2019年2月27日水曜日

釣り心刺激された

 久しぶりに、釣り友と飲んだ。一昔前、テントをもって、缶ビールを詰めた思いリュックを背負って、山越えをして目的の渓流に入る「本格的」な釣りに同伴した。この醍醐味を人並みに味わえたのは彼のおかげだった。自分の体力のなさを十分自覚させられた釣りでもあった。山歩きをためらいなくやれる経験者なので、すべてお任せの計画に乗るだけで、その上荷物の負担まで軽くしてくれる頼れる人なのだ。

 複数回行ったつりは、別天地だった。だれでもが行って、よほど時間がたって、おまけに雨でも降らなければ釣れはしない場所とは違って、魚は無尽蔵と思えるほど多い。彼は「あのときは釣れなかった」と話すが、それでも持って帰るのを考えるほど釣れるのだから、これまでの釣り経験のなかにはほとんどないことだった。

 渓流釣りを志す者は、本当はこうなのだろうなと思わされた。行くときには相当の覚悟をしてのことになるが、釣りの会の行事も立て込んでいることもあり、その後この釣りでのお付き合いはしていなかった。彼の友人を何人も案内して楽しんでいたと、一杯やるときには話をしていた。

 手近なところで一緒行くことはまれにあった。でも「手近さ」を「釣れなさ」を伴うが、そこにこだわっても仕方がない。つりの楽しさは、計画してから仕掛けの準備、道具用意など事前から始まる。たいして釣れないことはほとんど承知の上で、それはそれとして「宴」の賑わいも範疇に入ってくる。昔話しをしているうちに、案の定釣り計画ができあがった。ああ、足腰大丈夫だろうか?と家に帰って思った。





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