内して楽しんでいたと、一杯やるときには話をしていた。

 手近なところで一緒行くことはまれにあった。でも「手近さ」を「釣れなさ」を伴うが、そこにこだわっても仕方がない。つりの楽しさは、計画してから仕掛けの準備、道具用意など事前から始まる。たいして釣れないことはほとんど承知の上で、それはそれとして「宴」の賑わいも範疇に入ってくる。昔話しをしているうちに、案の定釣り計画ができあがった。ああ、足腰大丈夫だろうか?と家に帰って思った。





2019年2月24日日曜日

月島を周って撮る

 もんじゃ焼きを食べようという催しがあった。フリーな身の上を生かして、夕方から始まるその会に参加させてもらうことにしていた。もう一つの意図は写真を撮ること。始まる時間より早く現地に行って、銀座から歩き始めて勝鬨橋も撮り、橋を渡ってから水路の風景をねらってみた。

 勝鬨橋のゴッツイ造りは、眺めてみると面白いものだった。不思議なことに人がずいぶんと歩いていて、何か催しでも?と最初考えたが、そうではなかったらしい。勝鬨橋にも映り込んだが、高層のマンション群がアピールしているかのように、立ち上がっている。どうやらそこへの出入りがあるらしい。

 調べてみたら、月島地区でこの一年で増えた人口が1592人、うち外国人の増加が3分の一を数える。水路にある屋形船繋留の風景と、街の変容のコントラストに少々とまどい感をもった。もんじゃ焼きの店群の周りは、高層ビルと変わりように置き去りにされる、古い家並みが取り巻いているようだった。